援助は町内会費か

2008年10月22日

アフリカの大地を緑に~ジャカランタの花咲くジンバブエから【第26話】

たまには笑いも取らなあかん
たまには笑いも取らなあかん
(ジンバブエ)

北野の校庭に「殉難の碑」がありますよね。
私は、ジンバブエ派遣の前に、この碑を見に行きました。
開発途上国への技術協力の究極の目的は、世界平和なんですよ。だって、世界中の人々の毎日の暮らしに不安がなく、自分や子供の将来に希望があれば、あえて 戦争を起こそうとする人はいないでしょ。きっと。
農業分野の技術協力は、「小麦粉をあげるのではなく、小麦の作り方を教える。」のですから、うまくいけば、少なくとも、食い物での争いはなくなるはずで す。
とりあえず、腹いっぱいになれば、子供を畑の仕事から解放して、学校へ行かせることができるかもしれない。読み書きソロバン(電卓?)が身に付けば、詐欺 師にだまされることもなく、うまくいけば高収入の仕事にありつけるかもしれない。栄養を摂ることにより、病気への抵抗力も付くでしょう。
そういう仕事なんです、技術協力は。

子どもたち
子どもたち
(ネパール中部にて)

ちょっと、援助、特に資金協力の歴史を振り返ってみます。
1960年代の後半、援助は開発途上国が共産主義化しないようにと、旧ソ連との援助競争という形で増加していきました(南北問題)。1970・80年代 は、東南アジアへの経済協力を足場に、日本の輸出振興と投資拡大、資源確保を図った時代でした。ところが、1990年代になり、冷戦構造が崩壊すると、 「南北問題」という政治的看板がなくなり、さらに最近は開発途上国の製品・農産物が日本に押し寄せるようになりました。 おまけに、国連の安全保障理事会の席が欲しくてばらまいた援助も、鼻薬にはならなかったし。
ある日本の外交官が「援助は町内会費と同じで近所付き合いの一環」といっておられましたが、付き合いに貴重な税金を使うような悠長な日本の財政状態ではあ りません。

東南アジアでは、その発展と同時期に日本の援助が増加したので、あたかも「日本の援助がアジアの発展を支えた」ように見えますが、実は、日本の民間企業が 投資を行い、貿易を活発化させたからこそ、今のアジアの発展があると、識者は指摘しています。援助は、経済成長の万能薬ではありません。

壷売りの親子
壷売りの親子
(エジプト中部にて)

だから、「アジアの奇跡をアフリカに」といわれても、援助だけではアフリカの発展は難しいでしょう。かといって、日本の企業がアフリカ各国に積極的に投資 を行うとは思えない。もちろん、成功例もありますよ。
さらに、対アフリカ援助の先輩格である「欧米各国の援助は効果がなく失敗した」とされています。
この八方ふさがりに中で、日本は対アフリカ援助を増やそうとしています。さてさて、どうなることか。

そのアフリカの農業分野への日本の援助ですが、過去には成功した例もあるのです。
タンザニアとケニアの水田の例ですが、まず日本が農民の訓練センターと実証展示水田を無償援助で作って、日本人専門家を派遣。技術面での不安が無くなった 段階で、日本が借款として資金を貸してあげて水田を造成。最後は相手国が自分の資金で、さらに水田を拡大。現地は、今では、地平線まで水田が広がっていま す。日本と違うのは、収穫中の水田の隣で、田植えを行っていること。気候条件が違いますからね。
成功の秘訣は、資金と人材を集中投資したことにあると、言われています。ばらまきをやめて、集中と選択。ジンバブエは、選択肢には入らないだろうなあ。イ ンフレがすごいし、トラクターを動かす燃料もないし。