われら六稜人【第34回】妖怪へのいざない

友竹正則さんに貰った色紙

二板
感性は与えられるものでなく、自ら切り拓くものである。

    中学では入学するやいなや、校舎の裏で大喧嘩をして、顔にアザをつくりました。そうすると他の生徒も先生も廊下ですれ違うときに避けるんですね。結構、 荒っぽい学校だった。中学2年で吹田市の豊津から大阪市の三国に転校したんですが、転校前後で学校の規則が違っていたこともあって、はじめは相当悪いやつ だと目されてしまったらしいんです。色のついた水色の運動靴を履いて行ったとか、髪の毛の長さが一定以上あるとか、態度が良くないとかで、転校直後は先生 に目を付けられて、何度か朝礼台の上に悪い例として上げられました。だからそういう意味では模範的な生徒ではなかったです。世界一の音楽家
    むしろ、学校の他に楽しいことがたくさんありました。当時NHKで日曜日の朝、「あなたのメロディー」という番組が放送されていました。作曲して応募し て、審査に通ると、本職の歌手が歌ってくれるという番組です。中学2年の終わりに「世界一の音楽家」という曲を、作詞作曲して送ったんですね。そうしたら 採用されて、もう亡くなられましたが、友竹正則さんという方が歌ってくれました。非常に空想的な、つまりは誰も知らない、世界一の音楽家がいる。歌詞の中 では音楽家たちの実名を挙げて、ショパンだとか、カラヤンだとか、そんな連中には絶対負けない、という歌です。

    世界一の音楽家の譜面番組の担当者には、曲がいいというより、きっと着想が変わっていて、おもしろがられたんでしょう。中学生を本人ひとり呼ぶわけにもいかないから、親も付き 添いで東京渋谷のNHKにでかけました。番組収録後、渋谷のホテルに一泊し、翌日は浅草、鎌倉を見物して帰りました。中学生なりに大名旅行という感じでし た。

    音楽環境はですね、幼稚園で開かれていたヤマハ音楽教室で一緒に習うというのはありましたけど、ちゃんと習ったのはその2、3年だけです。後に大学に入っ てから自分の意志でバイオリンを専門家に習ったり、二胡(アルフー)という中国の弦楽器を習ったりしましたが、子どもの頃はそのヤマハ音楽教室に行っただ けです。でもNHKに応募したときは、ピアノ伴奏譜も付けたんですよ。アレンジャーが間奏部分に、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークとか、 ベートーベンの運命の出だしとか、有名な曲を入れて、いかにも指揮者がいたほうがいいような編曲だったので、番組のな中では指揮もしました。妹がピアノを 習っていまして、家にはピアノがあったんですね。「習わせてくれ」と言った記憶があるんですが、結局習わせてはくれず、勝手に遊んでいるうちに、そうなっ たという感じですよね。

    こんな風におもしろい経験があったので、高校では楽器を何かやりたいなと思っていました。クラシックについては、全然何もなかったんです。素養というか、 特別な関心。ジャズや軽音楽のクラブがあれば、きっとそちらに入ってたんじゃないかと思うんですが。今はブラスバンドがあるようですが、当時、北野高校で 楽器を触れるクラブっていうのは、オーケストラしかなかったんですよ。それで、まあ何というか、楽器が触りたいから、オーケストラでも入るかという感じで した。一番最初は何もできないんで、ティンパニを叩いて、それからバイオリンとビオラをやりました。一切ゼロからのスタートだから、4、5歳から習ってき た上手な同級生に教えてもらって、少しずつ練習しました。

    オーケストラは卒業までやりました。NHKの大河ドラマで「花神」という番組をやっていて、そのテーマ音楽が好きだったんですね。それでテープに録音し て、スコアをコピーし、部内の演奏会で試しにやってみたり、ファンファーレを作曲して、金管パートが2年のときの体育祭で演奏したり、ひとりではなかなか できない愉しい経験をしました。

    劇ギルティーの台本

    北野健と山下陽子
    それから3年生のとき、文化祭で「GUILTY」という演劇をやったんですよ。ええ。ギルティー、有罪です。クラス参加です。画期的だったんですよ。我々 の時代も相当しらけてましたから。受験を控えた高校3年生の初夏に、そんな馬鹿なことやったっていうのは。いろいろクラスをたき付けて、僕が脚本を書い て、ピアノが上手な女の子がいたので音楽もピアノ一台の生演奏で。今思うと、あれは何だったんだろうか。北野健という名前の、それこそ北野高校を象徴する 高校生が主人公で、ヒロインは山下陽子という名でした。演劇部にも負けてないと評判は良かったです。最初は、いいかげんなムードだったんですが、少しずつ 脚本ができてきて、きちんと役を割当てて、一所懸命練習しているうちに、みんなこう気合いが入ってきて、講義の最中も脚本を隠し持って、台詞を覚えている とみつかって、先生に立たされたり。
    文化祭が近づくと、その日の講義がある先生に交渉に行きました。「何日後に迫った文化祭で、たいへんな公演を抱えているというのに、なんで今日の講義を休 みにしてくれないのか」と。進学校としては、プライオリティーが完全に逆転しているんですけれど。でも、こちらが本気だから、先生も呑まれるんですよ。そ うやって、次から次へと休講を奪い取って、講堂で練習をしました。

    ビオラを弾く林さん、高校時代

    最近ピアノを買って、つまり生まれて初めて自分のピアノを持って、家でようやく体系的に練習しているんですが、弾きながら思い出すんです。西川先生の音楽 の時間に歌のテストがあって、生徒は男も女もいるんだけれど、女子のテストは女子生徒が一人ピアノを伴奏して、男子の方は男子生徒がピアノを伴奏し、先生 は座って、歌を聞いて、点数を付ける。僕は男子の方のピアノの伴奏をした記憶があるんですよね。
    でもね、今ね、いったいどうやって弾いていたのかなって、思いますよね。まともなメソッドをしていないし、まともな技術は何もなかったんです。音階すら弾 けなかった。不思議ですよ。今でもはっきりと覚えていますが、西川先生は「あなたの先生はどういうふうにおっしゃっているかわかりませんが」と、当然今 習っているという前提で話しかけてきて、「ペダルの足使いは、もうちょっと踵をしっかりさせて、つま先で軽やかに」と言うから「はい、わかりました」と。 習っていないのにね。

Update :Aug.23,2000

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