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	<title>東京六稜倶楽部 &#187; 2021年度</title>
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		<title>【特別講演第3弾】「不可思議なるいのちの世界に目覚めて」</title>
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		<pubDate>Fri, 08 Oct 2021 06:02:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[名倉　幹さん＠93期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年11月27日（土）10時30分～12時</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>39名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>名倉　幹さん＠93期　(真宗大谷派（東本願寺）僧侶　北米開教使、Jodo-Shinshu Shin-Buddhist New York Sangha、親蓮坊いのちとこころの相談所「聞」主幹)<br />
<address style="padding-left: 30px;">1962年：京都生まれ<br />
1981年：北野高校卒業（93期）<br />
1987年：神戸大学経営学部卒業、株式会社住友銀行入行<br />
1999年：住友銀行退職<br />
2006年：真宗大谷派（東本願寺）にて得度<br />
2007年：株式会社セーフティネットにて自殺防止相談員として従事<br />
2008年：東本願寺ハワイ別院開教使僧侶<br />
2012年：東本願寺北米開教使としてニューヨークに渡り、Jodo-Shinshu Shin-Buddhist New York Sanghaを設立。ニューヨーク在住、現在に至る。</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「不可思議なるいのちの世界に目覚めて」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>仏門の生まれでもない小生が、学生時代に起きた父の死を機縁にある方との出会いに恵まれ、大阪のあるお寺に仏の教えを聞きに行くことが始まり、それが銀行等サラリーマン生活を通してずっと続くようになり、いつの間にか宗教的に心の目が開かされてまいりました。それは一言で申しますと、自分が生きているのではない、徹頭徹尾不思議にも生かされている身であったという自覚であります。そのような気づき、目覚めを何度も反芻、確かめていく過程におきまして、人間として生まれ生きていく道中において体験する様々な苦悩を転じうる力を得て、私どもはこの世を生きていくことができるという確信を得て、４３歳で得度し坊さんとして生きるようになりました。現在のコロナウイルスの蔓延も、いのちの不思議な世界の出来事であり、私たち人間はこの不安が絶えない世界の只中にあって、如何にして心の富者となり、生死に処していくことができるのか・・・。丁度今年は、仏教を日本国民に導入してくださった聖徳太子の1400年忌に当たり、そのようなことを皆さまと共有できればと思う次第であります。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>
<h2>出家をして僧侶になった経緯</h2>
<h3>＜仏道への出会いまで＞</h3>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・一般のサラリーマン家庭に育ち、米国に憧れ、アメフトに取り組みたかった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・神戸大学に進学し、アメフト部に入部できたが、在学中に父親が「大酒」が原因で逝去。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・母親が、実母に続き夫が亡くなったことで「愛別離苦」で大変心が落ち込んだ。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そんな中で、就活となり、新日鐵を望んだが、遠隔地の勤務になるため、母親から強烈な大反対にあったため、父の親友の紹介により（大阪近辺で配属させるという条件で）、不承不承住友銀行に入行。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・これが、ゆくゆく「母が私の人生の邪魔をした。」という人生の行き詰まりの始まりであった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・私自身の「母への口惜しさ・憎しみ・対立」という苦悶の中で、見かねた先輩が心配して、「加藤辰子」さんを紹介頂いた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・加藤さんは一介の主婦（昔は船場のごりょんさん）であるが、お会いした際にただならぬものを感じた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・加藤さんは、仏道でいう「妙好人（妙なる好き人：仏のようになられた方）」で表情は柔らかで、朗らかで、何があっても大丈夫という「生きる力」を感じたものである。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・これが私の仏道との出会いで、後々にこの身を捧げられるようになった始まりである。</div>
<h3>＜その後の経緯＞</h3>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・住友銀行入社は1987年で世の中は「バブル経済」真っ盛り、イトマン事件などもあり、半沢直樹の世界を地で行く「金融界の異常さ」に義憤を感じたものである。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・外国為替担当で、英語は高校時代から得意な方であったが、金融界や国内の状況に合わない思いが募り、学生時代に夢見たモノづくりや現場労働者との仕事である「労務畑」に未練があった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そんな中、また「母への対立」が心を締め付けていたが、それに対して、加藤辰子さんが、「名倉さんは、母がどうの社会がどうの銀行がどうのと外ばかり見ているが、自分自身はどうなのか、自分を善人と思っているのではないか」と仰った。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・これは、仏道でいう「内観（エンドレスに深く自分を見ること）」である。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・これまで「論語」でいう「君子」（立派な人・リーダー）になることを目指してきたが、これによって、人生のディレクションが変わってきた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・加藤さんに接しているとどのような苦難に対しても耐えていけるような「金剛（ダイヤモンド）」のような心を感じた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・また、加藤さんは、「私は健康にも恵まれず、商売も忙しいが、何にしても仏の教えを聞くことを最優先にしてきた。」とも仰っている。仏道の「聞法」である。</div>
<h3>＜本物の僧侶との出会い＞</h3>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・加藤さんは、浄土真宗の「蜂屋賢喜代(よしきよ)」師を本物の僧侶だと、絶対の信を置いて師事しておられた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そのご長男の蜂屋教正師に導かれたが、もともと仏法は知らなかったし、当初はさっぱり分からなかったが、蜂屋先生の静かで落ち着いた佇まいに惹かれ、20代から先生の寺によく通うようになった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・説法を聞く中でも、個人的な相談にも応じて頂けた。50歳も年上の蜂屋先生は、小生を座敷に招いてお茶を淹れて頂くが、沸騰したお湯をゆっくりと冷ましてゆく中で、その所作と時間の大切さが感じられた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・その中で、こちらもカッカしていたのが落ち着いてきて悩みをとうとうと話す。先生は「はあそうですか～ふんふん～」とずっとこちらの話を聞き、話の腰を折らない。同じ目線で同じ悩める人間として接して頂いたことに深く感銘を受けた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・とかくお坊さんは上から目線の説教が多いものだが、蜂屋先生のこのご態度は仏道の徹底した「傾聴」であり重要である。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・この蜂屋先生のご姿勢・ご態度が私の生きる方向に開眼し決定づけ、その後の原点となった。</div>
<h3>＜僧侶となった経緯＞</h3>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・銀行をやめて僧侶になりたいという思いが募ってきたが、蜂屋師は「何故坊さんになるのか？」となかなか厳しかった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・浄土真宗は、親鸞を宗祖とする「在家仏教」で、他の仏教のような「出家仏教」ではない。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・蜂屋師からは、「仕事は何でも良いからやり続け、そして聞法するのが尊い。」と言われ続けた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・１２年間勤めた銀行を辞めた後、次の仕事がなかなか決められず、ブラブラと1年半以上過ごし、預金も尽きてきて、次の一手が出ない行き詰まりを迎え、自己をコントロールできない狂気の一歩手前まで来た。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・蜂屋師はそこで「とうとう崖っぷちまで来られましたか？もうどんな仕事でもしなさいよ。」とおっしゃった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そんな中で、新聞求人広告にあったある「飛び込み営業」の仕事にありついた。そして、もうこれしかないと一生懸命にその仕事に打ち込んだ。そこが「私の救い」になった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・ここで気付いたのが、私は「こうあるべき」という自分が自分に枠をはめて苦しめていたということであった。そういった今までのプライドが廃り、おのずから生き返ることができた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・落ちて初めて救われたという感じです。</div>
<h3>＜静坐法＞</h3>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・東京で仕事をしながら、2004年から「仏教の講話」と「静坐会」を始めた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・「静坐法」は岡田虎二郎が創始者。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・「立腰」（腰骨を立てる）により、呼吸を吐きながら、下腹部（丹田）に力を入れるのが重要。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・頭中心から丹田中心へ移すと段々と自我に振り回されないようになる。</div>
<h3>＜得度＞</h3>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・2006年43歳の時に得度。蜂屋先生と同じ道を歩むことに決心がついた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・43歳については意識していた。先ず、法然上人が御念仏一つに落ち着かれたのが43歳。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・また、森本省念老師（禅僧で西田幾太郎の一番弟子・北野の先輩）が43歳で出家せられた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・日本の寺は葬儀・法事中心が多いのでそれを避け、求道・伝道一本で外国でやろうと志した。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・米国では、潜在的に仏教を求める人がとても多いため、９年前に単身ニューヨークに渡り、様々な人との出会いに恵まれて、現在に至っている。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>テーマ：不可思議なるいのちの世界に目覚めて</h2>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・押し並べて人間は「私が生きている」と思っている。これを「自我」という。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・人間には他の動物に比べて大きな大脳があり、「自我」は文明を発達させる力はあるが、同時に、敵と味方・白と黒・男と女といったあらゆるものを二つに分けている。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・しかし、私が仏の教えを聞いているうちに目覚めたことがある。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そもそもこうして世界があって私がここに居るのは何故なのか、どこからこの力があるのか、この私自身の存在というのは何故あるのか、などを追及して、仏の教えを聞いていくと。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・それは人間の頭脳では、科学では勿論、例えば、宇宙の始まりは138億年前となっているが、「悟り」の世界から見れば、その前はどうなっていたのかということもあり、それは何ともかとも言えないという風になる。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そういうことで、私自身が本当に目覚めさせて頂いたのは、私の存在そのものが、不可称不可説不可思議な宇宙始まって以来の、気の遠くなるような時間とあらゆる関係性の中で、人間として、生命体として生かさせて頂いているという事実である。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・100％「他力（全くのお蔭様という意味）」で、良いも悪いも超えて、存在そのものが不思議の賜物である。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そこで、私自身、今どのような問題が来ても「あるがままに」受け取らせて頂けるよう、日々修行している次第です。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>■</strong>質疑応答</h2>
<p><strong> </strong></p>
<p><strong>1.</strong>牧　武志（<strong>73</strong>期）</p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">Ｑ：ニューヨークで布教活動をされていますが、反応はいかがですか？</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">→Ａ：９年前にニューヨークで、日系の「ツネ」（95歳）さんという方に出会い、ニュージャージーの彼女夫妻のお家で6年半、生活一切のお世話になった。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・寺は、ニューヨークの禅寺「正法寺」（鈴木大拙先生ゆかり）を使わせてもらっている。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・また、シティカレッジ（ニューヨーク市立大学）で「静坐会」を毎週開催（正しい姿勢と丹田呼吸法を学びに来られる）</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・その他海外も（フィレンツェ・ロンドン・セルビア・コロンビア）</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">＊水上のりさんが「ツネ」さんとの仏教生活のドキュメンタリー「Pure Land」という映画を製作し、来年日本でも公開予定です。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>2.</strong>森田　真（<strong>87</strong>期）</p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">Ｑ：死んで終わりではなく、過去から巡って、来世についてはどのようにお考えですか？</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">→Ａ：輪廻転生というのはインド古代からある概念ですが、真面目に考えたら、来世を考えること自体すでに「迷っている」ことになる。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・仏教では、「今ここに目覚めること」が全てで、死んでから後の世界を考えることはすでに迷いである。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・「○」：今ここを本当に味あう「大満足」つまり○（一円相）を自覚しうることが、死んだ時、完全燃焼で「涅槃に入る」と申します。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>3.</strong>西尾　大二郎（<strong>66</strong>期）</p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">Ｑ：巡礼でスペインのサンチャゴに行ったりして長距離を歩いていますが、「歩行」というような概念はありますか？</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">→Ａ：煩悩に囚われなくする際に、坐ることだけでなく、歩くことによって 、頭を空っぽにすることは大事なことです。（自我が破られる）</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・文献には、「歩行禅」（松尾心空）があります。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em; text-align: right;">【記録：植村和文（８２期）】</div>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>ドキュメンタリー映画「Pure Land」（浄土）のご紹介<br />
<iframe title="YouTube video player" src="https://www.youtube.com/embed/3fpAvHU6IIU" width="500" height="283" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【228回】12月「脳科学から褒めの効果を考える」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5603</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5603#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 14 Sep 2021 01:05:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[定藤規弘さん＠88期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年12月18日（土）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>62名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>定藤規弘（さだとう　のりひろ）さん＠88期　(自然科学研究機構　生理学研究所　システム脳科学研究領域　心理生理学研究部門　教授)</p>
<address style="padding-left: 30px;">1983年  京都大学医学部医学科卒業<br />
1983年  天理よろづ相談所病院レジデント<br />
1988年  米国メリーランド州立大学病院放射線診断科臨床フェロー<br />
1993年  米国NINDS/NIH客員研究員<br />
1994年  京都大学大学院修了医学博士<br />
1995年　福井医科大学高エネルギー医学研究センター　講師<br />
1998年  同上助教授<br />
1999年  岡崎国立共同研究機構生理学研究所　教授<br />
2004年　自然科学研究機構生理学研究所 教授（組織名変更による）現在に至る。</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「<strong>脳科学から褒めの効果を考える</strong>」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>ヒトの社会は、血のつながらないヒトとヒトとの間の役割分担で成り立っています。ここで大切なのは、他人のためにみずから行動すること（向社会行動）です。この向社会行動が起こる理由のひとつとして、他人に「ほめられる」ことがあります。「ほめられること」は他人からのポジティブな評価であって「社会的な承認」です。「ほめ」を脳内で処理するときには、「報酬系」（お金をもらったときなどのように、心地よい気持ちを引き起こす神経回路）と、他人の心を推測するときのしくみの、両方が関連していることがわかりました。つまり、お金をもらったときも、他人にほめられたときも、同じような報酬系という脳の活動が起こる一方、褒められたことを理解するためには、他人の意図を正確につかむという社会能力が必要であるのです。他人に「ほめられること」は、私たちが育ち、学び、幸福に生きていくために、どのような効果があるのでしょうか。 神経科学と人文科学をつなぐ架け橋となる「脳機能イメージング」の研究を中心に、情緒との関係で説明したいと思います。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>これは定藤氏の講演、質疑応答を簡単にまとめたものです。詳細については添付の講演に使われた資料のPPTを参照ください。</p>
<h3>1.</h3>
<p>本日の講演のメッセージは、<strong>褒めとWe-beingの脳科学的研究が進行中であること、褒めには作法があること、そして適切な褒めはWell-beingを増進する事、</strong>この３点を中心に講演が行われました。褒めや幸福といったことは、これまで自然科学では研究の対象にならなかった分野であるが、現在実際に研究が始まりつつあります。</p>
<h3>2.</h3>
<p>褒めの定義は、成果、成績、属性に対して、他者による肯定的な評価で、その評価者の基準によります。この褒めは、人間が生きていくうえで、健康、金と同様、周囲の人に受け入れられている状態、即ち「社会的承認」として重要な要素です。</p>
<h3>3.</h3>
<p>Slide 9にある、無人販売所で、視線のあるポスターを貼っておいた週は、花の週よりは代金回収率が高いという実験があります。これは、他者の視線、即ち評判・評価の予測が行動に影響したと解釈されます。これは「ヒト特有の利他性の進化」、つまり血縁関係になく、直接のお返しも期待できない他者に利益を与える人間特有の間接的互恵性行為で、良い評判という報酬を求める行動と言えます。</p>
<h3>4.</h3>
<p>報酬には褒めと金銭報酬とは同様の神経基盤にあること、向社会行動を促進する事、そして学習の機会増加に関与することが、研究の結果判ってきました。</p>
<h3>5.</h3>
<p>Well-beingとは、病気ではないとか、弱っていないではなく、肉体的、精神的、社会的に満たされた状態、幸福な状態です。これは知覚と行動の両面に対置させ、前者を主観的幸福、後者を心理的幸福、それぞれ快適、やりがいに分類されます。（詳細はSlide18 参照）</p>
<h3>6.</h3>
<p>時間的にも、持続的な幸福度と一時的な幸せ感情と言った2側面があり、互いが関連しながら互いに強化してゆきます。ポジティブな出来事に直面した際の幸せ感情は、結果として脳の灰白質体積密度を増強させ、幸福度と相関しています。（まとめ２、スライド30参照）</p>
<h3>7.</h3>
<p>心理的幸福とは、アリストテレスの時代から定義づけされ、自律性、個人的成長、自己受容、人生の目標、環境の支配、他者との良好な関係の６つの要素と深く関わっています。そして、心理的幸福のダイナミズムというチャートで示す通り、内在的に動機づけられた目標に向かって持続的な努力を重ね、そして段階的な“身の丈に合ったフィードバック”を重ねることにより、目標達成という満足を得るという過程をたどることとなります。褒めて育てるという言葉がありますが、褒めることによりこの動機づけを行い、創造性や学習意欲の向上を図るものです。</p>
<h3>8.</h3>
<p>褒めの有効性を規定すると、誠実さ、成功の原因は何か、自律性を涵養する、そして能力と自己効力感を引き上げることにあります。これが、褒めの作法と言えます。</p>
<h3>9.</h3>
<p>誠実な褒めのコミュニケーションの定義</p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">〇総論：　助けよ、害を与えるな　（向社会的行動）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">〇情報：　適切、虚偽なく、必要十分な量にとどめ、曖昧さを避ける</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">〇礼儀：　押し付けない、選択肢を与える、友好的であれ</div>
<h3>10.</h3>
<p>成功の原因がどこに帰するか分析する。一つは能力ですが、これは自己制御の外にあります。一方、努力が自己制御の中にあって、自らの行動（＝努力）のよって改善されます。この点から。自己制御できるという点では、能力より努力を重要視すべきでしょう。</p>
<h3>11.</h3>
<p>自律性とは、自ら望んで実行することであり、これが褒めの根拠であることを明確にすることです。しかし、褒めは本来外来的報酬ですので、褒め依存は内発的動機を損なうことがあり、注意を要します。</p>
<h3>12.</h3>
<p>能力を増強するフィードバックとして褒めが機能することによって、自己効力感を増し、内発性動機ひいては心理的幸福（やりがい）を増強することが可能となります。</p>
<h3> 13.まとめ３　（Slide 50 を引用）</h3>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/12/image1.png"><img class="alignleft size-full wp-image-5673" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/12/image1.png" alt="image1" width="500" height="185" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これをダイアグラムで示すと、下記のSlide49 に示す通りとなります。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/12/image2.png"><img class="alignleft size-full wp-image-5674" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/12/image2.png" alt="image2" width="500" height="287" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2> <strong> 質疑応答、Q＆A</strong></h2>
<p>三角智子さん(94期)</p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">Q:　心の中で過去の不幸を打ち消す方法はありますか？</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">→A:　心療内科でも過去の不幸の記憶に由来する患者の心の悩みを和らげる方法として研究されています。基本的には不幸に対する解釈を変える、異なる解釈をすることにより不幸を書き換えてゆくことが可能です。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>広本治さん（88期）</p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -2em;">Q:　①ストップウォッチの実験で、内発性の動機づけにお金という外来性報酬を使うのがあったが、お金を必要とする人と、そうでない人では、動機付けという点では違ってくるのではないか。　②リアルな現実とネットの世界では褒め方に違いがあるのではないか。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">→A:　①実験に使ったお金の額は小さなものであったので影響は小さいと考えられます。しかし、これが100万円、200万円となってくると、人によってとらえ方は違ってきます。この点で、広本さんの仰るとおりです。　②ネットの“いいね”という評価は、リアルな世界での褒めとはいくつかの点で異なります。評価者が特定できず、褒めの根拠が提示されず、パフォーマンス増強に資するような具体的なフィードバックになり得ないという点で、個々の“いいね”は均一な信号となり、“いいね”の数だけが意味を持つようになる可能性があります。このために、たくさん“いいね”を集めることが目的化すると、お金の場合と同様に、内発性動機が損なわれる事になりえます。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>多賀正義さん（76期）</p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -2em;">Q:　身の丈と言うことが良く出てきましたが、これはどのようにしてとらえてゆくのか？</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">→A:　段階を踏んだトレーニングということです。つまり現在の技量（＝身の丈）に合わせて挑戦するレベルを調整するということです。お稽古ごと、例えばそろばんでは、それぞれの級位や段位によって挑戦レベルが徐々に高度な技術に引き上げられていくことにより、人間業とは思えないような素早い暗算ができるようになります。努力の過程でこういった段階的な目標を設定することが重要です。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>新貝康司さん（86期）</p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -2em;">Q:　①　心理学者のアドラーの本を読んだことがあるが、その中で褒めることの難しさ述べていて、褒められることが目的、そしてそのことで組織の中で特別な地位を得ようとする人の問題を論じていた。褒める教育についてどう考えるか　②　更に、今日の話では、アドラーの心理学と共通した点が多々あると思うが、この点でのお考えは？</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">→A:　①　褒める教育について、褒められることが目的となることは、注意深く避けなければなりません。褒めも外来性報酬なので、内発的動機づけを損なう可能性が在るためです。褒めは他者からの承認であることから、組織の中で特別な地位を得ようとする人の問題は、注目の要求、承認の要求へ還元することができるかもしれません。その起源は発達心理学で検討されています。子供の行動に対して親が反応を示すのは重要です。それは、反応は承認の第一歩とみなすことが出来、逆に無反応は拒否の信号と受け取られるからです。子供の意図は何を見ているかによって読み取ることが出来ますので、親は子供がどこを見ているか、に注意すべきです。そういった意味で、視線の共有やアイコンタクトはコミュニケーションをとる上で非常に重要です。②について、いずれもヒトのこころの働きを対象とする研究なので、異なる立場から共通した見解が出てくるならば、より正確な理解に近づいていることを表していると思われます。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>雫石潔さん（73期）</p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -2em;">Q:　人を褒めたあと改善点を指摘するというのは、反発を食らって難しいことと感じるが、これについてどう思うか。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">→A:　これは、コーチングの世界でよく研究されています。最近は、叱ったりするのは、改善点の指摘を受け入れにくくすることがわかっており、ほぼなくなっています。コーチの目的はパフォーマンスを上げることですので、相手がネガティブにならないよう十分に配慮して褒め言葉を与えるとともに、段階的な目標を与えて努力を促し、少しずつ能力を高めていく方法を講じるのが常道です。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">【記録：多賀正義（76期）】</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/12/20211218-【講演】東京六稜倶楽部-褒めとWellbeing-PDF.pdf" target="_blank">20211218 【講演】東京六稜倶楽部 褒めとWellbeing.pdf</a>(3MB)</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【227回】11月「ミッション：コロナ禍における求心力」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5587</link>
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		<pubDate>Thu, 09 Sep 2021 01:52:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5587</guid>
		<description><![CDATA[岩田松雄さん＠89期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年11月20日（土）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>71名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/09/IMG_0223.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-5590" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/09/IMG_0223.jpg" alt="IMG_0223" width="100" height="150" /></a>岩田松雄さん＠89期　(株式会社　リーダーシップ　コンサルティング代表取締役社長　/　元スターバックスコーヒージャパン代表取締役最高経営責任者)</p>
<address style="padding-left: 30px;"><em>1982</em><em>年に日産自動車入社。製造現場から財務に至るまで幅広く経験し、外資系コンサルティング会社、日本コカ・コーラ役員を経て、2000年（株）アトラスの代表取締役。3期連続赤字企業を再生。</em><em>2005</em><em>年には「THE BODY SHOP JAPAN」の代表取締役社長。店舗数を107店から175店舗に売上げを約2倍にする。</em><em>2009</em><em>年、スターバックスコーヒージャパン（株）のCEO。「100年後も輝くブランド」に向けて、次々に改革を実行し、業績を向上。2013年に（株）リーダーシップ コンサルティング設立。ＵＣＬＡのAlumni 100 Points of Impactに選出</em></address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「ミッション：コロナ禍における求心力」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>コロナ禍でリモートワークが中心となり、企業には遠心力が働いています。今だからこそ、企業の存在理由である「ミッション」の重要性が増しています。ミッションとは何か？ミッション作成のヒントさらに、なぜスターバックスの店舗の人たちが生き生きと楽しそうに働いているのか、熱く語ります。まとめとしてリーダーに求められることをお話しします。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>紹介者は同期の白石俊己さん。学生時代の岩田さんはスポーツ万能でした。北野高校時代のエピソードを紹介しますと、サッカー大会ではエースストライカーで優勝、バレーボール大会ではエースアタッカーとして準優勝、断行競走では8位に入賞されています。硬式野球部の２年生の時には4番バッターでキャプテンでした。<br />
ビジネス時代には経営者として様々な大企業で数々の成功を収めてこられました。<br />
現在はビジネス時代の経験を元に、リーダー育成教育の仕事をされています。<br />
10年前から執筆活動を開始され、多数の著書を出版してこられました。今ではビジネス書部門のベストセラー作家としても広く知られています。</p>
<p>代表著書<strong><br />
・<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8D%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%EF%BC%95%EF%BC%91%E3%81%AE%E8%80%83%E3%81%88%E6%96%B9-%E5%B2%A9%E7%94%B0-%E6%9D%BE%E9%9B%84-ebook/dp/B00AE6WUA8/ref=sr_1_1?qid=1639973603&amp;s=books&amp;sr=1-1" target="_blank">「ついていきたい」と思われるリーダーになれる51の考え方</a><br />
・<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%85%83%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9CEO%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B%E5%83%8D%E3%81%8F%E7%90%86%E7%94%B1-%E5%B2%A9%E7%94%B0-%E6%9D%BE%E9%9B%84/dp/4776207451/ref=sr_1_3?qid=1639973603&amp;s=books&amp;sr=1-3" target="_blank">ミッション　元スターバックスCEOが教える働く理由</a><br />
・<a href="https://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8A%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AE%E7%B5%8C%E5%96%B6%E6%9B%B8%E3%81%AB%E3%81%AF%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E7%B5%8C%E5%96%B6%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8-%E5%B2%A9%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%9B%84/dp/4774792160/ref=sr_1_2?qid=1639973603&amp;s=books&amp;sr=1-2" target="_blank">いままでの経営書には書いていない新しい経営の教科書</a>（最新刊）</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>１．自己紹介</h3>
<p>高校大学時代は野球部の練習に明け暮れていた。当時の北野高校の野球部では、高校生ながら中間管理職の苦労を味わうことになった。私がキャプテンになった時は、さぼってばかりの部員やら後輩からの突き上げやら、いろんな問題を抱えていた。初めて抜擢されたリーダーの役割は本当に苦しくて辛いものだった。あの頃に苦労した経験が今の私のリーダーシップの原点となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>２．今の世の中で何が起こっているのか</h3>
<p>世界的な新型コロナウィルス感染症の大流行で、誰もが自粛生活を強いられる世の中になった。これまでの約2年間で、友達との交流も勉強するのも仕事をするのも在宅で行うのが主流に変わり、人と人とは物理的に分断されてしまっている。人と人とのつながりが遠く希薄になるように、人と企業とのつながりも遠く希薄になってしまった（コロナ禍における遠心力）。コロナ禍が終息したとしても、リモートワークという働き方はこのまま定着して残るだろう。こういう時代だからこそ、企業には人を惹きつける強い求心力（ミッション＝存在理由）の重要性が増している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>３．ミッション</h3>
<p><span style="text-decoration: underline;">ミッションへの気付き：私たちは何のために働くのか</span></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・日産時代、新入社員の自己紹介で、働くのに何か目標を持つべきだと考えて「社長を目指して頑張る」と宣言したが周りからは失笑された。そのうち社内に経営理念がないことに気付く。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・駅前の二つのハンバーガーショップで働くバイトさん達のやる気が正反対だった。その時、楽しそうに働くバイトさんと嫌そうに働くバイトさんの違いは、二つのお店のマネージメントの違いに原因があると思った。これが経営に興味を持つきっかけだった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・米国のビジネススクール（MBA）で2年間マネージメントを学んだ。マーケティングやファイナンスなど効率的にお金を儲ける経営の知識や技術は学んだが、何か物足りず、心の飢餓感が残った。ハンバーガーショップで働くバイトさん達の違いで見てきたように、本当のマネージメントとは人を理解しないと成り立たないという考えが頭から離れなかったからだ。経営者には経営の知識や技術（理）と同じように、人というもの（情）を理解することが必要だと感じて、東洋哲学書（論語・孟子・老子）や安岡正篤先生の本をむさぼるように片端から読み漁ることで心のバランスをとっていた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・43歳の時、初めて社長に就任した。（上場企業アトラス）最初の社長就任演説では、私の経営方針を示すためにビジネススクールで学んだ経営手法（企業価値・キャッシュフローなど）を元にしゃべったが、目の前の社員達は無反応だった。その時に、こんな内容では社員の心が動かないことに気付いて、毎朝の朝礼では誰にでもわかるように話す内容を変えてみた。これにより私の経営方針や考え方（働く姿勢や価値観や企業の方向性）が、社員全員に理解され社内全体に浸透していった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・「企業は誰ために存在するのか」を議論する時、一般的には「株主のため」と言われる。「企業は株主のもの」であり「経営者の使命は株主に雇われて会社の利益を最大化させること」と言われるが、私にはいまひとつ腑に落ちなかった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・ザ・ボディショップの社長になった時、天の啓示のように「企業というのは事業を通じて、世の中を良くするためにある。」と気付いた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・企業にはそれぞれミッションがあって、そのミッションを成し遂げるため、企業は存在する。しかし利益が上がらなければ会社は継続できない。一般に企業はどれだけ利益を上げられるかで企業価値が評価されるために、企業の目的は少しでも多くの利益を上げる事とされるが、それは間違っていると思う。つまり「本当の企業の目的はミッションを達成することであって、利益とはミッション達成のために必要な手段に過ぎない」と私は考えている。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">企業のミッション（経営理念）：企業は世の中を良くするために存在する</span></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・リーダー（経営者）にとって必要なものは、ミッション（存在理由、何を達成したいのか）とビジョン（方向性、将来あるべき姿）とパッション(情熱)と言われる。どれが欠けても成立しないが、一番大切なのがミッション（使命感）である。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・登山家に例えると、登山家のミッションは「山に登る」こと、ビジョンは「5年後に富士山に登る」というイメージできる姿。あるビジョンを達成したら次のビジョン「10年後にエヴェレストに登る」が生まれてくる。ビジョンによって変わってくるのがバリュー（行動指針）で、ここでは山の登り方となる。富士山なら「みんなで歌を歌いながら登る」エヴェレストなら「無酸素で登る」など。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">ミッションはなぜ大切か</span></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・原理原則を示す：社会は常に大きく変化する。全てのケースを事前に想定したマニュアルは作れない。その時に必要となるのがブレない指針である原理原則。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・共通のゴールを示す：会社はいろんな価値観を持った人たちの集まり。だからこそ、目印となる明確なゴール（共通の理念）を示して同じ方向に向かわせる。ミッションで会社をまとめる。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・共鳴した人を集める旗印となる：ミッションに共鳴した人が入社してくる。最初から方向性が同じ人が集まりやすくなる。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・モラルが上がる：ミッションとは崇高なもの、それが実現できていると社員が感じると、モラルがとても高くなり愛社精神が強まる。結果として離職率も下がる。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">事例研究：スターバックス</span></p>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: 0em;">スターバックスの場合、スタッフ3万人のうちほとんどがアルバイトで成り立っているが、社内にミッションを行き渡らせることで、みんなが強い愛社精神を持つようになった。そして離職率が極端に低くなった。その結果、アルバイトでも70時間以上のトレーニングが受けられるようになり、お客様に対して素晴らしい接客が提供できる企業へと変わっていった。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">個人のミッション（使命）：人は世の中の役にたつために、この世に生かされている</span></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・あなたがこの世に生かされている理由が使命であり、この使命を考え続けることが大切。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・ミッションとは志である。与えられた人生において己のためだけでなく、多くの人々のために、そして世の中のために大切な何かを成し遂げようとする決意である。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・個人のミッションを考えるとき、自分にとっての3つの要素「好きなこと」「得意なこと」「何か人の役にたてること」を考えることがヒントになる。「好きなこと」とは情熱をもって取り組めること、「得意なこと」とは世界一になれること、「人の役に立てること」ができればその対価として収入が得られる。企業の利益と同じように、継続するためにお金は必要。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そしてその3つの要素「好きで得意で人のためになること」すべてが当てはまることをヒントに個人のミッション（使命）を考えて欲しい。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・自分の本質（強みや弱み）というものは、意外と自分では分かっていないことが多い。自分の周りの身近な人、家族でも良いので、周りからの自分自身についてフィードバックを謙虚に受けると自分のことが分かってくる。</div>
<p>&nbsp;</p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・わたし個人のミッションを考えた時、それは経営者（リーダー）教育だった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・一つの大きなきっかけは東日本大震災だった。あの時の東電の対応や政府の対応を見た時、日本にはもっと良いリーダーや経営者が必要だと思った。震災の直後には、被災者を助けようと、学生さんを中心としたボランティアの人たちが大勢集まったし日本中から多くの支援物資が集まった。しかし現地には適切に取りまとめる人（リーダー）が居なくて、せっかくの善意（人材と物資）が充分には生かされていなかった。日本には良いフォロワーは多いのに良いリーダーが非常に少ない事実を目の当たりにした時、リーダー教育の必要性を痛感した。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・私は私の大切な身近な人たちとの死別をきっかけに、自分の死について考えた。人は死ぬとき「自分はこういうことを成し遂げた」という証を残したいと思う。その生きた証こそがミッションだと思う。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・「使命」とは、「自分の命をどう使うのか？」という意味だ。命の使い方はいろいろあるが世の中のために使って欲しいと思う。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>４．まとめ</h3>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・そもそも「働（はたら）く」の語源は「傍（はた）を楽（らく）にする」といわれている。（諸説あり）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・「しごと」というのは「仕事（つかえること）」と書くが、「志事（しごと）」であるべきだと思う。「志事」を通して自分の志（こころざし）（ミッション）が達成できる、そんな仕事を選ぶべきだと思う。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・ミッションは「好きで・得意で・人のためになること」をヒントに考え続けて頂きたい。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・定年後の第二第三の人生を考えるとき、是非ともこの考え方を参考にして頂きたいと思う。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>５．質疑応答（敬称略）</h3>
<p><strong>中山亜委(116期):私は企業内で新規事業のインキュベーション（新規事業の開発)の仕事をしています。新しいアイデアを事業化する時のリーダーシップについて教えてください。</strong></p>
<div style="padding-left: 4em; text-indent: -4em; margin-bottom: 15px;">回答）①経営学的に解説しますと、新規事業のリーダーには「根回し親父とチャラ男」の組み合わせが最適だといわれています。根回し親父とは社内に多くの人脈を持った人物、チャラ男とは外部に色々ネットワークを持った人物を示します。<br />
しかし、私は新規事業で一番大切なのはアイデアでもお金でもなく<strong>トップ（リーダー）の執念</strong>だと思います。一般的に新規事業で成功できるのは千に三つと言われています。起業とは０から１を創り出すことで、実は相当難しいことなのです。ですから様々な問題が起こった時、リーダーには「石にかじりついてでも新規事業を成功させる」という強い思い『執念』がなければ到底成功しません。執念の強い人（リーダー）は実はちょっと変わった人が多くて組織を率いる能力はありません。リーダーの傍らに人をまとめるのが得意な参謀的な存在を置くことで健全な組織を運用できるようになります。</div>
<div style="padding-left: 4em; text-indent: -1em; margin-bottom: 15px;">②次に人集めですが、ビジネスでは<strong>人材のダイバーシフィケーション</strong>（多様化・多角化）が重要です。よく間違いやすいのが、男女比率や年齢分布が偏らないよう頭数だけ揃えてしまうこと（見た目のダイバーシフィケーション）で、これをやると返って生産性が下がります。大切なのは人の中身のダイバーシフィケーションです。つまり人の考え方にダイバーシフィケーションを持たせることです。たとえ全員が女性でも構いません。いろいろな考え方を持った人たちの組織の方が新しいものを生み出す力があります。</div>
<div style="padding-left: 4em; text-indent: -1em; margin-bottom: 15px;">③リーダーの資質についてですが、私はその気になれば誰もがリーダーになれると思っています。<strong>リーダーシップの条件適合理論</strong>を勉強してみて下さい。良きリーダーとは状況（目的・環境・構成メンバーなど）に応じてリーダーシップの型（トップダウン型・支援コーチング型・目標達成型・参加型）を使い分けることが出来る人です。しかし全部の型を使い分けられるような人はいません。ですから会社の状況や進行段階に応じてリーダーそのものを交代させていくのです。ベンチャー企業の初期の段階でしたら、かなり強い思い入れを持ったトップダウン型のリーダーを任命したらいかがでしょう。頑張って下さい。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>瀬戸馨（85期）：最初にミッションを決めてから行動を起こすのでしょうか？それともまず行動してみた結果や状況によってミッションを変えるのでしょうか？</strong></p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）ミッションとは自分たちの存在理由ですからそんなに簡単に変わるものではありませんし滅多に変えてはいけません。会社というのは環境に応じて経営の戦術・戦略をどんどん変えていかないと生き残れません。つまりビジョン（方向性とか将来あるべき姿）を変えるのです。それに伴ってバリュー（行動指針・価値観）も変わってきます。<br />
ただ、会社を創業してから長い時間が経って社会の価値観など環境が大きく変わってしまったら、ミッション自体を見直す頃合いと言えるでしょう。<br />
そして個人のミッションは「好きなこと、得意なこと、役に立つこと」を元に考えます。人の好きなことや得意なことは変わっていきますから、それはその時に応じてミッションを進化させれば良いと思います。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>西尾大次郎(66期):日本の偏狭な政治社会の中で、他国に比べて日本がどんどん弱体化しています。今の日本の政治家にはどんな理念が欠けていると思いますか？</strong></p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）政治の問題は政治家だけの責任ではなく有権者の責任でもあります。リーダーとして日本を強い国に導く旗（ミッション）をたてられるような政党や人物がいたとしても、有権者がその旗（理念）を理解して支持しなければ、選挙で選ばれることはありません。日本の選挙制度においては国民全体のレベルを上げなければ立派なリーダーが生まれることはありません。根本的な解決策として日本の教育（特に歴史教育やリーダー教育）そのものを変えていく必要を感じます。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>小泉透（89期):定年を迎えて社会的関わりが離れだしている人のミッションは何だと思いますか？</strong></p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）ミッションとは人それぞれに考えるべきだし、正解は無いと思いますが、私たちの世代（60代）のミッションは、現役の時の知識や経験を次の世代に残してあげることだと思います。そうすれば世の中のためになるだけでなく、自らが生きた証を後世に残すことが出来ます。<br />
「人は徐々に歳を取って徐々に存在理由(ミッション)がなくなっていくから死んでゆくのだ」と私は思います。極端な言い方になりますが、ミッションがなくなればただ朽ちるのみ、存在理由が無くなればもう死ぬしかないわけです。ですから、私は第二の人生をただ漫然と過ごすのではなく、死ぬ直前まででもミッションを持ち続けて社会に貢献したいですし、何歳になってもそれに向けて努力し続けたいと思っています。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>金澤幸彦(89期):私が就職した頃は、ほとんどの人が大企業志向を持ち、一つの会社でキャリアステップ(職業経験を積む)して出世を目指すのが一般的でした。会社に対する忠誠心が重んじられる価値観の中で、岩田さんのようにいったん入社した大企業から出てしまって外資系企業を渡り歩くようなキャリアステップは、当時の日本では極めて勇気のいる行為だったはずです。そのフットワークの良さの原動力は何でしょうか？</strong></p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）私は「いろんな企業を渡り歩いた岩田さん」と紹介されることが多いですが、予め将来を見据えて計画的に転職を繰り返したわけではありません。実際の転職には複雑な事情がいろいろ絡みますが、簡潔にまとめると、一所懸命に目の前の仕事に打ち込んでいたら次のチャンスが巡ってきたので勤務先を変えた、の繰り返しでした。それに私の得意なことは業績の悪い会社を短期間で立て直すことでしたから、立て直しが終わった会社に何年も籍を置くようなことはしませんでした。<br />
一番悩んだのは最初の転職の時でした。経営者になるという自分自身の夢を叶えるためとはいえ、大企業（日産）に籍を置くメリットを捨てて、将来の保証もないまま、頼れるのは自分の実力のみでしたから相当の覚悟が必要でした。私はどんな時でも必死で勉強しましたし、努力して修羅場をくぐり抜けてきました。失敗と成功の経験を積み重ねることで、徐々に経営者としての実力と実績が周りから認められ、社長として誘われるようになりました。後半はヘッドハンティング会社を通して色々な企業から声がかかるようになりました。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>白石俊己(89期):ザ・ボディショップ社長からスターバックス社長へ移った経緯を話してください。</strong></p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）会社を移るのにはタイミングがあります。ザ・ボディショップの社長に就任して一年目にリーバイスから声がかかりましたが、ザ・ボディショップの業績がようやく上がり始めたころでしたので、他社からの誘いを引き受けるような無責任なことはできませんでした。ザ・ボディショップの社長に就任した時にかかげた目標「4年で売り上げ2倍（実際には2倍以上）」を達成できたタイミングでたまたま誘われた先の会社の1つが、リーマンショックで業績が低迷していたスターバックスでした。もしタイミングが違っていたら、スターバックスではなくリーバイスで働いていたでしょうし、スターバックスの次は、日本マクドナルドの立て直しに貢献していたかも知れません。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>白石俊己(89期)：リーダー教育とは具体的にどのような活動をされていますか？</strong></p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）2013年に(株)<em>リーダーシップ コンサルティングを設立しました。</em>ビジネススクールの非常勤講師（立教大学ビジネススクールで5年、現在は早稲田大学ビジネススクール）、企業の管理職向け研修会、講演活動（中高生から大学生向け、社会人向け、官公庁・自衛隊など）を行っています。いくつかのベンチャー企業では社長業のコーチングや、社外取締役員や顧問として株式上場の手伝いをしています。オンラインでは経営塾を主催しています（登録会員は1000人以上）し、フェイスブックのフォロワー約2万人に向けて毎日欠かすことなくメッセージを発信しています。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>岩本祐一（89期）:私たちの年代は定年退職後の生き方について悩む年ごろです。私と同じ年齢の岩田さんが会社経営の仕事から退いて第二の人生として人材育成の仕事へと方向転換された考え方について教えてください。</strong></p>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）最近は人生100年時代と言われます。私は人生を3つの期間に分けて、最初の30年は勉強期間、次の30年はビジネス期間として、その後の60歳からの残りの人生はどうしようか考えました。そのヒントを貰いたくて、半年間、東京大学EMP(executive management Program)を受講して、各分野の超一流といわれる先生方の授業を受けました。専門外でしたが理科系の最先端の学問にも触れて、非常に興味を持ちました。それでも60歳を過ぎた私がこれから新しく学ぶ分野では世の中の役には立てないと悟りました。今の年齢で<strong>自分だけにできるミッション</strong>は何だろうか？自分にとって好きで得意で人のためになって継続できること（少しでも報酬を得られること）は何か？を考えた時、それが人材教育でした。人は定年期を迎えると、いろいろな道楽（衣装道楽・食い道楽・ゴルフ道楽など）を究めたりしますが、私が選んだのは人道楽（ひとどうらく=人を育てること）と言えます。この道楽は社会の役に立ちますし、私の生き甲斐でもあります。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">【記録：野田美佳（９４期）】</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>中田敦彦のYouTube大学 &#8211; NAKATA UNIVERSITY<br />
【リーダーの条件①】カリスマ性も能力もいらない！元スタバCEOが説く、リーダーに不可欠な要素とは！？<br />
<iframe title="YouTube video player" src="https://www.youtube.com/embed/vcvJvvLk6cA" width="500" height="283" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></td>
</tr>
</tbody>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【226回】10月「腸内細菌のはなし」</title>
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		<pubDate>Mon, 26 Jul 2021 04:11:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5568</guid>
		<description><![CDATA[竹田　潔さん＠97期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年10月16日（土）14時～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>84名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>竹田　潔さん＠97期　(大阪大学大学院医学系研究科　教授　/　大阪大学免疫学フロンティア研究センター　拠点長)</p>
<address style="padding-left: 30px;">1985年　大阪府立北野高校　卒業<br />
1992年　大阪大学医学部　卒業<br />
1998年　大阪大学大学院医学系研究科　修了<br />
1998年　兵庫医科大学生化学講座　助手<br />
1999年　大阪大学微生物病研究所　助手<br />
2003年　九州大学生体防御医学研究所　教授<br />
2007年　大阪大学大学院医学系研究科　教授<br />
2007年　大阪大学免疫学フロンティア研究センター　教授（兼任）<br />
2019年　大阪大学免疫学フロンティア研究センター　拠点長</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「腸内細菌のはなし」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>最近、「腸内細菌・腸内フローラ」という言葉をよく耳にすると思います。私たちが毎日摂取する食物を消化して栄養素を作りだし、その栄養素を吸収する消化管という組織には、膨大な数の細菌が生息しています。</p>
<p>細菌と言えば、病原性大腸菌（O157）など、感染症を引き起こす細菌が広く知られていますが、不思議なことに私たちにとっての異物であるはずの細菌が、数にして10-100兆個、種類にして1,000種以上、腸内に生息しています。</p>
<p>そして、この腸内細菌が、私たちの健康維持に多大なる貢献をしてくれていることが明らかになってきています。また、腸内細菌のバランスが崩れることにより、様々な病気に関わることが明らかになってきています。</p>
<p>最近、明らかになってきた腸内細菌についてお話します。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>
<h2>消化管</h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○食事を摂取して、消化・吸収を司る器官（口→食道→胃→大腸→小腸→肛門）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・小腸・大腸の表面積はテニスコートの約1.5面分ある。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・消化管には人体で最大数の免疫細胞が存在する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○何故、これだけ多くの免疫細胞がここに存在するか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→食事を摂取する際には、感染症を引き起こす様々な「病原微生物」が侵入するが、その感染を防ぐためにここに免疫細胞が存在している。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○腸内細菌</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・感染症を引き起こす病原性細菌以外にも腸管には細菌が存在している。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・腸内細菌は、消化管と共生関係を築いている。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・多くの腸内細菌は、少しでも酸素に触れると死んでしまい（偏性嫌気性菌）、実験室で培養できなかったため、最近までその実態は不明であった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→しかしながら、解析技術の革新（次世代シークエンサー：DNA配列を高速で読み解く機器）によって、ヒトのゲノム（遺伝子）の全貌が明らかになった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・この機器は、便の中にあるDNA（ヒトにも細菌にも共通）を全てもれなく読んでしまうとともに、便の中にいる腸内細菌（死んでいようが生きていようが）を全て見つけ出すことが可能になった。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・これによって、腸内細菌の全貌が分かってきたものである。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○腸内細菌の数と種類</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・胃、小腸、大腸と下部に行くに従って、腸内細菌の数が増える。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＜胃・十二指腸：10<sup>1</sup>～10<sup>3</sup>CFU/ML（100個程度）／小腸：10<sup>3</sup>～10<sup>7</sup> CFU/ML（100万個程度）／大腸：10<sup>11</sup>～10<sup>12</sup> CFU/ML（10兆～100兆個程度）＞</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・人を構成する細胞の数は30～40兆個といわれており、大腸ではこれを凌駕している。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・消化管には1000種類以上の多彩な腸内細菌が存在する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○腸内細菌の特徴（以降、これに沿って解説）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">1) 健康維持における役割　と</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">2）病気との関わり</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>腸内細菌の『 1):健康維持における役割』</h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○腸内細菌と消化管の共生関係</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・腸内細菌は酸素を嫌う（偏性嫌気性菌）が、大腸では殆ど酸素がないため、ここに住み着いており、謂わば「住処」を提供している。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・それによって、我々の健康に良い影響を及ぼしている。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・免疫によって排除されることなく、共生関係が築かれている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○健康に及ぼす影響には大きく２つある。（以降、これに沿って解説）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">1）栄養素の産生　と</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">2）感染症の防御・免疫系の発達</div>
<h3>（１）栄養素の産生</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○ヒトには以下（典型例）のような栄養素を作り出す酵素がなく、腸内細菌がこれを作り出す。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・ビタミンＫ：止血効果（新生児は易出血性）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・ビタミンB12：細胞の活動に必要な栄養素</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・食物繊維→腸内細菌によって分解されて出来る栄養素</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">⇒ビタミンＫ（ビタミンＫ2）の事例</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・生まれたての新生児には、腸内細菌が全くないため、止血効果のために、出産後に新生児に「Ｋ２シロップ」を投与することがある。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・これは、肝臓で血液凝固因子（プロピトロン）を産生する際の補酵素として機能する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○食物繊維（植物・藻類）：健康に良いとされる。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・水溶性食物繊維（アボガド・オクラ・山芋・海藻・納豆・いちご・イヨカン等）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・不溶性食物繊維（ブロッコリー・豆/きのこ類・かぼちゃ・リンゴ・玄米・芋等）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・吸収されやすいように分解されエネルギー源などになるが、これは腸内細菌の働きによる。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・食物の動物にはない成分（細胞壁）は我々の消化酵素では分解できないが、これを腸内細菌が分解して我々が利用できる栄養素に変えてくれる。</div>
<h3>（２）感染症の防御・免疫系の発達</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">○腸内細菌による感染防御（colonization resistance）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">①間接的なcolonization resistance</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・免疫系の活性化（抗体産出細胞の誘導、Ｔ細胞の活性化）</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">＜事例＞６ヶ月前後の乳児は易感染性（免疫不全）</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">→「母親由来の抗体&lt;IgG&gt;」（出産時にピークを迎え出産後急低下）と「新生児自体の抗体」（出生後０から徐々に上昇し６ヶ月以降に急上昇）の狭間（６ヶ月前後）で感染し易くなる。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">→新生児の抗体の上昇カーブは、出生後の腸内細菌の数の上昇カーブと類似している。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">→腸内細菌が免疫系の発達を促すことが明らかになった。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">＜ねずみの生体実験（完全無菌状態下と通常環境下を比較等）で実証されている。＞</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">②直接的なcolonization resistance</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">＊ディフィシル菌感染症（日本ではあまりないが欧米では問題なっている）</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">＜ディフィシル菌(Clostridium)は抗生物質（細菌を殺す薬剤）に対する耐性株が出来やすい＞</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・大腸（結腸／管腔）には非常に多数の常在細菌が住みついているが、抗生物質の投与により、その多くが死滅し、数が激減する。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・その隙に、通常では繁殖しないディフィシル菌が、感染の足場を得て毒素を産出し粘膜障害を引き起こす。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">→傷害を受けた上皮細胞の間から好中球や赤血球が溢れ出して、結合組織の分解により大腸炎と偽膜形成が起こる。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・抗生物質を安易に飲むのは余り良いことではない。</div>
<h3>（３）腸内細菌と消化管の共生関係</h3>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・このように、「消化管」は酸素を好まない（偏性嫌気性）菌である「腸内細菌」に住処を提供することによって、我々の健康に影響を及ぼしている。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・これには、大きくは、「栄養素の産生」と「（免疫系の発達を介した）感染症への抵抗性」が関与している。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>腸内細菌の『 2）:病気との関わり』</h2>
<h3>（１）腸内細菌の割合の変化（dysbiosis）の要因</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">①「食事内容の変化」</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・穀物類or肉類／低脂肪or高脂肪／低栄養or 高栄養といった「各人の嗜好性」とそれぞれを好む「腸内細菌の割合の変化（特に数の変化）」に相関関係がみられる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">②その他の要因</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・「ストレス」</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・「感染」（特に消化管の感染症）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・「加齢」</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・その他さまざまな要因</div>
<h3>（２）腸内細菌の割合の変化（dysbiosis）によってもたらされるコトとそれに誘導される病態</h3>
<h4>①免疫系の異常な活性化</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">1）炎症性腸疾患</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＊クローン病（CD）・潰瘍性大腸炎（UC）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→小腸・大腸に炎症が起こり、腹痛・下痢・血便を呈する病気で、根本的な治療法が確立されていない難病。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・1980年代から急激に患者が増大している。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">（2012年度　UC:153,378人／CD:37,823人）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・欧米では昔から極めて多い病気で、日本はこれに追随しつつある。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・大腸に於ける腸内細菌の（各種別の）割合が変化している。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・腸内環境因子（食事成分・特に腸内細菌）と遺伝的要因（腸管の免疫）の両方が複雑に絡み合って発症するとされているが、根本的な原因はまだわかっていない。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・しかしながら、日本で急激に患者が増大している原因として、食生活の変化（欧米に類似してきていること）による「腸内環境因子」に原因があると考えられる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">2）自己免疫性疾患</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＊多発性硬化症・関節リウマチ</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→Ｔ細胞が暴走して引き起こされると考えられている。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: 0em;">エフェクターＴ細胞はTh1・Th17で、通常は「細胞内感染病原体」・「細胞外細菌」を排除している。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">＜事例＞関節リウマチの原因</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→免疫細胞（Ｔ細胞）が関節の滑膜を攻撃する。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・環境因子＜喫煙・ホルモン・微生物（病原性微生物・腸内細菌）・他＞と遺伝的要素が複雑に絡み合って発症＜腸内細菌の割合が変化→異常＞</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">3）アレルギー</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＊喘息・アトピー</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→通常は「寄生虫」を排除するＴ細胞（Th2）が、暴走して引き起こされると考えられている。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">＜事例＞帝王切開とアレルギー疾患（帝王切開による腸内細菌叢の変化）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→通常分娩で出産期に膣で増える細菌が「乳酸菌」で、帝王切開の場合に母体の皮膚の常在細菌は「ブドウ球菌」であるが、ここで、乳児が最初に飲み込む細菌に違いが起きる。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→この違いによって、帝王切開の場合には、免疫系の発達に変化し（Th2優位で）、アレルギー好感受性が生ずる。（腸内細菌叢の変化）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・米国ではその対策として、帝王切開の際に、膣の細菌を採取して、乳児にすばやく飲ませたり、全身に塗ったりするスタディを行っている。＜研究中＞</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・また、母親の腸内細菌を乳児に投与した場合、通常分娩で出生した乳幼児と同じ腸内細菌（の割合）となったことが報告されている。＜成果は経過待ち＞</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・その他にも、乳幼児期（～２歳）までの抗生物質投与による腸内細菌叢の変化・アレルギーなどへの高感受性に鑑み、これを控える動きも出ている。</div>
<h4>②腸内細菌による食物代謝産物の変化</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">4）循環器系疾患</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＊動脈硬化症</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→動脈の内腔に「じゅく腫」ができ、狭くなって血栓を誘発するが、なぜこの「じゅく腫」ができるかということに「腸内細菌」が関わっていることが米国から報告されている。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・特に「赤肉・甲殻類・卵など」に含まれる「コリン」から様々な経過を経て血栓が誘発される。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">5）神経疾患</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＊パーキンソン病</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→健常人とパーキンソン患者の腸内細菌を調べると違いがあって、これが発症の原因となりうることが報告されている。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＊自閉症スペクトラム（自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群）</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→健常児と自閉症児の腸内細菌を比較することにより、最近、こちらも腸内細菌が関わっていることが判明しつつある。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＜迷走神経（脳と腸管をつなぐ神経）を介して、或いは代謝物（セロトニンなど）を介して脳神経の発達に影響を与えて、行動異常を誘発＞</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">6）がん</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＊大腸癌・肝癌</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→腸内細菌の関与が理解されてきている。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・年間がん罹患数の経緯を見ると「大腸癌」が飛躍的に増大している。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＜1975年：２万人→2020年：16万人＞</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・フソバクテリウムやサルモネラ菌などが、ピロリ菌が胃がんに与えるのと同じような、発症に影響を与えていることが理解されるようになってきた。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・或いは腸内細菌由来の毒素によるDNAダメージによって大腸癌が発症することも理解されている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">7）代謝疾患</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">＊肥満・糖尿病</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">→腸内細菌の関与が理解されてきている。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・米国の実験で、肥満（双子）と痩せ（双子）の人の腸内細菌をマウスに定着することによって、夫々、肥満マウス・痩せマウスに誘導されることが報告されている。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -1em;">・尚、日本では、肥満の人はやはり食べ過ぎが原因かという懐疑的な見方もある。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>■質疑応答</h2>
<p><strong> </strong></p>
<p><strong>1.</strong><strong>家　正則</strong><strong>（</strong><strong>80</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：腸内細菌の悪いセットを持っている人に、健常者の腸内細菌を入れ替えるような治療が試みられてますが、実際やろうとした時に、悪い腸内細菌をなかなか駆除できないという話を聞いたことがあります。その辺りはどういう状況なのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：健常者の腸内細菌を移植する「糞便移植」が試みられており、ディフィシル菌感染症の治療に抗生物質が効かず、どうしようもなくて、欧州の若手の医師がその移植を実施したところ劇的に効いたことがあり、現在では実際これが応用されるようになってきています。一方、他の病気に応用できないかということで、試みるもやはり「壁」がある。ディフィシル菌感染症の場合は急性の病気なので効果があったが、慢性に経過する病気の場合は、移植しても、何日かすると元に戻る現象があって、画期的な治療法ができていないのが現状です。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>2.</strong><strong>宮本　直子</strong><strong>（</strong><strong>93</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：腸内細菌が神経系の「自閉症スペクトラム」にも影響があるとのことでしたが、ほかの「アルツハイマー」や「認知症」にも関係してくるのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：確固たるデータはありませんが、研究の報告上に事例もあり、重要度はそれほど高くはないものの「アルツハイマー」にも関与していることに否定はできません。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>3</strong><strong>.</strong><strong>釜江　尚彦</strong><strong>（</strong><strong>69</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：大腸検査の際に、事前に大腸を空にしますが、その後にできる腸内細菌は、ヒトのもつ固有の腸内細菌に戻るものなのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：確かに大腸の内視鏡検査の場合は、下剤などで大腸の内腔を空にしますが、大腸内腔の表皮の粘膜に腸内細菌が付着していて元に戻ります。同じように、抗生物質で腸内細菌を排除しても、投与を止めると元の腸内細菌に戻ります。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：遺伝は関係ないのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：遺伝は関与していて、遺伝のバックグラウンドによって腸内細菌のパターンは異なってきます。例えば、欧米と日本で、最近では同じような食事パターンになってきていますが、腸内細菌の構成は異なっているので、これは遺伝のバックグラウンドの影響と考えられます。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>4</strong><strong>.</strong><strong>細見　裕子</strong><strong>（</strong><strong>77</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：最近「虫刺され」で医者に行き「抗生物質」を5日間分処方されましたが、全部飲み切ったほうが良いのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：今日の講演の中で「抗生物質」を飲まない方が良いというニュアンスのことを述べましたが、これは、欧米などで、「抗生物質」を継続して飲み続ける場合に弊害がでることを指しますので、医師から一定の病気に適切に処方された「抗生物質」は飲んで下さい。<br />
基本的に、飲むのを止めたら「腸内細菌」は元に戻ります。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>5</strong><strong>.</strong><strong>蓑原　律子</strong><strong>（</strong><strong>96</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：「造血管細胞移植」後のより良い腸内細菌の環境をつくることに対して、例えば、移植後のGVHDなどを和らげるための食事など、何かスタディはあるのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：これらの移植に関して、腸内細菌が予後に関わるという研究成果は結構あります。<br />
どのような環境が関与しているかについては、地域差などもあって、どれが一番ベストなのかは分かっていません。<br />
尚、昔は、移植前に「抗生物質」を投与して腸内を無菌状態にしていましたが、それは良くないことが分かって、処置法が変わってきているという現状はあります。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>6</strong><strong>.</strong><strong>家　正則</strong><strong>（</strong><strong>80</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：胃がんに「ピロリ菌」の関与が分かって、これを除去することは実施されていますが、大腸がんに関与する「サルモネラ菌」を除去することは行われているのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：胃がんの場合は、「ピロリ菌」のみターゲットにすれば良いのですが、大腸癌の場合は、様々な菌が関与していて、１つの菌のみをターゲットにするのは不十分だろうというところがあります。それぞれの菌の研究はあるものの、これらをまとめてどういう処方がベストなのかという研究も進んでいます。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>7</strong><strong>.</strong><strong>谷藤　慶一</strong><strong>（</strong><strong>85</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：コロナウィルスは呼吸器系ですが、消化器系の「腸内細菌」の免疫力などとの関係はありますでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：その辺りは、私の研究室でも研究しています。<br />
例えば、「肥満の人」は、コロナに罹ると重症化しやすいですが、原因か分かっておらず、現在その解明のための研究が進んでいます。<br />
コロナ患者で軽症の人と重症の人の「腸内細菌」を調べると、根本的に異なっています。<br />
しかしながら、これは感染症になった結果かもしれないし、もともとそういう素因があって重症化したのかも知れない、ということで研究を進めているところです。</div>
<p><strong> </strong></p>
<p><strong>8</strong><strong>.</strong><strong>家　正則</strong><strong>（</strong><strong>80</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：今日は、消化器系の常在菌の話でしたが、常在菌は、循環器系や呼吸器系にもあるのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：循環器は血流なので、常在細菌はほとんどありませんが、呼吸器（肺：気道辺り）には、常在菌が数は少ないですけれども存在しています。後は、皮膚にも結構いますし、女性の膣にも多数常在細菌は存在しています。<br />
ただ、圧倒的に多いのは消化管になります。夫々の常在細菌について、宿主への影響について研究が進んでいるところです。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>9</strong><strong>.</strong><strong>鶴岡　愛</strong><strong>（</strong><strong>122</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：出産前の女性に乳酸菌の増大というドラスティックな変化があるようですが、どういったところの関与があるのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：これについては注目されていて現在研究中ですが、なぜ乳酸菌が増えるのかというメカニズムはまだわかっていません。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：次世代シークエンサーで、生物のどういった種が存在するかという分布が分かってきていると思いますが、それ以上に「代謝」などを把握するのにそのものを○○環境に出して我々の手で特定して代謝を把握するようですが、そういったところの最新の状況があれば、ご教示ください。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：次世代シークエンサーで「DNA配列」を読み解くことで、腸内細菌の実態が分かってきていますが、腸内細菌の変化は、消化管の中のように見えますが、実際には身体の外にいる訳で、これがいかに作用するかということに対しては、腸内細菌が作り出す「代謝物」がどう変化しているかを詳細に解析することが、今まさしく世界で研究されているところです。これから結果が出てくると思います。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>10</strong><strong>.</strong><strong>林　敏弘</strong><strong>（</strong><strong>75</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：コロナのワクチン接種で重い副反応が出ることがありますが、どういう人に副反応がでるか、その人たちの腸内細菌の分布を調べることで、分かるようになりますでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：副反応はまさしく「免疫」の暴走です。<br />
ワクチンの成分が免疫を活性化させてしまうのだろうと言われてますが、そこでどうして個体差がでるのかは、腸内細菌のパターンが違うのが一つの原因ではないかということで、現在調査中です。まだ結果は出ていません。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>11</strong><strong>.</strong><strong>秋下　貞夫</strong><strong>（</strong><strong>69</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：ＮＨＫの健康番組で、「絶食療法」をやっていました。恐らく腸内を空にすることだと思いますが、腸内細菌と関係がありますか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：絶食すると、必ず腸内細菌は減少します。長ければ長いほど一層減ってゆきます。<br />
それが何らかの影響を及ぼしているのは十分考えられますが、そういったところの研究はまだ進んでいないのが現状です。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>12</strong><strong>.</strong><strong>牧　武志</strong><strong>（</strong><strong>73</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：腸内細菌は健康維持に重要なことが分かりましたが、腸内細菌を好ましい状況にするには、具体的にどのようにすればよろしいでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：そこが難しいところで、気にし始めるとどうしようもない状況で、私自身も良く分かっていません。</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ｑ：逆に良くないのは、肉などの「食物の過剰な摂取」や「ストレス」ということでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 2em; text-indent: -2em;">Ａ：今日の講演で、「肉」の摂取を強調しすぎたかもしれませんが、「肉」の摂取によって、日本人の栄養状態が良くなって寿命も延びてきた実績もありますので、一つだけを見てこれが駄目ということも一概に言えることではありません。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>以　　　上</p>
<p>【記録：植村和文（82期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>なし</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【225回】9月「東京2020オリンピック　サッカー競技の舞台裏」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5566</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5566#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 25 Jul 2021 04:05:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[宮崎英津子さん＠100期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年9月18日（土）14時00分～15時50分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>89名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>宮崎英津子さん＠100期　(公益財団法人日本サッカー協会　競技運営部国際グループグループ長)<br />
<address style="padding-left: 30px;">1970年：大阪生まれ<br />
1988年：北野高校卒業（高校時代は女子ハンドボール部）<br />
同年   ：筑波大学入学（大学からサッカーを本格的にプレー）<br />
1992年：同卒業～日興証券株式会社入社（女子サッカー部）<br />
1994年：筑波大学大学院入学<br />
1997年：同修了<br />
1998年～2004年：イタリア留学（サッカーの指導者資格取得を目指した）<br />
2005年～2010年：アジアサッカー連盟＠マレーシア（ウェブサイト日本語版や大会広報を担当）<br />
2011年～現在：日本サッカー協会（代表チーム部→女子部→技術部→競技運営部）</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「東京2020オリンピック　サッカー競技の舞台裏」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>7月11日までのまん延防止等重点措置を受け、７月17日・18日に行われた全国世論調査では、オリンピック・パラリンピックの開催に反対の声が55％だったとか。東京六稜会でも、様々な競技の観戦チケットを購入された方は多かったのではないでしょうか。普通では見に行くことのない、見ることのできないスポーツ競技の世界トップレベルの試合を実際に見られるチャンスはそうそうあるものではありません。しかし、開幕15日前の7月8日、東京・神奈川・埼玉・千葉では無観客とすることが決まりました。新型コロナウイルスの影響を受け、1年の延期となって2001年7月23日に開会式を迎えた東京オリンピック。サッカー競技はその2日前、7月21日から試合が始まっていました。</p>
<p>男子16チーム、女子12チームがそれぞれ4チームずつのグループ分かれ、東京だけではなく北海道、宮城、茨城、埼玉、神奈川の5都道県、7つのベニュー（※実は6会場となった）で合計58試合を行いました。オリンピックでは女子サッカーはフル代表と言われる年齢制限のないトップの代表チームが出場しますが、男子サッカーは23歳以下の年齢制限があるチームで出場します（今回は大会の延期を受けて24歳以下）。</p>
<p>女子は8月6日、男子は8月7日に決勝戦が行われ、残念ながら日本はメダルには手が届きませんでしたが、無事に全競技日程を終了しました。</p>
<p>大会開催には、東京オリンピック組織委員会だけではなく、国際サッカー連盟（FIFA）、そして組織委員会から実働部隊として委託を受けた日本サッカー協会（JFA）が競技の様々な実務を担いました。私はJFAが担ったコンペティション部門の中の、チームサービス（TS）部門で、参加した各チームのリエゾンオフィサーの統括（女子チーム）という役割でした。</p>
<p>各チームリエゾンオフィサー（TLO）はそれぞれのチームに帯同し、チームが円滑に活動できるサポートをする役割で、チームがストレスなく滞在し、最大限のパフォーマンスを発揮でき、満足して大会を終えて無事に離日するためのお手伝いをします。</p>
<p>TLOたちは、JFA職員のほか、Jクラブの職員やサッカー指導者など、現場をよく知る経験ある人材を揃え万全を期して大会に臨んだものの、予想を超える出来事が次々に起こり、これまでにない難しい現場となっていました。</p>
<p>今回は、東京オリンピックの中のサッカー競技で、試合の場面からは見えない舞台裏について、W-up：いきなりですか！？　前半：コロナとバブル、HT：村って・・・、後半：JFA　TRA＆LOG、延長戦：まさかの変更と、サッカーの試合の流れに合わせてテーマを付けて、お話ししたいと思います（各テーマは講演までに変更になる可能性があります）。チームサービスとして活動した1ヶ月弱での出来事について、他では話せないこともありますので、どうか今回の講演内にとどめていただきますと幸いです。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>
<div style="width: 500PX; padding: 20px; border: solid 1px #000;">この記録は講演概要で、詳細については講演使われた添付のパワーポイントのPDFを参照ください。プレゼンターが話すべきナレーション付きで、詳細を理解するには最適の資料です。（記録者コメント）</div>
<h3>1</h3>
<p>自己紹介や経歴の簡単な説明の後、北野高校100期の同窓生26人に今回のオリンピックの開催についてアンケートを取った結果を説明しました。開催に反対は1%、しかし92.3％が開始してよかったと回答しました。その他、貴重な意見も頂きました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>2</h3>
<p>続いて、One Minutes, One Sports, サッカー編という動画が紹介されました。サッカーが世界で広く愛好されているスポーツであること、女子は年齢制限のないフル代表、男子が原則23歳以下の年齢制限があること、一点の重みがある試合でスリリングな展開であること、北海道、東北、関東など多くのべニューで開催された等が紹介されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>3</h3>
<p>サッカーの試合は開会式の2日前の7月21日に始まり、決勝は、女子は8月6日、男子は8月7日に行われました。チーム分け、会場、試合数などは事前宣伝で説明。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>4</h3>
<p>宮崎さんは、大会運営組織から業務委託を受けたJFAの一員としてオリンピックに関わりました。大会組織委員会の中のスポーツチームの1つ、サッカーチームが競技に関わる業務を行っており、JFAはサッカーチームと連携し、運営に当たりました。宮崎さんはオリンピックに関わるJFAの体制の中、Team Service部門で27名のTeam Liaison Officer（TLO）を纏めるマネージャー2名のうちの1名の立場でした。このTLOは、オリンピックに出場するチームに帯同し、担当チームのトレーニングセッションの予約、ロジスティック、競技関連情報の収集、そして組織委員会・FIFAとの連絡等が主な任務でした。業務期間はチームの入国から出国する迄でした。TLOの１日の仕事は、朝の食事の確認に始まり、練習、試合場の対応、スケジュールの確認、その移動手段の手配、選手村・ホテルへの帰着、夕食の確認、そして報告書の作成などチームに寄り添った活動が求められます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>5</h3>
<p>宮崎さんは本日の講演をサッカーの試合になぞらえて下記のように紹介してくれました。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/09/画像1.png"><img class="alignleft size-full wp-image-5614" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/09/画像1.png" alt="画像1" width="500" height="167" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>6</h3>
<h4>90’スタジアム入り……日本代表戦～オリンピックへ</h4>
<p>３月25日に日韓国際試合が開催されましたが、バブル方式を採用するなどコロナ禍での初の国際試合となりました。続くアルゼンチン戦はオリンピックの前哨戦として位置づけ、移動のシミュレーションなどを行いました。その後、ワールドカップ2次予選のモンゴル戦、なでしこのパラグアイ戦など、７月シリーズ迄多くの相手との国際試合の中で、コロナ対策、観客への対応などの様々な側面からの国際試合の実施を経て、オリンピックのテストケースとするとともに、本大会に備えました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>7</h3>
<h4>ウォーミング・アップ（W-up）……いきなりですか</h4>
<p>オリンピックモードに突入するべくTLOの担当チームとの合流日時と場所を決めるため、チームサービスは各国のチームと連絡を取るのですが、実際と異なる、回答が無い、情報が伝わらないと言った困難を何度も経験しました。</p>
<p>一例として、７月14日16時頃、南アフリカチームが突然20：15に成田に到着するという連絡が入りました。この到着の連絡は寝耳に水で、急遽担当TLOと宮崎さん等3名で、22時頃成田に駆けつけたことがありました。入国検査、検疫があるのでチームが入国してきたのは24時を過ぎていましたが、それから選手村に送り届けるなど、波乱含みの幕開けでした。実際、チャーター機で札幌に到着と言いながら、通常フライトで成田にやってくる、自国からの出発の遅れで到着が遅れる、事前キャンプから１名の選手が合流しない等のトラブルがあるチームもありました。オリンピックに参加する各チームはActivity Planを事前に組織委員会を通じ内閣官房に提出してそれを遵守するという義務があったが、「一体なんでしょう」と言う感じを持ったこともありました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>8</h3>
<h4>前半……コロナとバブル</h4>
<p>コロナの非常事態宣言下のオリンピック開催とあって、感染防止対策には万全の措置が図られました。入国前、入国時のPCR検査を実施して陰性の確認、健康情報の提供が義務づけられました。入国後も毎日、検温とPCR検査を行いました。南アフリカチームでは初戦前に１名の陽性者が出ましたが、濃厚接触者の扱いが問題となりました。競技の実施可否に関わるところでしたが、全員のPCR検査を実施して陰性を確認し、最終的にFIFAの承認、そして対戦相手の日本の承認を得て、プレーできることとなりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>9</h3>
<h4>ハーフタイム……村って</h4>
<p>選手村とホテルが宿舎となったが、部屋の割り振り、ツインとシングル、ミーティング・ルームの有無、食事、ランドリーサービスなどで大きな違いがありました。ホテルでは原則、トレーニングと試合以外の外出禁止でしたが、選手村内では行動は自由であったので、他国の選手と交流できるオリンピックらしい環境は選手村だけでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>10</h3>
<h4>後半……JFA（Japan Football Association）、TRA（Transportation）&amp; LOG(Logistic)</h4>
<p>宮崎さんの一日は、10時頃出勤、午前中はFIFA/組織委との連絡、午後はトラブル対応、TLOから上がってくるスケジュール調整、20時にTLOから報告が上がってくるので、これを纏めて24時までに会議を経てFIFA/組織委に報告、深夜３時に報告書を作成という毎日でした。</p>
<p>ロジについては、荷物運搬のトラックのトラブルは比較的少なかったが、バスについては、オペレーションセンター、代理店、バス会社という多重構造になっていて、連絡がスムーズに行かず、最後までトラブル続きでした。一例として、スウェーデンチームが仙台から東京への新幹線に乗り遅れるという時間が発生しました。ホテルから予定通りバスで出発したが、運転手が道を間違え、新幹線に間に合わなかった。一両貸し切りが原則なため、結局２時間後にようやく手配でき、選手村に入る時間が大幅に遅くなり、チームはカンカンという始末でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>11</h3>
<h4>アディショナルタイム……まさかの変更</h4>
<p>酷暑を理由に8月6日11：00国立競技場でのキックオフが、前日の5日になって時間が21：00、場所が横浜国際競技場に変更となりました。また、男子3位決定戦が女子の時間帯と重複するため、20:00 キックオフが18：00に変更されました。酷暑は以前から予想されていたことであり、あまりに唐突、前代未聞のスケジュール変更でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>12</h3>
<h4>東京2020を振り返って-最後に</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・準備の大切さを痛感した。多くの競技が一斉に行われるスケジュールでの宿泊、輸送、移動に問題があった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・大規模イベントの開催の難しさを知った。オリンピックの仕組みは個人競技に向いていて、団体競技は大量、同時輸送が必要となるので困難が伴う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・コロナ禍での開催でしたが、感染対策では今後への貴重な経験となる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・競技観戦を通じて世界のトップレベルの選手のレベルの高さを実際に感じる・見ることができる。これによって、子供たちがスポーツを始めるきっかけになる。あるいは、様々なスポーツをライブで観戦するきっかけになる。多くの人々が「体験」「感動」「経験」を得られるはずで、これが、個人的には大会最大のレガシーになるはずでした。でも、殆どが無観客開催でこの機会が失われたのは残念。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>13</h3>
<p>質疑応答（敬称略）</p>
<p>Q: 白石俊己（89期）　テストイベントと本番の差を感じましたか。</p>
<p>A:テストイベントはJFAが中心で運営した。本番になると組織委のスタッフが多く参加したが、JFAが主体となって運営してきた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q:清徳則雄（79期）　ワクチンを関係者に接種するとバッハ会長は言っていたが、実現できなかった。</p>
<p>A:これに関しては、宮崎さんは答える立場にないとして、JFA、組織委の関係者は接種できたが、ボランティア―については、全員が出来ていないと思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q: 清徳（79期）　行く先を変えるだけなのに１時間もかかるのは、厚労省のお役所仕事のせいでしょうか。</p>
<p>A:確かに我々も、「お国の仕事だな」と思うようなことが多かった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q:三角智子（94期）　まだサッカーが一般的でなかった時に、サッカーを始めたきっかけはは何ですか。</p>
<p>A:高校ではハンドボール部に入りましたが、知り合いから「女子のチームを作ったのでやらないか」と誘われました。サッカーの練習は日曜だけだったので、月から土はハンドボール、日曜はサッカーという生活でした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q:多賀正義(76期)　話を聞いていると、TLOという仕事はツアーのコンダクターのような仕事のように思えました。日本人は、団体行動に慣れているので、出発時間を守ると言われているのですが、時間が経っても来ないという事態は起こりましたか。</p>
<p>A:さすがに国を代表するトップレベルの選手たちで規律遵守の精神が高く、時間にルーズという問題は無かった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q:坂田東一（79期）　コロナ対策は如何でしたか。</p>
<p>A:上記8．前半　コロナとバブルで話したように、陽性の感染者がでたのは、南アフリカの１名だけでした。濃厚接触者も陰性で、彼等は試合に出ることができました。罹患者ではウイルスが体内に残っているという事も6月の試合で経験済みだったので、過去の経歴にも注意を払いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q:栗飯原照彦（84期）　男女とも思うような成績が残せなかったが、それぞれの試合後の心境は、いかがでしたか。</p>
<p>A:男子はすぐにW-Cupの予選が始まったので、それに集中していたし、あくまでもオリンピックは年代別の大会なので、選手たちのゴールはそこではなくA代表。女子については、フル代表という事で、ステータスの高い試合でした。日本では、代表強化にもつなげるべく9月に女子のプロリーグが開幕し、そこでの活躍を期して気合を入れているようです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q:村井雄（73期）　オリンピックは商業主義に流れているように見えるが、これに対する意見は如何ですか。</p>
<p>A:この質問に答える立場ではないとしながら、オリンピックが商業主義化したのはアメリカのLA大会以来と言われている。サッカーについて言うと、男子ではU23という事で、先ずオリンピックに対するリスペクトは比較的低い。また、プロ選手はクラブに所属しており、FIFAの決まりではオリンピックへの選手派遣義務がありません。一方、ワールドカップ予選などの公式戦は派遣義務があり、大会の扱いが異なっています。多くのスポーツで選手がプロ化していることを考えると、アマチュアスポーツの祭典という意味では、オリンピックには課題がありそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q:雫石潔（73期）　TLOはボランティア―ですか。</p>
<p>A:TLOは半分程度がJFAからの派遣、残りはJリーグの職員や外部の指導者などでした。Liaison業務は、サッカーに対する専門的な知識と、言葉の問題があるので、それがボランティア―でない理由です。組織委員会とJFAが交わした業務委託契約に、リエゾンの派遣も含まれていたため、日当も業務委託料に含まれていました。<br />
【記録：多賀正義（76期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>なし</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【224回】8月「任務と子育ての狭間で　－33年の自衛隊勤務を終えてー」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5557</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5557#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 06 Jul 2021 05:38:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[三角智子さん＠94期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年8月21日（土）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>71名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>三角智子さん＠94期　(慶應義塾高校英語科教諭)</p>
<p>1964年生まれ。北野高校94期。1986年関西学院大学英文科卒業後、陸上自衛隊幹部候補生として防衛庁（現防衛省）に入庁。1年間の幹部候補生学校での訓練を経て、明野飛行場での航空管制官としての任務を開始。33年の現役生活の内、17年間は幹部学校、情報学校にて教官として勤務。その他、防衛省での情報担当、国際交流担当などの補職を務め、2019年、2等陸佐で定年退官。その後、青山学院高等部特任教諭、豊島岡女子高等学校講師として勤務したのち、2021年4月より慶應義塾高校英語科教諭として勤務。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「<strong>任務と子育ての狭間で　－33年の自衛隊勤務を終えてー</strong>」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>ワークライフバランスの実現に向けて、昨今、働き方改革の取り組みもようやく少しずつ効果を上げてきたようです。また子育てと仕事の両立に関しても、私がワーキングマザー時代のころと比べると、周囲の理解や社会の声が大きくなったこともあり、育休制度の充実や、時短制度の導入など、支援制度が着々と整備されてきました。これはとても大きな前進ですが、なお、子育てと仕事の両立は困難で、これはワーキングマザーだけでなく、今やワーキングファーザーにとっても大きな課題では、と感じています。私が社会人として、女性幹部自衛官として働き始めたのは1986年、まさに男女雇用機会均等法が施行された年でした。均等法という掛け声は出たものの、制度もほとんど整備されておらず、子育てと任務の両立に大変な思いをしました。また、女性自衛官という特殊性から、言葉にできない厳しい局面に立たされたこともありました。現在、女性自衛官の全体に占める割合は7.5％くらいまで上がっており、子育てと任務の両立制度も充実してきておりますが、三十数年前はその割合はわずか2パーセント程度、（女性幹部自衛官に至っては、そのなかの1割にも満たなかったと記憶しています）、子供が生まれたらほとんどの女性が離職していきました。子育てと任務を両立したケースは皆無に近く、その上、シングルマザーという両立はほとんど不可能に思われる状況において、私がいかに定年退官まで勤め任務を果たすことができたのか、英語でいうところのskeleton in the closetのお話しばかりで恐縮ですが、自衛隊で働くという任務の特質の一端を理解していただき、また、子育てと仕事の両立に悩む後輩の皆さんのためにも少しでも役に立てることができればこれ以上の喜びはありません。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>
<div style="width: 500PX; padding: 20px; border: solid 1px #000;">紹介者は同期の鶴島明子さん（現姓：目連さん）。三角さん(ニックネームは”ムク”)は若い頃から『自分がどう生きるかは自分で考えて行動する』自立した女性でした。日米学生会議のメンバーに選ばれて活動されていた頃は、米国側の学生から「日本人は何かと群れたがるが、SATOKOは群れない」と驚かれたそうです。私は、彼女は英語教師を目指していると思っていましたので、入隊したと聞かされた時は驚きましたが、自衛隊の英語教育の充実や日米同盟強化の志を持って入庁したことを知り納得しました。現代では当たり前のような育児の支援制度も全く整備されていない境遇で、同期の女性幹部自衛官が次々と離職していく中、子育てをしながら定年まで勤め上げたのはたった一人、彼女だけだったそうです。</div>
<div style="padding-left: 2.5em; text-indent: -2.5em; margin-bottom: 10px;">
<h5>注釈）日米学生会議とは、1934年より続く国際学生交流団体である。日米両国から学生が集まり、夏の一か月間の共同生活を通して様々な世界的問題に関する議論を英語で行う。</h5>
</div>
<h2>１．自衛隊における女性自衛官について</h2>
<h3>1-1.入隊までの経緯</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・私は英語が好きで、将来は英語を活かした職業に就きたいと強く思っていた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・大学生の頃、日米学生会議のメンバーとしてアメリカの大学生と交流した。その時、アメリカ側の大学生は全員が強い愛国心を持ち、国防の問題について例外なく真剣に考えていることに驚かされた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・「独立あっての平和、平和あっての自由、平和も自由も戦って勝ち取る」という彼らのマインドセット(思考様式)は、愛国心そのものがタブー視されていた時代の日本で育った私にとって、目から鱗が落ちるような強い衝撃だった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・大学4年生の夏、ゼミの先生に、「自衛隊は英語のできる人が少ないし、普通の学校とは違う場所で英語を教えるのも面白いかもしれない」と、自衛隊への進路を勧められた。その時たまたま自衛官の募集も来ていたので、自衛隊の募集事務所へ行ってみた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・募集事務所の広報官から「英語が堪能で教員免許を持っている人は自衛隊には滅多におりません！入隊して頂いたら、英語を教えるのはもちろん、日米共同の場で大活躍して頂けます、訓練もほんの最初だけですから・・・」と耳あたりの良い言葉を並べたてられ、入隊することにした。しかし、そもそも自衛隊や防衛省の実態を知っている人は、家族をはじめ私の周りには誰もおらず、知らぬが仏の状態であった。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>1-2.陸上自衛隊（陸自）幹部候補生学校(久留米市)</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・最初は久留米市の幹部候補生学校で一年間訓練を受けた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・メインは毎日の体育（何キロもの駆け足、腕立て伏せ、剣道、山登り走りなど）とほぼ毎日の戦闘戦技訓練（射撃訓練、戦闘訓練、野営訓練、武装障害走、行軍など）。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・前年までは女性幹部の実技訓練は半年間と決められていてカリキュラムも男女別に用意されていたが、私が入隊した年は男女雇用機会均等法が施行された最初の年で、訓練は一年間に延長され男女同じカリキュラムが課せられた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・私はESS部出身で、走るのも遅く体力もなく、まさに地獄の日々だったが、この訓練さえ乗り越えれば、自衛官に英語を教え、日米関係強化に役立てると思い、卒業まで頑張った。実際には卒業後は女性幹部初の航空管制官への補職を命じられた。（補職とは官公吏に具体的な職務の担当を命じること。また、その職務）</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>1-3.女性自衛官の歴史について</h3>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em;">1954年　自衛隊（名称：保安隊）創設の年に看護職として婦人自衛官を採用。男性と同額の報酬、安定した職場ということで、当時60名の採用枠に対し1000名以上が殺到した。看護職は現代でも毎年70名の採用枠に対し2000名以上の応募がある超人気職である。</div>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em;">1967年　陸自で後方支援職種（通信・会計・補給など）を中心に一般職域で婦人自衛官の採用を開始。</div>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em;">1974年　海自(海上自衛隊)・空自(航空自衛隊)も陸自と同様に婦人自衛官の採用を開始した。</div>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em;">1986年　男女雇用機会均等法に基づいて、男女の区別なく同一の訓練が開始される。女性の活用も広まり始めた。</div>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em;">1993年　婦人自衛官の配置制限の撤廃開始。それまで女性に制限されていた全ての分野（戦闘職域を含む）を女性に開放した。</div>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em;">2002年　婦人自衛官の呼称が女性自衛官と改められた。女性自衛官初のPKO派遣（東ティモール）が行われた。</div>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em;">2015年　空自で戦闘機パイロットを含む全配置が女性自衛官に開放された。</div>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em;">2016年　海自でミサイル艇や護衛艦への配置を開放。2年後には潜水艦への配置を開放した。</div>
<div style="padding-left: 4.5em; text-indent: -4.5em; margin-bottom: 10px;">2017年　陸自の配置制限部隊（普通科中隊、戦車中隊など）の開放。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・これらの改革で2018年には女性初の戦闘機パイロット、2019年には女性初のイージス艦艦長、2020年には女性初の空挺隊員(パラシュート部隊)や女性初の潜水艦乗組員がそれぞれ誕生した。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・女性隊員に、第一線の戦闘職種等の機会が与えられたのは大変な進歩で、素晴らしいことだと思う。それに伴って昇任の速度も男性に引けを取らない女性自衛官も出てきて、それはとても良いことだ。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・ただ、多くの女性自衛官は、後方支援部隊等で地味で目立たない任務を黙々とこなしている。彼女たちも第一線部隊の任務と変わりなく、国防のために尽くしていることを知っておいてもらいたい。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>1-4.女性自衛官の割合の変遷について</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・1954年創設当時の看護官60名に始まり、ほぼ右肩上がりに増え続けて、2021年3月現在で約1.8万人の女性自衛官が働いている。これは全自衛官現員のほぼ7.5%に相当する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・安定した職業ということもあり、実は女性自衛官は人気が高く採用倍率も非常に高い。高い競争率で選抜された女性自衛官は超名門校出身者も多く、私が教官として指導した立場から評価しても、本当に優秀な女性が多かった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・女性自衛官が増えてきたのは、女性を積極的に活用する近年の風潮もあるが、実際は、少子化問題で男性自衛官の数が減少することから、女性自衛官を増やさざるを得ない事情もある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・防衛省は女性自衛官の割合を2027年までに9％、2030年までに12％まで増やすことを目標としている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・防衛省の女性事務官（および女性技官など）の割合は現在の所、全事務官の25％を占めるが、2025年までには30％まで増やすことを目標としている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・参考までに、外国軍における女性兵士の割合は、米軍でほぼ20％（海兵隊の8％を除く）、フランス軍で15％、ドイツ軍で12％、イスラエル軍で34％（イスラエルは女性にも徴兵制がある）、イギリス軍で10%、カナダ軍で15％なので、日本の女性自衛官も10％ぐらいまで上がれば諸国並みと言えるだろう。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>1-5.陸上自衛隊の職種について</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">①普通科：いわゆる歩兵部隊、近接戦闘を行う。一番人数が多い。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">②機甲科：戦車部隊。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">③野戦特科：いわゆる砲兵部隊。火力戦闘を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">④高射特科：対空部隊。敵の航空攻撃に対して地対空射撃を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑤航空科：ヘリコプターで偵察・輸送・連絡を行う。航空管制と気象も担当する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑥情報科：情報を収集し、情報の処理・分析を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑦施設科：いわゆる工兵部隊。道路や橋の建設を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑧通信科：通信機材を使って指揮連絡のための通信を確保する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑨武器科：大型武器の整備、弾薬の管理を行う。不発弾処理も行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑩需品科：食料の補給など。災害派遣先で炊き出しや入浴の支援を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑪輸送科：部隊や火器の輸送を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑫化学科：核物質、生物化学兵器に対応する。除染作業も行う。(地下鉄サリン事件、福島の原発事故)</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑬警務科：国家的に重要な人物の警護を行う。隊員の犯罪を取り締まる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑭会計科：会計業務を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑮衛生科：患者治療、医療施設への後送を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">⑯音楽科：国家的な行事や演奏会やイベントで音楽隊として演奏を行う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・通信科・需品科・会計科・衛生科・音楽科は伝統的に女性が多い。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・各職種を専門的に勉強する職種学校が各駐屯地にある。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>1-6.自衛隊の階級について</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・一般隊員（曹士）は２士で入隊して1曹や曹長で定年を迎える場合が多い。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・幹部は、尉官以上の階級に位置づけられる。曹長として幹部候補生学校に入学し、卒業すると３尉に任官する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・尉官（３尉→１尉）の次は佐官（３佐→１佐）・将官（将補→将）と昇任する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・私が現役の頃は佐官以上の女性自衛官は本当に数が少なかったが、現在では当時に比べれば劇的に増えている。2020年3月の時点で女性幹部自衛官は陸海空で2427名（自衛官定員のうちの約1%、その内の半数は看護官）。2021年8月現在、陸自では女性の最高位は１佐で数名程度、海空では女性の最高位は将補がそれぞれ2名ずつ誕生している。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>２．任務と子育ての両立について</h2>
<h3>2-1.任務と子育ての狭間で</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・幹部自衛官として定年まで勤め上げた33年間の中で、下の息子が高校を卒業するまでの二十数年は、任務と子育ての板挟み状態で、辛いことや大変なことが沢山あった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・私が二人の息子を出産した頃は「男は仕事、女は家庭、子育ては女の仕事、出産したら女が仕事を辞めて子育てするのは当たり前」とされていて、出産後も子育てをしながら働き続ける女性は自衛隊の中では少数だった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・均等法の施行で、防衛省内でも女性活用の掛け声は高かったが、子育てを支援する制度が追いついておらず、出産後の女性が働き続けるのは難しい状況だった。現在では当たり前となっている育児休暇や病児保育のサービスもなく、男(父親)の産休や育児休暇の制度も無かった。2007年ようやく防衛省初の省内託児施設が設立された。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・一般の認可保育園もまだ少なく、入園するのさえ大変だった。せっかく入園しても、当時は延長保育の制度もなく、最長で18時頃までしか預かってもらえなかったので、毎日がお迎えぎりぎりの綱渡り状態だった。送り迎えの為に高額なベビーシッターを雇うこともあった。「保育園に預けるなんて子供がかわいそう」と言われたこともしょっちゅうだった。息子が熱を出した時、預け先がどうしても見つからず、やむを得ず女子更衣室に息子を寝かせて働いていたこともある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・自衛官というのは24時間アラート（警戒態勢）の仕事である。当直勤務・演習に加え、災害派遣はもちろん、安全保障上脅威とされる事案が起きた時、それが夜中であっても非常呼集がかかる。そんな時、預け先がなく、途方にくれ、職場に連れて行ったこともあった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・女性幹部自衛官初の航空管制官、女性幹部自衛官初の幹部学校の教官など、地味な職務だったが、私の職務は女性初という補職が多かった。それで、もし私が失敗したら後続の女性幹部自衛官の道が断たれてしまうという責任を感じ、先駆者としての使命感をもって働いていた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・私は勤務時間内で職務をこなすため、昼休みも取らず働いていたことも多かったが、当時の省内は長時間労働（残業）が当たり前とされていた。子どもの迎えで残業が難しい私には、毎日が針の筵だった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・子持ちの女性幹部ということで悪口や嫌がらせもあったが、任務と子育てに追われ、気にする暇も無いほど忙しかった。それでも職場に何かしらの迷惑を掛け、子供たちにも寂しい思いをさせているのは事実だったので、どんなに努力しても任務も子育ても中途半端に思えて、自分を責めてしまい強いストレスを感じていた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・私は、子育てしながら幹部自衛官として働く大変さを職場の全員に理解してもらうのは不可能だと、まず自分に言い聞かせた。男性はもちろん同じ女性でも立場が違えば味方になってくれるとは限らない。そして、客観的に考えてもワーキングマザーを歓迎する上司や同僚・部下は多くはないという事実に向き合った。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・そんな中でもほんの少数だが、私の大変さを理解して味方になってくれる人たちがいた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・「君ね、お国の為に男の子を二人も産んでね、女だてらに国防のために働いて、自分で年金も払って高い税金も納めて、戦前だったら国家表彰モノだよ」「仕事50点、子育て50点、あわせて100点だ。自信を持ちなさい。」と言ってくれた上司もいた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・私は、その人たちに感謝をするだけではなく「その人たちの為に自分に出来ることは何か？そして一番大切なことは何か？」をよく考えた。その結果、私は私の味方になってくれる人たちの期待を裏切らない仕事をしようと決心し、勤務時間が短くても仕事の成果を上げるように、見えない努力、工夫をするようになった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・そのうち職場の上司が、私の仕事成果（受け持ったクラスの高い伸び率や高い合格率など）を職場で積極的に評価してくれたことで、私の能力（教育者としての資質）がだんだん周りに認められるようになり、職場が随分と働きやすい雰囲気に変わっていった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・自衛隊の外にも強い味方が居てくれた。私は仕事をしながらでも、子供のPTA活動や子供の為の地域活動にも参加するようにした。そこで知り合った専業主婦の友人たちが私の大変さを理解してくれて、困ったときには本当に助けてもらっていた。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>2-2.後輩のワーキングマザー（ファーザー）に伝えたいこと</h3>
<p>子育てをしながら周囲と円滑に仕事を進めたいなら、育児休暇や育児制度を利用する権利を当然のように主張してはいけない。女性が子育てをしながら働くということは職場の全員には理解してもらえないこと、誰かにしわ寄せの分の負荷がかかっていることを肝に銘じ、周囲への感謝と謙虚さを決して忘れてはいけない。そして人から何と言われようと負の感情を持つのではなく、味方になってくれる人たちに応えるためにも、自分に恥じない、自分自身に誇れる仕事をすることが大切である。人知れず秘かに誇りを持ちながらも謙虚に！</p>
<h3>2-3.任務と子育てを両立するための提言</h3>
<h4>①育児制度の整備</h4>
<p>防衛省内にも託児施設があちこちで設立され、育児制度も充実してきた。防衛省では性別に関係なく育児制度の利用を推進している。子供の面倒を見てくれる自分の親や義理の親が近くにいなくても困らない保育制度や、急な出動の時に使えるファミリーサポートシステム（米軍の子育て支援制度）などの構築が望ましい。</p>
<h4>②制度を活用しやすい職場の雰囲気</h4>
<p>実は子育てには制度の整備だけでは不十分で、誰もが気兼ねなく制度を利用できるような職場の雰囲気が欠かせない。それには風通しの良い職場への意識改革がとても重要だと思う。マインドセットの切り替えのためにはこれからも多大な努力が必要とされるだろう。</p>
<h4>③専業主婦の活用</h4>
<p>表面には出にくいが、社会に寄与する専業主婦の社会還元度はとても大きいと思う。子育て共生社会における主婦の人たちの活躍の場を官民で模索していくべきだと感じる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>3.おわりに</h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・ジョン・F・ケネディ大統領の有名な演説「国が諸君に何をしてくれるか問うな。諸君が国に対して何が出来るかを問え」私はこの考え方がとても大切だと思う。ここで述べられている”国”とは、人によれば故郷や会社や家族に置き換えた方が分かりやすいかもしれないが、この精神を持つことが重要だと思う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・私が逆境を乗り越えられたのは、少数だが私の仕事への取組みを評価してくれた上司と巡り会えた幸運と、私たち親子を助け、味方になってくれる人々が周りにいてくれたおかげだった。彼らの厚意に応えるためにも、どんなに辛い状況に置かれても逃げずに自分に課せられた任務をきちんと果たそう、と考えられた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・最初は大した志もなく自衛隊に入隊したが、私の中では「愛国心」という気持ちは年を取るにつれて大きくなっていった。これは私にとっては嬉しい変化だった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・日本という国を愛して、次の世代の為にも、自分が社会の歯車として何ができるのかをいつも考えていた。それが例え小さな歯車でも、誰にも理解されなくても、自分の役割を果たし続けようというブレない思いが、定年までの33年間、ずっと私を支えてくれたのだと思う。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em; margin-bottom: 10px;">・同期の男性がインサイドトラック（昇進の速いキャリアトラック）を走る姿を横目で見ながら、私はずっとマミートラックを走り続けた。（昇進の遅いママさんキャリアトラック）それでも国防の任務を定年まで続けられたことには感謝している。育児制度が更に充実し、ワークライフバランスへと職場の意識改革が進めば、インサイドトラックを走るワーキングマザーもどんどん増えるだろう。自らの経験を通じて得たものを多くのワーキングマザー・ファーザーの後輩に伝え、力になりたいと思う。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2>4.質疑応答</h2>
<h4><strong>春井愛子(87期)：これまでお二人の息子さんたちとはどう接して来られましたか？</strong></h4>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）泊りや出張も多い仕事でしたから、子供たちが小さい頃は、どうして他のお母さんと違うのか、なぜいつも人に預けられるのか理解してもらうのが本当に大変でした。息子たちは自衛官の仕事を嫌っていましたし、思春期には不登校になったこともありました。シングルマザーということもあり、家庭のことは何もかも全て私が背負わなくてはならず、疲れ果てたこともありましたが、私が国防の仕事を最後までやりきることが、結局は息子たちの将来を守ることになる、という思いが支えとなり、仕事を続けられました。彼らが私の仕事を本当に理解してくれたのは、ほんの最近のことです。</div>
<h4><strong>浅見晃子(114期)：今の高校生をどのように思われますか？</strong></h4>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）国防とか安全保障の問題に関心を持つ高校生はとても少ないです。私は今の風潮が”個”とか”個人の自由”を大切にしすぎている感じがします。個人の夢の実現、それは素晴らしいことですが、個（個人）だけでなく公(社会や国家)の大切さを教育する必要性を感じます。「独立あっての平和、平和あっての自由～」つまり社会が平和でなくては個人の自由など成立しないからです。</div>
<h4><strong>三嶋隆子(94期)：現在の働くお母さんにも通じますが、自己実現のために、子供を預けてまで仕事を続ける後ろめたさをどうすればよいのでしょう？</strong></h4>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）その思いはとても良く分かりますが、私にも明確な答えは分かりません。たとえ国の為に働いていたとしても、小さい頃から子供たちに寂しい思いをさせてきたのは事実です。しかし長い目で見れば子供たちの為になる仕事をしてきましたし、大人になった息子たちが、私が仕事を途中で辞めなかったことを誇りに思ってくれていることが何より嬉しいです。</div>
<h4><strong>平田倫子(96期)：男女雇用機会均等法が施行後、男性と同じ内容の訓練もされたということですが、男女の特性というものは考慮されなかったのでしょうか？また人事に関しての不当な扱いなどありましたか？</strong></h4>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）男女同じ訓練と言いましても、身体能力の特性は考慮されています。例えば、腕立て伏せを行う場合、男性なら50回のところ女性なら30回できれば合格とされます。むしろ均等法が施行されて、体力的な負荷より精神的な負荷の方が本当に辛かったです。女性隊員に対しては、「女のくせに」「女だてらに」「女なんか」など、今ではとても考えられないような女性蔑視発言や嫌がらせが当たり前でした。実際、多くの女性隊員が途中で辞めていきました。それでも私はシングルマザーで家計の担い手でしたから息子たちを育て上げる責任がありましたし、何よりも味方になってくれる人たちの為にも、そして女性の後輩たちの為にも、絶対に途中で仕事を辞めないという強い思いがありました。人事に関しては大きな組織ですから不当な評価があったとしても、客観的な評価の枠組みはあったと思います。</div>
<h4><strong>伊藤朋(94期)：高校生に英語を教える喜びと、退官されてからのご自身の楽しみについて教えてください。</strong></h4>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">回答）退官してからも次世代への教育を担えることは幸運なことだと思います。私は英語の授業の合間に自衛隊での体験を話すことがあります。普通の高校生活では聞けないような話ですから、生徒たちは興味を持って聞いてくれます。「ノブリス・オブリージュ（高貴なる者の使命）」の精神や、日本にも国防の仕事に就いて見えない所で国の為に懸命に働いている人たちがいることを、彼らに伝える機会が持てるのは、私にとって大きな喜びです。退官して嬉しいのは、24時間アラートから解放されて緊急の呼び出しが一切無くなったことです。息子たちも無事に成人しましたので、これからは自分と飼い犬との時間を大切にしたいですし、今まで制約があってできなかったことをいろいろ体験してみたいです。</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em; margin-bottom: 15px;">【Ⅶ章記録：野田美佳（94期）】</div>
</td>
</tr>
<p><!-- ナチュラルに失礼 --></p>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/09/210821_第224回任務と子育ての狭間で_添付資料.pdf" target="_blank">210821_第224回任務と子育ての狭間で_添付資料.pdf</a>(1.2MB)</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?feed=rss2&#038;p=5557</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【223回】7月「三浦按針の謎と影響」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5546</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5546#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 21 May 2021 02:25:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5546</guid>
		<description><![CDATA[藤田浩一さん＠77期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年7月17日（土）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>61名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>藤田浩一さん＠77期（物流コンサルタント）<br />
<address style="padding-left: 30px;">—-所属—-<br />
按針インターネット（共同代表）<br />
物流研究評議会<br />
伊東按針会<br />
伊東海外交流協会<br />
日本海洋塾—-学歴—-<br />
大阪府立北野高校７７期<br />
東京商船大学（現東京海洋大学）—-職歴—-<br />
1971～1974　大阪商船三井船舶<br />
1974～2005　ユーロブリッジリミテッド（スカンダッチ、ドッドウェル、インチケープ）<br />
2005～2017　オムロン　(物流アドバイザー)—-活動—-<br />
2018. 5　物流研究評議会に参画<br />
2018. 6　東京海洋大学「三浦按針パネル展・講演会」<br />
2018. 8　静岡県伊東市「三浦按針パネル展・講演会」<br />
2019. 6　東京海洋大学「帆船の思い出」（パネル展示とパネルディスカッション）<br />
2019.12　按針インターネット立ち上げ　/　神戸市への提言「港湾事業の活性化」<br />
2020 ~　按針インターネット講演会開始　/　東京海洋大学明治丸記念館展示に関し提案<br />
2021.4　「按針航海」静岡県沼津市～長崎県平戸市<br />
2021. 5　講演「三浦按針-航海・造船の謎」湘南サロン—-目的—-<br />
ウィリアム・アダムス＝三浦按針の研究と発表および按針の航跡顕彰と広報<br />
若い世代へ。海の仕事の啓蒙、海事思想の普及</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「<strong>三浦按針の謎と影響</strong>」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>商船大卒業後、航海士として外国航路に乗船。その後、船舶代理店に転職して、物流業務に携わった。そして、59歳からメーカーの物流コンサルタントとして7１歳まで勤務する。退職前から訪れていた静岡県伊東市では、毎年８月に「伊東按針祭」が開催されている。その「海の花火」は伊東市最大の観光イベントだが、按針の名は知られておらず、伊東市民でさえ、大花火大会としか思っていないのが現実である。按針は、日本初の西洋式帆船を建造した。その建造地が伊東市であるが、どこで、どのように造られたかは明確ではない。海事関係者から見て多くの疑問がある。按針に関する著書は多くあるが、海事関係者の視点からの研究がなされてないことに気づき、きちんと検証してみようとの思いに至った。建造の謎解きにのめり込むとともに、按針が生きた激動の大航海時代は、知れば知るほど面白い。彼は、チャレンジ精神にあふれ、勇敢で、知識と能力に長け、統率力や人望もあり、稀有な生涯が小説や映画になるのも納得できる。三浦按針は、航海士としての優秀さだけでなく、徳川家康に軍事顧問として重用される人間性も魅力的である。按針が漂着したのは、関ケ原の戦い直前で、東軍勝利に影響したであろうことは、あまり知られていないが、興味深い。按針を知るにつけ、もっと評価されるべきと感じ、母校の学園祭での出展や、伊東市での「パネル展・講演会」の開催など様々な広報活動も始めた。</p>
<p>そんな折りに、按針研究者と知己を得て、按針研究の研究発表、意見交換、広報活動を行うグループ「按針インターネット」を立ち上げた。年に４回のペースで講演会を開催していたが、コロナ禍のため、今はリモート講演会となっている。</p>
<p>按針を、より深く知るために、生誕地・ロンドン郊外のジリンガム、船大工修行をしたライムハウス、リーフデ号が出航したロッテルダムを訪れ、足跡に触れた。意外なことに按針は、母国イギリスや、船籍があったオランダでも注目度は低く、ほとんど評価されていないのは残念である。</p>
<p>昨年は、按針没後400年記念事業が、ことごとく中止になった。自粛で疲弊する世の中が明るくなるようにとの願いをこめて、3月～4月に帆船ＡＭＩによる「按針航海」を企画し、「按針ネットワーク」から、按針の墓地のある平戸市の按針をあいする市民グループへの親書を託した。</p>
<p>按針を深く知るにつれ、海事関係だけでなく、現代社会や、若者の生き方にも有効なヒントがあるように思える。按針を通じて、海や船に関する仕事に関心を持ち、生き方や、物事への取り組み方を振り返るきっかけにしていただければ、幸いである。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>この講演概要は、藤田浩一さんが講演会で話された中で注目すべき点に絞って記録した。詳細については、VIII.資料 の講演に使ったPPTのPDFを参照されたい。</p>
<ol start="1">
<li>藤田さんが三浦按針に関心を持つ理由は、「按針を通して海事思想の普及に努め、激変する日本海運界の今後の発展の参考にする」と言う元航海士としての思いがある。その日本海運界の現状は、領海+FTZの面積で世界６位の立場にありながら、海運自給率が5%という低さで、食料自給率の38%に遙かに及ばない。日本船籍の船も全体の10.5%という低さにある。</li>
<li>船の形式は、技術の進歩によって変遷しており、ますます専用船化しており、昔のGeneral Cargosを運ぶ混載船は現在日本では一隻もない。そして、タンカー、コンテナ船、自動車専用船（PCC）というように、専用船に置替わっている。近い将来、自動運行船に移行していくであろう。航海術も然りで、羅針盤を使った天測航法からGPSを使った衛星測位システムに変わっている。</li>
<li>物流の王者アマゾンの出現で、陸海空輸送体制の一元化が物流業界の壁を越えて図られており、長く使われてきた船荷証券が、ブロックチェーン(共通帳簿)システムに置き換わりつつある。これらを推進するアマゾンがヘビー級のボクサーに例えるなら、マースク等の海上輸送業界、IBM、MSなどはフライ級ボクサーでしかなく、束になって掛かっても到底敵わない存在となっており、今後はアマゾンの思惑通りに進むであろう。<br />
<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/07/image1.png"><img class="size-medium wp-image-5576" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/07/image1-300x142.png" alt="image1" width="300" height="142" /></a></li>
<li>さて、三浦按針であるが、伊東市で「按針祭」が開催されるものの、伊東市民でさえ花火大会のようしか受け取られておらず、正確に按針のことは理解されていない。このため、按針の足跡を正確に伝えるため、関係の深い横須賀、臼杵、平戸の４市が連携を図る、パネル展や講演会を開催する、そして海王祭を立ち上げて按針の紹介を行ってきた。2021年春には帆船AMIで「按針航海」と称して、沼津－平戸を航行した。</li>
<li>按針に関する6つのテーマ<br />
<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/07/image2.png"><img class="size-medium wp-image-5577" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/07/image2-300x82.png" alt="image2" width="300" height="82" /></a></li>
<li>16世紀後半の世界を見ると、スペイン、ポルトガルと言った旧覇権国から新興国のイギリス、オランダの台頭がある。また、ローマカソリックとプロテスタントの争いという一面もあった。これはスペインの無敵艦隊をイギリス海軍がアルマダの海戦で撃破して、以後イギリス、オランダが大航海時代において優位に立つ。按針はイギリスのドレイク将軍麾下のロジスチック船の船長として参戦、広い世界観を持っていた。</li>
<li>この頃、スペインによって西回りアジアルートも開発されており、スペイン－メキシコ東海岸ヘラクルス－メキシコ陸路－西岸アカプルコから太平洋へ、赤道沿いに西へ－フィリピン、マニラ－黒潮に乗って太平洋を北上－アメリカ大陸沿いにカリフォルニア海流で南下－メキシコ、アカプルコに戻ってくるというル―トである。これは日本で銀が多く産出され、それの輸送に使われたことから、シルバーロードとも呼ばれた。そしてこの航路を通して、種子島の火縄銃、多くの宣教師がやってきた。</li>
<li>按針はリーフデ号の船長として、他の４隻と共に全部で５隻、乗組員491人の大船団を組んで、1598年6月24日にオランダのロッテルダムを出港した。アフリカ西岸沿いに南下して、マゼラン海峡を越えそしてハワイ経由で太平洋を渡って、1600年4月29日に豊後臼杵の黒島に漂着した。アジアに辿り着いたのはリーフデ号一隻のみで、その乗組員110名の内うち生存者18名、歩行できるのは5，6名という過酷な航海であった。</li>
<li>リーフデ号の漂着は、1600年と関ケ原の合戦の6ヶ月前という日本の激動期であった。按針の漂着は、豊臣秀吉に報告されたが秀吉は関心を示さず、徳川家康が筆頭家老として大阪城で尋問した。歳は家康が21歳上で、按針とはちょうど父と息子の立場にあり、布教という下心がある宣教師とは違い公正で明確な世界観を持ち、礼儀正しく、家康は按針の人柄にも惚れ、当時の世界情勢を知る上で貴重な人物として彼を重用した。</li>
<li>リーフデ号は商船ながらも、当時のスペインの軍艦や海賊に対抗するため、19門の新式ガリバル砲を備えていた。これは異論もあるが、関ヶ原の戦いで家康が小早川秀秋に放った「問い鉄砲」そして「冬の陣」で大阪城の天守閣に向けて大砲を放ち、淀君を震撼させて外堀を埋めさせたと言われるが、これはリーフデ号の大砲ではないかという説がある。とすれば、按針は、日本の歴史の変節点で大きな役割を果たしたこととなる。しかし、1616年の家康の死でその加護をなくし、秀忠に徴用されることはなく、不遇な晩年のまま平戸で没した。</li>
<li>さて、按針の指導の下80トンと120トンの2隻の西洋式帆船が建造されたと言われる伊東の砂ドックであるが、これは三浦浄心が書いた「慶長見聞録」の記述に由来する。按針が若いころ船大工の修業したイギリス、テムズ川のLimehouseドックと類似性はあるものの、干満を考慮した吃水の深さ、砂の土質的安定や透水性を考えると果たして伊東の砂ドックは実在したか疑問がある。しかし、伊東周辺の伊豆地方は、有能な船大工が多数いたこと、船の材料の木材が豊富にあったこと、江戸城建設の時に使った小松石を積み出す施設があったこと等から按針の日本で最初の西洋船建造を支える土壌があったことは明確である。</li>
<li>どの様な船が建造されたかは、ゴールデン・ハイド号という当時建造された船が、復元されてロンドン・ブリッジのそばに展示されている。また、その8分の1の模型が伊東市役所のホールに展示されている。当時、イギリスのキール型、そしてオランダのフレーム型の2種類の造船技術があったが、按針はイギリス人、彼の片腕として働いた船大工のヨーステンはオランダ人ということで、どちらの型式が採用されたか、今では資料が残っていないので判定できない。</li>
<li>しかしながら、歴史は進んで上で述べた小松石を使った東京湾お台場の砲台などは、幕末のペリー艦隊の出現に対して東京湾への侵入を阻止し、横浜のドライドックの建設にも寄与した。このように、伊豆で培われた造船や巨石の切り出し、運搬で培われた土木技術は、明治維新以後の西洋に追いつけ追い越せの時代、日本の造船技術の発展において大きな下支えとなり、世界に誇る軍艦、そして大型タンカー等を建造してきたこととなる。</li>
<li>この様に三浦按針が日本に残した足跡は大きく、港の水先案内船はPilot と呼ばれているが、これには「按針」という名前が多く使われるほどであり、按針は今でも日本で生きている。講演の終わりに、藤田氏は、日本の若者に向けて次のメッセージを送られた。<br />
<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/07/image3.png"><img class="size-medium wp-image-5578" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/07/image3-300x128.png" alt="image3" width="300" height="128" /></a></li>
</ol>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>Q&amp;A</strong></p>
<p>Q：　家正則さん、80期―北前船と西洋帆船の関係に関心があったのですが、お話を伺うと、按針が伝えた西洋造船技術は、日本では伝承されなかったのですね。それはなぜでしょう。</p>
<p>A: 西洋帆船は吃水が深く浅い日本の海には不向きでした。一方、日本の側でも当時九州に来航した中国のジャック船の技術を取り入れて、和船で大型帆船を建造していました。ジャンク船は竜骨を用いており、これを取り入れて大型化した和船の建造が可能となりました。このように、按針自身も日本の造船技術の高さを認めており、最初の2隻の帆船建造以降、按針は船の建造には携わらなくなり、平戸でのオランダやイギリスの商館開設といった事業の方に精力を傾けましたようです。</p>
<p>Q:　金沢幸彦さん、89期－伊東でホテル業に携わるものですが、三浦按針を知るにはどこを訪ねたら良いでしょうか。</p>
<p>A: 先ず、東海館（藤田さん、これでよろしいですか。よく聞き取れなかった）があります。その中に三浦按針の部屋があり、藤田さんの資料も展示されているし、QRコードから資料の入手が可能です。次に市役所のホール。当時の船の模型が展示してあります。、幸いである。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/07/21年7月講演資料-元船乗りから見た按針.pdf" target="_blank">21年7月講演資料-元船乗りから見た按針.pdf</a>（10MB）</td>
</tr>
</tbody>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【222回】6月「ウナギの完全養殖の実用化を目指して」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5500</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5500#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 31 Mar 2021 06:19:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[田中秀樹さん＠88期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年6月26日（土）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>65名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>田中秀樹さん＠88期（近畿大学水産研究所教授（魚類繁殖生理学））</p>
<address style="padding-left: 30px;">1957年　大阪府生まれ<br />
1982年　京都大学大学院農学研究科水産学専攻　修士課程修了<br />
1982年　水産庁養殖研究所 研究員<br />
1996年　博士（農学）<br />
2004年　日経BP技術賞 医療・バイオ部門賞、2011年 水産学会賞、2012年 日本農学賞 受賞<br />
2018年　国立研究開発法人水産研究・教育機構 増養殖研究所を定年退職後、同年4月より現職<br />
著書：<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%81%86%E3%81%AA%E3%81%8E%E3%83%BB%E8%AC%8E%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9-%E6%B0%B4%E7%94%A3%E7%B7%8F%E5%90%88%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E5%A4%AA%E7%94%B0-%E5%8D%9A%E5%B7%B3/dp/4806714410/ref=sr_1_22?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&amp;dchild=1&amp;keywords=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%A7%80%E6%A8%B9&amp;qid=1617171301&amp;sr=8-22" target="_blank">うなぎ[謎の生物]</a>（築地書館　2012）分担執筆、<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E2%80%9C%E6%B0%B4%E7%94%A3%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E2%80%9D-%E5%A1%9A%E6%9C%AC-%E5%8B%9D%E5%B7%B3/dp/4254485026/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&amp;dchild=1&amp;keywords=%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6&amp;qid=1617171391&amp;sr=8-1" target="_blank">ウナギの科学</a>（朝倉書店 2019）分担執筆、<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E9%A4%8A%E6%AE%96%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%A2%E3%83%8E%E7%9F%A5%E3%82%8A%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E8%BF%91%E7%95%BF%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%B0%B4%E7%94%A3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80/dp/4526079448/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&amp;dchild=1&amp;keywords=%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E9%A4%8A%E6%AE%96%E3%81%AE%E6%9C%AC&amp;qid=1617171501&amp;sr=8-1" target="_blank">トコトンやさしい養殖の本</a>（日刊工業新聞社 2019）分担執筆</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「ウナギの完全養殖の実用化を目指して」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>ウナギは日本の食文化に欠くことのできない食材ですが、国内消費量の99％以上を養殖に依存しています。ウナギは川や湖など淡水で育つ魚ですが、産卵は日本列島から遠く離れたマリアナ諸島西方海域で行われます。孵化した仔魚はレプトセファルスと呼ばれる透明な柳の葉のような形態の幼生となって北赤道海流に運ばれて黒潮源流にたどり着き、約半年かけてシラスウナギと呼ばれる稚魚となり、日本列島など東アジアの生息場所に来遊するのです。ウナギ養殖の元種となる種苗はすべて河口付近で採集された天然のシラスウナギが用いられており、現在のウナギ養殖は「完全養殖」ではありません。近年、漁獲されるシラスウナギの量が著しく減っているためウナギ養殖に必要な種苗の確保が課題となっており、一日も早い「完全養殖」の実用化が望まれています。ウナギの完全養殖を目指す研究は古くから行われ、北海道大学で1973年に人工孵化に成功しました。ところが、孵化した仔魚は、それまでに種苗生産に成功していたマダイやヒラメなどと同様の方法では全く育てることができず、20年以上、大きな進展は見られませんでした。その間、地道な研究を続けていた国の水産研究所において、1996年にサメの卵を材料とした液状の飼料でウナギの仔魚を成長させうることが発見され、2002年に初めてシラスウナギまで育てることに成功しました。その後、2010年には人工飼育した親から生まれた卵をシラスウナギに育てる、いわゆる「完全養殖」も達成されましたが、実用的なコストでの大量生産ができないため、この技術は現在も実験室レベルに留まっており、実用化されていません。その原因として、ウナギの完全養殖実現のための各ステップに様々な困難が残されていることが挙げられます。</p>
<p>近畿大学水産研究所では、これまでにクロマグロだけでなく多くの海産魚の完全養殖を世界に先駆けて達成し、実用化してきた実績があります。国の研究所で開発されたウナギの種苗生産技術に近畿大学水産研究所の実用化のノウハウを融合させ、ウナギの完全養殖実用化を実現することを目指しています。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>
<h2><strong>1.</strong><strong>近畿大学水産研究所について</strong></h2>
<h3>所在</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・水産研究所の各種施設は、和歌山県にあるが、私は現在、那智勝浦町にある「浦神実験場」に所属している。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・結構辺鄙な所で、ＪＲ利用で、大阪・名古屋から約4時間、東京からは、新幹線利用で約6～7時間、航空機（白浜空港）を利用しても約３時間かかる。</div>
<h3>各実験場・種苗センター・アーマリン近大の関係（以下が相互に関連している）</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・各実験場：「教育・研究」・生産現場の課題の解決・技術開発</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・水産養殖種苗センター：「陸上生産・販売」・飼料培養・仔稚魚飼育・中間育成</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・アーマリン近大：「海上生産・販売」・親魚養成・稚魚/成魚養成・出荷</div>
<h3>世界で初めて人工孵化から種苗生産に成功した魚種</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・近大と言えば、近大マグロの人工養殖で有名であるが、種苗生産成功には、その他にも様々な魚種がある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1965年のヒラメから始まって、1960年代：５種類、1970年代：10種類（内、クロマグロは1979年）、1988年：クエ、1991年：マイワシ、1999年：マサバ</div>
<h3>完全養殖達成魚種</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・完全養殖とは、上記種苗生産の一歩先をゆくもので、その人工的な種苗から人工的に親に育て、その親から卵をとって、次の世代を創るという無限のループを創り出す、つまり天然の資源に影響を与えずに魚を創り続けるもの。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・完全養殖に成功したのは、(1964年の)マダイから始まって2002年クロマグロまで16種類。</div>
<h3>近大(理事長)２０２０メッセージ　＜近大も世界を熱くする。＞</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・近大クロマグロは、50年前から挑戦が始まったが、五輪マークのように並んだ丸い大きな生簀の中で泳ぎ続け大きく成長してゆく。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・目指すは、餌さえも天然の海洋資源に依存しない「完全なる完全養殖」の達成。それは持続可能な社会を実現させる大きな一歩。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・次に、国民の期待を背に、完全養殖ウナギの大量生産へ。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・日本の食卓を支え、さらには世界的な食糧不足を解決する切り札を近大は持っている。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>2.</strong><strong>ウナギの供給量</strong></h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・供給量は、漁業生産量（天然ウナギ）・養殖生産量・輸入量に大別される。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・漁業生産量のピークは1941（S36）年に3,387ｔであるが、その頃は既に養殖生産量の方が上回っていた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1973(S43)年頃から、輸入が開始されるが、養殖生産量のピークは1989(H1)年で39,704ｔ、但し、その頃既に、輸入量（全て養殖ウナギ）が全体の半分以上を占めていた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・輸入に関しては、1980年代は台湾から、90年代からは中国からが中心となっている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・供給量・輸入量のピークは、2000(H12)年で供給量158,094ｔに対して、輸入量が133,211tを占めており、直近の2019(R1)年は、供給量48,547ｔで構成は、輸入量31,410ｔ・養殖生産量17,071ｔ・漁業生産量66ｔとなっている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・そのピークを境に、輸入量が急減しているが、その理由の一つが、中国の食品に対する不信感（薬剤使用等）があげられる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・もう一つの原因が「ウナギ資源」の問題で、先ず、2007(H19)年頃、ワシントン条約で、ヨーロッパウナギが絶滅危惧種に指定されたことがあげられる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・現在は、ニホンウナギも絶滅危惧種に指定され、供給量は減っており、全体で約5万ｔ、輸入が3万ｔ・養殖が約2万ｔ（天然は微々たるもの）という状況が続いている。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>3.</strong><strong>ウナギの養殖</strong></h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・天然のシラスウナギ（5～6cm）を採捕し、ビニールハウスの中の養殖池で育てている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・魚を粉にして澱粉と魚油を加えて練り合わせた「餌」を与えて育て、半年から１年で出荷サイズ（200～250g）になる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・養殖には天然のシラスウナギが不可欠。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>4.</strong><strong>ウナギの一生</strong></h2>
<h3>概要</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・天然のシラスウナギが黒潮に乗って南方から訪れるので、それを取って育てる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・取られなかったシラスウナギは、河川や湖沼で育って、4年から10年たって成魚となって、秋から初冬に、「下りウナギ」として川から下って海に至り、どこかの産卵場に向かう。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ウナギは19種類あるが、その全ての種類の産卵場はこれまで分かっていなかった。</div>
<h3>ヨーロッパウナギ（アメリカウナギ）の産卵場</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・その最初の研究は、ヨーロッパウナギで、1897年にドイツで「ウナギの繁殖と変態に関する論文」が発表されている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ウナギとは別の種類の魚として学名がつけられていた透明で平たい形態の不思議な魚（レプトセファルス：Leptocephalus brevirostris）から徐々に姿を変えて、最終的にヨーロッパウナギのシラスウナギとなることを明らかにしている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・また、このレプトセファルスがどこから来るのかというのを研究したのが、デンマークの海洋生物学者のヨハネス＝シュミットで、より小さいレプトセファルスがどこにいるのかから探っていった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1922年の研究であるが、探って行くと、北米の東、キューバ近傍の「サルガッソー海」に辿り着いた。同時にそこでアメリカウナギも産卵していた。</div>
<h3>日本ウナギの産卵場</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・太平洋ニホンウナギ産卵場調査は、1930年代に日本近海で始まり、1967年に沖縄で初のウナギレプトセファルス（約50mm）が採取された。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・産卵場の推定海域は初め南方へ、そして東方へ、黒潮や北赤道海流に沿って移動してゆき、1991年に全長10mm程度のものが、グァムやマリアナ諸島西方海域で発見された。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・そして同年、東大海洋研究所の「白鳳丸」研究航海により、産卵場はマリアナ諸島西方海域と特定され、1992年にはそのことで、雑誌「ネイチャー」の表紙を飾った。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・その後2005年には「天然のプレレプトセファルス幼生」が発見され、また、プレから卵・親を見つける研究が続けられ、2008～2009年に、グァム島の西、マリアナ海溝の北側で発見された。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・さらに同時に、水産庁の漁業調査船開洋丸（2,630t）で、産卵場の親ウナギを探す調査が行われ、2009年第２レグ（6/12～7/1）には私も参加している。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・沖縄那覇から調査海域まで、船で3日半かかり、帰りは東京までやはり、3日半かかった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・この時の漁獲装置は、中層トロールで、その網は、開口部の幅が約55m・高さ60mの巨大なもので、夜8時に海に入れ、水深300ｍから水平に引くこと２回で、夜中の２時頃まで、約6時間かけて　捕獲した。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・獲物は、ぐちゃぐちゃの状況で、タコやイカ・エビ、イワシやクラゲ等雑多で、5kgから多い時には30kgになる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・それを手際よく分類すると、その中で、ウナギ近縁種である、ヘラアナゴ・クビナガアナゴ・シギウナギ・クロシギウナギが採捕されていた。いずれも深海魚。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・その他に、900ｍ（～2-300ｍ）の深海で採捕されるノコバウナギ等があるが、その中で、ニホンウナギも採捕された。痩せ細って、90ｇほどの小さいものだった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・日本から2000kmも離れた大海原まで、この小さなウナギがはるばる泳いできたというのは、本当に驚きであった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・2009年に採捕されたもので、雄・雌とも解剖し、卵や白子の状況を観察した。＜写真＞</div>
<h3>ウナギの一生</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・成熟したニホンウナギの親ウナギは海に下った後、小笠原海流にのって、南の産卵場（マリアナ諸島西方海域）へ向かい、到着後産卵する。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・そこで、孵化し、プレレプトセファルスとなり、北赤道海流にのって、レプトセファルスから変態してシラスウナギとなり、更に黒潮にのって中国南部から、朝鮮半島や日本列島沿岸に来遊する。そして、成長後捕獲されて、最後はかば焼きとなる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・これが天然ウナギの一生であるが、一説によると天然シラスウナギの７割程度は捕獲されて養殖にまわされるとのこと。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>5.</strong><strong>ウナギの漁獲量</strong></h2>
<h3>国内の天然ウナギ漁獲量</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・稚魚・成魚とも、1960年頃をピークに右肩下がりである。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・稚魚の漁獲は80年代以降安定しているとは言え減少傾向で、かつて（60年代）は200ｔくらいあったものが、現在は20ｔ以下。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・成魚についてもかつては3000ｔくらいあったものが、現在は100ｔをきるくらいの状況で、資源の減少が憂慮されている。</div>
<h3>国内のシラスウナギの池入れ量と価格</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・養殖に使用されるシラスウナギは、国内で不漁の際には、中国・台湾からの輸入で補い、2003年頃からは毎年だいたい20ｔ程度を確保している。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・シラスウナギの稚魚は約0.2ｇ、成魚は200～250ｇで、だいたい千倍くらいに増える。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・トータルで、概ね20ｔの稚魚を池に入れ、2万ｔの養殖生産となる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・値段の方は、取れる年取れない年で変動があり、一番高い年は(2018年)、約300万円/kg。1kgで5000匹ほどなので、１匹辺り600円程度となる。それが成魚になるとどれくらいになるかは想像して頂きたいが、鰻の値段が高いのはある程度仕方がないと思われる。</div>
<h3>資源保護</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・2014年に日本・中国・台湾・韓国が集まって、養殖池に入れる稚魚の制限量が決まり、この年の各国の池入れ量の８割を上限とすることとなった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・日本では、１年の上限が21.7ｔ。近年で一番多かった量の8割であるが、その後、上限に達した年はなく、この取り決めの意義が問われている。</div>
<h3>東アジア各国のニホンウナギシラス池入れ量</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・韓国・中国・台湾・日本の池入れ量を合計することで、その年のニホンウナギ稚魚の総漁獲量がおおよそ把握できる。各年バラツキはあるが、2018・2019年は不漁（全体で20ｔ程度）で、2014年（上限設定年）が豊漁でトータル90ｔ（内、日本約27ｔ→その80％で以後の上限を21.7tに決定）。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・2020年は比較的豊漁で、トータル80ｔあるが、別の採捕量の情報では、110ｔ（内、日本23ｔ程度）という噂があり、実際、闇から闇へ流れている可能性もあり、資源保護がどれだけ効果があるのか危ぶまれている。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>6.</strong><strong>ウナギ人工種苗生産研究</strong></h2>
<h3>ウナギ人工種苗生産（人工的に養殖に使う種となるシラスウナギを造ること）の難しさ</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ウナギは飼育条件下では自然に成熟・産卵しない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・養殖ウナギを解剖しても、精子・卵子は確認できないほど未熟。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・GSI（体重に対する卵巣・精巣の重さの割合）が、雌で1.0-1.7、雄で0.2-0.3　という非常に未熟なものである。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・また、飼育条件下では殆ど（通常90％以上）が雄になり、養殖ウナギの中に雌は殆どいない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">　→雌化、成熟・産卵誘起技術が必要となる。</div>
<h3>人工種苗生産研究の歴史－その１</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1960年代：ニホンウナギの人工孵化を目指した研究が始まる（東京大学など）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1973年：世界初の人工孵化に成功、5日間生存（北海道大学）　静岡県水産試験場・千葉県水産試験場・東京大学でも成功</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1975年：体重増加を目安としたホルモン投与法の開発</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1976年：孵化後14日間の発育を観察（静岡県水産試験場）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1979年：孵化後17日間の飼育に成功（東京大学）：但し卵の栄養だけで餌はナシ</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1991年：メス化養成親魚より孵化レプトセファルスを得ることに成功（愛知県水産試験場）</div>
<h3>従来のウナギの人為催熟および人工授精法</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・自然では進まないので、ホルモン注射をする必要がある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・雄にはHCG（人の胎盤から採取）を、雌には、サケの脳下垂体抽出液を注射して成熟させる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・しかし、雄はしばしば精子の活性が低く、雌は排卵せずに過熟になることが多いため、上手く受精できないことが多い。</div>
<h3>改良された人為催熟および人工授精法</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・その後、色々改良が行われ、雌にはOHPと呼ばれるステロイドホルモンを追加で注射すると排卵が進み、雄には、注射ではなくオスモティックポンプを腹に埋め込むことにより、速やかな人工授精が可能となった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・更に、雄では、精液を人工精漿で培養して冷蔵保存して更に凍結保存して、受精機会を増したり、遺伝子を取り出して培養細胞に導入して生産するリコンビナント（組み替え）ウナギ生殖腺刺激ホルモンも開発されて、商業的にも販売されている。（高価）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ホルモン投与による成熟→投与された雌雄とも解剖すると精子・卵子が成熟している。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・人工授精：雄から精子を取って、希釈冷蔵保存し、雌から卵を絞って掛け合わせ、海水で管理を行う。＜受精卵写真＞</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ウナギの孵化の動画（30分程度）：直後は全長3ｍｍ弱。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">　→仔魚の発生と成長・消化機能の発達</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・海産魚の初期飼料：ワムシ＜写真＞</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ワムシ給餌による飼育の問題点</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">　　・摂餌率が低い　・摂餌量が少ない　・摂餌行動の成功率が低い　・暗黒下でも摂餌する　・日齢18、全長7.3㎜が限界</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">　→生きたワムシではウナギは育たない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊試してみたエサ</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">①よく食べたもの・②少しは食べたもの・③食べなかったもの・④害があったもの）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・生物餌料：②ワムシ・冷凍ワムシ・天然プランクトン／③オタマボヤ・アルテミア／④ミズクラゲ・カブトクラゲ</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・市販配合餌料：②海産魚用初期餌料・甲殻類用初期餌料・シラス餌付け用ペースト状餌料</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・栄養強化餌料：①サメ卵粉末／③濃縮ナンノクロロプシス・DHA強化ユーグレナ</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・その他：②イカ・エビ・鶏卵（卵黄）・ムラサキイガイの生殖巣・ムラサキイガイの未受精卵・ウニの未受精卵・ウナギ卵・マダイ卵・のれそれ（マアナゴ幼生）／③バクテリアボール・光合成細菌・塩蔵クラゲ・エイのヒレ・ゼラチン／④ヒトデの卵・ナマコの卵</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊嗜好性の高い餌：サメ卵凍結乾燥粉末　栄養強化用</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">　→1996年：仔魚の摂餌を確認</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">1998年：サメ卵飼料給餌による成長を確認（写真：無給餌区で13日までが27日まで延長）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊これでも栄養が足りないということで、「オリゴペプチド添加飼料」＜サメ卵粉末＋オリゴペプチド＋ビタミン・ミネラル・オキアミ（抽出液）＞でポタージュスープのような液状飼料を給餌→よく食べる様になった。＜動画＞</div>
<h3>人工種苗生産研究の歴史－その２</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1999年：レプトセファルスまでの飼育に成功（養殖研究所：現水産研究・教育機構）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・2002年：世界で初めてシラスウナギへの変態達成（水産総合研究センター：現_同上）</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">＜写真＞孵化直後3.6mm→25・50・100・150・250日(最大)を経て264日51.9mm</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">　→≪2003年に宮内庁より連絡があり、皇居にて（天皇陛下と）「お茶」≫</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -3em;">　→≪2017年（天皇退位表明後）には皇居にて（天皇・皇后に）「ご進講」≫</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・2010年：世界で初めてニホンウナギの完全養殖に成功（　同　上　）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・2014年：1000リットルの大型水槽による飼育に成功（　同　上　）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊完全養殖　民間：㈱いらご研究所（東洋水産の小会社）・国外：韓国水産科学院</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">　→いずれも商業規模での完全養殖には至っていない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊ウナギ完全養殖までの道のり</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・天然シラスウナギ→養成親魚→成熟親魚</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">　→（ここからループ）受精卵→プレレプトセファルス→レプトセファルス→人工シラスウナギ</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">（→養成親魚→成熟親魚→受精卵→・・・・・）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊様々な難しいことがある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・親魚養成が難しい　・人為催熟が難しい　・良質卵の安定確保が難しい　・仔魚用飼料が難しい　・大量飼育が難しい</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>7.</strong><strong>近畿大学水産研究所におけるウナギ人工種苗生産研究の歴史</strong></h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1976年：開始</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1984年：1/23に白浜実験場でホルモンを投与したウナギから誘発産卵で約30万個の浮上卵を得た。→2日後の1/25に孵化し、孵化後12日まで生存</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1998年：同様の誘発産卵に成功　・いずれも仔魚が餌を食べて成長するには至らず</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: -1em;">・2019年：（私の着任後）浦神実験場にて研究を再開</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: 3em;">・３月～養殖ウナギを親魚候補として導入</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: 3em;">・6/17よりホルモン投与による人為催熟を開始　・7/20:雄の排精を確認</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: 3em;">・9/11:3尾の雌より排卵、人工授精に成功</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: 3em;">・9/12:孵化　9/19より給餌飼育開始</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: 3em;">・9/18:１尾、10/3:２尾の雌より排卵・授精成功</div>
<div style="padding-left: 3em; text-indent: 3em;">・第2弾・第３弾の仔魚も給餌飼育を実施</div>
<div style="padding-left: 7em; text-indent: -1em;">・11/1:プレス発表（人工孵化初期飼育に成功→完全養殖を目指す）＜動画＞41日齢18mm（最長149日間飼育、最大37mmを記録）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・2020年：4月に浦神実験場のウナギ仔魚飼育実験施設-Ⅱを拡充</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・近大ウナギ第１期生＜動画＞</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>8.</strong><strong>ウナギ人工種苗生産の特殊性（クロマグロと二ホンウナギの比較）</strong></h2>
<h3>近大クロマグロ</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・良い環境におけば、卵は自然に産んでくれる。→孵化</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・食べる餌も、日齢の若い順に、ワムシ・アルテミア・他魚種の孵化仔魚・魚肉ミンチ・冷凍魚等がある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・また、アルテミアの後頃（15日頃）からは、配合飼料も可能。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・肉食なので、他の魚の仔魚を餌としてやらなければ、共食いしてしまう。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・成長も早く、稚魚になるまで１ヵ月足らず。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・仔魚は人間で言えば、乳児でミルク的なものから離乳食が餌となるが、稚魚は人間で言えば幼児で、大人とほぼ同じものが餌となる。仔魚の時期は餌が大変。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・数十トンの水槽で100万尾単位の飼育が可能で、１ヵ月程度で稚魚になり、生簀に出して、１年もたてば、5kgくらいまでに成長する。</div>
<h3>ニホンウナギ</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・特殊な懸濁液状飼料を延々と食べ、孵化してから半年から１年で稚魚になるまで続く。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・そこからシラスウナギになると一般飼料となるが、ここまで1年かかる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・また、液状飼料は水を汚すので、数十リットル規模の小型の水槽でしか飼えない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・1回で数千尾の飼育を始めて、その中でシラスウナギが100匹出来れば大成功ということで、大量生産には向かない。そこが大きな違い。</div>
<h3>もう一つの違い</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・マグロの場合は、１匹の稚魚を造ると、出荷サイズが30～50kg、１匹10万円以上になる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・一方ウナギの方は、0.2ｇの稚魚を造ると、出荷サイズが200～250ｇ、1匹が高いといっても、精々1,000～1,500円。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・つまり、１匹の価値が大きく違うので、ウナギの養殖は大変な割には、値段がつかないということになる。</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>9.</strong><strong>近畿大学水産研究所の今後</strong></h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊これまで、世界の水産資源持続へと寄与するクロマグロ完全養殖の夢を実現してきた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・有用魚類の飼育技術研究から、養殖産業の発展へ。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・実学の精神に則り、魚類の完全養殖を通じて、社会に貢献できる技術の形成に取り組んでいる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊今後は、新たなウナギ仔魚用飼料の開発、シラスウナギまでの安定育成を目標とする。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・近大水研の総力を結集してウナギ完全養殖の実用化を目指す。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→持続可能なウナギ養殖の実現へ（ＳＤＧsの一環）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">＊2010年に「夢の扉」というTBSの番組で「ウナギの完全養殖」を取り上げてもらった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・スポンサーはNTTであったが、「自分の夢をMYGOALに記す。」という取り決めがあったので、無理に書かされた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・この時書いたのが、「2020年までに完全養殖ウナギを食卓に届けたい。田中秀樹」当時は先の話でそれほど考えた訳ではなく、いつの間にか約束の2020年を迎えたが、まだ実現している訳ではない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・そこで新たな目標を設定することになった。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・「近大は万博だ」という近大のポスター（2019年：入試誘致用）に因み、</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→2025年に大阪で万博が開催されるので、出来れば次の目標として、</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・「2025年までに、美味しい完全養殖うなぎを食卓に届けたい！」</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→これは、全国津々浦々の食卓というのではなく、近大の経営する居酒屋「近大卒の魚と紀州のめぐみ：近畿大学水産研究所」（大阪グランフロント店他）に於いて、数量限定・期間限定でもよいので、2025年までに実現したいと思う。</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong> </strong></p>
<h2><strong>■質疑応答</strong></h2>
<h4><strong>1.</strong><strong>広本　治</strong><strong>（</strong><strong>88</strong><strong>期）</strong></h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">Ｑ：日テレの「所さんの目がテン：科学の郷」で「エビかなんかの雌雄の比率が半々」という番組がありましたが、ウナギの場合は、その辺りは如何でしょうか？</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→Ａ：養殖池では殆ど雌が出来ずに雄ばかりになる一方で、自然に近い池でウナギを自然まかせで育てると、雌雄半々になるというのはあり得る。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・雄は成長が早く、養殖池では早く育てる方針なので、雄が多くなっている状況にある。一方、自分で餌を取らせるということになると、全般に成長が遅く、雌雄同数に近づく。</div>
<p><strong>2</strong><strong>.</strong><strong>牧　武志</strong><strong>（</strong><strong>73</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">Ｑ：海外の養殖技術のレベルを教えて下さい。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→Ａ：先ず、韓国の場合は、ある意味日本からの技術流出である。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・韓国でウナギの完全養殖をなし遂げた人は、東京海洋大学に留学していた人で、海洋大学で学位を取った後、研究支援職員という形で、水産研究教育機構増養殖研究所に来られて、ウナギの完全養殖を１から10まで全部覚えて、韓国の水産科学院に採用され、向こうで同じことを繰り返したことになる。従って、基本的には同じ技術。数億円の施設を作って大量生産に向けて歩みだしているところ。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・中国・台湾でも人工孵化までは出来ているが、シラスウナギが出来たかどうかの情報はない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・他のウナギ（ヨーロッパウナギ・アメリカウナギ・オーストラリアウナギ）については、孵化までは出来ているが、餌を与えて育てるところまでは行っていない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・東南アジアでは動き始めたところ。</div>
<p><strong>3</strong><strong>.</strong><strong>秋下　貞夫</strong><strong>（</strong><strong>69</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">Ｑ：ウナギは結構逞しく、とんでもない上流に上ってきたりすると聞いていますが、そういう性質は、完全養殖に関係しますか、それとも全く関係ないですか？</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→Ａ：たくましいのが仇になる。水槽で飼っていると、考えられないような隙間から逃げだして、干からびて死んでいるということがある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・天然ウナギと養殖ウナギを比べると、圧倒的に天然ウナギのほうが逞しい。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・天然ウナギの方が良い卵は採れるが扱い難い。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・完全養殖をやっていると、世代を経る毎に飼いやすくなって成長も早くなる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・真鯛の養殖で１kgになるのに通常では３年かかるが、養殖の進んできた近畿大学の真鯛は、１kgになるのに1年ちょっとという例もある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・マグロの養殖では生簀網に衝突して死ぬことが多かったが、第３～４世代になって、最近では次第におとなしく、飼いやすくなって、死ぬことも減ってきている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・従って、養殖を続けると、様々な魚種で家畜化・家魚化というか次第に飼いやすくなる傾向が窺える。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">Ｑ：水流に立ち向かう逞しい育て方といった発想はなかったでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→Ａ：仔魚（レプトセファルス）の段階は、体が大きい割に筋肉量が少なく、運動に適したつくりになっていない。また、水流を与えることがプラスになるかどうかについては分かっていない。</div>
<p><strong>4</strong><strong>.</strong><strong>西尾　大次郎</strong><strong>（</strong><strong>66</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">Ｑ：2025年に大阪グランフロントの「居酒屋：近大水産研究所」で、3000円程度でウナギが食べられる見通しは如何ですか？</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→Ａ：是非とも2025年にはお出ししたいと思います。しかしながら、数も限られるので、期間限定・数量限定で、ある範囲のリーズナブルな価格になると思いますが、恐らく全くもうからないでしょう。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・実は、マグロもそんなに儲かってはいない。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">Ｑ：スペインで２年前に養殖のウナギを、１kg：14ユーロ（1600～1700円）で食したことがある。（情報提供）</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→Ａ：ヨーロッパは、イタリア・スペイン・オランダ・デンマーク・北欧などで、ウナギは人気がある。</div>
<p><strong>5</strong><strong>.</strong><strong>岡本　明</strong><strong>（</strong><strong>73</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">Ｑ：アナゴとウナギとは、種・科などどこまで共通するのでしょうか？ 又、構造的に大きな違いはあるのでしょうか？</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→Ａ：「目」：ウナギ目で同じ、「科」の段階で違っている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・見分け方としては、ウナギは下アゴの方が前に出ていて、アナゴは上アゴが出ている。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・また、アナゴはウロコがないが、ウナギにはある。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・アナゴは淡水では生きられないが、ウナギは生きられる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ウナギ目には沢山種類があって、ウツボやウミヘビなども含まれるが、いずれも淡水では生きられない。</div>
<p><strong>6</strong><strong>.</strong><strong>釜江　尚彦69</strong><strong>期）</strong></p>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">Ｑ： 北海道にはウナギはいないと聞いたのですが、これは本当ですか？</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">→Ａ：全くいないことはないらしい。ウナギの研究は北海道大学でも盛んで、ウナギがいるところがあるとのことであるが、殆どいないと言える。青森県までは確実に存在。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ウナギは黒潮に乗って日本に来るが、なかなか北海道まで届かないのが実情。</div>
<p>【記録：植村和文（８２期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>資料-ナシ</p>
<p>※講師コメント：「さまざまなところからお借りしているスライドが含まれるため、掲載は控えさせていただきます。」</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【221回】5月「主婦ほどクリエイティブな仕事はない！」</title>
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		<pubDate>Tue, 23 Mar 2021 05:14:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5061</guid>
		<description><![CDATA[山口あゆ美さん＠98期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年5月15日（土）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>銀座ライオン７丁目店６階</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>78名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>山口あゆ美さん＠98期（着物着付け教室サロン・ド・ヴィーヴル主宰）</p>
<p style="padding-left: 30px;">1968年岐阜市生まれ。大阪女子大（現大阪府立大）国文学科卒業後、ミノルタカメラに入社、24歳で結婚。1998年枚方市の自宅にて料理・テーブルコーディネート・フラワーアレンジメントをトータルに学べる「サロン・ド・ヴィーヴル」をスタートし、20年続ける。2年間の休養を経て、2021年3月「着物着付け教室サロン・ド・ヴィーヴル」としてリスタート。ほぼ毎日着物生活6年目。長女は130期卒。</p>
<p style="padding-left: 30px;">着物着付け教室サロン・ド・ヴィーヴルHP　 <a href="https://www.salondevivre.com/">https://www.salondevivre.com/</a></p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「主婦ほどクリエイティブな仕事はない」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>専業主婦として家事と3人の子育てに全力投球の日々のかたわら、20年前にママ友生徒1人から始めたフラワーアレンジメントの自宅教室。次第に、テーブルコーディネート、お料理、ホームパーティー、メイク、着物の着付け、歴史散歩・・と自分の好きなこと、得意なことをベースにコンテンツを増やし、企画・運営・集客・準備・片付けまですべて一人でこなしつつ、多くの方々をお迎えする自宅教室となった。「サロン・ド・ヴィーヴル～暮らしのサロン～」と名付けた教室のコンセプトは「主婦はおうちの太陽。主婦の毎日のルーティンワークを合理的に、楽しみながらすることで、自分も家族も幸せになる。」というもの。2019年、50歳の節目を機に、20年続けた自宅教室を休止。子育ての終了やコロナもあり、改めて自分のこれまでとこれからを見つめ直す時間となった。</p>
<p>2021年3月、2年間の休止を経て、人生100年時代の後半に向け、今後は「着物」を通じて日常を楽しむことを提案すべく「着物着付け教室サロン・ド・ヴィーヴル」としてリスタート。</p>
<p>常に主婦業を軸足に、これからの人生の第二章も楽しく生き生きと過ごしていきたい、一主婦の奮闘記。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>紹介者はご同期の佐野憲一さん。コロナ自粛が長引く中、在宅勤務は珍しくなくなったが、山口さんは23年前からご自宅で教室を開設され、在宅勤務を続けておられる。生徒さんの数は、のべ人数にしてNHKホールを満員にしても足りないほどで、これは一つの教室の生徒さんの数としては間違いなく驚異的な数字である。本日はどれだけ考えてどんな努力をすればこのような数字が実現するのか、お話しを伺いたい。※佐野憲一さん：<a href="https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=4453" target="_blank">東京六稜倶楽部 | 【第182回】2月「楽天イーグルス創設物語（完全編）　～球団創業から日本シリーズ優勝まで～」 -六稜WEB (rikuryo.or.jp)</a></p>
<h2><strong>序章</strong></h2>
<h3>１「サロン・ド・ヴィーヴル～暮らしのサロン～」について</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・Salon de Vivreはフランス語。「Art de Vivre～暮らしの芸術～」つまり、特別な日ではなく毎日の暮らしこそが芸術というフランス人の生活美学を表す言葉に感銘を受けて命名した。日常を大切に充実させることと、主婦の生活に関わることを発信し共有できるコミュニティを目的とする。</p>
<p>・レッスンでもホームパーティーでも、私がやりたい事や興味のあることを何でも取り入れて企画している。企画の考案も計画も私一人で行っている。</p>
<p>・1回のレッスンで1つの事だけを学ぶカルチャースクールとは異なり、「サロン・ド・ヴィーヴル」では１回レッスンで、お料理・テーブルコーディネート・フラワーアレンジメントなどをトータルに学べるように工夫している。</p>
<p>・テーブルコーディネートとは、お料理をよりおいしく味わうために、食器やテーブルクロスお花などを調和させる手法で、食空間をプロデュースする食卓総合芸術である。</p>
<p>・レッスンの準備・片付け作業もアシスタントなしで、私一人で行う。準備と片付け作業を手伝ってもらわないのは、足を運んで下さったお客様に、日常の家事労働から解放された時間を楽しんで頂くためである。</p>
<p>・春のレッスンを例に説明すると、生徒さんには午前10時半に来て頂いて、最初にお一人ずつフラワーアレンジメントをして頂く。次に私が講師となりミニ講座を行う。講座では、その日のレッスンのテーマとなる季節の歳時記の話や和歌の話や歴史小噺をする。全員でテーブルセッティングを行ってから、キッチンに移動して、レシピを見て頂きながらお料理の手順を見学してもらい(お料理するのは私ひとり)、できたお料理を全員で盛り付けてそのままランチを食べる。午後からは3時～4時（ときに5時）まで、お茶とケーキで楽しくおしゃべりをしながらゆっくりする時間を楽しんで頂いている。</p>
</div>
<h3>２ 家族との時間が最優先～高速回転の時間繰り</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・私の教室での活動は、子供たちが幼稚園や学校に行っている隙間の時間を利用して行っていた。子どもたちが帰宅した後は、ママ活動に専念し、それぞれのお稽古事などに付き合って奔走した。</p>
<p>・３人の子どもたちが成長するにしたがって、私の活動時間も少しずつ長くなっていったが、私にとっては、夫の休日や子どもたちの受験や試合にきちんと付き合う事を最優先とするスタンスは変わらなかった。</p>
<p>・教室の仕事が最も忙しかった2015年～2017年ごろは、家族全員が早朝6時台に家を出て、帰宅は夜10時を過ぎる生活パターンであった。当時は、子供たち全員が家から遠い学校に通っていた。放課後にはそれぞれが部活（長男は野球部、次男はオーケストラ部、娘は陸上部）や通塾をしていたし、主人は通勤に片道2時間かかる遠いクリニックに勤務していた。</p>
</div>
<h3>３ 「がむしゃら」でも「充実人生」</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・お米は毎朝一升、夜にも一升炊いていた。ハンバーグにはミンチ肉２Kg/回を使っていた。</p>
<p>・家が駅から遠く不便な上に、学校まで全員通学時間が1時間半以上かかり、早朝バスの便が少ない時間帯に家を出なければならなかったため、子どもたち3人と夫の送迎はすべて私が担当していた。（毎日計8回駅までの往復）</p>
<p>・長男は特にハードな日々で、中学・高校の頃は朝練のため早朝5時前起床、土日の試合の時は4時に起床して始発電車で通学する生活を支えた。</p>
<p>・長男が高校に上がり受験生になると、練習後に予備校での勉強も加わり、帰宅は夜中の12時前となった。それから晩御飯を食べさせ、野球部のユニフォームを毎日洗濯しなければならなかったので、私自身の就寝は深夜2時、起床は早朝5時前という、睡眠時間が３～４時間しかとれない、今から思えばとても信じられない生活の中で、教室の活動も行っていた。やはり元気だったのだと我ながら思う。</p>
</div>
<h2><strong>第１章 「サロン・ド・ヴィーヴル～暮らしのサロン～」（1998年～）</strong></h2>
<h3>１　「サロン・ド・ヴィーヴル」20年間のあゆみ</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・<span style="text-decoration: underline;">1998年1月</span> フラワーアレンジメント教室をスタート<br />
結婚後はごく普通のマンションに住み、そこで「お花教えて」と言ってくれたママ友の言葉がきっかけとなり、その人を初めての生徒さんとしたフラワーアレンジメント教室をスタートさせた。(月1回のレッスン)</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・<span style="text-decoration: underline;">2001年3月</span> 二世帯住宅を建てて移る。<br />
(現在の家)私の夢である「人をお招きしてサロンができる」ように、住宅の間取りは自分で考えた。パブリックゾーン（1階）とプライベートゾーン（2階）に分け、1階を仕切りのない広いスペースにし、キッチンもお料理教室ができるように工夫した。お庭も整えた。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・<span style="text-decoration: underline;">2001年5月</span> 教室の名前を「サロン・ド・ヴィーヴル～暮らしのサロン」と命名。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・<span style="text-decoration: underline;">2003年～</span> テーブルコーディネートコンテスト、フラワーアレンジメントコンテストにたびたび入賞。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・<span style="text-decoration: underline;">2004年5月</span> 歳時記とそれに合わせたテーブルコーディネート、フラワーアレンジメントをしてケーキとお茶を召し上がっていただくレッスンを開始。<br />
趣向を凝らしたホームパーティーに加え、年に一度のセミナーパーティーを企画・開催。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・<span style="text-decoration: underline;">2007年6月</span> ケーキだけでなく私の作ったお昼を召し上がって頂くスタイルに変更。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・<span style="text-decoration: underline;">2010年10月</span> ブログを書き始める。ブログを通じて新しいお友達が増えた。ブログを通したレッスンのお申し込みも増え始める。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;"></div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・<span style="text-decoration: underline;">2013年</span> カフェのアルバイトに専念する（詳しくは後述）</p>
<p>・<span style="text-decoration: underline;">2014年</span> サロン・ド・ヴィーヴル再開記念パーティ開催。この後、カフェでの経験を元に、お料理は手間を出来るだけ省くというコンセプトに変更。これが市場のニーズに合致してお申し込みが増え始める。</p>
<p>・<span style="text-decoration: underline;">2015年5月</span> レッスンを新しいスタイルに変更。近所のスーパーで手に入る食材で作る日常的なお料理をテーブルコーディネートでちょっとおしゃれに見せるテクニック、フラワーアレンジメント、「一週間の献立」歴史小噺コーナー。</p>
<p>・<span style="text-decoration: underline;">2015年6月</span> レッスンが募集と同時に満席となりはじめる。</p>
<p>・<span style="text-decoration: underline;">2015年8月</span> メイクのレッスンを導入する。受講希望者が飛躍的に伸びる。</p>
<p>・<span style="text-decoration: underline;">2017年2月</span> サロン・ド・ヴィーヴル「着物部」発足。</p>
<p>・<span style="text-decoration: underline;">2018年5月</span> サロン・ド・ヴィーヴル20周年記念パーティを開催。(20年間の集大成)</p>
</div>
<h3>２ 転機となったカフェでのアルバイト（2013.4～2014.3）</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・医学部を目指していた長男が二浪することになったため、長男が合格したら私も入学しようと計画していた辻調理師学校をキャンセルし、近所のカフェで1年間限定のアルバイトを始めた。</p>
<p>・最初はキッチンで、渡されたレシピ通りのお料理を作っていたが、働き始めて１ヵ月でいきなり副店長に昇格し、自らメニューを企画する立場になった。</p>
<p>・AとBのランチセットを毎週考案した。そのうちの特製キーマカレーは、後にお店の看板メニューとなった。</p>
<p>・お店のスイーツバイキングを企画した。一週間の間に、15種類のケーキを６台ずつ焼いた。一日当たり、のべ50人分(定員25人分×２回転)のスイーツを用意する為に、お店の設備を使ってできるメニューを考え、仕入れ/調理/テーブルセッティング等をすべて一人でこなした。</p>
<p>・チョコレートパフェを綺麗に作る方法、アイスカフェオレを2層にして淹れる方法なども学んだ。</p>
<p>・この仕事を通して、いわゆる「家庭の主婦」とは異なる価値観を、現場で実践しながら学ぶことが出来た。（お店の経済・大変さ・裏側・コスト意識・衛生管理・徹底的な工程減・仕込みの仕方）</p>
<p>・カフェでの仕事(学び)が、私にとっては神様からのプレゼントのような貴重な体験となり、この後、教室を運営するのに大いに役立った。</p>
</div>
<h3>３「サロン・ド・ヴィーヴル」の成長と発展を支えたクリエイティブな考え方について</h3>
<p>3人の子供を育ててきた経験やカフェでのアルバイト経験を元に、私自身がいろいろ考え出した新しい工夫が、市場のニーズと合致。合理化を求める多くの忙しい主婦やワーママ（ワーキングマザー）に支持された。</p>
<h4>①　新規市場を開拓</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・子供3人の子育ての中で出会う人々のネットワークによるリアルな繋がり、また、SNS（ブログ・Facebook）の発信によるネットワーク外の世界の人々との出会い、そして、自らを新しい世界に身を置く事で得られる新しいネットワークが、教室や私の認知度アップと商圏の拡大に繋がった。</p>
<p>・メイクを習い、JPMパーソナルメイクコンテストではグランプリを受賞。</p>
</div>
<h4>②　他教室との違い（独自性）を明確化するのにオリジナルコンテンツを開発・提案した。</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・生徒さんからの要望を取入れて、簡単に美味しくできる普段のお料理をテーブルコーディネートのテクニックを駆使することで、おしゃれなお料理に変身させるという新しいスタイルの教室に方向転換。</p>
<p>・100円ショップを活用したテーブルコーディネートでもお洒落に見えるテクニックを工夫。</p>
<p>・スーパーで簡単に手に入る食材を使って、絶対に失敗しない再現性のある、簡単で美味しいお料理のレシピを考案・開発。（夏のガス火を一度も使わないシリーズ、秋の包丁を一度も使わないシリーズなど）</p>
<p>・ゆるい「ついで作り置き」「ついで下ごしらえ」のノウハウ。</p>
<p>・洗い物の時間短縮のため、食洗器にかけられる食器を使う。</p>
<p>・結婚以来、ずっと実践してきた「一週間の献立表」で買い物と献立作りをシステム化したものを生徒さんにも提供。</p>
</div>
<h2><strong>第２章 教室のクローズ(2019年～)</strong></h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・2018年4月、3人の子供たちの巣立ちを迎え（子育ての終了）生活環境が激変した。この時期には不調と心身の節目とが重なった。それまで、家族のために時間をやりくりして高速回転で働く時と同じテンションで教室での活動ができていたのが、プライベートの生活が縮小したにもかかわらず、教室の活動のためにだけ超高速回転で働くことに違和感を覚えるようになった。</p>
<p>・ふと気が付くと主人がピンチ、色々な要因で心身ともに疲労困憊状態。</p>
<p>・若い頃に思い描いていた「フラワーアレンジメントやテーブルコーディネートを仕事にする」という夢はもう叶ったと感じた。私の夢が実現するよう長年支えてくれた主人を一番大切に考え、寄り添うことを決意した。</p>
<p>・2019年 20間続けてきた教室をクローズして、主人の経営するクリニックで働き始めた。</p>
<p>・私にとってはクリニックでの仕事はすべてが初めてのことで、新鮮で勉強になっている。</p>
<p>・教室をクローズしてクリニックで働き始めたことは、主人を支えると言いながら、実は自分の癒しと、これまでがむしゃらに走り続けてきたギアをシフトチェンジするための時間となったと感じている。</p>
<p>・主人と一緒に楽しめること（昼休みに近くの名所旧跡を訪ね、主人に写真を撮ってもらう）を始めた。</p>
</div>
<h2><strong>第３章「サロン・ド・ヴィーヴル～着物着付け教室」をリスタート（2021年3月～）</strong></h2>
<p>２年間の休止期間を経て、着物着付け教室として活動を再開した。この活動はクリニックの仕事と両立している。私にとっての着物は一人テーブルコーディネート。</p>
<h4>１ 着物着付け教室を通じて伝えたい事</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・着物に関する思い込みを無くしたい。（面倒・高価・しんどい・お手入れが大変）</p>
<p>・特別な日ではなく日常を豊かにする。</p>
<p>・着物を着る事で大人の女性を美しくみせる。（歳をかさねたからこその美しさ）</p>
</div>
<h4>２ 他の教室とは異なる新しいカリキュラムを考案</h4>
<p>(プレミアム4回コース)</p>
<p>1回目 古着屋さんへ一緒にでかけて生徒さんにあう帯と着物などをお見立てする。</p>
<p>2回目 着付け前半。（帯結びの手前まで）</p>
<p>3回目 着付け後半。（名古屋帯結び）</p>
<p>4回目 着物姿で教室まで来て頂いて、特別アフタヌーンティー。</p>
<h2><strong>第4章　ここからの未来</strong></h2>
<p>人生100年時代の折り返しを過ぎて第二章の幕が開いたばかり。これまでの経験をベースに変化を楽しみ、どんなことにもチャレンジしたいと思っている。</p>
<p>子供の頃に好きだった事でまだやっていない事（発掘のアルバイト、小説を書く）、岐阜の田舎の家と環境を活用した活動など。</p>
<p>また新たにどんなことに出会えるだろう？を楽しみにしながら、人生の折り返しを歩いてゆきたい。</p>
<h2><strong>第5章　質疑応答（敬称略）</strong></h2>
<h4>宮本直子（93期）：フルタイムでご活躍ですが、スタミナ維持のための健康の秘訣は何ですか？</h4>
<p>回答）子育て当時のスタミナは自分でも信じられません。今はよく眠るようにしています。</p>
<h4>竹田誠（98期）：お惣菜を買ったりはしないのですか？</h4>
<p>回答）あまり買いません。自分で作った方が早いですし、その方が美味しいと思えるからです。</p>
<h3><strong>付録</strong></h3>
<p><span style="text-decoration: underline;">火を使わないシリーズのレシピより</span></p>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・夏のお昼に「ネバネバおうどん」：冷凍のおうどんを袋ごと電子レンジで解凍して氷水で絞めて、具材と混ぜて、めんつゆをかける。具材は納豆、長芋、オクラ、アボカド、生卵など。</div>
<p><span style="text-decoration: underline;">包丁を使わないシリーズのレシピより</span></p>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・ひじきと里芋のご飯：炊飯器に普段通りにお米を仕込み、乾燥ひじきと油揚げ、冷凍里芋をいれてお酒とお醤油をいれて炊飯する。</p>
<p>・切干大根のサラダ：乾燥切干大根は水でサッと洗ってビニール袋に入れ、すし酢少々とお醤油少々とごま油をいれて、切干大根がもどるまで置いておく。盛り付けるときにカイワレや胡瓜をあしらう。</p>
</div>
<p>【Ⅶ章記録：野田美佳（９４期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2021/05/主婦ほどクリエイティブな仕事はない添付資料）.pdf" target="_blank">主婦ほどクリエイティブな仕事はない(添付資料）.pdf(8.6MB)</a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>【220回】4月「ファン・ゴッホとその手紙　ー画才もない不適応者を世界的画家に育てた家族たちの遺産ー」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5485</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=5485#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 28 Jan 2021 05:21:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2021年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[圀府寺司さん＠88期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2021年4月17日（土）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>99名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>圀府寺司（こうでら・つかさ）さん＠88期（大阪大学大学院文学研究科教授（西洋美術史））</p>
<address style="padding-left: 30px;">
<p style="padding-left: 30px;">1957年　大阪府生まれ。<br />
1979年　大阪大学文学部卒業。<br />
1981- 88年　アムステルダム大学美術史研究所に留学、文学修士号、博士号を取得。<br />
1989年　オランダ、エラスムス財団よりエラスムス研究賞を受賞。</p>
<p style="padding-left: 30px;">広島大学総合科学部助教授を経て現職。</p>
<p style="padding-left: 30px;">2004年　ワルシャワ、ユダヤ歴史研究所研究員。</p>
<p style="padding-left: 30px;">著書：<a href="https://www.amazon.co.jp/Vincent-van-Gogh-Christianity-Countries/dp/9027253331" target="_blank"><em>Vincent van Gogh;　Christianity versus Nature</em></a>, Amsterdam/Philadelphia 1990.　『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07L2SDBYT/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&amp;btkr=1" target="_blank">ファン・ゴッホ　自然と宗教の闘争</a>』（小学館　2009）『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%A8%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%9C%80%E5%BA%9C%E5%AF%BA-%E5%8F%B8/dp/4334039014" target="_blank">ユダヤ人と近代美術</a>』（光文社新書　2016） 『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07XYMN168/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&amp;btkr=1" target="_blank">ファン・ゴッホ　日本の夢に懸けた画家</a>』（角川ソフィア文庫　2019）など。編著書: 『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B%E7%A5%9E%E8%A9%B1-%E5%9C%80%E5%BA%9C%E5%AF%BA-%E5%8F%B8/dp/4881311743" target="_blank">ファン・ゴッホ神話</a>』(TV Asahi 1992, 英語版<em>The Mythology of Vincent van Gog</em><em>h</em>，Amsterdam / Philadelphia, TV Asahi/John Benjamins 1993)　編著：『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%82%E3%80%81%E8%AA%B0%E3%81%8C%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%92%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B-%E9%98%AA%E5%A4%A7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB-%E5%9C%80%E5%BA%9C%E5%AF%BA-%E5%8F%B8/dp/4872593154" target="_blank">ああ、誰がシャガールを理解したでしょうか？</a>』(大阪大学出版会 2011)『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B-%E5%B7%A1%E3%82%8A%E3%82%86%E3%81%8F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A4%A2-%E5%9C%80%E5%BA%9C%E5%AF%BA-%E5%8F%B8/dp/4861526248" target="_blank">ファン・ゴッホ   巡りゆく日本の夢</a>』（青幻舎　2017  英語版:<em>Van Gogh and Japan, </em>Amsterdam 2018）など。 訳書: 『<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99I%E3%83%BBII-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8/dp/4105072110/ref=sr_1_1?adgrpid=116145735087&amp;dchild=1&amp;gclid=CjwKCAiAu8SABhAxEiwAsodSZPRAyc0qQyu0MAbPe7tweQ2tC5zzhOt9d4RUpe4D5CsxfLCpwLGfBhoCqzUQAvD_BwE&amp;hvadid=476907091834&amp;hvdev=c&amp;hvlocphy=1028825&amp;hvnetw=g&amp;hvqmt=e&amp;hvrand=13622242001092573665&amp;hvtargid=kwd-996631915351&amp;hydadcr=22200_11002487&amp;jp-ad-ap=0&amp;keywords=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3+%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99+%EF%BD%89+ii&amp;qid=1611811910&amp;sr=8-1&amp;tag=googhydr-22" target="_blank">ファン・ゴッホの手紙I, II</a> 』(新潮社 2020). ファン・ゴッホ展を1986年(大阪)、2002年(札幌・神戸)、2005年(東京・名古屋・大阪)、2017-18年(札幌・東京・名古屋・アムステルダム)に責任監修。</p>
</address>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td>「<strong>ファン・ゴッホとその手紙　―画才もない不適応者を世界的画家に育てた家族たちの遺産―</strong>」</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>どれほど歴史的意義があろうと、ほとんどすべての私信は歴史には残りません。書き手も受け手も公表を望まず、自らの手で歴史の闇に葬るからです。ただ、ごく稀に、歴史の女神の手元が狂って残ってしまう私信があります。ファン・ゴッホの手紙がそのひとつです。ここでは『ファン・ゴッホの手紙I, II 』(新潮社 2020)を個人全訳する中であらためて感じたことをお伝えしようと思います。</p>
<p>「炎の人」、「天才」、「孤高の画家」、「狂人」…　過去百年余りの間、美術界やアート関連市場はファン・ゴッホという画家にこのようなイメーシを付与してきました。過去の伝記も、映像作品も、手紙の翻訳さえも「不遇の天才」「孤高の画家」といったイメージを補強するように生産されてきました。しかし、ファン・ゴッホには天賦の画才などありません。彼にあったのは克服しがたい社会的不適応と、人の役に立ちたいというの強靭な意志、そして、この不適応者を支え続けた家族たちでした。歴史の女神の手元を狂わせ、生き恥晒した膨大な私信を後世に残すことになったのは、家族たちの思いに他なりません。「孤高」などではなかった画家ファン・ゴッホの家族の肖像を描き出します。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>
<h2><strong>1.はじめに</strong></h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">・ファン・ゴッホの家族は父母と７人兄弟(妹)であるが、彼の人生において、父とすぐ下の弟テオ（Theo）及びその妻のヨー(Jo＝Johanna）がキーパーソンとなる。</div>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
<p>・訳書の「ファン・ゴッホの手紙Ⅰ、Ⅱ」は、翻訳に6年を要して、昨2020年に新潮社から刊行された。</p>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>2.手紙について</strong></h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・「歴史の女神の気まぐれ（or手違い）」と謂われるように、偶然が重なって、全部で900通以上残されている。</p>
<p>・通常、私信（プライベートな書簡・手紙）は、自身の恥や他の人の悪口等も含んでおり、当事者（書き手と読み手）は絶対に残したくないものであるが、その当事者であるファン・ゴッホと弟テオとはほぼ同時期に（兄は37歳の時、弟は半年後にショックの余りの精神錯乱で）亡くなっており、そのまま全てが弟の妻ヨーの手に渡ったという偶然である。</p>
<p>・また、テオは几帳面な性格で、ファン・ゴッホからの手紙をほぼ全て保管していた。</p>
<p>・ヨーにすれば、自分がそれまで義兄に冷たくして来たという自責の念に駆られていたものと思われるが、ファン・ゴッホが亡くなって24年後の1914年に書簡全集が出版された。</p>
<p>・またその際、ヨーの手に依って、オランダ（ユトレヒト郊外）にあったテオの墓は、パリ郊外（オーヴェール・シュル・オワーズ）にあるファン・ゴッホの墓の隣に移葬されている。
</p></div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>3.「ファン・ゴッホの手紙」の出版について</strong></h2>
<h3>(1) ファン・ゴッホ美術館からの出版</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・2009年に、手紙900通以上を掲載し、改定版となる全集、全6巻が出版された。</p>
<p>・3人のプロフェッショナルを15年間専任で雇い続け、手紙のオリジナルから書き起こしたものが正しいかどうかまで全てチェックしている。</p>
<p>・1914年版は、未だ同時代（関係者が生存）であったため、人を傷つける等都合の悪い部分についてはかなりの部分を削除しているが、ここではそれを復活させている。</p>
<p>・美術作品・文学作品・新聞雑誌記事・版画・人物等ありとあらゆるものを見つけ出して掲載している。（芸術作品については、図版も掲載）</p>
<p>・これにより、ファン・ゴッホ美術館は、ファン・ゴッホ研究の世界的拠点の地位を確立した。</p>
<p>・同時にWEB版（http:/vangoghleteers.org/vg/）も無料、制限ナシで公開している。</p>
<p>・WEB版を無料で提供すると本自体が売れなくなるのではとの憂慮を他所に、本は売り切れ、また、それを基に2次制作が進み、利益を産み、名声が獲得される。</p>
<p>・このことで、情報の開示がいかに大切かが分かる。</p>
<p>・特に、膨大なデータの検索が可能であるのは極めて有益である。</p>
<p>・永遠に改訂が可能でWEB版自体は成長を続け、進化する。</p>
<p>・また、手紙の内容は、私的な中に歴史的に重要な出来事が盛り込まれていた。</p>
<p>・手紙の原語はオランダ語・フランス語がほぼ半分ずつで、英語が少し。全集版は英語、フランス語、オランダ語版のほか中国語でも出版されている。</p>
<p>・その後、内容を1/3とした、1000頁の縮刷版「選集」が出版され、アラビア語・ドイツ語・スペイン語版、それ以外にフィンランドやトルコなどでも翻訳版が出されている。
</p></div>
<h3>（2）日本語版の出版</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・上記の「選集」の日本語版について新潮社から、当初は「監修」ということで依頼があったが、その後結局、全てを「翻訳」することとなり、不要不急な仕事はほぼキャンセルし、６年がかりで出版と相成った。</p>
<p>・「芸術新潮」で原田マハさんとの対談が掲載されたが、その際の10頁分のPDFがあるので、ご希望の方には、お申し出頂けば、送ることも可能。
</p></div>
<h3>(3) 翻訳を通じての新たな発見</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・手紙には父親や上司の悪口が多く、若い頃にこの手紙を読んでいた時の印象と、50歳代後半で読んだ際の印象がまるで違う。</p>
<p>・父親は常に息子に愛情深く接し、顔に泥を塗られながらも辛抱強く世話をしている。</p>
<p>・上司のテルスチーフという人も、全く正しい常識人で尊敬される上司のイメージ。
</p></div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>4.ファン・ゴッホについて</strong></h2>
<h3>(1)ファン・ゴッホの才能</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・狂気の天才と言われているが、決して画才に恵まれていたわけではない。</p>
<p>・それがだんだん化けてくる。パリ 時代がひとつの転機だが、化けることができた根底にあったのは「なんとか人の役に立ちたい」という本人の強烈な意志。
</p></div>
<h3>(2)映画や演劇に見るファン・ゴッホ</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・1956年アメリカのMGMで、カーク・ダグラスとアンソニー・クインの共演で「災の人ゴッホ（原題：Last for Life）」の映画が公開された。</p>
<p>・ファン・ゴッホの映画が100本近くあるのに対して、他の同じような才能や名声を持つ他の画家がこれほど取り上げられていないのは、手紙が残っていることに起因している。</p>
<p>・つまり、２次創作が可能で、リソースがふんだんにあり、殉教者伝や聖人伝などに見られる物語パターンに放り込みやすいエピソードが豊富だからである。</p>
<p>・日本の演劇では、民芸の「炎の人」で、主演は滝沢修、この人一人である。
</p></div>
<h3>(3)ファン・ゴッホの家族同士の手紙から分かったこと</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・出版されている900通以外にも、家族同士の手紙が別に残されていて、兄や元上司の悪口などもあって、第三者同士のやりとりを読むとイメージが変わる。</p>
<p>・最も多いのが、父とテオのやりとり。
</p></div>
<h3> (4)家系図</h3>
<p>・父母と死産だった兄を含めて7人兄弟（妹）。</p>
<p>・父も祖父も牧師で、父の兄弟（伯父）は画商が２人と軍人が２人。</p>
<p>・弟テオの子孫が生き延びていて、孫が4人、ひ孫が私と同世代。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>5.家族から見て本当に困った息子/兄としてのファン・ゴッホ年譜</strong></h2>
<h4>1852.3.30　フィンセント・ファン・ゴッホ（兄：死産）</h4>
<h4>1853.3.30　フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ（後の画家）誕生</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・小学校に馴染めず一時自宅で学習　通学は１年未満　当校拒否</p>
<p>・1864～66　寄宿学校に入れる</p>
<p>・1868　中等学校は中退1年半</p>
<p>・1869　フィンセント伯父の経営するグーピル画廊ハーグ支店に就職＜コネ就職＞</p>
<p>・1873　ロンドン支店勤務：順調かと思いきや下宿の娘にふられてから勤務態度悪化、画廊を解雇される＜両親の心労の始まり＞</p>
<p>・イギリスの寄宿学校で教員補助、教会で説教させてもらうなど模索</p>
<p>・ドルトレヒトの書店勤務＜ほぼコネ＞</p>
<p>・牧師になりたいと言い始める＜父「牧師になるには８年はかかる･･････」＞
</p></div>
<h4>1877　24歳　アムステルダムのストリッケル伯父の世話で神学部の受験勉強開始</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・ストリッケル伯父にもヤン伯父さんの家にも住まわせてもらって散々世話になる＜勿論、父の世話で＞</p>
<p>・受験勉強難航（数学？）日曜学校で教えたりし始める。＜両親の心配募る＞
</p></div>
<h4>1878　大学受験断念</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・ベルギーで伝道師になる訓練開始　ボリナージュ炭鉱地帯で試用期間＜父の推薦状　手紙多数　父ベルギー訪問＞</p>
<p>・結局寄行のため不採用 ＜父詫び状ほか＞</p>
<p>・この頃、父はフィンセントをヘールの精神病院に入れようとしている。</p>
<p>≪この辺りの何年かの手紙は残っていない。ヨーがカットしたと思われる。≫
</p></div>
<h4>1880　27歳</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・万策尽きて画家になる決心　テオの後押し　この頃からフィンセントの生活費は弟と両親で折半</p>
<p>・エッテンの両親の家に戻る</p>
<p>・両親　フィンセントのためにアトリエ整備　家具揃える　＜また金がかかる＞</p>
<p>・エッテンの家で従姉ケー（子持ちの未亡人　ストリッケル牧師の娘）に片想い</p>
<p>・「いいえ、だめです、絶対に」と断られるも実家に押し掛けて<strong>ストーカー行為</strong></p>
<p>・さんざん世話になった伯父の娘にストーカー行為＜父、困惑の極み。＞
</p></div>
<h4>1882　29歳</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・家を出てハーグに住み始める。アトリエを持ち、画家の従兄マウフェに教わる。</p>
<p>・マウフェが親切（きっと父が手紙を書いて「よろしく」と・・・）</p>
<p>・順調かと思いきや<strong>子持ちで妊婦の街娼シーンと同棲を始め</strong>＜親族一同大顰蹙＞
</div>
<h4>1883　30歳</h4>
<p>・ようやくシーンと別れてくれる。</p>
<h4>1884　31歳　ニューネンの両親宅に戻る</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・家の雰囲気は最悪ながら絵の仕事には熱中</p>
<p>・母「それでもハーグにいた時よりは安心･････」</p>
<p>・近隣のマルホと恋愛関係に→マルホ服毒自殺未遂＜家族また顔に泥を塗られる＞
</p></div>
<h4>1885　父、脳卒中で急逝　享年63歳</h4>
<h4>1886　パリのテオのもとへ＜テオ同居の苦悩＞</h4>
<h4>1888　アルルへ移住　ファン・ゴッホ家にとって最も幸福な10カ月</h4>
<h4>1888.12.23　耳切り事件＜母・家族の心労再開＞</h4>
<p>・ほぼ同時期にテオとヨーが婚約</p>
<h4>1889　フィンセント　サン＝レミの精神病院に入院＜家族の悲しみと支援＞</h4>
<p>・ぶり返す発作の最中、テオとヨーの子フィンセント（甥）が誕生</p>
<h4>1890　サン＝レミからオーヴェール・シュル・オワーズへ</h4>
<h4>1890.7.6　パリのテオ宅で口論</h4>
<h4>1890.7.29 ファン・ゴッホ死去　自殺？他殺？事故？＜テオ・母の悲しみ＞</h4>
<h4>1891･･･ テオ死去</h4>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・ヨー：オランダに転居　≪今の価値で数千億円相当の絵画と共に引越し・当時はガラクタ同然？≫
</div>
<p>24年後にファン・ゴッホ書簡全集を出版</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>6.家族同士の手紙</strong></h2>
<h3>(1)父</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・フィンセントの中には良いところが沢山ある。だから仕事を変える方がいいのかもしれません。</p>
<p>・私達はうまくいってくれればと願っているが、心配がないわけではない。彼のなかにはエクセントリックな面がたくさんあるが、いいところも沢山ある。主を信じよう。どんな心配事も杞憂になりますように。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(一部引用省略)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フィンセントについての心労がまた私達に、本当に重くのしかかってきた。また爆弾が破裂しそうな予感がする。</p>
<p>・私達は彼が名誉あるゴールに辿り着けるようできる限りのことをやったのにまるで彼はわざわざ困難な道を選ぼうとしているかのようだ。</p>
<p>・また私達は厳しい試練に晒され、本当に我慢の限界だ。
</p></div>
<h3>(2)母　アンナ</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・ああ、テオ。私達はフィンセントのことでとても悲しんでいます。・・・ベルギーでは沢山仕事があって、働ける人は少なく、あそこなら意志と能力ある人にはきっと試験なしでも仕事が見つかるでしょう。あそこならなにか光明が見出せるかも知れません。でも私はいつもとても心配しています。フィンセントはどこかに行こうとしたり、何かをしようとしたりすると、その風変りさや。驚くような考えや人生観で、それを壊してしまうのではないかと</p>
<p>・10日ほど前に彼に手紙を書きました。今はタバコ・ポーチを作っていて、それを缶入りチョコレートとウィルからの本と一緒に水曜か木曜に送りたいと思っています。3月30日がフィンセントにとってあまり不幸な日になりませんように。かわいそうな子。いつかいい日が来ればいいけど。
</p></div>
<h3>(3)妹　アンナ</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・彼は人々について幻想を持っていて、彼らをよく知る前に決めつけてしまうのだと思います。だから彼らが実際にどんな人たちなのかを知り、彼が前もって思い描いていたイメージと合わないことが分かると、がっかりして枯れた花みたいに捨ててしまうのです。大切に手入れしてやれば、まだゴミとは言えない枯れた花の中にもいいものあるのではないかと見てみたりしないのです。</p>
<p>・フィンセントはこれまでにも増して木のライオンのようで準備にいらついています。お父さんとお母さんのためにもベルギーの件はうまく行って欲しいと切望しますが、彼の極端な頑固さや人への理解の欠如は新しい環境でもあまりいい方にははたらかないのではないかと危惧しています。
</p></div>
<h3>(4)妹　エリザベート（リース）</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・私にはフィンセントを良く知る機会が全くなかったけれど、あの休暇のあの時、彼がどんな人か、このような兄をもつことにどのような意味があるのかが分かりました。テオ、私は彼に逆らうのではなく、彼のことを誇りに思わなければいけないのだと思います。彼があの時私達にどのように話したかを、お父さんが一度でいいから聞くことができたら、彼の考えの純粋さを見ることができたら、彼についてどんなに間違った考え方をすることでしょう。</p>
<p>(一部引用省略)
</p></div>
<p>&nbsp;</p>
<h3>(5)一番下の妹　ウィル</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・この8年間というものフィンセントは沢山の人に迷惑をかけて来ました。でもその外見のゆえに皆は彼の中にある沢山のいいところを忘れがちです。</p>
<p>・テオによれば彼は間違いなく評価される人物になるとのこと。
</p></div>
<h3>(6)ヨーの兄</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・彼には社会的な礼儀作法というものが全くありません。誰とでも喧嘩をするし。だからテオは彼ゆえに大きな我慢を強いられています。</p>
<p>・テオはひどくやつれて見える。可哀想にたくさんの心配事があり、その上さらに彼の兄が彼の生活を困難にしている。テオには何のとがもないのに、この兄はあらゆることで責めたててくる。</p>
<p>・フィンセントはこれまで以上に健康そうに見えるし、すこし太った。
</p></div>
<h3>(7)弟　テオ・ファン・ゴッホ</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・君は僕にフィンセントのことを尋ねている。彼は世の中を身近に見てそこから身を引いた人のひとりです。今は彼に天才があるかどうか見守らないといけないでしょう。僕はあると思うし、ボンゲルら何人かの人もそう思っています。彼の作品が良いものになれば、彼は偉大な人間になるでしょう。成功ということについては、もしかするとヘイエルダールみたいに、限られた人に評価され大衆には理解されないというようになるかも知れません。1885リース宛</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>(一部引用省略)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・変わった奴だけれど、なんと素晴らしい頭がその上にのっかっていることだろう。うらやましいことです。　リース宛
</p></div>
<h3>＜テオから母宛＞</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・親愛なるお母さん、どれほど悲しいかを書くことも、紙の上に悲しみをぶちまけて慰めを見出すことも出来ません。すぐにそちらに行ってよいでしょうか。まだここでしないといけないことが色々ありますが、出来れば日曜の朝にはここを立って夜にはお母さんのところにいたく思います。この苦痛は、ずっと長き間僕にのしかかることになるでしょうし、一生、忘れることはないでしょう。ただひとついえることは、兄さんは自ら望んでいた『やすらぎ』を手に入れたということです。・・・・。フィンセントは言いました。「こんな風に逝きたかった」。彼の望みはかなえられました。・・・・ああ、お母さん、とても、そばにいたく思います。ああ、お母さん、本当に僕の、僕の兄さんだったのです。
</div>
<h3>(8)ヨー</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・私は病人を想像していましたが、彼はがっしりした肩幅の広い男の人でした。顔色も良く微笑みを浮かべ、強い意志のようなものを感じました。「まったく健康そのもの。テオよりよほど強そうに見える。」というのが最初の印象でした。</p>
<p>＜7月6日　テオ宅での口論＞</p>
<p>・フィンセントはどうしたのでしょう。彼がうちに来た時私達は少し言いすぎたでしょうか。もう二度とあなたと口喧嘩しないよう自分にしっかり言い聞かせ、あなたの希望通りにすることにします。
</p></div>
<h3>＜フィンセントの死＞</h3>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・彼が家に来た時、もう少し優しくしてあげていたら！</p>
<p>・最後に会った時、自制が足りなかったのを本当に申し訳なく思いました。
</p></div>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>7.なぜ世界的な著名画家になれたか</strong></h2>
<div style="padding-left: 1em; text-indent: -1em;">
・ヨーは20歳代で未亡人になったが、莫大な遺産（当時はガラクタ同然）を、自責の念にかられて、ずっと管理し続けた。</p>
<p>・最初の頃は、リビングに飾るなど普通に家においていたが、次第に絵画の評価が上がってきて、ヨーは、絵画を美術館に公開する為に、売りに出しており、例えば「ひまわり」等も、ロンドン・ナショナルギャラリーに売却している。</p>
<p>・次第に高額のあまり遺産相続もままならない状況下、息子のフィンセントは、フィンセント・ファン・ゴッホ財団を立上げ、ファン・ゴッホ美術館に作品を預ける形で、一生をかけて遺産を守り続けた。</p>
<p>・家族や子孫に恵まれたかそうでないかによって、歴史的評価の重要性が変わってくる。</p>
<p>・先ず、父がファン・ゴッホには良いところがあるからと言い続けたことに端を発する。それがなければ、彼は20代で終っている。</p>
<p>・テオのひ孫にウィレムとヨジンらがいるが、この人たちが私の同世代である。</p>
<p>・ウィレムやヨジンもファン・ゴッホ財団の理事長を務めていたが、代々、直系の子孫が理事長職に就くことになっている。</p>
<p>・子孫の絆も強く、倫理感も強く、遺産を守り続けて来ており、これから後も、次の世代が育っている。</p>
<p>・一族は裕福で楽な生活と見られているが、苦労も多かった。例えば、ヨジンの伯父は第二次世界大戦中に、レジスタンスでナチスに処刑されているし、ヨジンの兄は、映画監督であったが、2004年に映画のある場面がイスラム原理主義者の逆鱗に触れ、惨殺されている。</p>
<p>・初期には画才もそれほどでもなく、社会適応性のない問題児が、画家として名声を得たのは、家族に助けられて、また、子孫に恵まれたことが最大の要因と思われる。
</p></div>
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<h2>質疑応答</h2>
<h3><strong>1.</strong><strong>杉之原三廣（</strong><strong>73</strong><strong>期）</strong></h3>
<p>Ｑ1：ゴッホには画才がないということですが、その基準はなんですか？</p>
<p>→Ａ1：初期の作品は人物のプロポーションからして滅茶苦茶で、とても上手いとは言えず、画才としては低かった。</p>
<p>Ｑ2：それでは、上の上にはどういう人がいますか？</p>
<p>→Ａ2：ピカソ・モネ・ダリ等</p>
<p>ピカソにしても初期の頃は写実的表現も素晴らしく、子供のころから上手かった。</p>
<p>Ｑ3：では、ゴッホの絵がみんなの心を打つのはどういうことでしょうか？</p>
<p>→Ａ3：初期が下手でも、ある時から、アカデミズムではなくアヴァンギャルドとして上手くなる。特にパリでテオと同居した際に、アヴァンギャルド印象派のゴーギャン達と交流することが出来たのが大きい。テオが画商なので、画家達がつきあってくれて、当時の前衛的グループに接することが出来た。パリに出なければ埋もれていた。</p>
<p>もう一つは、ファン・ゴッホは努力をする人で、絵の制作に熱中し、寝る時以外は手紙を読んでいるか、小説を読んでいるか、デッサンの手直しをしていた。</p>
<p>テオに借りている金を返すために絵の制作をしているが、売れる絵を描くために妥協はしたくなかった。この妥協をしないことが、前衛画家の絶対条件であった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><strong>2.清徳則雄（79期）：コメント</strong></h3>
<p>Ｃ1：素晴らしい講演でした。若い頃エキセントリックであった身として感動しました。</p>
<p>→Ａ1：NHKの番組「プロフェッショナル」で、エバンゲリオンの作者の庵野秀明を特集していましたが、ファン・ゴッホは彼に似たところがあると感じた。ただ、まだ庵野さんは社会に適応できているほうだと・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><strong>3.北岡克子（85期）</strong></h3>
<p>Ｑ1：ゴッホの周囲の人々の奉仕する心とか自制心は信仰からくるものでしょうか？</p>
<p>→Ａ1：牧師なので、子供の頃から教会へ行ってキリスト教の倫理観は身に着けている。エキセントリックではあるが非常に真面目過ぎて歯車が狂ったものの、いい加減に悪いことをするのではないというところが、倫理観に裏打ちされている。</p>
<h3><strong>4.竹田誠（98期）</strong></h3>
<p>Ｑ1：ゴッホの病名はなんだったでしょうか？</p>
<p>→Ａ1：これまで国際シンポジウム等も開催されて議論されたが、結局特定できていない。</p>
<p>一方、テオは梅毒だったことが判明している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><strong>5.広本治（88期）</strong></h3>
<p>Ｑ1：ヨーに興味があるのですが、普仏戦争が終わってパリ万博の頃、オランダの状況はどうだったでしょうか？彼女の生活や財産を守ることに影響したでしょうか？</p>
<p>→Ａ1：直接はあまり関係がない。その頃、フランスが負けてロレーヌ地方をドイツに占領された時期に、想像上で、この「地上」に対して上に伸びる「エッフェル塔」や「宇宙旅行」という小説が出たことなどとの関連で、ゴッホの絵の「星月夜」がイデオロギー的に解釈されたこともあるが、ヨーにとっては、政治的につながりはなく、田舎で普通に暮らしていたのであまり影響は受けていない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><strong>6.納多勝（88期）</strong></h3>
<p>Ｑ1：手紙はどのようなペンや筆で書かれていたのでしょうか？</p>
<p>→Ａ1：スケッチも含めて、ペンで書かれ、元々は深い青、紫だったが、時が立つにつれて退色して、茶色や褐色となっている。デッサンなども同じ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><strong>7.宮﨑憲司（73期）</strong></h3>
<p>Ｑ1：ゴッホの才能で上の下或いは中の上とされていますが、根拠はありますか？</p>
<p>→Ａ1：あくまで、直感的な個人的見解。数値的に根拠づけられるようなものではありません。</p>
<h3><strong>8.市橋マリ（73期）</strong></h3>
<p>Ｑ1：死因は自殺・他殺・事故のどれと考えられておられますか？</p>
<p>→Ａ1：分かっていない。他殺としても状況証拠のみで、決定的な証拠はない。</p>
<p>ファン・ゴッホ美術館は歴史的に自殺扱いとしている。強いて言えば自殺説。</p>
<p><strong> </strong></p>
<h3><strong>9.簑島紘一（75期）</strong></h3>
<p>Ｑ1：北野の先輩の佐伯祐三画伯は、パリ滞在中に、ゴッホの影響を受けていますか？</p>
<p>→Ａ1：当時、ゴッホの亡くなったオーヴェール・シュル・オワーズに晩年の作品が残されていて</p>
<p>佐伯画伯もそこに行っており、また、日本の画家の留学生達も通っていた。</p>
<p>そこの芳名録に名前が残っている。直接、間接的に影響は受けたと思われる。<br />
【記録：植村和文（８２期）】</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>なし</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
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