まえ 初めに戻る つぎ われら六稜人【第34回】妖怪へのいざない

    インタビュー時の林さん

    四板
    いわゆるひとつの通過点としての大学・就職



     

      高校を卒業するころには、もうはっきりと作家になろうと決めていました。そのころになると、さっき言った『ネオ・ヌル』で名前を見ていた人々の小説が、立派な出版社から刊行されて、本屋さんに並んでいるんですよ。そういう意味でも自分が作家になることに対して、現実感があった。どっちかというと焦るぐらいで、みんなそうやって頑張ってるんだから、何とかしなきゃあみたいな。実際はとても年上の並外れた才能ある人たちなんですけれどね。

      大学は文学部なんですね。で、やったことは、宗教学っていうか、都市社会学っていうか、そんなような話なんですけども。まあ、別に高校出るときにそういうことを必ずやりたいとか、何とか先生の下で勉強しようということは、全然なかったですね。何学部を選ぶのかだって、別に何でもよかったんですよ。一応、小説家になるつもりだったから。けれども、回りでいろいろうるさく言う友達がいて、「お前が文学部行かなきゃ、文学部に行くやつがいないだろう」といわれて、そんなもんかなと思って。

      もの書きになるっていうのは、ものすごく非現実的な夢ではなかったんですが、でも、たとえば文学賞に応募して、そこで選ばれれば1カ月で作家になれると信じ込むほど、現実的には考えてないですから。一応その段階で大学へ行くってことが、社会的にも認知されて、時間が作れるという状況でした。やはり本を読むのは好きだったんです。だから、大学に入ったときは、少なくとも本を読む時間を、沢山手にできたという感じでした。2年間浪人した間も、本ばっかし読んでましたね。まあ、世界史とか勉強始めると、やっぱり古代文明とか好きなんですよね。エジプト文明とか、黄河文明とか、そこいら辺の本を図書館あるだけ読んでいるうちに、もう1年過ぎちゃう。そういう感じですよね。もちろん、そんな知識は受験では、まったく何の役にも立たないし、だいたい気の利いた受験生は古代史なんか飛ばしてた。

      ごく最近になって、ようやく好きな本を好きなだけ読めるという環境が整って、気持ちとしてもそういう心になってきて、ひとりのお気に入りの作家だとか、たとえばイタリア文学ならイタリア文学ばかりを2、3年読みつづけるということをやってます。でも、それは浪人時代にやってたことで、やっぱり一番苦しいときと、一番愉しいときとは、ひとりの人間のなかでは共通するんでしょうね。

      大学を出るときに考えたのは、まあ、常道ですけど、本を出す会社は出版社なので、出版社にある時期入って、本とか雑誌が、どういう具体的な手続きで作られてゆくのか、一応体験しておいた方がいいと思ったんですね。そういうことは、出版社に入って編集者にならないと、なかなかチャンスはないだろうし、後からはできないだろうからと思って。で、出版社に入ったんです。これも出版社ならどこでもよかったので、一番最初に内定が出たところに入りました。こういうことをいうとなんですが、僕はそこは最初っから3年ぐらいというか、編集者の具体的な仕事がおおよそ理解できたところで、辞めようと思ってたんですね。

      一編集者というのは負うべき立場にもいない
      月刊誌の編集部にほぼ3年間いまして、まあ、30万部ぐらい売っている、景気のいい雑誌だったんで、いろんなことがやりやすかったです。小説家とはあまり縁がありませんでしたが、ノンフィクションの作家たちとは密接に付き合えました。佐野眞一氏とか、吉岡忍氏とか。一人ひとり違うんですね。取材の仕方も、何もかも。教科書とか、標準とかが、ない世界ですから。インタビューでも、やっぱりそれぞれ技があるわけですよ。そういう仕事をしている人たちは。それで隣に座って、じーっと一緒に話を聞く。話の聞き出し方とか、メモの取り方とか、そして取材を実際にどういう形で原稿にしてゆくのか、非常に興味深かったですね。

      インタビュー時の林さん 
      当時は景気がよかったこともあって、ボーナスも年間13ヶ月ありました。とにかく、入社してはじめての夏のボーナスでもう100万円を越えていました。僕はそのお金でヤマハのDX-7というシンセサイザーを買いました。とにかく、年収っていうけれど、給料1年分もう1回、ボーナスでくれるわけです。だから、感覚的に明日からお金に困るとかって、考えたことがなかった。実際にはお金バンバン使っているから、貯金なんてまったくないんだけれども。結局、その編集部に3年足らずいて、具体的には記事のタイトルの付け方の問題だったのですが、記事のすべてに完全な形では責任を負えないことがわかり、また編集長でもない一編集者というのは負うべき立場にもいない、と身に染みる事件があって、これでは仕事は続けられないと感じ、会社を辞めました。その後の生活のあては、その時点ではまったくなかったです。辞めるときには、小説を書く、と言って辞めました。


    つぎ Update :Aug.23,2000