太陽電池と「低い国」と〜民間企業研究者の海外転職記【第28話】
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▲今も残るIJmuiden-Westのトーチカ群をパノラマ撮影にて合成した
左から、4つ並ぶトーチカ、トーチカの台座(?)、さらにもうひとつのトーチカ


探訪「大西洋の壁」と「松代大本営」(その1)


大西洋の壁
▲大西洋の壁
第二次世界大戦中イギリス本土からの連合軍の侵攻に対して
ナチス・ドイツによってヨーロッパ西部の海岸に構築された
全長2,685kmに及ぶ広範囲な海岸防衛線(出典:Wikipedia)


 今回のテーマは、「東西敗戦国の戦争遺跡」である。オランダは敗戦国になっていないが、第二次大戦では5年間ドイツの占領を受けたので、その間に「戦争遺跡」と呼べるものが残された。「東の敗戦国」はもちろん、我が国・日本である。
 この連載の第5回でも少し触れたが、ドイツは1942年末頃から、英米を中心とする連合軍の反撃に備えて、「大西洋の壁」と呼ばれる軍事施設を構築し始めた。ノルウェーから南フランスまで、大西洋に面する海岸線べりに、海からの侵入を防ぐための防衛線である。当然ながら現代では、そのほとんどが取り壊されている。日本の歴史教科書にはまず登場しないので、日本人にはなじみが薄い。

 日本人の目に触れる機会があるとすると、映画「プライベート・ライアン」の冒頭20分、ノルマンディー上陸作戦を生々しく描いたシーンだろう。上陸作戦で連合軍が突破しようとした陣地が、「大西洋の壁」である。
 ノルマンディーは、ドイツ側の防備体制が弱かったから上陸作戦に選ばれたわけではない。英国から船で向かう上陸部隊が、海上で迎撃を受ける可能性が低いルートと判断されたからである。オランダやベルギー海岸などに防備体制が弱い地点があれば、上陸作戦にはそちらが選ばれていた可能性もあった。しかし、連合軍から見て、デンマークから南フランスまで、「大西洋の壁」の防備体制にあまり違いが見出せなかったようで、いずれの場所も十分強固と判断した上で、海上の安全を優先して「壁」の突破を図った、ということらしい。
 結果的に突破までに凄惨な被害を出してしまうほど、「壁」の防備体制は強固だったわけだが、それだけの強固な防備体制は、ノルマンディーだけでなく、大西洋に面した海岸沿いに延々と築かれていたわけで、考えてみれば途方もないムダである。
 ノルマンディーでの突破を許した後は、他の「壁」の部分では、大きな戦闘行為が起こることもなく、終戦後は完全な無用の長物となった。
 オランダに残された防衛基地も、ほとんどは戦後早いうちに破壊されたが、今もわずかながら破壊されずに放置されている構築物が残っている。アムステルダムからさほど遠くない海沿いの町IJmuiden(アイマウデン)近郊に、その残骸群を見つけたので、この場を借りて探訪記を綴ろうと思う。

 対する日本の戦争遺跡は、長野市郊外松代地区にある、いわゆる「松代大本営跡」である。知る人ぞ知る戦争遺跡なので、知らない人のために一応解説を加えておくと、米軍と本土で戦闘行為になった際に備えて、東京から中央政府機能を避難させるために長野市南郊の山腹に掘り造った、巨大な地下壕である 。
 終戦後は当然その建設目的を失ったわけだが、潰す理由もなければ、かといって残しておく積極的な理由もないまま、長年放置されてきた。しかしながら、1980年代から活発化した保存運動などによって、現在は消極的ながら公開されている。昨年仕事で長野市を訪れる機会があり、その折に一部の地下壕に立ち寄ることができたので、併せて探訪記を残しておく。

IJmuiden地図
IJmuiden-Westのトーチカ群(Google衛星写真)
▲Google衛星写真でもはっきり認識できるトーチカ群
(上のパノラマ写真の、だいたいの撮影場所と視野を示した)

Google Mapで見る

まずは【オランダ・アイマウデン】から。
 アイマウデン は、アムステルダムから西北西約20km、アムステルダム中央駅の北側の大運河“IJ”の、北海につながる最短ルートの玄関口に当たる港町である。ここの港からは、北海の対岸英国との定期船が就航しているほか、漁港としても有名で、新鮮な刺身・寿司ネタを手に入れられるということで、在蘭日本人の間ではよく知られた町である。大運河“IJ”をはさんで対岸のCorusは、重工業コンビナート地区として有名だ。
 このアイマウデンの西の町はずれ、漁港などの倉庫群の南西に、オランダの海岸べりではよく見かける、比較的大きな砂丘がある。「大西洋の壁」の名残は、その砂丘の上に残されている。ごらんのように、ざっと見回しただけ で、トーチカらしきものが6つほど見て取れる。

 筆者が初めてここを訪れたのは、ECNの同僚たちと、この場所で職場ハイキングを行ったときだ。この職場ハイキングの内容はいずれ稿を改めて紹介するとして、このとき初めて目にした「大西洋の壁」の実物は、筆者には衝撃的だった。この場所が初めてだったオランダ人の同僚も多かったようで、「壁」がこんなにたくさん残っている場所は、他にあまり知らない、と感想を漏らしていた。
 年嵩の同僚によれば、かつては海岸沿いの砂丘には、このような「壁」の残骸だらけであったが、ダイナマイトで次々と破壊されていったとのこと。当然、アイマウデンから数10km北の海岸沿いに位置するECNがある砂丘の上にも、かつては「壁」が築かれていた。
 なぜアイマウデンの「壁」が破壊されずに放置されたのかは、よくわからない。手間ひまかけて保存されている風にも見えない。単に、破壊の順番待ちをしているうちに、あえて破壊する必要もなくなったので、そのまま放置されているのかも知れない。
砂丘保全地区に放置されたトーチカ群。右後方は、大運河“IJ”をはさんでCorusの重工業コンビナート
▲砂丘保全地区に放置されたトーチカ群
右後方は、大運河“IJ”をはさんでCorusの重工業コンビナート
 なお、「壁」が残っている周辺の土地は、砂丘保全地区 として、他用途への転用が禁じられている。背の高くない草木を生やして、砂丘をできるだけ自然に近い形で保全しようとしている土地である。もしかすると、トーチカのコンクリートを破壊することで沁み出す何かが、草木へ悪い影響を及ぼすのかもしれない。
 いずれにせよ、この「放置」という措置によって、21世紀になって初めてオランダにやってきた外国人の目にも、「壁」の残骸が映ることができたわけである。


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Last Update: Aug.27,2008