日本と同様、スイスの地名にもそれぞれ語源がある。ポラントリュイ‐Porrentruyは、字面だけでは分からないが、実は歴史家が現在でも喧々諤々 持論を繰り広げられるだけの深い意味を持つ。
7世紀、Porrentruyは、メロヴィング王朝アウストラシア王国に従属するアルザス公国の一部となっていた。623年、後にフランク王国を統一す るダゴベルトI世(善王Dagobert Iと呼ばれる)がアウストラシア国王に任命された。王の二番目?の妻の名はRagentrude(ラーゲントルード)という。その女性が町を流れるアレン (Allaine)川に橋を建設したとという言い伝えがあり、一見何の関わりも無さそうな「Porrentruy」の語源は、「ラーゲントルードの 橋」=Ponsragentrudisから来ると主張する学者がいる。確かに町の創成期頃の名前として文献に残されている。 話しは少しそれるが、フランス語圏の子供なら誰でも知っている「善王ダゴベルト」という歌がある。フランス大革命時に王政を揶揄する歌として誕生した。 ダゴベルトI世は専制君主ではなく、多くの貴族や僧侶を側近として登用し、彼らの教えに耳を傾けて政治を行っていた。その中に、後に言う「宰相」的な役割 を果たした聖エロワ(Saint Eloi)という聖職者がいた。歌詞の一番に、王と、その奔放な放蕩生活を諌める聖エロワとの会話が導入されている。 ♪ダゴベルト善王はパンツを裏返しにはいた。 *ここでいう「パンツ」は昔の短跨(たんこ)、今で言うショートパンツである。
Ponsragentrudis、1140年にはPontereyntruと呼ばれた町は、1200年代に入ってBrunnendrut、そして 1283年にはBurnentrutと記されている。「Brunnen」はドイツ語でも水源や泉という意味であるが、「-drut」を古代ケルト人の宗教 を司った僧「ドルイド(druide)から来たと解釈すると、意味は「ドルイド僧の泉」となる。また、古代、ケルト語でBruntrutumと呼ばれた時 代もあるらしい。これを訳せば「水源の国」である。 「Porrentruy」の町の名は、文献の中で時代ごとに微妙に綴りを変えていく。私個人はガイドとして日本人のお客様に説明する時には後者の説を 取っている。海や河川の恵にはぐくまれた日本人は、遠い昔の王妃の話よりも、豊富な水で潤い育まれた歴史の方に、より親近感を覚えるかも知れないと判断し た上である。
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ポラントリュイだより:Porrentruyの語源
2010年2月28日