われら六稜人【第42回】ワタシガラッキー


シンガポールでの展覧会で-1999-

五の窯 ワタシガラ器

    滋賀県が作った「陶芸の森」という、若い陶芸家の卵を勉強させるという施設が信楽にあって、そこの創作研修班へ招聘講師として昨年行きました。いろいろな 材料だとか、窯の面倒などを見てくれるのです。わずかな宿泊費は払いますがね。好きな仕事をしてもよい、かわりにそこで作った作品のうち、1、2点を美術 館に入れて下さいと言うことですね。とくに何か教えるというのではなくて、私は私の仕事をしていたのですが、ちょっぴり教師の気合いをはじめて経験しました。初めてといえば、給料を貰ったの も初めてです。教えてみると生徒というのは可愛いものですね。 私は若い人と会う事がなかったのでとても珍しくて、それに研修生は十人ほどでしたが全員二十歳代の若い女性でした。それは”私がラッキー(ワタシガラッ キー)”ということでそこで制作した作品に「ワタシガラ器」と題名をつけたわけです(笑)。”和太(の)信楽(ワダシガラキ)”という意味もあります が…。東京の渋谷なんかでウロウロしている人をみて、若い人はこんなものかな… と思っていたら、みんな真面目できちんとしているのを見て嬉しくなりました。非常に地道な感じで今の人達にもこういう人がいるんだなと…

    3ヶ月ほど、共同生活をし、食事を作ったりして、笠間の時と環境がコロッと変わったのです。研修生が皆女性で、段取りよく二人ずつ組んで、いつもものすご い安い費用でおいしいディナーをつくってくれたんです。最後お別れする時には私が鰹をさばいてタタキを作ったのですが、窯場なので藁などの材料が手近に あって結構うまくいって評判よかったですよ。去年暮れには大挙して訪ねてくれまして楽しかったですね。先生というのは大変だろうけど、そういう面白さもあ るのかなと思いましたね。研修生はカザフスタン、ルーマニア、ハンガリーなど色々な国からも来ていました。みんな一応英語をしゃべるのですが、なまりがあって最初は英語をしゃべっ ているとは思えなかったです。カザフスタンの人が、私の昔やっていた手法に興味をもったので、私の本をあげてどうやって焼くのか説明したのですが、去年暮 れに、前に教えてもらった方法でこういうのを作ったと写真を送ってきました。こういうのが交流として残るというのもおもしろかったです。


    信楽での仕事中

    信楽では信楽の土と窯で今までになかった発想で作品をつくりました。信楽の特徴をつかんで、釉薬は全くかけていません。茶色の部分は炎が当たっている所で す。凹凸の多い形だから、変化ができるのです。へこましたところが白くなり、出っ張った所に炎が当たりやすくなるのですね。しかし、あまり強く当てすぎる と、へこんだ所にも色が付いてしまうのです。今までの信楽焼では、この特徴を生かした作品がほとんどないのですよ。焼けた面と白いままの面のコントラスト のおもしろさに今まで誰も思いつかなかったのです。 作品はブロック毎に組みたてるのですが、土の硬さ(軟らかさ)が大変難しいのです。下の方には上を組み立てている時に重さがかかって変型したり、上の拡 がった部分を作っているときは、周囲が繋がってしまえばいいのですが、それまではだれて拡がってきたりします。だから乾き具合などを見ながら作ります。普段の私の仕事では、ブタンガスの窯で行っていますので、結果が予測できますが、木を燃料とする信楽の穴窯は予測できません。ガスでも木でも温度は一緒に なるのですが、例えば摂氏1280度に設定したとしても、信楽では2日に渡ってその温度を保つのです。笠間の土ではこのようなことをする崩れます。 信楽の土は耐火煉瓦のようなものですので、持つのですね。そのくらいのことをしないと、焼き締まってこないのです。 ここ数年、制作を休んでいたのですが、信楽でこのようなご縁ができたので作ってみたのです。よい作品ができるかどうか、窯から出してみるまでわからなかっ たのですが、割合おもしろいものが出来たと思います。ということで昨年 急に発表することになったのです。


    茨城県庁舎ロビーの陶壁「薔光」

    私の場合、従来の作陶とは土をこねて火で焼くという最小限の基本は共有しますが、テクニックも造形もネーミングも独創で、従来の陶芸のイメージを払拭した と思います。土そのものの発色を生かして、轆轤はほとんど使わず、手びねり、紐作りで制作します。文様は象嵌に近い技法で生まれます。私は日本の◯◯焼と いったものより、何千年も昔の古代中国の陶器に衝撃を受けました。 陶による造形を試みていると、それが本来的に持っている器としての性格に行き当たります。外面によって作られていく形は、常に空間を内包し器の感性を潜在 させているのです。様々な文様と形を試みていますが、私は自分の作るほとんどのものに「~~器」と名づけています。器というものの持っている広い意味を通 して、人間というものが見える気がします。

Update : May.23,2001

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