第44回 「戦争と平和」  松本善明さん@57期

reporter:峯 和男(65期)

日時: 2006年8月16日(水)11時30分~14時
場所: 銀座ライオン7丁目店6階
出席者: 69名(内65会会員:江原、大隅、大塚、梶本、正林、高橋(相)、山根、峯)
講師: 元衆議院議員、弁護士 松本 善明氏(57期)
演題: 「戦争と平和」
講師紹介: 1926年大阪市生まれ。1943年17歳の時、海軍士官を養成する海軍兵学校に入学。これは当時の中学校長の「10年後の大学者になるより、1年後の一 兵卒になれ」との言葉に心を揺さぶられたため。終戦を経て1948年東京大学法学部在学中に日本共産党に入党。弁護士として松川事件やメーデー事件、労働 争議に関わった後、1967年から衆議院議員通算11期。近著は「平和の鉱脈と日本共産党」(新日本出版社)。なお、北野中学時代の同期生より、「彼は中 学時代は体操部で部活動に熱心に取り組んでいた。優秀な学生で同期生のホープであった。卒業後も主義主張を越えて応援した」との紹介あり。
講演内容:
(要点のみ)
(1)はじめに
今年の4月、元・駐中国大使の中江先輩がこの会場で講演した後の懇談の際、靖国問題や戦艦大和の話をしたところ、「次は君の番だ」と言われ今回話をすることになった。あまり堅い話ばかりでも面白くないので脱線もしながら話を進めたい。(2)自己紹介

いわさきちひろさん
いわさきちひろさん
(ちひろ美術館より引用)

私は40歳で初当選してから国会議員を33年間務めた。いわさきちひろが私の妻であったことはあまり知られていない。最初は「松本善明夫人のいわさきちひ ろ」と言われたがその後完全に逆転し、「いわさきちひろの夫である松本善明」と言われるようになった。少し彼女の紹介をしたい。(スクリーンに二つの絵を 映写)彼女の生涯のテーマは「平和とこども」であった。今写っている絵は彼女の代表作の一つ「戦火のなかの子どもたち」のものだ。この絵には「母さんと いっしょにもえていったちいさなぼうや」という言葉がついている。子供の表情は母親に抱かれて穏やかであるが、対照的に母親は怒りの表情であり、戦争の怖 さを訴えている。もう一枚の母親の首に抱きついている子どもの絵は、平和な普通の生活をしている母と子である。この絵には母親の背中が描かれていない。し かしその背中がリアルに感じられる。俳句が「省略の文学」と言われているが、彼女の最盛期の絵は伝統的手法である「省略の絵」が一つの特徴である。

(3)北野の殉難碑
山本次郎北野同窓会会長(62期)の手記「別れの刻」を添付したので後でご覧頂きたい。 (昭和20年6月15日、当時の北野中学が激しい焼夷弾爆撃を受け同期生二人が命を落とした時の惨状を伝え、その41年後の昭和61年6月15日、当時の中学2年生有志が母校会議室前に「殉難乃碑」と銘打つ石碑を建てた経緯を述べたもの)

戦争で死ぬということ
ISBN:4-00-431026-1

(4)いま戦争か平和かが問われている
北野高校82期卒の島本慈子さんの新著『戦争で死ぬということ』(岩波新書)を紹介する。彼女は実に広範かつ緻密な取材に基づきこの本を書いており良い本であると思うので一読を薦めたい。

(5)靖国問題靖国問題
昨日(8月15日)は小泉首相の参拝と加藤紘一氏の自宅放火事件でかつてない騒々しい日になった。小泉氏の理屈は全くずれてしまい、自ら参拝を公約し、政 治問題にしてしまったものを個人の自由だと強弁している。外国では今や「ヤスクニ」は世界語になるほど関心を集めている。新聞の社説も一社を除き全て批判 的であり、戦争責任の問題も議論されるようになり若い人々の関心も高まっている。
靖国問題を論ずる際、判りやすい切り口は「あの戦争は正しかったのか」という観点。靖国神社が付属施設遊就館で「自存自衛」を宣伝する施設になっている ことは広く指摘されている。政治家が公然とあの戦争を正しかったとは言うことは出来ない。サンフランシスコ講和条約を受け入れたということは、「あの戦争 が間違っていた」と認めたことを意味する。ポツダム宣言とサンフランシスコ講和条約で戦後政治の枠組みは決定されているので、あの戦争を正しいということ は、戦後政治の枠組みを否定することになる。
公然と言えないことを総理大臣の参拝によって靖国史観にお墨付きを与えるという行動が問題になっている。A級戦犯を合祀した松平宮司は、「東京裁判を否 定しなければ日本の精神的復興はあり得ない」と言う。首相の靖国参拝はどのように弁解しようと、それはあの戦争は正しかったということを行動で主張するこ とになる。それがアメリカまで含めて国際的に問題になっている。東京裁判はいろいろ問題点があるが、この受諾はあの戦争が間違った戦争、違法であることを 認め、日本が平和日本になることを誓ったことに大きな意義がある。井上ひさし氏はこれを「キズこそ多いが血と涙から生まれた歴史の宝石」と述べている。因 みに、近代国際法は戦争を違法化した歴史であり、国連憲章は戦争を“違法”とし、武力行使は「自衛と国連安保理の決議のある場合のみ許される」としてい る。

(6)戦艦大和の最後
2005年12月5日付新聞「赤旗日曜版」に映画「“男たちの大和”をみて」という私の感想文が掲載されたので資料として添付した。後でご一読頂きたい。 この映画の原作となった「戦艦大和の最後」の著者、吉田 満氏は東大法学部を経て、海軍少尉として戦艦大和に乗艦し、戦況記録を任務としていた。戦後、住 居の近かった吉川英治氏にこの話をしたところ「絶対に書くべきだ」と勧められて書いたもの。
「男たちの大和」は娯楽映画なので戦争の醜いところは描かず、美しいところだけを描いているが、「大和」が特攻兵器として沖縄へ向かうという事実を広く知 らせたことは意義がある。この命令を伝えに来た連合艦隊の参謀長に第二艦隊司令長官は当然反対するが決め手は「昭和天皇の意向」であった。この時、艦内で は若い士官の間でこの戦闘の意義について激しい論争が起こり、映画では殴り合いの喧嘩にまでなったが、臼淵大尉は「負けて目覚めるのだ。我々はその先駆け になるのだ」と言ってこれをおさめた。負けて何に目覚めるのか残ったものに課せられた課題だ。
添付した世界地図は当時の大東亜共栄圏が如何に広範囲であったかを示すために添付したもの。これを見てお分かりのように大東亜共栄圏というのは、イン ド、オーストラリア、ニュージーランドまで含んでいた。これを牛耳ることを「自存自衛」の戦争と称して太平洋戦争を開始し、その大部分に進攻した。このよ うに広い太平洋全域で、圧倒的な海・空軍力なしに補給作戦を行なうことは不可能。これは軍事作戦上も無謀であり反対は当然あった。また、このように広大な 他国の領土に一方的に侵攻することは侵略戦争以外の何物でもない。更に言えば、太平洋戦争の前提として満州事変がある。満州事変が起きればその次に米英と の戦争になることは判っていた。従って満州事変が起きなければ太平洋戦争は起きなかったと言える。

(7)何故このような戦争をはじめたのか
開戦前日本は米国から全石油輸入量の8割を買っていた。当時の海軍は現在の外務省と同様外国の事情に通じていたので「無謀な戦争」ということは判ってい た。前述の通り、広範な地域での戦争には莫大な補給が必要であり、当時の日本にはそれだけの補給を行なう能力がなかった。補給は「現地調達」ということに なり現地における略奪が横行した。そして、日本軍の戦死者の三分の二近くは餓死であったという無残な結果を惹起した。こういう無謀な戦争を始めた者の責任 が改めて問題になっている。

(8)日本海海戦と東郷平八郎の功罪
東郷平八郎が戦勝報告は「天佑神助により」から始まり「天皇のお陰で勝った」という言い方をし、奇跡的勝利を印象付けた。しかし、実はバルチック艦隊は負 けるべくして負けたのである。添付のバルチック艦隊の航路図で明らかなように喜望峰を回って半年もかかって海戦に臨んだ艦隊は、兵隊の疲労もたまり、船底 には海の不純物などが付着して艦船の動きが鈍くなっていた。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」ではこれらを詳細に明らかにしている。ところが「T字戦法」の話 が出てくる。この戦法は実際にはとられず、並行に移動して撃ち合ったことが戦史的には確定的といってよい。綿密な取材に基づいて書かれた司馬氏の小説に 「T字戦法」が出てきたのは残念なことである。
これは解明が必要だ。「T字戦法」は東郷平八郎を英雄にするために作られた話で、戦前の軍国主義教育に最大限に利用された。とくに、司馬氏は現在の日本 の憲法を高く評価しており、憲法学者樋口陽一氏との対談の記事の中で「自分の生きている間にこれ程良い憲法に出会えるとは思わなかった」と述べているだけ にますますそう思う。

(9)日本はどこへ行くのか、世界はどうなるのか
アメリカ経済戦略研究所所長で、レーガン政権の商務長官特別補佐官を務めたブレストウィッツ氏が、今年の文芸春秋6月号で「米国経済危機は深刻でありドル は大暴落する」と述べている。彼は著書「東西逆転」の中で、「中国とインドの躍進が世界経済のルールを変える」と述べている。
日本は米国の国債を大量に購入し米国に貢ぐ形になっている。ドルの大暴落は日本にも深刻な影響を及ぼすことになる。日本としてはアジアに対する経済政策を立て直すよりほか無い。欧州が共通通貨を作ったように日本はアジアの共通通貨を作ることを真剣に考えるべきである。
日本は、今後「日米英の力の支配」の方向に行くのか、国連中心の平和の秩序を強化することに貢献するのか、憲法問題にも関連して、重大な岐路に立っている。予定の時間を若干超過してしまったが、本日はいろいろな立場の人がいるので問題を提起するに止めたい。