われら六稜人【第37回】神の御手となりて


作家仲間とブリュージュにて(1987年10月)

6度焼き
さまざまな出会い

    62歳の時。ちょうど新聞にね、小さい記事が出てたんや。高槻の藤田さんという人形作家。本当に小さい記事やったけど、わしには神の啓示のように、脳裏に 焼き付いて離れなかった。早速、その人のところへ行って「人形づくりを教えて欲しい」と頼んだんや。そしたら、どう言うたと思う?「100万円出しなさ い。教えたげるから」
    「こらアカンわ。とても100万なんか、よう払わん」それで諦めたんや。自己紹介の心算で持って行ったマリアさんの頭をちょっとだけ見せて帰った。数日後、その藤田さんから電話がかかって来たんや。「すまんけど、私の持ってる人形…お宅の樹脂で作ってくれませんか?25体ほど」驚いたね。ちょっとだ けしか見せへんかったんやで。でも、それだけ見て衝撃受けたんやろな。「こんな美しい顔を作る人や…この人に人形やらせたら、ものすごいええ顔作るんちゃ うか」そう思いはったんやろな。
    「よろし、よろし。かまへん。何でもやりますよ」それで作ってあげたんや。そしたら代金くれへんのよ。その代わりにヨーロッパ旅行をさしあげます。「一緒 に行ってください」言うんや。現物支給というやっちゃ(笑)。それで、オランダのシェーフェニンヘンという町に行くことになった。アムステルダムよりもま だ北の港町や。昭和62年(1987)の10月のことやった。それが、初めて世界人形会議に参加することになった契機やった。

    だいたい2週間近くかな。ボウズに暗唱させられた英語力が、通訳として随分役に立ったんや。重宝したで。人形好きの人が4~5人のグループになって、ドイツやらスイスやらあちこち小旅行するわけ。いろんなとこへ行ったよ。わしは全部行った。


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    (写真は奥さんの美英子さん)

    そもそも「ビスクドール」というのは19世紀半ばにヨーロッパで生まれた人形で、顔の部分が磁器製なんや。1200℃の窯で「二度焼き」する。だから「ビ スク」…これ、フランス語やて。1回素焼きしてから彩色し2回目を焼くと、これが微妙に人間の肌あいに近いマチエール(質感)が得られるんや。わしは…二 度どころか、描いては焼き、描いては焼きを繰り返して5度くらい焼き重ねてるけどな(笑)。
    最後にガラスの目玉を内側からパテでとめて頭部の完成。胴体や手足は樹脂製や。人間と同じように関節があって、自由にポーズを取らせることができる。衣装 はもっぱら家内の仕事や。分業体制ができあがってるんや。それで人形を1体完成させるのに、だいたい1ケ月くらいかかる。大変な作業やろ。

    それでやな。世界人形会議にはそれから何年間か参加したんや。それで大体この業界のことも分かってきた。20世紀半ばにセルロイド製の人形が全盛となっ て、ビスクドールは下火になるんやけど、いまだにドイツで根強く作られ続けてるわけや。その老舗がWanke商会いう会社で、ドイツのLimburgに本 拠地があるねん。世界人形会議も実はこの会社が主催してるんや。毎年コンクールがあって金・銀・銅の賞が作家に贈られるんやけど…それが極めて政治的なセ レモニーでな。ま、どこの家元制度でも似たようなもんやけど。その事情が判ってからは、もう行くのを辞めたんや。もう大したことないな、って。
    でもな、それが判っただけでも大収穫や。それと日本人の感性っちゅうもんは素晴らしいなと再認識した。ウェットなとこあるやろ。あれが素晴らしい。向こうは乾いてるねん。確かにドライやで。それに、いろんな出会いも得られた。今でも人形の目玉はドイツの職人に注文してるんや。装身具のマイスターでな。ろくに学問は積んでないんやけど、世界一の腕前や。目の前でこさえよるんや。息をぷぅーと吹きこんでな。神業を見る思いやった。名人芸やな。
    彼とも世界人形会議で3回くらい会うた。ドイツ語やし、職人のべらんめぇ言葉らしくて、なかなか分からへんねん。時々、国際電話かけてきよんねんけど、こ れがまた分からん。はははは。マールブルクという古い大学町に住んどるねん。「ええ町や」言うて故郷の自慢、自画自賛するんや。ドイツ語でな(笑)。

    「日本人形の目玉つくれるか?黒い目やで」言うたら「俺に作れんもん無い」いうて怒りよった(笑)。「目玉の大きさと光彩の図案送ってこい」言うから、早 速郵送してみたら、その通りの完璧な目玉が届いたんや。脱帽するわ。わしの友人はみんな彼に頼んでるよ。100個単位で注文すんねんけどな。
    で、手紙が1枚入ってて、辞書を片手に翻訳しようと思うねんけど、これがまた解らへんねん。略号と方言のうえに文法が無茶苦茶なんや。それで六稜WEBで 知り合った冨金原さん(当時、フランクフルト在住)にメールで随分助けて貰って…要するに、送金先の郵便振替の口座が書いてあったんやけどな(笑)。名人 の「職人気質」いうやっちゃな。しかし、電子メールをやり始めて便利になった。この間も、人形の材料を仕入れにアメリカに行ってきたんやけど、信頼のおける業者と一回打ち合わせしといたら、あとの連絡は全部メールでやれるからね。
    一回対面で会う…というのは大事なんやで。スイスのルツェルンにあるティファニー・アンティークドール・ギャラリーで個展した時もな。初めのうちは「コン ドー、コンドー」って呼び捨てや。それが専門家のバイヤーにこぞって賞賛されてからは「ムッシュ・コンドウ」に変わったからな(笑)。手のひら返したよう にな。はははは。
    日本でも、横浜、名古屋、大阪、広島…と各地のデパートで展示会をすると、飛ぶように売れたんや。今から考えると、その頃の初期の人形の顔は、われながら稚拙なもんやった。しかしね、それがものすごい売れた。その当時ね。

Update : Nov.23,2000

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