【232回】4月「アナウンサーとして30年、北野魂が役立ったこと」

Ⅰ.日時 2022年4月16日(土)14時00分~15時50分
Ⅱ.場所 Zoomによるインターネット開催
Ⅲ.出席者数 342名(再放送:74名)
Ⅳ.講師 有働由美子さん@99期 (フリーアナウンサー、日本TV「news zero」メインキャスター)

鹿児島で放送記念日(3月22日)に生まれる。その後、姫路→西宮→大阪と移り、豊中第十六中学卒(1期生)1991年 神戸女学院大学(文)卒
1991年 NHK/関西TV/TV大阪等に内定も海外志向よりNHK入局。大阪放送局配属
1994年 NHK東京アナウンス室配属 「おはよう日本」、「サンデースポーツ」、「スタジオパークからこんにちは」等担当
2001~03年 「NHK紅白歌合戦」紅組司会2007~10年 NHKアメリカ総局(ニューヨーク)特派員
2010年 NHK「あさイチ」メインキャスター
2012~15年 「NHK紅白歌合戦」総合司会
2018年 NHK退社(27年勤務)
 
その後半年かけ記者キャスターとしての目を養うべく、
・東日本大震災被災地の地元の人に話を聞きに一人で東北沿岸を巡る
・イスラエル・パレスチナ、キューバ、南スーダン(難民キャンプ)を現地ジャーナリストとともに取材
半年後フリーアナウンサーとして「news zero」(日本TV)のメインキャスター就任
東京大学大学院の災害情報を扱う研究室の研究員でもある
 
オリンピックキャスター計7回(NHK時代6回、民放1回)、被災地の現場取材等経験多数
 
著書:「ウドウロク」(新潮社)
雑誌連載:「マイフェアーパーソン」(文藝春秋)
TV/ラジオ:日本TV「news zero」、ニッポン放送「うどうのらじお」
Ⅴ.演題 アナウンサーとして30年、北野魂が役立ったこと
Ⅵ.事前宣伝 省略
Ⅶ.講演概要

3つの「北野魂」について

 1.疑うこころ、とらわれないこころ;

入学後の倫理/足立先生の授業の第一声が「なんで君たち犬じゃないの」「なんで君たち机をかじらないの」。キョトンとするも、それまで親の教えや世の中の常識を当然のことと捉え、まわりの空気に流されて生きてきたが、年を重ねるにつれ、世の中のルールにとらわれない思考や発想が非常に奥深く大事なことだと分かった。

▶3か月の新人研修を経て大阪放送局に配属され、“社会の闇”を取材した時のこと。
覚せい剤に明け暮れソープランドで働く母親に養子縁組した非行に走った少女(A子)を取材した時のこと。A子が住んでいた阿倍野のキリスト教施設での取材を終えた翌朝、駅のホームで電車を待っている時の会話で、「売春やめた方がええよ」(有働さん)、「なんで?」(A子)、「なんでって、売春はあかんやろ」(有働さん)、「なんで?たこ焼き屋でバイトするにもシスターに頭をさげてもらってやっと働ける。お母さんにもお金送らなあかん。それなのに、なんで?」(A子)と問いつめられた。
売春がなぜだめなのか、理論的に説明・説得できる言葉を持ち合わせていなかった。
知識も見識も無いのに、社会の悪からA子を救えるんじゃないかという気負いだけが先走った。昨今の「戦争はだめ」「殺人はだめ」の話も同じ。自分の考えを言葉で表すのは難しい。自分は言葉を本当に突き詰めているのか。「疑うことが大事」と足立先生が言っていたのはこのことか、と認識した。

 

2.ものおじしない心;

全校生が集まる全体集会で一人が手を挙げ、「食堂のおばちゃんがうどんを出すときに汁に指をいれてんのがいやや」と主張するのに驚くとともに、「とりあえず手を挙げる」という姿勢、「言ってみてもいいんだ」ということを学ぶ。

▶NHK入社4~6年で「おはよう日本」を担当していた時、バブル崩壊でつぶれた地方のミニゴルフ場で、地元の人は一回500円で毎日プレーできるとの紹介をした時のこと。キャスターの「500円だったら練習出来てうまくなりそうですね」とのコメントに、何か返そうとして「ゴルフは練習しても下手は下手ですから」と言ってしまった。言わんよりは言う。

▶同番組で、当時科学技術庁長官だった田中真紀子さんが「私スーパーに買い物に行くのよ」とコメントされたので、とっさに「トマトはいくらかご存じですか」と質問。「1個500円」というあり得ない返事をされ、恥をかかせてしまった。予定していたインタビュー時間を長々とオーバーしてしまったこともあり、大変申し訳なく、個人的に田中さん宛てに詫び状を書き科学技術庁に届けたが、この手紙がNHKにばれて怒られた。

北野魂=手を挙げて聞く。偉い人にも聞く。聞きたいことは聞く。

 

3.自分らしく生きる;

授業中いつも寝ているか漫画を読み、しかも、部活もやりながら成績抜群の生徒がおり、「上には上がいる」ということを学ぶ。それは目指さないことにして「自分らしく」を目指した。

▶大阪放送局の新人時代。放置自転車に罰金を課すという堺の条例を紹介する現場中継を担当した時のこと。有働さんの発想で、カメラマンが自転車を放置する人、有働さんがそれを見つけたおばちゃんの役で「ちょっと、あんた。なんでこんなとこに放置してくれてんの」とコント風にやり、大目玉をくらった。目立とうというより「自分らしく」との思いだった。

▶公共放送であるNHKのアナウンサーは「品良く清楚」というのが定番だった当時、紅白歌合戦で着けた目立つ衣裳も、同じく「自分らしさ」から出たもの。生まれ持ったところもあるか?

▶「君たちの時間は限られている。だから、その時間を他の誰かの人生を生きることで時間を無駄にしてはならない。それは他の人の考え方と生きていることになるから」とのスティーブ・ジョブスの言葉はNHKを辞める決め手になった言葉。これは、まさしく北野で足立先生が35年前に言っていたことである。

3つの「北野魂」を紹介した。北野で非常に深いことを学んでいたんだ、ということを改めて認識した。今からでも、むしろ、今だからこそ、もう一度北野の授業を受けたいと思う。

 

質疑応答(事前アンケート)

 

1.Q.老後に向けどのような準備をしているか?

A. 独身だとセーフテイーネットが無い。最低限のたくわえを備えることと、70歳まではどんな形でも働きたいと思っている。若い起業家の人たちと将来何ができるか話をする機会がある。しかし、若い人は資金がない。北野卒業生の人脈やネットワークはすばらしく、人や仕事の壁を乗り越えていける。ぜひ、北野の人脈を活用できるよう検討いただければ。

 

2.Q. 休みの楽しみは?

A.  寝ること。小説を読むこと。ビール(無くなればウィスキーの水割り)。

 

3.Q. アナウンサーを目指した動機

A. そもそもは新聞記者を目指していたが、これからはTVジャーナリズムと考えテレビ局を受けた。NHKには記者志望で試験を受けたが、マイクの通りのテストがあった。記者/制作/アナウンサー/放送管理/技術等の部署があったが、当時のNHKには職種間の壁を取りはずし放送を見直す動きがあり、最終面接手前でアナウンサーの打診あり。「アナウンサーも考えないこともないか」との思いで入局。

4.Q. 関西弁と標準語での苦労話

A. NHKでは「標準語」とは言わず「共通語」という。
入社から3年間「ただ原稿を読むオカザリになるな」との教育を受け、アナウンサーとしてはアクセントを間違えてたびたび苦情が来ることも。「有働さん用の電話人員が必要」とまで言われるほど苦労した。共通語を学ぶには、音だけで伝えるラジオ放送を聞くのが良いと教えられ、ラジオ第一放送で勉強した。今でも関西の人としゃべると関西弁になり、大阪に帰り家族と大阪弁を話したあとは、怪しい共通語になる。

 

5.Q. 仕事の服装で心がけていることは?

A. すべてスタイリストに任せている。自分の服は、地震等が起こってもすぐに現場に駆けつけられるよう、ほぼ黒/白/灰色。オシャレからは程遠い。

 

6.Q. 「news zero」のキャスターとして準備、勉強していること。自信を持つためにどうしているか?

A. なるべく深く知るように、朝起きてネットでチェックの他、書籍・論文等で勉強している。ただし、放送では、「深く」より「とにかくこれだけは知っておいて欲しい」ことを専門家に聞くよう心がけている。基本はニュースでありキャスターは2割。2割で何が出来るかを考えている。
自信をもってやっていることは殆ど無い。無いので、なるべく多くの現場の声を聞くようにしている。

 

7.Q. 放送にたずさわるものとして、ロシア・ウクライナのプロパガンダ報道に対する考え方

A. ウクライナが正、ロシアが悪というのが本当に良いのか常に考えている。西側の情報も含めてあやしいと思いながら、これホンマ?情報の出はどこ?と常に問いかけている。大事なことは現場のことを聞くこと、元の情報をしっかりつかむこと。
「なんで?ホンマ?」という発想の関西人はジャーナリズムに向いていると思う。

 

8.Q. 北野時代で一番つらかったこと。楽しかったこと。

A. *つらかったこと;
・ラジオ体操第二。第二をつくった先生がめちゃくちゃ厳しく、なんでこんなこと一生懸命やらなあかんのかと思った。
・剣道部の部活。基礎練・うさぎ跳び等、練習がハードでしんどかった。でも、今でも仲が良いのは剣道部の仲間。
P.S.:剣道部の話題に合わせて同部出身の有働さんから150周年記念事業寄付応援
メッセージ:「北野の後輩たちは、困ったり立ち止まったりした時に、先輩がこれだけやってくれていると思ってくれる。北野生だったという誇りを胸に寄付をお願い。
歴史が古いということは卒業生が多いということ。少額でもぜひ寄付をお願いしたい」
A. *楽しかったこと;
・全員参加した体育大会。200M走で陸上部に勝った!

Ⅸ.質疑応答(当日参加者)

 

1.Q. 講演で話が出た殺人や売春等の「してはならないこと」について、有働さんの答えは見つかったか?

A. 殺人の背景はケースバイケースと思う。しかし、命は一度なくなればもどせないという一点で、どういう理由があろうと許せない。売春は絶対にだめとは思わない。全否定ではない。

 

2.Q.「生徒集会のうどん」の話の中で出たような行きすぎたエピソードも多いと思うが、自分でほめられる話は?

A. 手を挙げて良かったのは、打率でいえば2割7分。
アメリカの取材で役立った。小学校からECCに通っていたものの、アメリカに赴任してニューヨークの英語が分からなかった。しかし、市長のスピーチに手を挙げ前に出て質問したりしているうちに、1年半後には分かるようになった。海外では「彼女謙虚でいいね」は通じない。その時は恥をかくかもしれないが、手を挙げないと覚えてもらえないし、チャンスが減る。

 

3.Q.有働さんは、正直で嘘がつけないし言葉に安心感がある、半面、空気が読めない人がいるが、有働さんはそうではなくチャーミング。秘訣は?

A. 何かあればすぐに謝ることを心がけている。思いを言語化する。
空気をよんでいないと思われるが、本人はよんでいるつもり。失敗して痛いし悩む。
でも、「敢えて行く」。

 

4.Q.米国出張時に、当時米国に駐在していたNHKの編集長にお会いすることがあり「オレが有働を『おはよう日本』に引っ張った」と仰っていた。また、「彼女は絶対おもしろいと思った」とも言っていた。

A. その通り。「おはよう日本」の鬼編集長と言われていた人。「どんどん変化球でやってくれ」と言われた。本人はそれまで「正統派」と思っていたが「変化球やったんや」と思った。

 

5.Q. もっと早く独立したほうが良かったと思うか?

A. そう思う。しかし、勇気がなかった。
辞表提出当日まで迷っていた。そろそろ若手に仕事を譲らなければならないことは分かっていた。自分も若い時にチャンスをもらったし、会社員の立場からも、今後下がってくれ、全部引けと示唆されるのも理解していた。
ただ、管理職として、局の人事管理や財政管理は不得意。それならばと地方局勤務も考えた。NHKにいてこその「有働さん」とも考えたが、組織にどっぷりつかっている自分がおり、このままでは自分の人生を閉じていくことになるのではと考えた。
独身で身軽ということもありJump higher、今後はやりたい仕事をやる!と決めて決断した。

 

6.Q.独立して世界が広がったこと

A. NHKを辞めて分かったが、NHKという組織の中での思考だった。世の中や放送をこうしたらもっと良くなるとの思いはあったが、縛られている自分がいた。これが楽だが楽しくない。自分が小さくなっているのを感じていた。
それが故に、日テレとは双方からやめられる契約を結んだ。NHKを辞めて4年経つが、まだ小さくなっている。まだ縛られることに安心している。これから残りの時間、自分が何を感じるのか、自分のカンで何を大事にするかを考えながら、自分のやりたいことをやりたい。

 

7.これからチャレンジしたい領域

A. 亡くなった樹木希林さんに、「結婚は理不尽」「損得でいえば損」「思い通りにはならない」「努力が裏切られる」けど「だからこそ、あなたのために、一回結婚してみなさい」と言われた。
これからは、何が正しいかということを考えていく時間にしたい。
一線を退いたタイミングのことも考えている。現在、東大大学院の人と防災を研究している。日本は防災技術が進んでおり、防災をかたちにして、戦争・災害が起こった時に防災技術を輸出して世界に貢献できないかを考えている。

 

【講演記録:88期 葛野正彦】

Ⅷ.資料 なし