【218回】2月「プロジェクト・マネジメントと日本のインフラ輸出を考える」

Ⅰ.日時 2021年2月20日(土)14時00分~15時30分
Ⅱ.場所 Zoomによるオンライン開催
Ⅲ.出席者数 57名
Ⅳ.講師 多賀正義さん@76期 (建築設計事務所JPM顧問、JCAP7事務局長)

1945年        大阪に生まれる
1964年        北野高校卒業、大阪大学工学部構築工学科入学(土木コース)
1966年        2年生の時休学し、西ドイツ西ベルリンで実習を受ける。
1969年        大阪大学卒業、パシフィック・コンサルタンツ入社、道路室構造部に配属
1975年        アメリカワシントン大学大学院、土質工学専攻
1977年        同上卒業、帰国後、パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル(PCI)に転籍。その後中東、グアム、東南アジア諸国、中国で、住宅、工場、ゴルフ場、空港、遺棄化学兵器処理事業に参画。
2004年        PCI取締役プロジェクト・マネジメント事業部長
2006年        PCI代表取締役社長に就任
2007年        PCI事件で社長辞任、翌年PCI退職
現在   JPM顧問、JCAP7事務局長       URL: http://www.jcap7.com/jp/

Ⅴ.演題 プロジェク・マネジメントと日本のインフラ輸出を考える
Ⅵ.事前宣伝 「プロジェクト・マネジメントとは、大プロジェクトを実施するうえでスケジュール、品質、コスト、コミュニケーション、リスク等を総合的に管理、監督するために必要とされるマネジメント手法です。この手法は、アメリカ国防省、そして航空宇宙局(NASA)で開発・改良され、1969年に人類を月に送り込むことに成功したアポロ計画で活用されました。その後、世界の巨大な建設、生産、イベントプロジェクトの管理にも使われるようになりました。日本のODA社会基盤開発プロジェクトでも使われ、アジア諸国の経済発展に寄与してきました。現在、日本はインフラ輸出という名で、先端技術を海外に輸出する政策が推し進められていますが、原子力、新幹線など必ずしもうまく行っているとは言えません。運営までを含めたライフサイクルに亘るマネジメント能力の欠如が原因とも言われています。プロジェクト・マネジメント、インフラ輸出、グローバリズムをキーワードにして、日本人の海外プロジェクトにおけるマネジメント能力について考えてみたいと思います。」
Ⅶ.講演概要 Part1でプロジェクト・マネジメント(PM)について説明があった。PMとは世界の宇宙開発そして巨大な建設・生産・イベントプロジェクトで活用されている管理手法です。元来プロジェクトは、人間が管理してきたわけですが、規模が巨大になってくると、あらゆる面でヒューマンスケールというか、人間の能力を越えてきたことから、管理不能に陥ることとなりました。このため、スムーズに、そしてリアルタイムでコスト、進捗、品質を合理的に管理していこうと開発されたのがプロジェクト・マネジメントの手法です。1957年のスプ―トニク・ショック以来、宇宙開発で後れを取ってきたアメリカですが、1961年にケネディー大統領が1960年代に月に人類を送り込むと宣言して以来、事業をスムーズに実施するため、このPM手法が国防省とNASAによって開発され、結果として1969年にアポロ計画を成功させました。これによってその後PMは、宇宙開発以外に建設、生産、イベントプロジェクトに応用されてきました。

 

講演者も1994年から1998年までマレーシアのクアラルンプール国際空港(KLIA)の旅客ターミナルビルの建設工事に参画して、大規模なプロジェクト・マネジメントによる全体管理の中で、特に工期の短かったこのプロジェクトの工程管理に携わってきました。KLIAプロジェクトは、核となる施設の滑走路やエプロン等の工事、民営化での貨物ターミナルやメンテナンスためのハンガー、そしてハイテクを駆使した旅客ターミナルの3つの部門から成り立っており、その下には非常に多くのタスクがあります。これらは位置的、工程的に大きく絡み合っており、互いにインターフェースを取って、現場のやり取をきちんと管理することによってプロジェクト全体に遅れが生じないようにする重要な任務でした。

 

続いてPart2として日本のインフラ輸出についての話がありました。戦後の日本のインフラ輸出の始まりは戦後の賠償工事で、講演者が所属していたPacific Consultants International(PCI)もこの賠償工事から海外業務を開始しました。その後、Official Development Assistance(ODA)による経済協力事業に移行し、東アジアの経済発展に大きく貢献してきました。今や世界の大国として大きくのし上がって来た中国について言えば、1976年に毛沢東が亡くなって国を疲弊させた文化大革命が終り、1978年に鄧小平が改革開放路線を打ち出して、ここからようやく中国の経済発展が始まったと言えます。この頃日本や欧米で人件費が高騰したことから、人件費の安い中国や東南アジア諸国に工業団地が民間資本で建設され、多くの欧米、日本企業が海外進出しました。しかし、工業団地だけでは生産活動が成立するわけではなく、ロジスティックを支える道路網、鉄道、港湾、空港のインフラ施設を整備する必要があり、無償・有償のODA資金はこの開発・建設に大きく貢献してきました。また、人材育成も重要な任務で、多くの大学、職業訓練学校が建設され、更にカリキュラムの充実といったソフトでもODA資金が投入されました。インフラ整備、外国からの投資と、そして人材の育成が相まって、アジア諸国が目覚ましい経済発展を遂げてきたのは御承知の通りです。

 

一方日本は、長期のデフレ政策で経済成長が鈍り、活力が失われてきたこと、そしてODAの仕組みが要請ベースであることから誇り高いアジアの政治家には煙たがられたこと、アジア諸国の開発スピードについていけない事、そしてアジア諸国が自己資金を充実させてきたこと等々から、ODAの役割が低下しつつあります。更に、日本の建設会社は、ODAの庇護のもと、長い訓練期間があったにもかかわらず殆ど成長できなかったことから、海外での競争力を失っています。また、建設コンサルタントも言葉の問題や、アジア諸国の人材が育成されてきたことから、海外で盤石の地位を築くことができず、売上ランキングも後退しており、若い次の世代を育成できていません。

 

新幹線に目を向けると、日本では1964年に東京・大阪間で世界に先駆けて高速鉄道を開発・実現し、これまで3139㎞の路線網を築いてきました。しかし、中国は2012年に初めて、日本の技術を導入して北京―天津間の高速鉄路(高鉄)を走らせて以来、2020年までのたった12年間で35,000kmの高鉄路線網を建設してきました。年間3000㎞近い建設スピードです。日本のこれまで作り上げてきた全路線分を、1年で建設してしまうほどの猛烈な速度です。列車の生産も世界ランキングで中国中車(中国南車と中国北車が合併してできた車両メーカー)が年間3兆7500億円の売り上げでダントツの世界1です。日本でトップの日立製作所は3750億円ですから、中国中車の10分の1にしかすぎませんし、ヨーロッパでトップのジーメンスやアルストームも中国中車の4分の1に過ぎません。こういったデーターから、新幹線がもはや日本独自の冠たる技術というわけではなく、中国高鉄、ヨーロッパのTGVといった強力なライバルがあることを理解せねばなりません。

 

最後に、日本のJR東日本が中心となってインフラ輸出を進めているインドのムンバイとアハメダバードを結ぶ高速鉄道について話しがあった。インフラ輸出に熱心であった安倍前首相の売り込みもあって、2015年にインドに日本の新幹線技術が導入され、多額の融資をすることも決まって2023年に完成・開通の予定でした。しかし、用地買収の遅れ、設計変更、そして1.8兆円から2.5兆円に建設コストが跳ね上がったことから、建設資金を借りるインドとして不信感を招くようになり、現在2028年冬の完成に完成と5年の遅れを余儀なくされています。こういった経緯を見ると、政治家が「日本の高度な技術のインフラ輸出!」と叫ぶものの、世界的なレベルでマネジメントができる日本の人材不足、建設会社やメーカーの価格競争力が無いことから、せっかく有償援助をしても日本の製品を売り込む機会に結び付かないことが起こっています。更に、交通インフラを指導して運営・運転を教える日本人の人材が徹底的に不足しています。こういった事情も考慮してインフラ輸出政策を進めて行かないと、折角の商機をふいにすることになります。中国のアフリカでのジブチ-エチオピア鉄道の建設・運営には延べ6万人の中国人が移住したと言われています。これらの中国人はアジア諸国でそうであったように、一部の人はアフリカに住みついて華僑となってアフリカ諸国の経済を牛耳ることになるのかもしれません。一帯一路政策の具現であり、中国人のたくましさを見る思いがします。気候、風土、環境、安全、教育いずれの面をとっても問題と思う日本人にこのマネができるでしょうか。こういったことも、今後充分に考慮してインフラ輸出政策を進めていく必要があると思う次第です。

 

質疑応答(敬称略)

樋口徹男(75期)

質問:私は2000年頃ビジネスでマレーシアに何度か通いました。その時、クアラルンプール国際空港(KLIA)に降り立ったのですが、きれいな空港建築に感銘を受けました。今日の多賀さんの話と考え合わせると、多賀さん達が完成させてから2、3年後に私が訪問したことになります。多賀さんは、世界各国でいろいろなプロジェクトに携わってきたわけですが、プロジェクト・マネジメントの肝となる重要なポイントは何ですか?

回答:金儲けの肝は何ですかと言われて、一言で答えるのが難しいのと同じ質問と思います。例えば、現在技術力で名高い三菱重工がMRJという商業飛行機を開発させるのに苦労し、いまだ完成させていません。零戦とか戦艦大和を作った三菱重工ですが、技術の点では問題ないとするものの、商業飛行機となると別の観点からの困難があります。即ち、乗客の安全確保といったことやアメリカのFAA(連邦航空局)の許可を得なければなりません。その点で最初のプロセスからボタンの掛け違いあったようで、慌ててアメリカ人の専門家を雇って挽回しようとしたのですが、日本人との折り合いの問題もあり、現在必ずしも順調に進んでいるわけではありません。技術だけでは解決できないマネジメントに起因する問題が多いと聞いています。KLIAの建設の場合、時の宰相、マハティール首相が何度も空港に足を運んで、期間内に終了させるよう強力な指導力を発揮させてきました。政府の承認を早めるために、各省を纏めた委員会を設置して一挙に検討させることも実施しました。こういったこと考えると、プロジェクトを成功させるための肝はと言われたら、トップのリーダーシップを第一に上げたい。リーダーが的確に問題点を把握して、適切な処置を下すことでしょう。

 

坂田東一(79期)

質問:日本の国際性を上げる方法は何でしょうか。多賀さんは、学生の頃からドイツに行って国際経験が豊富なようですが、ご自身の経験から何か良い方法はありますか。

回答:国際性は日本人の永遠の課題のようで、これといった方法は見当たらないのですが、私の経験から言うと、学生の頃に行ったドイツの経験が大いに役立ちました。ヨーロッパでは小さな国がせめぎ合っており、いろいろな民族がいて、言語がある。こういった中で育つと、いやが上でも国際性というのは身に着くのだと感じました。私がドイツに行った1966年頃は、まだ1ドルが360円の時代で、日本も貧しく海外旅行など夢のまた夢の時代でした。現在は誰でも簡単に海外に行くことができようになり、いろいろな機会を掴んで、外国に行くことは、国際性を養ううえで一つの方法でしょう。できれば住み着く。また、私は1975年からアメリカのシアトルにあるワシントン大学で学ぶことができました。当時の日本は、アメリカとは国力、経済力で段違いの時代で、アメリカに対して一種の怖れに似た威圧を感じていました。しかし、実際に行ってみると「アメリカ人だってたいしたことないじゃん」と確信し、変に威圧されるものが無くなってカラ元気のようなものも出てきました。こういった、外国人に対して怖れを持たない、自分自身に自信を持つことも必要です。

 

稲垣京子(94期)

質問:中国の新幹線の事故の話がありました。私の友人がその件で苦労して、「これは日本のせい」と中国人から言われたとも話していました。語学教育についてですが、これを身に付けるために何かいい方法はありますか。

回答:日本人は読み書きができるものの会話は下手という事になっています。海外でビジネスをしようとすると、先ずすべての面で英語に堪能でないといけないわけですが、なかなか日本人で思うところを英語で書いてみろと言われて、サラサラと書ける人は非常に少ない。最近は英会話を学習する機会は増えてきましたが、書く方もしっかり勉強してほしいと思います。私でさえ現在もEWS, English Writing Schoolというのに参加して、Nativeの人に英文レポートの添削してもらっているほどです。MailやFace Bookによる文通でも良いので、機会を作って簡単なことから積極的に始めて、英語でやり取りできる友達を作ることでしょう。そしてそれを継続することです。いつかきっとものになるはずです。

 

Ⅷ.資料

資料-講演に使用したパワーポイント資料〈37MB)

 

【記録:多賀正義(76期)】

Ⅷ.資料 資料-PMとインフラ輸出(9MB)