【224回】8月「任務と子育ての狭間で -33年の自衛隊勤務を終えてー」

Ⅰ.日時 2021年8月21日(土)14時00分~15時30分
Ⅱ.場所 Zoomによるインターネット開催
Ⅲ.出席者数 71名
Ⅳ.講師 三角智子さん@94期 (慶應義塾高校英語科教諭)

1964年生まれ。北野高校94期。1986年関西学院大学英文科卒業後、陸上自衛隊幹部候補生として防衛庁(現防衛省)に入庁。1年間の幹部候補生学校での訓練を経て、明野飛行場での航空管制官としての任務を開始。33年の現役生活の内、17年間は幹部学校、情報学校にて教官として勤務。その他、防衛省での情報担当、国際交流担当などの補職を務め、2019年、2等陸佐で定年退官。その後、青山学院高等部特任教諭、豊島岡女子高等学校講師として勤務したのち、2021年4月より慶應義塾高校英語科教諭として勤務。

Ⅴ.演題 任務と子育ての狭間で -33年の自衛隊勤務を終えてー
Ⅵ.事前宣伝 ワークライフバランスの実現に向けて、昨今、働き方改革の取り組みもようやく少しずつ効果を上げてきたようです。また子育てと仕事の両立に関しても、私がワーキングマザー時代のころと比べると、周囲の理解や社会の声が大きくなったこともあり、育休制度の充実や、時短制度の導入など、支援制度が着々と整備されてきました。これはとても大きな前進ですが、なお、子育てと仕事の両立は困難で、これはワーキングマザーだけでなく、今やワーキングファーザーにとっても大きな課題では、と感じています。私が社会人として、女性幹部自衛官として働き始めたのは1986年、まさに男女雇用機会均等法が施行された年でした。均等法という掛け声は出たものの、制度もほとんど整備されておらず、子育てと任務の両立に大変な思いをしました。また、女性自衛官という特殊性から、言葉にできない厳しい局面に立たされたこともありました。現在、女性自衛官の全体に占める割合は7.5%くらいまで上がっており、子育てと任務の両立制度も充実してきておりますが、三十数年前はその割合はわずか2パーセント程度、(女性幹部自衛官に至っては、そのなかの1割にも満たなかったと記憶しています)、子供が生まれたらほとんどの女性が離職していきました。子育てと任務を両立したケースは皆無に近く、その上、シングルマザーという両立はほとんど不可能に思われる状況において、私がいかに定年退官まで勤め任務を果たすことができたのか、英語でいうところのskeleton in the closetのお話しばかりで恐縮ですが、自衛隊で働くという任務の特質の一端を理解していただき、また、子育てと仕事の両立に悩む後輩の皆さんのためにも少しでも役に立てることができればこれ以上の喜びはありません。
Ⅶ.講演概要
紹介者は同期の鶴島明子さん(現姓:目連さん)。三角さん(ニックネームは”ムク”)は若い頃から『自分がどう生きるかは自分で考えて行動する』自立した女性でした。日米学生会議のメンバーに選ばれて活動されていた頃は、米国側の学生から「日本人は何かと群れたがるが、SATOKOは群れない」と驚かれたそうです。私は、彼女は英語教師を目指していると思っていましたので、入隊したと聞かされた時は驚きましたが、自衛隊の英語教育の充実や日米同盟強化の志を持って入庁したことを知り納得しました。現代では当たり前のような育児の支援制度も全く整備されていない境遇で、同期の女性幹部自衛官が次々と離職していく中、子育てをしながら定年まで勤め上げたのはたった一人、彼女だけだったそうです。
注釈)日米学生会議とは、1934年より続く国際学生交流団体である。日米両国から学生が集まり、夏の一か月間の共同生活を通して様々な世界的問題に関する議論を英語で行う。

1.自衛隊における女性自衛官について

1-1.入隊までの経緯

・私は英語が好きで、将来は英語を活かした職業に就きたいと強く思っていた。
・大学生の頃、日米学生会議のメンバーとしてアメリカの大学生と交流した。その時、アメリカ側の大学生は全員が強い愛国心を持ち、国防の問題について例外なく真剣に考えていることに驚かされた。
・「独立あっての平和、平和あっての自由、平和も自由も戦って勝ち取る」という彼らのマインドセット(思考様式)は、愛国心そのものがタブー視されていた時代の日本で育った私にとって、目から鱗が落ちるような強い衝撃だった。
・大学4年生の夏、ゼミの先生に、「自衛隊は英語のできる人が少ないし、普通の学校とは違う場所で英語を教えるのも面白いかもしれない」と、自衛隊への進路を勧められた。その時たまたま自衛官の募集も来ていたので、自衛隊の募集事務所へ行ってみた。
・募集事務所の広報官から「英語が堪能で教員免許を持っている人は自衛隊には滅多におりません!入隊して頂いたら、英語を教えるのはもちろん、日米共同の場で大活躍して頂けます、訓練もほんの最初だけですから・・・」と耳あたりの良い言葉を並べたてられ、入隊することにした。しかし、そもそも自衛隊や防衛省の実態を知っている人は、家族をはじめ私の周りには誰もおらず、知らぬが仏の状態であった。

 

1-2.陸上自衛隊(陸自)幹部候補生学校(久留米市)

・最初は久留米市の幹部候補生学校で一年間訓練を受けた。
・メインは毎日の体育(何キロもの駆け足、腕立て伏せ、剣道、山登り走りなど)とほぼ毎日の戦闘戦技訓練(射撃訓練、戦闘訓練、野営訓練、武装障害走、行軍など)。
・前年までは女性幹部の実技訓練は半年間と決められていてカリキュラムも男女別に用意されていたが、私が入隊した年は男女雇用機会均等法が施行された最初の年で、訓練は一年間に延長され男女同じカリキュラムが課せられた。
・私はESS部出身で、走るのも遅く体力もなく、まさに地獄の日々だったが、この訓練さえ乗り越えれば、自衛官に英語を教え、日米関係強化に役立てると思い、卒業まで頑張った。実際には卒業後は女性幹部初の航空管制官への補職を命じられた。(補職とは官公吏に具体的な職務の担当を命じること。また、その職務)

 

1-3.女性自衛官の歴史について

1954年 自衛隊(名称:保安隊)創設の年に看護職として婦人自衛官を採用。男性と同額の報酬、安定した職場ということで、当時60名の採用枠に対し1000名以上が殺到した。看護職は現代でも毎年70名の採用枠に対し2000名以上の応募がある超人気職である。
1967年 陸自で後方支援職種(通信・会計・補給など)を中心に一般職域で婦人自衛官の採用を開始。
1974年 海自(海上自衛隊)・空自(航空自衛隊)も陸自と同様に婦人自衛官の採用を開始した。
1986年 男女雇用機会均等法に基づいて、男女の区別なく同一の訓練が開始される。女性の活用も広まり始めた。
1993年 婦人自衛官の配置制限の撤廃開始。それまで女性に制限されていた全ての分野(戦闘職域を含む)を女性に開放した。
2002年 婦人自衛官の呼称が女性自衛官と改められた。女性自衛官初のPKO派遣(東ティモール)が行われた。
2015年 空自で戦闘機パイロットを含む全配置が女性自衛官に開放された。
2016年 海自でミサイル艇や護衛艦への配置を開放。2年後には潜水艦への配置を開放した。
2017年 陸自の配置制限部隊(普通科中隊、戦車中隊など)の開放。
・これらの改革で2018年には女性初の戦闘機パイロット、2019年には女性初のイージス艦艦長、2020年には女性初の空挺隊員(パラシュート部隊)や女性初の潜水艦乗組員がそれぞれ誕生した。
・女性隊員に、第一線の戦闘職種等の機会が与えられたのは大変な進歩で、素晴らしいことだと思う。それに伴って昇任の速度も男性に引けを取らない女性自衛官も出てきて、それはとても良いことだ。
・ただ、多くの女性自衛官は、後方支援部隊等で地味で目立たない任務を黙々とこなしている。彼女たちも第一線部隊の任務と変わりなく、国防のために尽くしていることを知っておいてもらいたい。

 

1-4.女性自衛官の割合の変遷について

・1954年創設当時の看護官60名に始まり、ほぼ右肩上がりに増え続けて、2021年3月現在で約1.8万人の女性自衛官が働いている。これは全自衛官現員のほぼ7.5%に相当する。
・安定した職業ということもあり、実は女性自衛官は人気が高く採用倍率も非常に高い。高い競争率で選抜された女性自衛官は超名門校出身者も多く、私が教官として指導した立場から評価しても、本当に優秀な女性が多かった。
・女性自衛官が増えてきたのは、女性を積極的に活用する近年の風潮もあるが、実際は、少子化問題で男性自衛官の数が減少することから、女性自衛官を増やさざるを得ない事情もある。
・防衛省は女性自衛官の割合を2027年までに9%、2030年までに12%まで増やすことを目標としている。
・防衛省の女性事務官(および女性技官など)の割合は現在の所、全事務官の25%を占めるが、2025年までには30%まで増やすことを目標としている。
・参考までに、外国軍における女性兵士の割合は、米軍でほぼ20%(海兵隊の8%を除く)、フランス軍で15%、ドイツ軍で12%、イスラエル軍で34%(イスラエルは女性にも徴兵制がある)、イギリス軍で10%、カナダ軍で15%なので、日本の女性自衛官も10%ぐらいまで上がれば諸国並みと言えるだろう。

 

1-5.陸上自衛隊の職種について

①普通科:いわゆる歩兵部隊、近接戦闘を行う。一番人数が多い。
②機甲科:戦車部隊。
③野戦特科:いわゆる砲兵部隊。火力戦闘を行う。
④高射特科:対空部隊。敵の航空攻撃に対して地対空射撃を行う。
⑤航空科:ヘリコプターで偵察・輸送・連絡を行う。航空管制と気象も担当する。
⑥情報科:情報を収集し、情報の処理・分析を行う。
⑦施設科:いわゆる工兵部隊。道路や橋の建設を行う。
⑧通信科:通信機材を使って指揮連絡のための通信を確保する。
⑨武器科:大型武器の整備、弾薬の管理を行う。不発弾処理も行う。
⑩需品科:食料の補給など。災害派遣先で炊き出しや入浴の支援を行う。
⑪輸送科:部隊や火器の輸送を行う。
⑫化学科:核物質、生物化学兵器に対応する。除染作業も行う。(地下鉄サリン事件、福島の原発事故)
⑬警務科:国家的に重要な人物の警護を行う。隊員の犯罪を取り締まる。
⑭会計科:会計業務を行う。
⑮衛生科:患者治療、医療施設への後送を行う。
⑯音楽科:国家的な行事や演奏会やイベントで音楽隊として演奏を行う。
・通信科・需品科・会計科・衛生科・音楽科は伝統的に女性が多い。
・各職種を専門的に勉強する職種学校が各駐屯地にある。

 

1-6.自衛隊の階級について

・一般隊員(曹士)は2士で入隊して1曹や曹長で定年を迎える場合が多い。
・幹部は、尉官以上の階級に位置づけられる。曹長として幹部候補生学校に入学し、卒業すると3尉に任官する。
・尉官(3尉→1尉)の次は佐官(3佐→1佐)・将官(将補→将)と昇任する。
・私が現役の頃は佐官以上の女性自衛官は本当に数が少なかったが、現在では当時に比べれば劇的に増えている。2020年3月の時点で女性幹部自衛官は陸海空で2427名(自衛官定員のうちの約1%、その内の半数は看護官)。2021年8月現在、陸自では女性の最高位は1佐で数名程度、海空では女性の最高位は将補がそれぞれ2名ずつ誕生している。

 

2.任務と子育ての両立について

2-1.任務と子育ての狭間で

・幹部自衛官として定年まで勤め上げた33年間の中で、下の息子が高校を卒業するまでの二十数年は、任務と子育ての板挟み状態で、辛いことや大変なことが沢山あった。
・私が二人の息子を出産した頃は「男は仕事、女は家庭、子育ては女の仕事、出産したら女が仕事を辞めて子育てするのは当たり前」とされていて、出産後も子育てをしながら働き続ける女性は自衛隊の中では少数だった。
・均等法の施行で、防衛省内でも女性活用の掛け声は高かったが、子育てを支援する制度が追いついておらず、出産後の女性が働き続けるのは難しい状況だった。現在では当たり前となっている育児休暇や病児保育のサービスもなく、男(父親)の産休や育児休暇の制度も無かった。2007年ようやく防衛省初の省内託児施設が設立された。
・一般の認可保育園もまだ少なく、入園するのさえ大変だった。せっかく入園しても、当時は延長保育の制度もなく、最長で18時頃までしか預かってもらえなかったので、毎日がお迎えぎりぎりの綱渡り状態だった。送り迎えの為に高額なベビーシッターを雇うこともあった。「保育園に預けるなんて子供がかわいそう」と言われたこともしょっちゅうだった。息子が熱を出した時、預け先がどうしても見つからず、やむを得ず女子更衣室に息子を寝かせて働いていたこともある。
・自衛官というのは24時間アラート(警戒態勢)の仕事である。当直勤務・演習に加え、災害派遣はもちろん、安全保障上脅威とされる事案が起きた時、それが夜中であっても非常呼集がかかる。そんな時、預け先がなく、途方にくれ、職場に連れて行ったこともあった。
・女性幹部自衛官初の航空管制官、女性幹部自衛官初の幹部学校の教官など、地味な職務だったが、私の職務は女性初という補職が多かった。それで、もし私が失敗したら後続の女性幹部自衛官の道が断たれてしまうという責任を感じ、先駆者としての使命感をもって働いていた。
・私は勤務時間内で職務をこなすため、昼休みも取らず働いていたことも多かったが、当時の省内は長時間労働(残業)が当たり前とされていた。子どもの迎えで残業が難しい私には、毎日が針の筵だった。
・子持ちの女性幹部ということで悪口や嫌がらせもあったが、任務と子育てに追われ、気にする暇も無いほど忙しかった。それでも職場に何かしらの迷惑を掛け、子供たちにも寂しい思いをさせているのは事実だったので、どんなに努力しても任務も子育ても中途半端に思えて、自分を責めてしまい強いストレスを感じていた。
・私は、子育てしながら幹部自衛官として働く大変さを職場の全員に理解してもらうのは不可能だと、まず自分に言い聞かせた。男性はもちろん同じ女性でも立場が違えば味方になってくれるとは限らない。そして、客観的に考えてもワーキングマザーを歓迎する上司や同僚・部下は多くはないという事実に向き合った。
・そんな中でもほんの少数だが、私の大変さを理解して味方になってくれる人たちがいた。
・「君ね、お国の為に男の子を二人も産んでね、女だてらに国防のために働いて、自分で年金も払って高い税金も納めて、戦前だったら国家表彰モノだよ」「仕事50点、子育て50点、あわせて100点だ。自信を持ちなさい。」と言ってくれた上司もいた。
・私は、その人たちに感謝をするだけではなく「その人たちの為に自分に出来ることは何か?そして一番大切なことは何か?」をよく考えた。その結果、私は私の味方になってくれる人たちの期待を裏切らない仕事をしようと決心し、勤務時間が短くても仕事の成果を上げるように、見えない努力、工夫をするようになった。
・そのうち職場の上司が、私の仕事成果(受け持ったクラスの高い伸び率や高い合格率など)を職場で積極的に評価してくれたことで、私の能力(教育者としての資質)がだんだん周りに認められるようになり、職場が随分と働きやすい雰囲気に変わっていった。
・自衛隊の外にも強い味方が居てくれた。私は仕事をしながらでも、子供のPTA活動や子供の為の地域活動にも参加するようにした。そこで知り合った専業主婦の友人たちが私の大変さを理解してくれて、困ったときには本当に助けてもらっていた。

 

2-2.後輩のワーキングマザー(ファーザー)に伝えたいこと

子育てをしながら周囲と円滑に仕事を進めたいなら、育児休暇や育児制度を利用する権利を当然のように主張してはいけない。女性が子育てをしながら働くということは職場の全員には理解してもらえないこと、誰かにしわ寄せの分の負荷がかかっていることを肝に銘じ、周囲への感謝と謙虚さを決して忘れてはいけない。そして人から何と言われようと負の感情を持つのではなく、味方になってくれる人たちに応えるためにも、自分に恥じない、自分自身に誇れる仕事をすることが大切である。人知れず秘かに誇りを持ちながらも謙虚に!

2-3.任務と子育てを両立するための提言

①育児制度の整備

防衛省内にも託児施設があちこちで設立され、育児制度も充実してきた。防衛省では性別に関係なく育児制度の利用を推進している。子供の面倒を見てくれる自分の親や義理の親が近くにいなくても困らない保育制度や、急な出動の時に使えるファミリーサポートシステム(米軍の子育て支援制度)などの構築が望ましい。

②制度を活用しやすい職場の雰囲気

実は子育てには制度の整備だけでは不十分で、誰もが気兼ねなく制度を利用できるような職場の雰囲気が欠かせない。それには風通しの良い職場への意識改革がとても重要だと思う。マインドセットの切り替えのためにはこれからも多大な努力が必要とされるだろう。

③専業主婦の活用

表面には出にくいが、社会に寄与する専業主婦の社会還元度はとても大きいと思う。子育て共生社会における主婦の人たちの活躍の場を官民で模索していくべきだと感じる。

 

3.おわりに

・ジョン・F・ケネディ大統領の有名な演説「国が諸君に何をしてくれるか問うな。諸君が国に対して何が出来るかを問え」私はこの考え方がとても大切だと思う。ここで述べられている”国”とは、人によれば故郷や会社や家族に置き換えた方が分かりやすいかもしれないが、この精神を持つことが重要だと思う。
・私が逆境を乗り越えられたのは、少数だが私の仕事への取組みを評価してくれた上司と巡り会えた幸運と、私たち親子を助け、味方になってくれる人々が周りにいてくれたおかげだった。彼らの厚意に応えるためにも、どんなに辛い状況に置かれても逃げずに自分に課せられた任務をきちんと果たそう、と考えられた。
・最初は大した志もなく自衛隊に入隊したが、私の中では「愛国心」という気持ちは年を取るにつれて大きくなっていった。これは私にとっては嬉しい変化だった。
・日本という国を愛して、次の世代の為にも、自分が社会の歯車として何ができるのかをいつも考えていた。それが例え小さな歯車でも、誰にも理解されなくても、自分の役割を果たし続けようというブレない思いが、定年までの33年間、ずっと私を支えてくれたのだと思う。
・同期の男性がインサイドトラック(昇進の速いキャリアトラック)を走る姿を横目で見ながら、私はずっとマミートラックを走り続けた。(昇進の遅いママさんキャリアトラック)それでも国防の任務を定年まで続けられたことには感謝している。育児制度が更に充実し、ワークライフバランスへと職場の意識改革が進めば、インサイドトラックを走るワーキングマザーもどんどん増えるだろう。自らの経験を通じて得たものを多くのワーキングマザー・ファーザーの後輩に伝え、力になりたいと思う。

 

4.質疑応答

春井愛子(87期):これまでお二人の息子さんたちとはどう接して来られましたか?

回答)泊りや出張も多い仕事でしたから、子供たちが小さい頃は、どうして他のお母さんと違うのか、なぜいつも人に預けられるのか理解してもらうのが本当に大変でした。息子たちは自衛官の仕事を嫌っていましたし、思春期には不登校になったこともありました。シングルマザーということもあり、家庭のことは何もかも全て私が背負わなくてはならず、疲れ果てたこともありましたが、私が国防の仕事を最後までやりきることが、結局は息子たちの将来を守ることになる、という思いが支えとなり、仕事を続けられました。彼らが私の仕事を本当に理解してくれたのは、ほんの最近のことです。

浅見晃子(114期):今の高校生をどのように思われますか?

回答)国防とか安全保障の問題に関心を持つ高校生はとても少ないです。私は今の風潮が”個”とか”個人の自由”を大切にしすぎている感じがします。個人の夢の実現、それは素晴らしいことですが、個(個人)だけでなく公(社会や国家)の大切さを教育する必要性を感じます。「独立あっての平和、平和あっての自由~」つまり社会が平和でなくては個人の自由など成立しないからです。

三嶋隆子(94期):現在の働くお母さんにも通じますが、自己実現のために、子供を預けてまで仕事を続ける後ろめたさをどうすればよいのでしょう?

回答)その思いはとても良く分かりますが、私にも明確な答えは分かりません。たとえ国の為に働いていたとしても、小さい頃から子供たちに寂しい思いをさせてきたのは事実です。しかし長い目で見れば子供たちの為になる仕事をしてきましたし、大人になった息子たちが、私が仕事を途中で辞めなかったことを誇りに思ってくれていることが何より嬉しいです。

平田倫子(96期):男女雇用機会均等法が施行後、男性と同じ内容の訓練もされたということですが、男女の特性というものは考慮されなかったのでしょうか?また人事に関しての不当な扱いなどありましたか?

回答)男女同じ訓練と言いましても、身体能力の特性は考慮されています。例えば、腕立て伏せを行う場合、男性なら50回のところ女性なら30回できれば合格とされます。むしろ均等法が施行されて、体力的な負荷より精神的な負荷の方が本当に辛かったです。女性隊員に対しては、「女のくせに」「女だてらに」「女なんか」など、今ではとても考えられないような女性蔑視発言や嫌がらせが当たり前でした。実際、多くの女性隊員が途中で辞めていきました。それでも私はシングルマザーで家計の担い手でしたから息子たちを育て上げる責任がありましたし、何よりも味方になってくれる人たちの為にも、そして女性の後輩たちの為にも、絶対に途中で仕事を辞めないという強い思いがありました。人事に関しては大きな組織ですから不当な評価があったとしても、客観的な評価の枠組みはあったと思います。

伊藤朋(94期):高校生に英語を教える喜びと、退官されてからのご自身の楽しみについて教えてください。

回答)退官してからも次世代への教育を担えることは幸運なことだと思います。私は英語の授業の合間に自衛隊での体験を話すことがあります。普通の高校生活では聞けないような話ですから、生徒たちは興味を持って聞いてくれます。「ノブリス・オブリージュ(高貴なる者の使命)」の精神や、日本にも国防の仕事に就いて見えない所で国の為に懸命に働いている人たちがいることを、彼らに伝える機会が持てるのは、私にとって大きな喜びです。退官して嬉しいのは、24時間アラートから解放されて緊急の呼び出しが一切無くなったことです。息子たちも無事に成人しましたので、これからは自分と飼い犬との時間を大切にしたいですし、今まで制約があってできなかったことをいろいろ体験してみたいです。
【Ⅶ章記録:野田美佳(94期)】
Ⅷ.資料 210821_第224回任務と子育ての狭間で_添付資料.pdf(1.2MB)