まえ 初めに戻る われら六稜人【第34回】妖怪へのいざない

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    バリ島の老人に、彼自身が出会った
    という恐ろしい妖怪の話を聞く


    五板
    小説家、アジアのお化けと親しくなる



      とりあえず辞めた直後どこかに旅行に行こうと思って、最初に行った所がニューヨークなんです。別に旅の目的があるわけでもなく、ぶらっとして帰って来て、さあどうしようかということだったんですけれど。

      そうこうするうちに「暇にしてるんなら、仕事をしないか」という編集者仲間の誘いがあって、フリーライターをやり始めたんです。まあ、知りあいには経済関係の記事の関係者が多かったので、そういう仕事が多かったですね。あとは畑違いですが、科学雑誌もやりました。それから夕刊紙や、一般週刊誌の仕事もしました。

      村上春樹が小説の中で、「フリーライターは文化の雪かき仕事である」、と書いていますが、まさにそんな感じで、ほんとうに力仕事なんですね。誰だって、文化的な暮らしがしたい。新しい情報に敏感でいたい。けれども、ほんとうの文化や、オリジナルの情報に接することは、それなりに力を消耗しますから。そこでフリーライターが登場して、有無をいわせぬような荒っぽい雪かきをするわけです。確かにこれは力仕事で、疲れるわけですが、やればやるだけお金にはなる。仕事を選ばず、原則として注文を断らなければ、お金は儲かるでしょうね。でも、それでひと財産築こうなどというつもりでは最初からないし、とにかく仕事があればやりましょうということで、スタートしたわけです。

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      香港にて 
      北京製の二胡を手に 


      アジアへ旅するきっかけは、「別冊宝島」という本のシリーズでした。今はもう判型が変わり、内容も変わりましたが、あそこの編集者とあるとき、仕事を始めて、外国に広く伝わった日本のイメージというと富士山とか芸者とか桜とかが出てきますが、近ごろはもう違うんじゃないかという話になったんです。「別冊宝島」は若者向けの本なんですが、若い世代の関心のあるもので日本文化を象徴するものとして、海外に伝わっている物が一杯あるんです。アニメとか、アイドルとか、テレビゲームとか。
      そういう話を集めて、本をつくろうということになって、アメリカで日本式のアイドル売り出し方法で成功した歌手がいるというので、はじめはアメリカに取材に行くことを考えていたんです。でも結局、所属事務所も不明で、歌手自身の居所もつかめないことがわかった。でも、アイドルは重要項目として、なんとかやりたかった。そこで台湾の日本式アイドル歌手、中国語では「偶像派」ですが、その取材で台湾へ行ったわけです。
         妖怪のイラスト
      東マレーシアのサラワク州で
      ビダユ族に聞いたポンテイアナ
      という妖怪。女の姿をしていて、
      髪と爪が長く、鶏のように
      けたたましく鳴く。
      鬼に曵かれて
      台湾で僕はものすごく刺激を受けて、いってしまえば台湾にでかける前と、でかけた後で世界がまるきりかわってしまう体験を味わいました。その興奮が冷めやらぬ間に、おなじ「別冊宝島」で今度は台湾だけで一冊本をつくりました。台湾の人たちと親しくなると、別に取材というんじゃなくて、食事をしたり、飲んだり、雑談しているときにお化けの話が出るんですよ。日本では幽霊ですが、中国語では鬼(グイ)です。彼らが語る鬼の話が、とても興味深く感じられた。そのことが、アジアのお化けに興味をもつきっかけになりました。

      昔は日本でもそんな感じでお化けや妖怪が語られていたのでしょう。最近では日本のお化けの話なんて、全くあやふやで雲を掴むようなことが多いんですね。私は霊感があったから見えたり、感じたりとか。僕はそういう話は基本的に信じません。お化けはそう簡単に目に見えるものではありませんし、いわゆる霊感もたいていは錯覚で、そう簡単にあちらこちらの普通の人の身に備わっているものでもありません。
      妖怪のイラスト 
      サラワク州で、先住民族ではないマレー人に聞いた、
      おなじくポンテイアナという名の妖怪。黒目のところが
      赤い目玉だけの体で、涙を流して夜空を飛び回る。


      お化けの話というのは信じる人もいれば信じない人もいます。信じるにしろ、信じないにしろ、語る人は、まあ、こういう見解もあるんだが、という鷹揚な態度で語るわけじゃない。お化け、ことに妖怪や精霊、妖精などの話は、その人の世界観、あるいは宇宙観と密接につながっています。
      幽霊や鬼の話も、ほんとうはそうなんですが、ただ人が死んでなるお化けは、死の恐怖をまだ強くひきずっているので、宇宙観そのものは見えにくい。そうした世界観、宇宙観は当然ながら、それを語る一人の人の頭のなかで組み立てられたものではありません。その人が帰属する文化、社会のなかで、実に多くの人たちの手を経て、膨大な時間をかけて築かれてきたものなんですね。それはやっぱり絶対的な世界としてとらえられているから、語り口は自然と熱ぽくなる。

      僕は非常に不思議な感じがして、最初はふうん、そんなものか、彼らの見えない世界のとらえ方はそんなものかなどと、まあいえば文化人類学的な、あるいは比較文化的な関心っていうか、そんなところから興味を持っていったんです。しかし、そういうのは実はとても偉そうな態度であって、お化けはこれもあればあれもある、という世界じゃないわけです。
      文化人類学や、比較文化という近代の学問体系は、あらゆるものごとを相対的にとらえて、そのことで心ひろく再評価しようとしているかにみえますが、そうした学問がよりかかっている近代的な普遍的思惟は画然とあるわけです。僕はアジア各地で、さまざまな人たちから妖怪や精霊、妖精の話を聞いてゆくことによって、それまでは当然のように前提としていた、その近代的な思惟というものが、まったく仮初めに想定された、ひとつの虚構に過ぎなかったと思うようになったんです。

       水木しげる氏一緒の写真
      水木しげる氏とアジア妖怪旅行に出る
      クアラルンプールにて

      遅れてきた卒業生
      お化けはいろんな縁を運んでくれました。アジアのお化けについて本を書いたことがきっかけで、水木しげる氏に声をかけていただき、一緒にアジア妖怪探索の旅にも出ました。懸案の小説は、これもいろいろな縁があって、文芸編集者から声をかけてもらい、「世界の涯ての弓」というはじめての長編小説が講談社から出版されました。「推薦文を頼みたい作家はいるか」というので、迷わず、筒井康隆氏の名を挙げました。
      『ネオ・ヌル』が休刊になってからは、当然のことですが、なんの音信もなかったのですが、小説の原稿ゲラ刷りを読んでくれて、それは『ネオ・ヌル』のころの原稿用紙20枚から570枚へと増えていたのですが、「極北の幻想文学」と評していただきました。『ネオ・ヌル』の遅れてきた卒業生として、僕はようやく小説を公に刊行することができたわけです。それも幼いときからの小説の先生であった筒井氏が、この小説のために書いてくれた賛辞を帯に巻き付けたハードカバーという夢にも想わなかったかたちで。

      インタビュー時の写真 
      そんなことが実際に起こるのが、人生とか世界のとても不思議なところですね。こうして、僕はもの書きをやることになりました。かつては憎らしく感じた、もの書きです。現実にはまだスタートラインにたったばかり。これからどうなるものとも、皆目わかりませんが。でも、今のところはとても愉快です。


    Update :Aug.23,2000