われら六稜人【第35回】博物館を一代で築いた男


博物館さがの人形の家
(右京区嵯峨鳥居本仏餉田町)

第5営業部
やる時は徹底的!

    人形の収集が一段落して、いよいよ博物館の建設を考える段階になったのです。北野の同級生に中橋君というバンカーがいます。彼とは北野で4年間もクラスが一緒でしたが…その彼が言うには「嵯峨野か詩仙堂のそばがいいだろう」と。そういうヒントをくれたのです。人形の保存で一番気を使うのは湿度管理なんです。奈良の正倉院にも参考意見を伺いに行きました。嵯峨野は年間を通して湿度が60%程度で安定していることが決め手となり、現在地に落ち着いたわけですが、当初は保存のことしか頭になくて一般公開までは考えていませんでした。

    1988年に博物館「さがの人形の家」を開館。翌’89年には財団法人イケマン人形文化保存財団を設立して、京都府の第14号登録博物館としての認可も受 けました。館長を務める家内は50歳を過ぎてから「美学を基本から学びたい」ということで大学に行き直し、学芸員の資格を取得しています。彼女が美術、僕 が民俗学の立場から互いに補いあいながら研究、運営を続けています。


    嵯峨人形

    よく「作家のサイン」が問題になりますが、本当に生活で使用されたものにサインなどありませんよ。日本の古人形は工房の中で作られますからね。’70年大 阪万博の時、イラン館の入り口に「東洋の芸術にはサインがありません」と書かれていたのを思い出します。作家名を問うようになるのは、あくまで戦後の話な んです。
    確かに、最近の人たちは「作品の良し悪し」よりも、まず「作家は誰か?」「何時の時代か?」という質問をよくされますね。御所人形を例に取りますと、目が 大きいのは幕末~明治、ハンサムな顔立ちのは大正~昭和初期です。ちなみにインターネットで受けがいいのも、この大正・昭和初期の人形ですね(笑)。
    こうした傾向が判るのも、僕が「系譜を整えること」を重視しているからです。何事も一点豪華主義では底が知れています。物事を体系立てて見るためには、それなりの数が必要なんです。
    先日も、有職故実を専門にしている学芸員さんと知り合いになりまして、ウチの館の収蔵品をお貸ししたのですが、ナマの実物を数多く見ているという点においては、そこらへんの学者さんよりも素人の僕のほうが、より正しい知識を持っていて圧倒的に理論的なんですよ(笑)。

    また、人形を1体や2体といった単品で置いている館もありますが、比べ物になりません。ウチはストーリーを下敷きにした展示を心がけています。ストーリー(系譜)が解ってこそ研究論文が書けるのです。
    今、僕も人形の本を書いています。数多くの人形を見て、正しい理論を知っているから書けるのです。また書くように強く勧めてくださる方もいるのですけれど。

    そんなこともあって、いま収蔵資料の実測作業を進めています。このために人形の形状や立体的な寸法を瞬間に三次元的に測定する民具実測機をメーカーと共同 で3年がかりで開発しました。ただ、全部で20万点は下らない膨大な資料を、すべてデータベース化し終わるには、気の遠くなるような作業量と人員が必要で す。
    ご存じのように、昨今の超低金利状態では財団運営も並大抵のものではありません。ましてや事業などというものは感覚的には「剃刀の刃の上を歩いている」よ うなものですからね(笑)。本業のほうも決して生易しいものではありませんから、まさに四苦八苦の大変な思いでやっています。

    ですが、本当に大変そうな顔をしていたら、本当に潰れてしまいます(笑)。その意味で僕はドラマを見ないのです。七五調のリズミカルな歌舞伎世話物や大掛 かりな舞台の芝居などは好きなのですが、ドラマなんかを見ると自分がスグにその中に感情移入してしまうので、悲しくなってしまいます。だから新劇は絶対に 見ない。現実的なテレビドラマも見ないんです。
    いつもにこやかに皆さんと接しているおかげで、世の中が自然に回って助けていただいているのですね。

Update : Sep.23,2000

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