第36回 「小泉改革の総仕上げ」   松島みどりさん@87期

reporter:峯 和男(65期)

    日時: 2005年12月21日(水)11時30分~14時
    場所: 銀座ライオン7丁目店6階
    出席者: 53名(内65会会員:江原、大隅、山根、峯)
    講師: 衆議院議員 松島 みどり氏(87期)
    演題: 小泉改革の総仕上げ
    講師紹介: 87期卒。東京大学経済学部卒業後、朝日新聞入社、経済部政治部記者として15年間勤務の後自民党の公募第1号として応募、第1回目は落選したが本年9月 の総選挙では11万8771票を獲得し3回目の当選を果した。現在、自民党経済産業部会長、自民党東京14選挙区支部長、自民党東京都連広報委員長、衆議 院法務委員会理事、衆議院青少年問題に関する特別委員会理事。 趣味:盆踊り、ランニング、水泳。
    講演内容:
    (要点のみ)
    (1)私は87期卒なので昭和31年生まれ。今日は社説のような話ではつまらないので、別の面からお話したいと思う。

    (2)私は9月11日の選挙で3回目の当選を果したが、今回の選挙で自民党は83名の新人が当選した。公募に応じた26人の内22人が当 選するという大勝利であり、私が始めて公募に応じた時とは大違いであった。私の時は、細川内閣により小選挙区制が実施された後の最初の選挙で、全国300 の小選挙区に候補者を立てねばならず、東京では25人の候補者が必要であった。与謝野 馨氏が当時東京都連の幹事長で、それだけの候補者を立てるには公募 が必要と発案し、当時自民党担当であった私に声がかかった。

    (3)その選挙は日本新党が大量の当選者を出し私は落選、初当選まで5年かかった。今回の選挙で新人は楽々当選したが、実は、私は選挙前 には野党になるのだろうかと暗澹たる気持ちだった。 前回自民党が野党に転落した時は、社会党との連立というウルトラCで政権党に復帰したが、今回民主党に負けたら10年は政権党に復帰出来ないと思った。も し落選したら、大学は経済専攻であったが議員になって法律を勉強したので、司法試験を受けて弁護士にでもなろうかと考えていた。

    (4)選挙になるとマスコミは大体野党寄りになるが、8月9日あたりから 小泉さんの評判が良くなった。駅前でサラリーマンからよく声がかかった。通勤を急ぐサラリーマンが声をかけてくるのは極めて異例である。いきなり、「賛成 か、反対か?」と聞かれる。何かと思えば「郵政法案」への賛否のこと。私は小泉さんに総理に成って貰いたいと応援した立場であり「勿論賛成です」と答える と「良し。それなら応援する」。こんなやりとりが頻繁にあった。選挙期間は告示から12日間。今回26人の公募者のうち22人も当選したがフルに20日間 も運動しなかった人が当選している。 次回の選挙はどうなるのだろうと考えてしまう。

    (5)マスコミで騒がれている杉村大蔵さんてどういう人ですか、という質問をよく受けるが、83人もの新人の中で顔もよく判らない。議場 の席順は議長に向かって左から人数の多い政党順に並ぶので自民、民主、公明の順になり杉村さんは一番若いので最前列の一番左側、私の席とはかなり離れてい る。武部幹事長はある意味でセンスがあり、宣伝活動の一つとしてこういう若い人を活用、小池百合子さんとペアを組んでテニスをやらせたりしている。

    (6)選挙で落ちた後は何をしているのかということもよく訊かれる。議員は、当落に関係なく選挙活動をやっている。私の場合でも新年会が 250ヵ所もある。また、12月は餅つきがあり、日曜日には10ヵ所も回る。その都度つきたての餅を食べさせられるので12月は体重がかなり増えてしま う。私の選挙区は墨田区、荒川区であるが墨田区も高層住宅が6割にも達している。高層になって困るのは、ポスターが貼れないこと。 子供はポスターに敏感でありポスターの威力は大きい。

    (7)議員というのは選挙の時は馬鹿力が出る。人を見れば走っていける。工場跡地で人通りが少ない場所でも200メートル先に人が見えたら走れる。 宣伝カーの横に乗るのを「箱乗り」と言うが窓から落ちそうになるくらい身を乗り出す。そのような時感激したのは、夜高層住宅で懐中電灯を振りながら窓から手を振ってくれた人がいたこと。これで又元気が出る。 選挙の時は町会長の名前などはすらすら出るが、これが当選後は官庁など関係者の名前に変わるのは不思議。

    (8)森さんが総理の時、次第に人気が落ちてきた。私は小泉さんに総理になって貰いたいと思い何度か薦めたが、小泉さんは総裁選に2回も 立候補して落ちていたのでかなり遠慮していた。ご承知のように、自民党は長い間経世会が支配しており森派というのはずっと日陰にいた。森さんが総理になっ てやっと日の目を見た経緯があるので慎重にならざるを得ない。 小泉さんが決断し田中真紀子さんが応援することになったが、駅前での演説も当初は真紀子さんが「トリ」を務めた。小泉さんを最後にすると真紀子さんの演説 が終わった後聴衆が立ち去ってしまう懸念があった。次第に小泉さんの人気が高まり、小泉さんが最後でも大丈夫との確信が持て  るようになってから小泉さ んが「トリ」を務めるようになった。 私も渋谷駅前で小泉さんの前座を務めたが7千人の聴衆の前で演説するという貴重な経験をした。

    (9)郵政について:
    小泉さんは郵政大臣を経験しているが大臣の時から郵政民営化を主張していたため役人が寄り付かなかった。私は当時新聞記者で官庁に出入りしていた が、郵政大臣室へ行くと小泉さんがぽつんと一人でクラシックなどを聴いていた。「一寸よろしいですか」などとよく取材させて頂きこれが小泉さんとの出会 い。自分でも「官から民へ」とよく書いた。 従って小泉さんの「郵政民営化」は確信犯であり、片山虎之助さんは「初恋に付き合わされている感じ」などと言っている。昨夜、郵政に反対したために大阪で 落選した佐藤氏と飲んだ。今回、大阪はポット出の当選者が多かった。大阪では自民党が弱いと思っていたらそうでもなかった。

    (10)今回面白いことが起きている。小泉さんは来年9月で総裁を辞めるので所謂「レームダック」であり、通常なら影響力は無くなるが小 泉さんは違う。国債発行30兆円を切ろうと云っている。小泉さんが何か考え、竹中氏が発言し、中川政調会長がフォローするという形になっている。

    (11)小泉さんのやっていることでどうしてもおかしいと思うことがある。道路特定財源を一般財源にしようとしている。私は一般財源にす るなら税率を下げるべきと主張している。ガソリンの半分以上は税金で非常に高い。 環境税の問題もあるが、私は環境税と前述の減税を相殺すべきではないかと考えている。日本は最もCO2を出さない努力をしてきた。中国、などは無制限に出 している。中国、インド、米国などは京都議定書にも加入していない。これを見ても日本が更に環境税を上乗せする理由は乏しいと思う。

    (12)小泉さんは来年9月で総裁を辞め、次回の衆議院選挙にも出ないだろうと思う。次は誰か?普通の人気投票なら安部さんだが安倍さん は温存すべきという考えもある。次回の参議院選挙は、小泉ブームで当選した人達の改選になる。後任の総裁では小泉さんのような風は吹かず必ず負ける。負け たら総理は辞任しなければならない。故に温存すべきという考え。私は   衆参同時選挙の手があるのではないかと思っている。

    (13)小泉さんは人から言われたら益々意地になる人。靖国問題も然り。私は入っていないが「靖国へ参拝する国会議員の会」がある。 小泉さんは総理になる前はそれ程靖国へ行っていない。総裁選の前、小泉さん及びその応援者の仲間と食事を共にしていた時、小泉さんが「総理になったら靖国 へ行こう」と言い出した。それがマスコミに伝わり話が大きくなって公約のような形になってしまった。これから来年9月に向けてまだいろいろなことをやって いくのではないか。

    (14)私がやってきたこと:
    松島が勝ちとったといわれている税制がある。それは住宅ローン減税。サラリーマンが家を購入した場合、10年間有効であった減税の恩典が途中で転 勤などにより引越しすると打ち切りになりその後元の家に戻っても復活しなかった。役人は官舎に住んでいるのでその実感がない。自民党税調の幹部もその実体 を知らなかった。転勤期間を除き通算10年間の復元を目指したが、結局10年以内の残存期間について復活出来ることになった。

    (15)近 況:
    最近耐震構造偽装で問題になっているマンションの一つ、グランドステージ向島は私の自宅から500メートルのところ。マスコミ的には同情するが地 元の人達の意見は異なる。民・民の取引で騙された人達に月額12万円の家賃を税金から払うのはおかしいとの意見。墨田区のその地域で12万円の家賃など 払っている人はいない。 このようにいろいろな立場の人達がいるので議員としてはそういうことを考えなければならない。東京都の生活保護は月額13万円と可成り高額。年金保険料や 税金を真面目に納めた人とそうでない人とは差をつけるべきと考えている。

    (16)私は43歳で初当選したが、小泉さんと共に25年勤続の特典を止めさせた。小泉さんは25年勤続表彰を辞退した人。その特典とは、年金に毎月30万円がプラスされるというものであったがこれは廃止された。

    (17)国民には二種類の人達がいる。1)浮動票の層 2)地元で経済活動や町内会活動をやっている層。インテリと金持は政治をやらないと言われているが、現在私は25年はやりたいなという気持である。