第六回 両親への敬慕

2018年7月28日

前回の最後に、「次回は敬老精神について」と申しましたが、まずは、その中でも最重要の、両親への敬慕について、ご説明します。この写真は、少女が、就寝前に、両親を拝んでいるところです。ポプラ社の「体験取材!世界の国ぐに20 ミャンマー」からの抜粋ですが、私自身、ミャンマー人の自宅に夕食に招かれた際に、このような光景を2度目撃しており、正に厳粛な雰囲気で行われていたのを、良く覚えています。子供達は、本当に、心から両親を敬い、慕っています。

親による子供の躾が日本と比べて特に厳しいというようなことはなく、むしろ親はいつもニコニコしていています。それが可能な家庭では子供の教育に惜しげなくお金をつぎ込みますが、とはいえ、「教育ママ」的なこと、つまりは、遊び盛りの子供が嫌々勉強させられるといったことも極めて少ないようです。第一回でご紹介した、ミャンマー人男性が家族と夕食を共にすることを重視する等の様子からも、とても家庭的で子供を愛する人達であることが判ります。しかし、何らかの理由で、一旦、親が子を叱り始めると、子はあっと言う間に、素直に親の言うことに従います。それは、大人になっても変わりません。私が仕事上知り合った様々な人達と雑談していた際にも、それを度々窺い知ることが出来ました。

(出家や国軍入隊は別として)子が結婚前に親と別居することは殆ど考えられません。子が選んだ結婚相手に対して親が反対することは、現代では殆ど無いようですが、とはいえ、いわゆる「最終決定権」は、いまだに親にあります。そして、結婚しても、子の中の誰か一人が同居、或いは同じ敷地内に住んで、親の老後の面倒を見るのが、ミャンマー人社会における常識です。

前回までに申した通り、ミャンマー人の名前には名字(family name)が無くて、「家系」という発想も無く、息子が引き継いでいくべき仏壇も位牌もお墓も無いですし、財産分与も、分けられるものについては、男女・長幼の差別をしないのが大原則です。例えば農家において、土地や牛を分割してしまったら、夫々の規模が小さ過ぎてやっていけない場合は、長男が相続するのが慣例ですが、そういう場合、土地相続者が両親の面倒を見ます。しかし、財産分割にそのような不公平が無い場合は、誰が両親と同居するかについてのルールはなく、たまたま都合が良い子供が同居する、というふうに決まります。

義理の父母との関係も、普通日本で一般的と理解されているようなレベルよりも遥かに親密度が高く。私の友人の一人はミャンマー人女性と結婚して、19年間ミャンマーで働き続けているのですが、10年ほど前に、愛媛県で一人暮らしをしている、彼の母上が病気になった時に、そのミャンマー人の奥さんが、夫と二人の小さな子供をミャンマーに残して、半年間愛媛県で、義母の看病をされていました。夫と子供が、彼女の実家の隣に住んでいるから可能であったにしろ、そういったことをさして美談とも思わないのが、ミャンマーの人達なのです。(ミャンマーにおける夫婦の間の力関係については、一言で申すと、妻の力が実に強いのですが、これについては、別途じっくりご説明します。)

この両親への強い尊敬の念は、ミャンマー文化の歴史的伝統であり、前回までご説明した上座部仏教の教えとは、直接の関係はない、と言われています。上座部仏教においては、出家者は当然家族との縁を切りますし、在家についても、特に「親を敬え」といった教えは見受けられません。大乗仏教には、「父母恩重教」という、父母への報恩を強調するお経がありますが、これは、儒教の教えを踏まえて、中国で新たに作られたものです。とはいえ、第三回で申した通り、上座部仏教の説く輪廻転生に基づき「自分の周りの人達を悲しませることは大きな罪である」と固く信じている訳ですから、周りの人達の中でも最も身近である両親のことを大切にすることも、上座部仏教の影響だと言えるかもしれません。

結局今回も理屈っぽくなってしまい、すみません。次回は、ミャンマーの人達が、周りの人達の年齢を常に意識して、一歳でも上の人は年長者として重々敬うということ、ましてお年寄りに対する敬老精神は著しいことを、ご説明します。