【第191回】11月「白馬ハイランドホテルだから叶えられる夢」

Ⅰ.日時 2018年11月15日(水)11時30分~14時
Ⅱ.場所 The BAGUS PLACE
Ⅲ.出席者数 78名
Ⅳ.講師 掛谷嘉則さん@81期・剣道部 ((株)不動産システム研究所 代表取締役・(株)白馬ハイランドホテル 代表取締役・NPO法人ユニバーサルデザインながの理事長)

信州大学工学部中退、不動産鑑定事務所・会計事務所を経て1987年独立、(株)不動産システム研究所設立
2003年NPO法人ユニバーサルデザインながの設立
2007年(株)白馬ハイランドホテルを設立して現在に至る。
Ⅴ.演題 白馬ハイランドホテルだから叶えられる夢
Ⅵ.事前宣伝 とあるキッカケにより、私がコンサル業から白馬ハイランドホテルを直接経営することになり11年余が経ちました。

目指すホテルは「ホテルでないホテル」「民宿型ホテル~家族のように~」、その様なキーワードを心にして、「心に寄り添う、社員の幸福、そして地域との連携」をとの経営理念のもと地域の方々と共に歩んでいくホテルを目指し日々活動しています。

今回は、私がなぜホテル経営に参入したのか、これまでのホテル経営で大切にしてきたこだわりと想い、今後どのようなホテルを目指していくのか?

そして各市町村の地域活性化事業にホテル事業の経験を活かし、どのように関わっていくかをざっくばらんにお話しさせていただきます。

Ⅶ.講演概要 1.なぜホテル経営に参入したのか

長野に住んでコンサルタント業(㈱不動産システム研究所)をやっておりましてずっと感じてきたことは、地方の衰退です。地方都市では著しい高齢化と人口減少の進行により、消費の減少を招き、モータリゼーションの進展も合わせて、中心市街地はシャッター通り化し、その様な中で、長野という街が21世紀に他の都市との競争に勝ち残っていくためには、一定度の人口を市街地に集約することにより、賑わいを創造していく必要があると感じていました。

特に新幹線や高速道路網が整備された長野オリンピック後はその感を強くしていました。既に、長野オリンピックの決定時に行った地元金融機関の研究所との勉強会でも産業連関表からは地元にはメリットが少ないことが分かっておりました。

しかし少なくともオリンピックの開催期間だけでも、中心市街地に賑わいを創り出したいとの思いから、当初、競技場を中心として行われる予定であった表彰を善光寺に至る中央通りという中心部に表彰台などを置いた“セントラルスクエア”で行うよう長野市や実行委員会に働きかけました。

その結果、今も皆さんの心に残っているかと思いますが、オリンピック期間中、表彰会場となったセントラルスクエアを中心に、中央通りが人、人、人で埋め尽くされ、かつてない光景に少しの誇りを感じたものでした。

この大きな投資を公共の力のみに頼るのではなく、自分たちで考え、実行するという民間の力で創り上げることに関わったことは、民間の力も捨てたもんじゃない、地方でも出来るんだというその後の自分のあり方に大きな意味を与えてくれました。

その様な中で、2008年に市街地の居住再生を目的とした国の案件である「街なか居住ファンド」の全国第1号の組成を行いました。セントラルスクエアのすぐ前にあった、証券会社の跡地を活用し中層の賃貸マンションを作ったのですが、これも国だけではなく地元の民間の投資を募り、地方の力で成立させたのです。

このことは公共事業等への見方も変えるキッカケとなりました。

これまでの場合、大規模な公共投資事業を行うケースにおいて、地方自治体の職員の立場からすると中央の大手コンサルタントのブランド力が高いと安心するため、地方自治体は基本的に中央の大手コンサルタントに発注するケースが多く、検証すらすることなく受け取るシーンが見られました。

しかし、中央の大手コンサルタントは地元の実情を充分に把握することは少なく、多くは形式的なレポートに終わるケースが多くみられていました。

その結果、いつしか地元自治体の職員は自分でものを考えなくなり、高額の調査費は地元から流出します。その結果、情報と流通の変化にともない、人は大都市圏に集中するようになり、地方の人口減少は一層進んでいくことになり、この様な流れを食い止めるために何が出来るかをずっと考えてきました。

たまたまコンサルタント業務の一環として、地方の宿泊業の立て直しのなかで宿泊業運営のノウハウも蓄積されていました。観光業と言うのはある意味地域外からの「外貨獲得」の手段であり、また、「人の繋がり」をもたらすものです。

昔、大阪のいちば(市場)では、「おまえとこのカアチャンこれが好きやったで、買っていきや」と言う風なやりとりが有りました。お金ではない情報のやりとりです。阪神淡路大震災の時、「品物がきちんと揃ってから配る」と言っているのに、あるオバチャンが「何言うてんねん、年寄りと子供の居る人」と言ってサッサと配ってしまいました。観光は、「ここは昔は。。。」等の地域の魅力を通してそんな風な人と人の繋がりを生む場でもあります。

このように、様々なホテルのコンサルティングへ参画し、「人の繋がりによる」新しい観光の在り方を模索しておりました時に、或る学校法人が経営していた「白馬ハイランドホテル」取得の話が舞い込んできたのです。外部でコンサルするよりも自分で「行う」ことで「こうすれば」から「こうしたい」、そして「こうせねば」とより「具体性」「現実的」がコンサルの業務にも活かされるようになりました。

 

2.これまでのホテル経営で大切にしてきたこだわりと想い

白馬ハイランドホテルは、私たちに取得の話が来るまでの数年にわたり赤字状態が続いていました。その原因を分析し、可能性を検討しました。

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その上で事業計画を策定しましたが、当時の経済環境が悪かったことも有り、借り入れを予定していた金融機関の承認を得ることは出来ませんでした。

そこで、事業計画を見直し、単なる「経済的な視点」を重視した事業再生ではなく地域との結びつきを強めた「従業員と地域から信頼されるホテル」を目指し、特に「従業員を大切に」することを柱に経営計画を策定し直しました。

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従業員については、仕事を通じてやりがいを感じ成長する仕組みを、地域社会については、地元企業が雇用を創出し地域との共同活動を通じて地域の発展に貢献することを提案しました。この事業計画は承認されました。

従業員について言いますと、多くのリゾートホテルではシーズナリティが大きいため正規雇用の社員は極めて少なく殆どが契約社員やアルバイトです。白馬ハイランドホテルでは40名近くの従業員のほぼ全員が社員です。そんな小さなホテルにも拘わらず、中には著名な大学卒業し、自分の強みを生かしたいと入社してきた社員が多数居り、地域の住民として頑張ってくれています。

地域との連携について言いますと、農家の方々と直接契約をしたりして夏だけですが「食材の81%以上は89.8km以内で調達」することで地域にお金が回るようにしています。

(ちなみに、“81”はハイランドホテルの、“89.8”はハクバの洒落です)

また、お客様との関係では「植樹祭」や「感謝祭」(2014年11月発生の神城断層地震(M6.7)でホテルも大きな被害を受けたのですが、それ以来毎年お客様と祭と称して楽しんでいます)等でより近くにあることはもとよりお客様同士の関係も生まれたりとフレンドリーな空間が育ちつつあります。

あらためてホテル経営で重要なことは、従業員と地域社会にそしてお客様に「ホテルの存在意義と価値観」を充分理解して頂くことと考えます。ある意味社会的価値を企業的価値の融合の大切さかと思っています。

 

3. 今後どのようなホテルを目指していくのか

2007年の株式会社白馬ハイランドホテル設立以来順調に推移し、3年目には黒字化、売上高では初年度の約1.9億円から約5.4億円に、リピーター率では約10%から約44%にまでなりました。

これまで順調に推移してきましたが、現在「嬉しい悲鳴」も含めて次の様な悩みを抱えております。

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これらの課題に一つ一つ向き合って、更に皆さまに喜ばれる白馬ハイランドホテルを目指してまいります。

 

4.各市町村の地域活性化事業にホテル事業の経験を活かしどのように関わってゆくか

このようにホテル運営をしてきた経験を活かし、コンサルティング業務でも、道の駅の未来展開や秘境の地の観光と宿泊のあり方等、単に経済的な視点だけでなく地域の持ち得る財産(地元では気付かない隠れた魅力発掘と人の元気を取り戻す視点)を結びつけようと長野県下で4つの事例に取り組みました。(事例割愛)

一方、東京をはじめとした大都市圏のコンサルティング会社が行う地域活性化事業に係る“調査”は、実態を知らない形式的なものになる傾向が見受けられ、今も地元研究所等連携しつつ提案をし、その後は自治体職員とともに考えるという仕組み作りを行っています。

これまでの拙いながらも様々な経験から言わせて頂ければ、何よりも、『現場第一主義』即ち、“地元の人々と一緒に暮らし、考え、アイデアを生みだすこと”が必要であると考えます。

 

最後に、こうした拘りというのか、真摯に向き合う思いの原点は北野高校のあの伸びやかな空間で学んだことと思っております。1969年の入試直前の東大安田講堂の攻防等を見ながら、自分は今何をすべきか、どうあるべきかと校内で友と語った日々を時々思い出しながら今もなお、悩み、苦しみながら生きております。そんな書生っぽだからこそ地方で生きていくことが出来るのかなと思っております。

 

ご静聴ありがとうございました

 

講演録作成者(73期小西尚武)から一言

筆者もこの夏お世話になり、白馬三山を一望できる広いお部屋、結構なご馳走を満喫しました。「それで、なんぼやねん?」は言わぬが花でしょうが、思っていたよりずっとお手頃でした。

Ⅷ.資料 181115北野高校プレゼン.pdf(1.5MB)

 

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