われら六稜人【第33回】風にまかせた夫婦人生

第1フライト
出来なかった数学

    生まれたのは大阪の住吉のほうです。といっても父が転勤族でしたから、小学校の6年間だけで関東を中心に4つの学校を転校しました。最後の6年生の時に大 阪へ戻ってきて、それからは基本的に大阪です。淀川区の東三国中学校へ3年間通い、その後、北野高校へ。でも、奈良、堺、埼玉、神奈川、東京と…各地を転 々としましたから、実家が大阪という気はあまりしませんね。北野へは「行けたらいいな、受かればいいな」くらいの軽い気分で出願したんですけど、運悪く入学試験の時に高熱を出しちゃって。実はその2、3日前の卒業 式の時、親友に「好きな人に第2ボタン貰うから待ってて」と言われて、わたしは別に好きな人もいなかったので、ただ待ってたんですね。そしたら雨が降って きて、二人ともびしょ濡れになった。友人は嬉しくてルンルンしているもんだから全く平気でしたけど、わたしだけが凄い高熱を出してしまったんです。
    「これは落ちるかな」と思いましたが、とりあえずゴホゴホ咳をしながら無理して試験を受けました。席が一番前で…その時の受験監督が数学の薬師寺先生。ものすごく心配してくれて「こういう優しい先生がいるところなら本当に受かればいいのに」と祈りました。

    中学時代は熱狂的なヅカファンで、塾へも行ってませんでした。「塾に行くお金があるなら宝塚を観に行かせて」と母に懇願してたくらい(笑)。もちろん歌劇団へ入りたいと思った時期もありましたけど、とても無理だと分かってましたから、もっぱら観る専門でした。
    ですから「よくも北野高校に合格できたな」と今でも不思議なのですが…、入ったら入ったで、みんながすごく賢いのでビックリしちゃいました。わたしなんか授業について行けなくて。
    聞くと「みんな塾で習った」とかで、難しいこともすでに知ってるんですよね。わたしなんかノホホンと好きなことをしてきたので、まあそれでも中学の時はそれなりに出来は良かったんですけど…高校に入って、特に数学で落ちこぼれましたね。

    わたし、目が悪いんですけど、中学の時にはそれでも見えていたので気に留めなかったんですね。それが高校に入ったら、先生がやたらと細かい字で板書される ので全然見えなくて。その先生に指された時「黒板の字が見えません」と答えたら「眼鏡を買いなさい」って言われてしまいました。
    眼鏡を掛けたら分かるかな?と自分でもちょっぴり期待したのですが、やっぱり、掛けても分からない授業は分からなかったですね(笑)。「見えても分からないじゃない」って、すっかり落ちこぼれました。

    自慢じゃないですが、夏休みの補習とかは常連でした。特に数学が出来なくて、大学受験の時は本当に困りましたね。入試科目に「数学」の無いところを血眼になって探したんですから。
    共通一次は仕方無く受けましたけど、半分も取れませんでした。北野の人なら共通一次程度の数学は200点満点で200点取って普通なんだそうですが、わた しは半分も無くて。数学の先生から「お前、数学は出来ないと思っていたけど…そこまで出来なかったか」って感心されるくらい悪かったんです。ここまで来た ら自慢できますよね。結婚式のスピーチでも言われましたよ(笑)。

Update : Jul.23,2000

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