われら六稜人【第43回】メディアの人…報道の現場を歩んで

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ジャーナリストを目指す人に

    興味を閉ざさないで、広くものを見る人はジャーナリズムの世界で求められているといえますね。僕がいうのもおかしいですが、ジャーナリズムは聖職のような ところがあります。お金はもうからないですよ。あんた忙しいですな言われても、それで儲かるわけではない。しかし、忙しいことを苦にしていたら仕事になり ません。やっぱり人のために社会のためになることをやっとると思いますし、それが自分の目的と思える人がいいですね。やっぱりメディアによって人間の意識 が作られていますから、自分のやっている仕事が羅針盤になる、ならないといけない、ぐらいの気持を持って、そういう方向に向いてて、しかも自分が楽しいと いうのでないとやれないですな。このごろはですね、ジャーナリスト志望の人にも、どういう待遇ですかとかね、リサーチして方針決める、そういう人が増えて きましたね。そういう賢さは感心しませんね。
    僕なんかみたいに新聞から外へ出ていったもんが言うのはおかしいけど、昔の新聞はこういうところはよかったなというのがいくつもありますね。ページ数が増 えて、競馬も載るようになったけど(笑)、こういう点は昔がよかったというのがありますね。ジャーナリズムいうのは、なくなったらやっぱり暗いですよ。光 を灯すものだと思いますね。も一つ、言っておきたいのは、大阪のジャーナリズムをもっと強くしないといけないということです。元々、東京の新聞は言論中心で、大阪の新聞はリアリズム 重視の報道を売り物にしていました。東京ジャーナリズムはカクアルベシ型で、大阪ジャーナリズムはカクカクシカジカ型だといういい方もあります。
    こういう違いは、それぞれの精神風土による違いから生まれたものでしょう。大阪の精神風土を一口にいうのはむずかしいですけど、あえていうとリアリズムで しょうね。権力から距離を置いた自由な雰囲気の中で生きていて、上から押しつけられるのを好まない。すべてをありのままを見ようとするリアリズムが、よそ の土地よりは育ったと思います。その大阪で生まれた朝日・毎日が、やがて全国新聞になっていきました。でも東西の編集の色合いはまだありました。

    戦前のある時期まで、大阪の情報が日本の世論を動かす力を持っていました。しかし、満州事変以後、様子が変わってきたんですね。満州事変の勃発を伝えた新 聞は、朝日も毎日も、東京と大阪では記事の配列や扱いが違いました。それぞれ独自で編集していましたからですが、それだけではないんです。朝日新聞の社史 によりますとね、朝日の場合、東京より大阪の編集、論説がより強く軍に反対していたことが紙面にあらわれたと書いてある。しかし、だんだん東西の紙面が同 じようになっていきます。紙面も社論も東京に統一されました。毎日新聞でも、同じころ同じように東京に編集の重点を移して行きました。日本全体の情報の均 一化はこのころに始まり、今も本質的には変わっていませんね。

    テレビの時代になって、これに輪をかける傾向がでてきました。東京がネットワークを支配する形になっています。情報の世界だけでなくすべての分野で東京偏 重主義がますます強くなってきています。やはり、大阪が東京とは別の基準を示していって、東京のあるべき姿を正していくようにならないとあかんと思います ね。大阪ジャーナリズムが育たないと日本のジャーナリズムは東京しかしらない田舎者になってしまう。なんとかがんばってほしいのですが、大阪の元気のなさ が気になりますね。

Update : Jun.23,2001

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