第五回 上座部仏教 (4) 日本の仏教との比較

2018年7月21日

 今回も、ミャンマーの上座部仏教についてですが。第二回から第四回まで、かなり理屈っぽいお話が続きましたので、今回は、日本の仏教との大きな違いを、別の角度から、私が実際にミャンマーで経験した、具体的な行事を例に挙げながら、ご説明します。

この写真は、後ほどご説明しますが、11月の満月の祝日に、私が職場の仲間のミャンマー人の人達と一緒に、事務所の近くのお寺に寄付したものです。判り難いですが、左側の三角形は、板にお札を張り付けたもので、右側は食料品です。

さて、ミャンマーでも、キリスト教徒の人達は土葬していますが、仏教徒、特に都会では、殆どが火葬です。日本との大きな違いは、お骨を拾うということが無く、焼いたらそのまま、つまり、灰が風に吹かれて飛んでいくままにすることです。ミャンマーでは、例えば父親が亡くなった時、その父親は生前十分に善行を積んでいたので、お葬式の頃には、もうどこかの幸せな家庭の赤ちゃんとしてオギャーと生まれ変わっている、と信じていますので、遺骨と灰には、特段の思いは抱かないのです。日本のような、四十九日の間、閻魔大王達に生前の行いを裁かれている、というような考えもありませんし、大王の「浄頗梨(じょうはり)の鏡」に生前の悪事が映しだされてしまい、地獄に落ちることになった人を助けるためにお祈りする、ということもありません。大抵の家庭に仏壇はありますが、それはお釈迦様に対してお祈りする為のものであり、亡くなった方々の戒名を記した位牌というものも全くありません。

少し話が逸れるようですが、実は、ミャンマーでは、名字(Family Name)というものが無くて、夫々の人の名前は、全て、両親が考えて決めたGiven Name なのです。(今、日本で最も有名なミャンマー人といえば、現政権の事実上のトップであるアウン・サン・ス―・チー女史でしょう。彼女の父親が、独立の父アウン・サン将軍であることから、「アウン・サン」がFamily Nameであると誤解する方々も多いのですが、実は、アウン・サン将軍が、娘の名前の中に自分の名前を残したいと考えたからに過ぎません。「アウン・サン・ス―・チー」全体が日本人で言えば花子にあたるような名前なのです。)Family Nameが無いということは、代々守り続ける「家」、「家系」という概念が無い訳です。(過去の王朝における王家の血統は例外ですが、ここでは、そのことには立ち入りません。)この影響で、普通のミャンマーの人達は、自分が直接お世話になった祖父・祖母は大いに尊敬し永遠に忘れませんが、それ以前の、自分が会ったことも無い遠い祖先については特段の思いはありません。(従い、女性は、歴史的にも、結婚して夫の「家」に嫁ぐのではないし、結婚しても名前は全く変わりません。)

仏教の話に戻ります。10月の満月の日、ほぼ雨季が終わりに近づいた頃に、「灯明祭り」という仏教の重要な行事(祝日)があり、この時、パゴダ(仏塔)や寺院等に沢山の灯りをともします。

実は、お釈迦様が布教したインド東部の地域と、ミャンマー・タイ・カンボジアの平地の気候は似通っていて、5月終わりくらいから10月くらいまで降水量が多いのですが、お釈迦様は、その間の特に激しい3か月間を「雨安居(うあんご)」と定めて、彼の教団は原則一か所に留まって集団で修行に専念することとしました。外出に不便だというだけでなく、その頃に外を歩き回ると、草木の若芽を踏んだり、地を行く昆虫を踏み潰したりするリスクが高いことが理由であった、と伝えられています。ミャンマーでは、在家の人達も、この期間は、なるべく慎み深い生活を心がけます。

その分、上述の「灯明祭り」は、暦の上での「雨安居」明けの、いわば3か月ぶりの「晴れ晴れした気分」を味わう日です。踊りこそ無いものの、日本人がそのお祭りの様子を見たら、「これは、お盆祭りだろう」と推察するのですが、それは大きな誤り。日本のお盆とは、ご存じの通り、ご先祖様達が家に帰ってくる機会であり、ご先祖様のために灯明を掲げて家に案内するものですが、ミャンマーでは、上述の通りご先祖様はとっくにどこかに生まれ変わっていますので、この祭りにも全く関係ありません。実は、数多くの灯明は、雨安居の間に、天上でお休みになっていたお釈迦様が、地上の様子を見に降りていらっしゃる際に、判り易いように、との目的で掲げているのです。ちなみに、この灯明祭りから一か月の間に、人々は、普段お世話になっているお寺のお坊さん達に、様々なものを寄進します。(伝統的には袈裟が主でしたが、現代では、お坊さん達の生活に必要な様々なものが利用されています。上の写真を参照下さい。)11月の満月も祝日となり、多くの寺院や仏塔が、寄進に訪れた人達で賑わいます。

ミャンマーでは、国民の祝日が、20日前後ありますが(振替休日の制度が無い等いくつかの事情で、年によって少し増減。)日本でいう年末年始にあたる長めのお休みが、ビルマ歴(太陰暦)の正月(西暦の4月の満月の前後)ですが、それ以外にも、3・5・7月と上述の10月・11月の満月が、仏教起源の祝日となっています。それと、在家の人達も、新月と満月、人によっては、その中間日(つまり、8日目と22日目)は、好きな人もお酒を控える等、なるべく慎み深く振る舞います。ミャンマーで売られているカレンダーには、必ず、新月から次の新月での間に番号が振られているのですが、多くの人々は、それを見るまでもなく、今日の月は何日目なのかということを意識しているのです。

次回は、ミャンマーの人達の敬老精神についてご説明しましょう。