われら六稜人【第40回】思えばコピーライターの走り


受賞作品「夏祭」原稿

第2章
第一回北野文学賞受賞

    中学時代にソフトボールで東淀川区代表になったりして、わりと強かったんですね。すごく厳しくしごかれました。だから北野へ入って、陸上競技部からも勧誘 されましたけど、ソフトボール部に入ったんですよ。ところが練習に来てみたら、コーチの先生も先輩もあんまり来てくれないし、中学の時とはえらい違いで ね。こんな遊び半分のことしててええんやろうか思うぐらい。
    ピッチャーをしてたんですけど、上級生のためのバッティング・ピッチャーみたいで…もう全然面白ない。段々、練習もあんまり出なくなっていって。最近に なって、その時の先輩と会う機会ができ、先輩が私立の女子校へコーチに行ってはったことがわかったの。その気持ちよう分かるわ(笑)。もうひとつ…文芸部にも入っていたんです。もともと中学の頃から書くの好きやったから入ってたんですけど。一年生の時にたまたま私の創作が第一回北野文学 賞を受賞したんです。その時の原稿まだ持ってますよ。それで文芸部のほうが面白くなって、ソフトボールは籍だけ置いているけれども、あんまり練習には行か なくなった。
    文芸部では先輩の方々が男性女性とも非常にかわいがってくれはってね。隣の部室が演劇部でしたけれども、演劇部とは別に文芸部でも文化祭で劇をやったり。 そんなんで文芸部では楽しい日々を送らせてもらったんです。そのおつき合いがいまだに続いてます。

    厳格な兄さん
    今は亡き厳格だった兄

    授業は、1年生の時はわりと楽しくまじめに授業を受けていたんです。2年生の時に進学するかしないかを聞かれて…当然、私は進学できると思いこんでいたん ですね。ところが、ちょうど私の家で長兄が結婚して、家督を継ぐみたいな形で世代交代したんです。そうしたら兄は「女が学問して何になる」みたいな人やっ たんで…。
    父親は、末っ子の私が何を言うてもわがままを聞いてくれたんですけども兄は逆で。母や兄嫁は、私が行きたかったら行ったらええと言ってくれたんやけど。そ んな一日二日で済むこと違うでしょ、進学いうのは。隠れて行くいうわけにいかへんし、私が諦めなしょうがないと思って。「進学しない」ということを学校に 意志表示をして、そうしたら勉強するのも何するのも嫌になってしまって…。


    運動会の仮装行列にて
    サザエさんに扮する(3年)

    今から考えたら、自分がほんとに行きたければどんな手段もあったやろうにと思うけど。その頃は今と違ってね、アルバイトしながら学校へ行くいうことは、男 性ならともかく女性はちょっと難しい時代やったからね。それは自分に対する言い訳かなとも思ったりしますけど、でも結局は行かないということになって。そ うしたら勉強が面白くない。それで、授業が終わったら文芸部の部室へ走り込むという毎日でしたね。

Update : Mar.23,2001

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