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	<title>ワールドアイ　オランダ &#187; 7 「大西洋の壁」と「松代大本営」</title>
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		<title>探訪「大西洋の壁」と「松代大本営」(その3) (2008年11月23日)</title>
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		<pubDate>Sun, 23 Nov 2008 14:50:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[7 「大西洋の壁」と「松代大本営」]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

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		<description><![CDATA[さて、今回は一転、長野市は松代大本営探訪記である。前々回の連載でも触れた、戦争末期に作られた、中央政府機構を避難させるための巨大な地下壕だが、 松代の町の南方の、象山、舞鶴山、皆神山の３ヶ所に建設された地下壕のうち、現在 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<table width="600" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu30-1.jpg" alt="松代象山地下壕鳥瞰図" width="600" height="360" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>さて、今回は一転、長野市は松代大本営探訪記である。前々回の連載でも触れた、戦争末期に作られた、中央政府機構を避難させるための巨大な地下壕だが、 松代の町の南方の、象山、舞鶴山、皆神山の３ヶ所に建設された地下壕のうち、現在は象山地下壕の一部が、一般人でも見学可能なようになっている。なお、舞 鶴山地下壕は、気象庁によって地震観測所として活用されている。皆神山地下壕は、落盤が多いため、公開も活用もされていない。</p>
<p>「大西洋の壁」と同様、敗色濃厚になってきたため、防戦のために急遽作られた施設で、1944年11月に着工され、終戦日の8月15日まで工事は続けられたが、進捗率75%で工事は中止され、ついに本来の目的として使用されることはなかった。</p>
<table width="500" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu30-3.jpg" alt="松代象山地下壕あんない図" width="480" height="220" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>三つの地下壕の中で最も規模の大きい象山地下壕は、総延長延べ5800mで、中央省庁やNHKなどが移転予定だった。戦後、その一部が信州大学の宇宙線 観測室に活用されていた他は、長い間一般公開はされていなかったが、1980年代から活発化した保存運動などによって、現在はその一部の約500mの部分 が一般公開されている。長野市観光課が管理しており、現在のところ入場料は徴収していない。9時から4時の間、入り口横の管理事務所に申し出れば、誰でも 見学することができる。</p>
<table width="350" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu30-4.jpg" alt="松代象山地下壕入り口" width="320" height="240" /></td>
</tr>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu30-5.jpg" alt="松代象山地下壕内の様子" width="320" height="240" /></td>
</tr>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu30-6.jpg" alt="松代象山地下壕内の様子" width="320" height="240" /></td>
</tr>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu30-7.jpg" alt="松代象山地下壕内の様子" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>地下壕の入り口と、内部の様子である。一般見学可能なところは、電灯が灯され、足元はきれいに整備されている。トンネルの幅が広いところでは、天井には 補強がなされており、万一の崩落の危険に備えている。見学可能なコースは、網目状に入り組んで建設された地下壕の、一本道のコースだけで、立ち入り不可の 区域の手前には柵が設置されている。毎日4時の閉壕時間後には、設備に異状はないか、滞留者がいないか見回りを行っているようで、この施設の一般公開には それなりのコストが支払われている。<br />
これだけの規模の設備の維持と公開を、入場無料で行っている長野市の努力には敬服する。史跡指定への申請や、見学有料化などが検討されているという。これだけの史跡をいい状態で保つことができるのなら、有料化も意義のあることだろう。</p>
<p>さて、ここ３回に渡って、アイマウデンと松代の、敗戦国が作った戦争遺跡の探訪記を綴ってきた。保存状態の違いについて論じるつもりはない。両者の位置づけや設置の目的は大きく異なるのだから、状態に違いがあるのは当然だ。</p>
<p>一方で、いずれのケースも、敗色濃厚になった国が、戦争を継続させることを目的に建造したという共通点がある。敗戦という形で終わったあとには、「無駄 な努力」と切り捨てられても仕方のない、労力と資源がつぎ込まれたことになるが、戦後数十年を経た今、その労力と資源を少しでも無駄にしないためにも、こ れらの施設からより多くの教訓を汲み取るのが、現代人に課せられた課題であろう。</p>
<p>日本にせよ、ドイツにせよ、これら東西の敗戦国は、攻勢から劣勢に転じた後、必死になって何かを守ろうとしたのである。なぜそこまで必死にならねばなら なかったのか、何がそこまで彼らを駆り立てたのか。そもそも、戦争の原因の根本には、守るべき何かがあり、追い詰めるに至った何かがあった。戦争を始める ことになったきっかけは、ただ自分の支配領域を増やしたいという、我欲だけだったはずはないのである。</p>
<p>それが何かを深入りして議論する場ではないので、問題提起だけにしておこう。ドイツの場合は、第一次世界大戦の戦後処理に大きな問題があった。日本の場 合は、当時の世界に蔓延する、白人絶対優位主義とキリスト教文明絶対優位主義があった。戦勝国史観によって見逃されがちなこれらの問題は、本来ならもっと 議論されて然るべきものなのだが。</p>
<p>最後に一言。少々脱線気味になるが、もう少しおつきあい願いたい。</p>
<p>松代大本営を取り上げている他のウェブサイトなどでは、言わば突貫工事とも言える建設現場が、少なくない数の命を失わせたことについて批判的なところが 多いが、筆者には少し違和感を覚えさせる。なぜなら、この時代に自らの意思に反して命を失った人々の総体を見ずして、局所的な議論に終始していると思わざ るを得ないからである。</p>
<p>同時代の多くの日本の若者たちは、強制的に戦争の最前線に赴かされ、悲惨な状況で死を迎えている。また、炭鉱や金属資源鉱の採掘現場ーーーこれらもほと んどが突貫工事だったがーーーとは違って、松代では有毒ガスや金属汚染による健康被害の心配が少なかったことを考えれば、この現場への従事はまだ恵まれて いた方、とは言えまいか。</p>
<p>確かに、工事従事者は徴用された朝鮮半島出身者が多かった。しかし、日本政府の庇護を受けたおかげでロシアからの侵略を免れていた彼らにすれば、本土出身の若者が徴兵で戦地に赴かされていたのと同様、徴用による勤労奉仕はやむを得ないことだったのではないか。</p>
<p>この工事における朝鮮半島出身者の犠牲者が多かったことだけを、ことさら取り立てて議論すると、ことの本質を見誤る。悼むのは、ここで亡くなった犠牲者 だけでなく、同じ時代に他の地で散っていった犠牲者にも思いを馳せる、そういう視野の広さを持って、ここの遺跡を見つめて欲しいと思う。</p>
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		<title>探訪「大西洋の壁」と「松代大本営」(その2) (2008年10月23日)</title>
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		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=103#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 23 Oct 2008 14:50:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[7 「大西洋の壁」と「松代大本営」]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

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		<description><![CDATA[▲トーチカ(3) まず見てもらいたいのが、前話の航空写真で 言うところの「トーチカ(3)」である。ここに陣取った守備兵は、機関銃を装備していたのであろうか。砂丘を這い上がってくる敵の兵士を、下の隙間から狙 いを定め一網打 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<table width="600" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu29-1.jpg" alt="トーチカ(3)" width="600" height="320" /><br />
<span>▲トーチカ(3)</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>まず見てもらいたいのが、<a href="../../../worldeye/nederland/episode28.html#birdeye_map">前話の航空写真</a>で 言うところの「トーチカ(3)」である。ここに陣取った守備兵は、機関銃を装備していたのであろうか。砂丘を這い上がってくる敵の兵士を、下の隙間から狙 いを定め一網打尽にするよう設計されていたのかもしれない。上の隙間の役割はよくわからない。ヘルメットをかぶった兵士が胸の前に機関銃を構えるには天井 が低すぎるようだ。<br />
それぞれの隙間は人間が出入りするには狭すぎるし、そもそも出入りするには足場が悪すぎる。手前にある正方形の穴に取り付けられた梯子を使って、出入りができるようになっているようだ。現在は砂がぎっしり詰まっていて、通行することはできない。</p>
<table width="380" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu29-2.jpg" alt="トーチカの大きさ" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>このトーチカがどの程度の大きさかを示したのが、右の写真である。自分の写真をこのページに掲載するのは、実は恥ずかしくてたまらないのだが(笑)、手 頃な比較の対象品がみつからなかったので、上記の正方形の出入り口の縁にカメラを置いて、セルフタイマーにて撮影した。シャッターを押してくれる道連れも いない、孤独な取材である(苦笑)。<br />
身長163センチの筆者がこの程度だから、トーチカの規模がわかってもらえたと思う。その他のトーチカも、ほぼ同じぐらいの規模である。</p>
<table width="600" border="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu29-3.jpg" alt="トーチカ前面と後面" width="600" height="225" /></td>
</tr>
<tr>
<td><span>▲トーチカ前面</span></td>
<td align="right"><span>▲トーチカ後面</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>このトーチカを前方から見ると、こんな感じである。こんなものを攻め落とそうと思ったら、中の兵士が弾切れになるのを待つぐらいしか手はなさそうだ。外からはどんな強力な兵器で攻撃しても落ちそうにない。<br />
後姿にも興味のある人はいるだろうか。大して立派な後姿ではないが、左下に掘られている穴はなんだろう。もしかすると、うずめている砂を取り除けば、出入り口になっているのかもしれない。</p>
<table width="380" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu29-4.jpg" alt="トーチカ(5)" width="320" height="240" /><br />
<span>▲トーチカ(5)</span> <img src="../../../worldeye/nederland/komatsu29-5.jpg" alt="海に面した開口部" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>次に、トーチカ(5)を見てみよう。誰が描いたか知らない落書きにはとりあえず目を背けるとして、先ほどのトーチカとは違って、前面が広く開いていることに気づくだろう。</p>
<p>この、広く開いた部分を写したのが、次の写真だ。地面には極太のボルトが円状に並んでおり、天井には吊り下げ用のフックが6つ並んでいる。開口部が海を 向いていることを考えると、海上の船舶にむかって砲撃を行う大砲が設置されていたのであろう。正面からの攻撃には弱かったかもしれないが、天井と左右後の 壁は、分厚いコンクリートで守られている。</p>
<p>このスペースに収納できる大砲が、どの程度の射程距離でどの程度の破壊力なのかは皆目見当がつかないが、「大西洋の壁」の主役として、近づく敵の艦船を 撃退する役割を担っていたはずだから、よほど強力な大砲が装備されていたに違いない。冗長なので写真は示さないが、トーチカ(1)(2)(4)もほぼ同じ 構造を取っており、敵の艦船を跳ね返す役を持つこのタイプが、重要な役割を担っていたことを想像させる。</p>
<table width="360" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu29-6.jpg" alt="ヒドい落書き" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>トーチカ(5)の内部構造は右の写真を見てもらおう。結構な奥行きがあって、この通路の両サイドにはちょっとした小部屋がある。弾薬庫か何かなのかも知れないが、単純に大砲を覆っているというわけではなさそうだ。</p>
<p>それにしても、ヒドい落書きである。落書きされるがまま放置、というのもなんだか悲しいものがあるが、それほど何の管理もされていないということだろ う。落書きを描いているのは、どこにでもいる撥ねっ返りの若者だろう。ネオナチのような政治的内容はあまり見られないが、いずれにせよ日が暮れてからはあ まり近寄らないほうがよさそうだ。</p>
<p>さて、今回はいつもの執筆スタイルとは違った形態で、写真を多用して「現地ルポ」的なものをお届けした。先の戦争で、ドイツ軍がどのように頑丈な建造物 を作ったのか、読者諸氏にも実感していただきたかったためである。「大西洋の壁」というぐらいだから、これだけの設備が何百キロの長さに渡って並べられ た。そして、ほとんどの設備は実際に使用されることはなく、戦場になったのはノルマンディー周辺の数キロの範囲だけ。<br />
戦争というものは、破壊と秩序崩壊がある一方で、無駄な投資による建築物と、終わってみれば省みられない奇妙な秩序とが残る。この投資に向けられた資 金や労働力は、もっと建設的な方向に利用できる機会もあったはずなのに、このようにして利用されず失われるのは残念なことだ。</p>
<p>そして、一方で想像していただきたかったのは、もはや無用の長物とはいえ、取り壊すにもそれなりのコストがかかりそうなことである。現状はまさに「放 置」の状態であり、保存するでもなく、管理するでもなく、かつ、若者の溜まり場になろうが、迷い込んで負傷者が出ようが関知せず、といった状態であること も、実感してもらいたかった。ただ、なぜ放置しているのか、本当の理由は、アイマウデン市議会の議事録でも繰ってみないとわからない。</p>
<p>それにしても、この地の守備に配備されたドイツ軍兵士達は、いったいどんな気持ちで毎日を送っていたのだろう。松尾芭蕉は平泉の地で「兵(つわもの)どもの夢」に思いを馳せたというが、筆者も好天の初夏の日に、当時の兵士達の境遇に思いを馳せたのであった。</p>
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		<item>
		<title>探訪「大西洋の壁」と「松代大本営」(その1) (2008年8月27日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=97</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=97#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 27 Aug 2008 14:47:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[7 「大西洋の壁」と「松代大本営」]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; ▲今も残るIJmuiden-Westのトーチカ群をパノラマ撮影にて合成した左から、4つ並ぶトーチカ、トーチカの台座(?)、さらにもうひとつのトーチカ ※画像が表示されない場合は旧レイアウトのページにアクセス [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<table width="600" border="0">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><object width="600" height="416" classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,40,0"><param name="SRC" value="komatsu28-1.mov" /><param name="AUTOPLAY" value="false" /><param name="CONTROLLER" value="true" /><param name="KIOSKMODE" value="true" /><param name="src" value="../../../worldeye/nederland/komatsu28-1.mov" /><param name="autoplay" value="autoplay" /><param name="controller" value="true" /><param name="kioskmode" value="true" /><param name="pluginspage" value="http://www.apple.com/quicktime/download/" /><param name="alt" value="IJmuiden-Westのトーチカ群:QTVRパノラマ" /><embed width="600" height="416" type="application/x-shockwave-flash" src="../../../worldeye/nederland/komatsu28-1.mov" SRC="komatsu28-1.mov" AUTOPLAY="false" CONTROLLER="true" KIOSKMODE="true" autoplay="autoplay" controller="true" kioskmode="true" pluginspage="http://www.apple.com/quicktime/download/" alt="IJmuiden-Westのトーチカ群:QTVRパノラマ" /></embed></object> <!--img src="komatsu28-1.jpg" WIDTH=600 HEIGHT=150 ALT="IJmuiden-Westのトーチカ群"--><span>▲今も残るIJmuiden-Westのトーチカ群をパノラマ撮影にて合成した</span>左から、4つ並ぶトーチカ、トーチカの台座(?)、さらにもうひとつのトーチカ</p>
<p>※画像が表示されない場合は<span style="text-decoration: underline; color: #0000ff;"><a href="http://www.rikuryo.or.jp/worldeye/nederland/episode28.html" target="_blank"><span style="color: #0000ff; text-decoration: underline;">旧レイアウトのペー<em>ジ</em></span></a></span>にアクセスしてみて下さい</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu28-2.jpg" alt="大西洋の壁" width="320" height="420" /><span>▲大西洋の壁</span>第二次世界大戦中イギリス本土からの連合軍の侵攻に対してナチス・ドイツによってヨーロッパ西部の海岸に構築された全長2,685kmに及ぶ広範囲な海岸防衛線（出典:Wikipedia）</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>今回のテーマは、「東西敗戦国の戦争遺跡」である。オランダは敗戦国になっていないが、第二次大戦では5年間ドイツの占領を受けたので、その間に「戦争遺跡」と呼べるものが残された。「東の敗戦国」はもちろん、我が国・日本である。</p>
<p>この連載の<a href="../../../worldeye/nederland/episode05.html">第5回</a>で も少し触れたが、ドイツは1942年末頃から、英米を中心とする連合軍の反撃に備えて、「大西洋の壁」と呼ばれる軍事施設を構築し始めた。ノルウェーから 南フランスまで、大西洋に面する海岸線べりに、海からの侵入を防ぐための防衛線である。当然ながら現代では、そのほとんどが取り壊されている。日本の歴史 教科書にはまず登場しないので、日本人にはなじみが薄い。</p>
<p>日本人の目に触れる機会があるとすると、映画「プライベート･ライアン」の冒頭20分、ノルマンディー上陸作戦を生々しく描いたシーンだろう。上陸作戦で連合軍が突破しようとした陣地が、「大西洋の壁」である。</p>
<p>ノルマンディーは、ドイツ側の防備体制が弱かったから上陸作戦に選ばれたわけではない。英国から船で向かう上陸部隊が、海上で迎撃を受ける可能性が低い ルートと判断されたからである。オランダやベルギー海岸などに防備体制が弱い地点があれば、上陸作戦にはそちらが選ばれていた可能性もあった。しかし、連 合軍から見て、デンマークから南フランスまで、「大西洋の壁」の防備体制にあまり違いが見出せなかったようで、いずれの場所も十分強固と判断した上で、海 上の安全を優先して「壁」の突破を図った、ということらしい。</p>
<p>結果的に突破までに凄惨な被害を出してしまうほど、「壁」の防備体制は強固だったわけだが、それだけの強固な防備体制は、ノルマンディーだけでなく、大西洋に面した海岸沿いに延々と築かれていたわけで、考えてみれば途方もないムダである。</p>
<p>ノルマンディーでの突破を許した後は、他の「壁」の部分では、大きな戦闘行為が起こることもなく、終戦後は完全な無用の長物となった。</p>
<p>オランダに残された防衛基地も、ほとんどは戦後早いうちに破壊されたが、今もわずかながら破壊されずに放置されている構築物が残っている。アムステルダ ムからさほど遠くない海沿いの町IJmuiden（アイマウデン）近郊に、その残骸群を見つけたので、この場を借りて探訪記を綴ろうと思う。</p>
<p>対する日本の戦争遺跡は、長野市郊外松代地区にある、いわゆる「松代大本営跡」である。知る人ぞ知る戦争遺跡なので、知らない人のために一応解説を加え ておくと、米軍と本土で戦闘行為になった際に備えて、東京から中央政府機能を避難させるために長野市南郊の山腹に掘り造った、巨大な地下壕である 。</p>
<p>終戦後は当然その建設目的を失ったわけだが、潰す理由もなければ、かといって残しておく積極的な理由もないまま、長年放置されてきた。しかしながら、 1980年代から活発化した保存運動などによって、現在は消極的ながら公開されている。昨年仕事で長野市を訪れる機会があり、その折に一部の地下壕に立ち 寄ることができたので、併せて探訪記を残しておく。</p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu28-3.jpg" alt="IJmuiden地図" width="320" height="320" /></td>
</tr>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu28-4.jpg" alt="IJmuiden-Westのトーチカ群(Google衛星写真)" width="320" height="240" /><span>▲Google衛星写真でもはっきり認識できるトーチカ群(上のパノラマ写真の、だいたいの撮影場所と視野を示した)</span><a onmouseover="gmap.src='../../img/icn-items-over.gif'" onmouseout="gmap.src='../../img/icn-items.gif'" href="http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ie=UTF8&amp;ll=52.454728,4.571149&amp;spn=0.003812,0.01163&amp;t=k&amp;z=17" target="new"><img src="../../../img/icn-items.gif" alt="" width="10" height="13" border="0" hspace="0" /> Google Mapで見る</a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>まずは【オランダ・アイマウデン】から。</p>
<p>アイマウデン は、アムステルダムから西北西約20km、アムステルダム中央駅の北側の大運河“IJ”の、北海につながる最短ルートの玄関口に当たる港町である。ここの 港からは、北海の対岸英国との定期船が就航しているほか、漁港としても有名で、新鮮な刺身・寿司ネタを手に入れられるということで、在蘭日本人の間ではよ く知られた町である。大運河“IJ”をはさんで対岸のCorusは、重工業コンビナート地区として有名だ。</p>
<p>このアイマウデンの西の町はずれ、漁港などの倉庫群の南西に、オランダの海岸べりではよく見かける、比較的大きな砂丘がある。「大西洋の壁」の名残は、その砂丘の上に残されている。ごらんのように、ざっと見回しただけ で、トーチカらしきものが6つほど見て取れる。</p>
<p>筆者が初めてここを訪れたのは、ECNの同僚たちと、この場所で職場ハイキングを行ったときだ。この職場ハイキングの内容はいずれ稿を改めて紹介すると して、このとき初めて目にした「大西洋の壁」の実物は、筆者には衝撃的だった。この場所が初めてだったオランダ人の同僚も多かったようで、「壁」がこんな にたくさん残っている場所は、他にあまり知らない、と感想を漏らしていた。</p>
<p>年嵩の同僚によれば、かつては海岸沿いの砂丘には、このような「壁」の残骸だらけであったが、ダイナマイトで次々と破壊されていったとのこと。当然、アイマウデンから数10km北の海岸沿いに位置するECNがある砂丘の上にも、かつては「壁」が築かれていた。</p>
<p>なぜアイマウデンの「壁」が破壊されずに放置されたのかは、よくわからない。手間ひまかけて保存されている風にも見えない。単に、破壊の順番待ちをしているうちに、あえて破壊する必要もなくなったので、そのまま放置されているのかも知れない。</p>
<table width="340" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu28-5.jpg" alt="砂丘保全地区に放置されたトーチカ群。右後方は、大運河“IJ”をはさんでCorusの重工業コンビナート" width="320" height="240" /><span>▲砂丘保全地区に放置されたトーチカ群</span>右後方は、大運河“IJ”をはさんでCorusの重工業コンビナート</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>なお、「壁」が残っている周辺の土地は、砂丘保全地区 として、他用途への転用が禁じられている。背の高くない草木を生やして、砂丘をできるだけ自然に近い形で保全しようとしている土地である。もしかすると、 トーチカのコンクリートを破壊することで沁み出す何かが、草木へ悪い影響を及ぼすのかもしれない。</p>
<p>いずれにせよ、この「放置」という措置によって、21世紀になって初めてオランダにやってきた外国人の目にも、「壁」の残骸が映ることができたわけである。</p>
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