ポラントリュイだより:シナゴーグ物語《その1》

2010年2月28日

スイス国ジュラ州ポラントリュイ市。「シナゴーグ通り一番地」に私のアパートは位置する。 かつてこの場所にはシナゴーグ、つまりユダヤ教会が建っていた。現在、町にユダヤ系家庭はたった一家族。 更に、「ユダヤ人」という定義を、ユダヤ教義を重んじユダヤ教信仰厚い人間に限るとすれば、人口約7000人中ゼロに等しい。 そんな町になぜユダヤ教会が存在していたのか? ポラントリュイ市のユダヤ移民の歴史に焦点を当てると、民族の数奇な運命と共に、 ジュラの地方産業・経済の盛衰、そして・・・そう遠くない過去のあやまちが浮き彫りにされる。


▲在りし日のシナゴーグ、
ポラントリュイ名物の青空に映える。

(撮影Jean Vallat氏)

ポラントリュイ市に移民してきたユダヤ人の大多数はアルザス地方出身である。記録に残る最初のユダヤ人は、革命政府統治下のフランスから1794年に移 住してきた家族である。
19世紀半ばからフランス・アルザス地方で反ユダヤ運動が盛んになった。1870~1871年の普仏戦争後、アルザスがドイツの統治下に入ると、スイス に移住するユダヤ人が激増した。 ポラントリュイを含むジュラ地方全体で1850年に200名ほどだったユダヤ人が、1880年には500名にのぼる。その後、ジュラの政治・経済危機、産 業衰退と並行してユダヤ人口は減少し続け、1950年には100名ほどになってしまった。
ナチス支配下のフランスからは、多数のユダヤ人が命がけでスイスに入国しようと試みたが、越境を果たしたとしてもスイス国境警備隊によって追い返され た。ドイツをはばかるスイス連邦政府の命令であった。 一方で、密かに彼らの入国を助けていた修道会や民間の人々もいたようである。このテーマについてはまた別の機会にお話ししたい。

19世紀から20世紀初頭にかけ、ユダヤ人の伝統的な職業と言えば、商業、主に牛馬や土地の売買であった。1818年から1840年頃のポラントリュイ 市における彼らの職業は、 繊維・皮革製品製造業が大多数で、その他は牛馬の売買であった。1910年頃になると衣類を中心とした商店と牛馬の売買業者が7 :3の割合になる。
ユダヤ人定住者の子孫の中には、別分野に新天地を見出し、類い稀なる成功を収めた者も少なくない。スイスが世界に誇る時計会社やチョコレート製造業者の 一部がその例である。


▲現在建つアパート
建築家は「人目を引く奇抜な形の建物」
を追求したそうだ。

ここでは、ポラントリュイ市におけるユダヤ人の活動に焦点を絞ってお話しよう。 「S家」は、20世紀初頭から半ばにかけ、地域経済に貢献した実業家一族である。1898年、ポラントリュイに定住した創設者は、既製服の小売店を開い た。 彼には四人息子がいて、うち一人は1906年にストッキングと靴下製造の工場を開いた。1911年に彼は他の兄弟とも提携し、メリヤス製品会社を設立し た。 ところがこの後、兄弟間の意見・経営方針の不一致で会社は分裂し、別々の工場経営に入る。
S家が経営する工場の一つで隣人デニーズさんが働いていたそうなので、お話を聞いてみた。 「当時は120人ほど働いていたかしら。冬の朝は寒くてね。ありったけの服を身にまとって仕事をしたわ。 給料はそんなに良くなかったけど、新製品、特にビキニを試着させてもらえた時は嬉しかった。各製品の質は最高級。長持ちしたわよ。 二つの兄弟工場の間には確執が依然としてあって、工員同士までお互いをけなしていたわ。おかしな話よね」
経営者の一人のご子息にあたるアンリさんの自伝によると、その後、経営者の息子同士(つまり従兄弟)は仲直りしてめでたく大親友となったそうである。

~次回に続く~