われら六稜人【第37回】神の御手となりて

5度焼き
一念発起、執着を捨てる

    電気車の改造ちゅうのはやな。自動車のエンジン外してモーター乗せて、バッテリー駆動にするわけや。だいたい一回充電したら300kmくらい走るからな。箕面のS氏の車なんか3台も改造したんやで。充電器も大きな発電機やったから、時々ウチに充電しに来てた。
    それで10年くらい頑張ったんかな。ところが昭和32年(1957)に不渡りを出して潰れたんや。あの時は1,300万円かな、借金。返されへんように なってな。銀行も取引停止。後はみな現金払いせなアカン。ものを売ってくれへんねん。今のそごうみたいなもんや。桁は違うけどな。結局、借金返すのに10年かかったよ。兄弟が寄り集まって一生懸命やってな。当面食い繋がなアカンから、いろんな仕事に手出して。一時はくず屋なんかも やった。ゴルフ場を回ったりすると古いバッテリーがあんねんな。それを二束三文のタダみたいな値段で回収してきてやで、再生するわけや。そういう業者があ んねん。そこへ持って行く。そしたら結構ええ値で売れんねん。そんな仕事も何年かやった。食うためだけに金を稼ぐなんて何としょうもない…これはもう人生 の浪費や。絶対やめたほうがいい。その時からわしは確信してたんかも知れん。
    結論としては、バッテリーの販売なんかでは儲からへん。何か他の商売をせなアカン。それで、いろいろ考えてな。スタッドウェルデイングという…高速道路と か橋げたなんかでよく見るでしょ。こんな太いボルト。あれをスパっと1秒で溶接する…そういう仕事があるねん。それを始めたんや。これは儲かったよ。当時 はあちこちで高速道路の需要があったからね。
    今でも高速道路の継手をやってる。毎日何万台の車が通るからね。ジョイント部の継手が結構、傷むんやな。今はその仕事をやっとる。公団の仕事やから切れへんねんな。無くなることがない。弟がその会社をやっとんねん。

    昭和52年(1977)にな。わしも50歳過ぎたわけや。これからの人生について考えたよ。自分の人生を金儲けだけに消耗してしもてええのか、と。もちろ んそれで満足しとる奴もおるし、悪いことやないよ。そやけど少なくともわしはそれだけでは満足でけへんかったんや。結局「わしは他の道を選びたい」ちゅう て、会社と袂を分かつことにした。老いてなお人生の一大決心やな(笑)。
    それからが苦労の始まりや。いきなり1本どっこで食うて行こう思うたらね。「赤貧洗うがごとし」や。いや、もっと厳しいよ。どん底や。それまで100万円 ぐらい貰ろてた月給を一番最低の7万ぐらいにしてやで。社会保険が認めてくれる最低の金額や。これがギリギリの線。それでも信念の道やから辛い思たことが ないよ。

    彫刻家として請われれば何でも作ってた。とりわけ仏像は何体もこしらえた。あとキリスト教の聖像。だいたいは聖母マリアさんとイエスキリスト像やな。山城温泉から頼まれた観音さんなんか、半日でこしらえたがな(笑)。

    天賦の才能と言うとおこがましいけど、作品は何の苦労もなくできたよ。レリーフでも彫刻でもね。あちこちからお声がかかって「べっぴんの顔こさえてくれへ んか」「よしゃよしゃ」言うて。ちょっと2時間くらい働いただけで、もう10万円くらいくれるわけや、美しいから。何でそんな美しい顔が出来るのか自分で もわからへん。その時はね。「あんた天才や」言う人もいて、自分でも不思議なんやけど、何も考えへん時ほど、いい表情のものが出来上がるんやな。無心いう んかな。勝手に自動的に出来てんねん。わしは何も考えもせんと。
    小学校の卒業記念にPTAが像を寄付したい言う注文があって。男の子と女の子、それぞれ11歳か12歳くらいやね。それくらいの子を作ってくれ言われて。 ものの2時間くらいかな。あっという間にできてしまう。そら、見てる人はびっくりするわな。「天才や」と。そやけど、わしにしてみたら自動的に出来あがっ とんねやから。ぴったり11歳くらいの顔や。不思議でしゃあない。

    考えてみたら悔しいことでもある。狙った時よりも、何も考えてない時のほうが出来がええねんから(笑)。今から振り返ってみるとね。どうもあの時から神さんが働きだしてる気がするねん。
    57、58歳の頃かな。わし、あらゆる執着を捨てたんや。金も名誉も物欲も…ありとあらゆる執着を捨てて「もう、やめや。あれもこれも何もいらん」そう思 うた。聖書にそういう言葉があんねん。「すべてを捨てて自分の十字架だけ背負って私に付いてきなさい」イエスの言葉でな。「十字架」いうのは、つまり 「業」(ごう)やね。カルマや。人間には前世から背負ってる業があるねん。キリスト教で言うところの「原罪」や。元々の罪ちゅうん奴やな。そんなんを「す べて捨てよ」というわけや。
    執着を捨てるいうことは、そら大変なことや。女の人にはできんやろな。非常に難しいと思う。男やからこそ出来るんかも知れん。それで捨てたもんの何倍かが今返ってきてるわけや。何倍にもなって返ってくる。

    努力は素晴しいことや。否定するわけやない。でもね。時に人間の力以上のものが必要になってくるシーンがね。長年ずっと「ものづくり」に携わっていると、そう感じることが多いよ。「こら、ナンボ努力してもアカンわ、かなわん…」そう思うて神さんに任しんたよ。
    「これは俺がやったんや。俺は能力があるんだ」と思ったらこれが間違い。自分の力ではないよ。謙虚にね、してることが大事や。そういう、ある種の霊力というかね。そういうもんを、わしは還暦を前にして感じたんや。

Update : Nov.23,2000

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