ペッテンとアルクマール《3》 (2006年12月23日)

 


▲チーズ計量所2階から見たチーズ取引

▲揃いのユニフォームのチーズ運搬人

オランダに観光で来る人たちにとって、アルクマールは比較的知られた町である。この町の中心にある広場で、4月から9月初旬までの毎週金曜日の午前中、 昔ながらの方法でのチーズの取引が行われる。オランダは現在ドイツ・フランスと並ぶ世界のチーズ生産高トップ3の一角であるが、他の2国と違い世界に流通 ネットワークを早くから構築したオランダは、古くからのチーズ輸出国として知られている。オランダを訪れた観光客は、その歴史の一部を垣間見るために、ア ルクマールを訪れるのである。

取引されるチーズは、主にゴーダチーズと呼ばれる黄色い円盤型のフィルムで覆われたチーズで、ひと塊およそ10kgの重さである。日本ではチーズといえ ば要冷蔵の乳製品というのが常識だが、チーズは元来家畜の乳を保存食とするために開発された加工品なので、開封しなければ常温での長期保管が可能で、少し の間なら炎天下に晒しておいても問題はないようだ。

朝から広場いっぱいにチーズの塊が整然と並べられ、司会の進行に従って元売りの出品するチーズが卸売りに競り落とされていく。競り落とされたチーズは、 揃いのユニフォームを着たチーズ運搬人によって独特の形のチーズ運び籠に載せられて、広場脇の計量所で古めかしい天秤を使って計量される。その後再びチー ズ運搬人が広場の反対側に運んで行き、競り落とし人のトラックに載せる、というのが一連の流れである。

広場の周辺は金曜午前だけ張り巡らされる臨時の柵によって仕切られ、柵の周辺は観光客でごった返している。昔は競り落とし人はトラックではなく、広場脇 の船着場に着けた船にチーズを積み込んだのであろうが、今は広場の船着場側には観光露店が軒を並べ、観光客の運河への転落防止に一役買っている。

当然ながらこのような形のチーズ取引は観光用の見世物で、今ではアルクマールの他は、チーズの産地として知られるゴーダとエダムを含む3ヶ所でしか行われておらず、規模と期間もアルクマールが最大・最長である。


▲ゼーンセ・スハンス(Zaanse Schans)

ただ、惜しいかな、アルクマールにはチーズ取引以外に物珍しい観光資源がない。金曜朝にアムステルダムのホテルからやって来た観光客は、一通りの行事が 終わった午後には中途にある観光地ザーンセ・スハンス(18~19世紀頃のオランダを再現した町)に立ち寄った後、アムステルダム西方の古都ハールレムへ と移動する。ザーンセ・スハンスやハールレムへは、大運河を大型船で遊覧していく人気の観光コースもあるので、チーズ取引が終わると、観光客はそそくさと アルクマールを後にする。

そんなわけでアルクマールは、春夏の金曜午前の喧騒を除けば、至って静かな町である。もちろんそれ自身比較的大きな都市で、周辺の町から見ても中心的な役割を担っているので、商店が連なる通りは賑やかで、アウトレットのような大型店が集まって出店している地区もある。
筆者の知人の住民たちは、ほぼ例外なくチーズ取引の混雑が好きではないようで、永年住んでいても一度も見物に訪れたことがないという人も多い。筆者も京 大での9年間の在学中、観光客が必ずと言っていいほど訪れる、金閣寺にも銀閣寺にも龍安寺にも清水寺にも行かなかったヒネクレ者であるが、観光地の住民と いうのはそれなりに複雑な感情を持って暮らしているようだ。


▲1597年のアルクマール
http://www.alkmaar.nl/monument/1597.htm

アルクマールが初めて歴史に登場するのは、ペッテンより少し遅れて10世紀ごろのこと、1254年には都市として成立したという。1560年代後半から 始まる対スペイン独立戦争で、スペイン軍に包囲されることになるが、1573年に劣勢を跳ね返して包囲軍を撃退した。それまで敗戦続きだったオランダ側 は、この勝利をきっかけとして徐々に勢いを増して行ったと言う。アルクマール市役所のウェブサイトには、1597年の古地図が掲載されている。おそらく、 スペイン軍撃退後、再度の侵攻に備えて補強を加えた後の姿であろう。

なお、1573年といえば、日本では織田信長が浅井氏・朝倉氏を攻め滅ぼし、足利将軍家を京都から追放した年である。その2年後の長篠の戦いは、世界で 初めて大量の鉄砲を組織的に使用した戦争とも言われる。アルクマールの防備が固められた時代の兵器レベルも、信長の時代とほぼ同等と考えると興味深い。街 区を取り囲む濠の要所要所に突き出た防塁に、濠を泳ぎ渡って侵攻してくる敵兵を狙撃する鉄砲隊が置かれたのだろうか。
その後アルクマールは、ナポレオンのフランス、ヒトラーのドイツによる外国軍の駐留を経験するが、直接の戦禍を蒙ることはなかった。1597年の古地図に記された通りや運河の配置は、今もほとんどそのままである。興味のある方は、Google Mapなどと見比べてみて欲しい。


▲橋に近づくクルーズ船
▲頭を下げてくぐり終わるのを待つ

アルクマールに来られる機会があれば、ぜひ運河クルーズ(rondvaart)を体験してもらいたい。出発は上述のチーズ計量所前、約40分間で、古地 図に記された街中の古い運河から、かつて都市防衛の役割を果たした濠の一部を通り、大型船が行き交う大運河を経て、チーズ計量所前に戻ってくる。

アムステルダムを始めオランダの主要な都市では、どこでも運河クルーズが観光の売りだが、アルクマールの運河クルーズは一味違う。なんと、船に屋根がな い。他の都市では録音された音声ガイドが周囲の建物の案内をするが、アルクマールではガイドがライブで案内をする。そして、ここが最も重要なのだが、ここ の船ではボンヤリ座っていられないのである。座ったときの頭より低い高さの橋をいくつもくぐるのだ。そのような橋に近づくと、ガイドが必ず頭を下げろと警 告する。警告に従わずに頭を怪我しても自己責任、実にスリリングな運河クルーズなのだ。

ここの運河クルーズを体験すると、アムステルダムの運河クルーズは退屈で仕方がないものになる。アムステルダムの運河クルーズは、本来観光客なら楽しめるものなので、アルクマールに来る前に、アムステルダムの運河クルーズを体験しておくのが無難かも知れない。

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