われら六稜人【第40回】思えばコピーライターの走り


電通時代

第7章
コピーライターの仕事

    電通のコピーライターって…結構、仕事を選びはるんよ。まぁ、小さいチマチマした仕事よりも、予算もふんだんにあって話題性の高い仕事のほうがいいという 気持ちは分かるんやけどね。私は小さい大阪読広から来たから「これ、ええ仕事やないの」と思えるものでも、みんな蹴りはるねん。「あの仕事は嫌や」とか 「これ嫌や」とか。新しい仕事が入ってきて、室長が見回しはるんですよ「誰にやってもらおうか」と。みんな、大体どこの仕事かわかるからね。さぁ~と顔隠して俯きますわ (笑)。部屋中すっごく重い空気が流れる…私がそれに耐えかねて、そっと上目づかいで見るでしょ。室長もこっち見てはんねん(笑)。目が合うんよ。
    「たぶん小野ちゃんが顔を上げる頃や思とったんや」やて(笑)。「小野ちゃん、やってくれへんか」って言いはるわけ。私ね、電機メーカーのMさんとかが宣 伝費に何億円とか使いはんのと、中小企業が100万円使いはんのと…気持ちは一緒やと思うねん。そういうアホみたいな信念を持ってましたから…もちろん断 れませんわね。

    いっぺんだけね…私は機械のこととか、ハードなもんはちょっと苦手なんで…D社の商業車のパンフレットを作る仕事の時は、流石に「ようしません」言うたん です。その頃はまだ運転もようせんかったし。「運転もできないのに、できません」って。そしたらディレクターが「ほんなら免許取ってきたらええねん」って 言いはって。私もムッときて「免許取りに行ってきます」言うたんですけど。結局、時間的に行かれへんのですよ。
    そのころ私は残業オーバーでね。総務課から「小野京子は残業オーバーやから残業させたらいかん」言われてたんです。どないしますねん。仕事できへん (笑)。それで残業カード出さんと仕事したり…。そやのに、挨拶に行ったらD社の宣伝課長から「電通には男のコピーライターはおらんのか」と言われて、悔 しかったですわ。

    コピーライターは時間的にものすごく不規則な仕事なんで、私らの時代は家庭との両立が難しかったんです。私が電通辞めたんもそれ。子育てのためにフリーラ ンスになりました。その頃はファックスもなければパソコンもないから、コピーを電話送りしたり郵便速達で送ったりしてね。小さい子がいるから家出られない でしょ。だから、仕事頼まれたらコピー書いて送るとか、それくらいの程度に留めていました。
    電通のような大樹の下にいるほうが、大きな仕事も来るし周りでカバーもしてくれる。やり易いですよ。だけど私はフリーにならざるをえなかった。その代わり 自分で好きな仕事を選べますよね。選べるけれども収入は不安定になります。だから、フリーランスやってて途中でやっぱりまた会社へ戻った…っていうのも、 生活を安定させなあかんかった事情があったからね。「コピーライターになりたい」いう若い子に今まで一杯会って来ましたけどね…正直言って、できる人とできない人とありますね。これは努力でなれるもんと違 う。こんなん言うたら「身も蓋もないことを言うなよ」と上司によう怒られましたけど。だけど…感性、閃きというか、アイディア勝負でしょ。それと好奇心。 だから、なりたいという人が来はったら本を読むかと聞いてみる。「あんまり本は読んでません」言うたら、もうあかんと私は思いますねぇ(笑)。

    私も上司によく言われたのが、時間がちょっとでもできたら映画見に行けと。勤務時間内でも手が空いたら、どこ行っても構いませんねん。時間があったら映画 見る。どんどん新しい映画を見る。デパートを歩く。それをやれと言われましたね。世の中の何が動いているかを見てこいというわけです。
    でも、いくら考えても考えても、いいコピーが出てこないいう時もあります。もう期限は迫ってんのにね。一応の「お茶濁し」は作ってても、自分では気にいら んので「こんなコピーで一体どないしよう」と思う時もあります。ギリギリになってパッと出てきたりね。あるいは、早くから「もうこれしかないっ」みたいな 決まりのフレーズが出る時もあるし。いろいろです。

    よく言うのですけど、コピーライターの仕事は不特定多数に出すラブレターみたいなもんやと思うんです。そっぽ向いてる人に「お願いだからこっち向いて。私 のこと好きになって」言うてんのと一緒です。だから自分の作ったのがちょっとでも認められたら嬉しいですよね。クリエイターって大体そういうところがある のと違うかなぁ。

Update : Mar.23,2001

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