われら六稜人【第32回】右脳と左脳のホイールバランス

4速
ヨーロッパスタジオ

    デトロイトから帰ってきたでしょう。それでその次のジェミニとかあとショーカーもその頃からやり始めていたのかな。
    会社がアメリカにね、カリフォルニアにデザインスタジオを設立したんですよ。それで次はやっぱりヨーロッパだろうとなって、それでまた「はい、行きます。行かしてくれ」って、ヨーロッパにのこのこ出かけていったわけ。38才だから’89年ですね。その頃日本のメーカーはほとんどね、ベルギーのブラッセルにオフィスを構えてたんですよ。日産もホンダもトヨタもね。いすゞもそうだったんです。ブラッセ ルへ行って、まずショーカーとか、コンセプトカーをつくり始めたの。最初にロータスのデザイナーを使って4200RというV8を積んだすごいスポーツカー を作ったんですよ。それが1989年の東京モーターショーに出したやつです。
    当時はまだ自前のスタジオがなかったんだけど、イギリスのバーミンガムに結局スタジオを作ったんです。モデル会社を借り切って。まあ使ってるデザイナーも イギリス人が多かったんで、そのほうが便利だったのね。バーミンガムってすごい自動車都市なんですよ。コベントリーって有名な街があって、ジャガーとか、 自動車産業が盛んだったわけ。その後もいろんなショーカーを作ってて、最後にやったのはビークロスってちょっとだけ日本で売ってましたけど。

    ベルギーからイギリスへ飛行機で1時間ちょっとだから、日帰りできるのよね。で僕は引っ越さないでずっとベルギーで。’93年まで4年10ヶ月ぐらいいたのかな。

    その頃はどっちかというともうマネージャーですね。行く前に日本で言う課長になってから行ったから。イギリス人のデザイナーを3人ぐらい使って、日本人2 人で、僕を除いて下に5人ぐらいデザイナーがいる、それぐらいの規模のスタジオにしたわけ。最初は僕たったひとりから、ひとり雇って、日本からひとり送っ てもらって、それですこーしずつ大きくしていって…帰る頃にはそれぐらいに大きくなってました。


    サイモン・コックス(現GM先行デザイン部長)と
    ブラッセル、欧州駐在時代(1980)

    ショーカーというのは量産することを前提としていないんだけど、いすゞの車を生産するのはイギリスのロンドンの北にね、ルートンという街の、ボグゾールの 工場の隣にGM系のベッドフォードって会社があって、そこをいすゞが手を入れて、工場を作ったんですよ。それはいすゞの車だけれど、オペルの名前で売って たりするんだけれど。そこの車のデザインをやってました。イギリスで作った、4×4の車ね。日本では今ウィザードって言ってんだけど、ヨーロッパではフロ ンテラっていう名前で、それのデザインなんかもやってました。設計部分の基本デザインは日本から持ってってるところもあるけど、現地に適応させて、現地の工場で作って、現地の販売網で売ってるから、日本と完全に分離 してる。その頃は「現地完結型」なんてよく言われてた頃で、ヨーロッパだけでなくてアメリカでもアジアでも、要するに現地で設計して生産して販売して完結 する、そういうのが割とその頃の主流だったんですよ。ヨーロッパでもそういうことが行われてて、それがひとつの仕事。
    もうひとつはコンセプトカーという先行デザインを提案して、モーターショーに出すという仕事ね。

    で、ロータスという会社に行ったときに、ふたりデザイナーがいて、インテリアとエクステリアをそれぞれ担当していてね。どっちもなかなか良くて、特にイン テリアのやつがすごく優秀だったんですよ。で、そいつをロータスから採用した。今はGMで部長やってるサイモン・コックスというやつですが、まあそいつも ロータスを辞めたいと言ってたから。もとが出来るやつだったんで、なるたけ任せて。
    野球の監督みたいなもんで…やっぱりいい選手がいると自分でやらなくてもそっちのほうがよっぽどいい結果出るでしょう。だからそいつに任せて、僕はいろい ろマネージメントみたいなことやったりとかしてた。ヨーロッパは結構優秀なやついますからね。自分が頑張んなくったってという感じがするんですよ。

    誰でもそういうふうに思えるかどうか? どうかな…回りには、職人一筋で「自分で描くのが好きなんだ」と言うような人はいます。「あんまり人を使うのが得意じゃない」とか。そういうのが自分の体質にあってない人とかっていますよ。

    1930年位かなGMがスタジオを作って、50~60年位にGMがデザインのやり方みたいなものを確立したんですよ。その方法がばーっと世界中に広まった んですね。いすゞはGMとつきあってたでしょう。だから日本のメーカーの中では最も早くそのGMスタイルを吸収したんです。
    車って言うのは一人ではできないんですよ。マネージャーがいて、その下で働くデザイナーがいて、それからそれをモデルにするモデラーというのがいて、設計 といろいろ調整するエンジニアがいて、それから図面にするドラフトマン(今ならCADオペレーター)がいて、これぐらいの10人以上のチームだから。やっ ぱりデザイナーがキーですよ。やってる人は一人で全部やってるつもりだけど、冷静に客観的に見ればそうじゃないですね。そういう分業体制みたいなものは確 立されてた。いすゞは割合きちっとGMのスタイルを受け入れていたから。未だに会社によったらそこが結構曖昧な会社あるんですよ。

    最終決定権というのはマネージャーのほうにあるからね。チームだから。「こっちのほうがいい」とか「この案はだめだ」とか全部マネージャーのほうに決定権 があるわけだから。デザイナーに「こういうの描いて」ってスケッチ10枚20枚やらせるじゃない。いろんなアイデアの中から絞り込んでいく、方向づけする ことができる。そうしてできあがってくる車の格好の、まあ100%じゃないけど(もちろんデザイナーの分も多いけれど)、マネージメントしてる作業ってい うのも、かなりその車の形に反映されるものなんですよ。

    自分でマネージメントやったやつも、しっかり自分の作品て感じしますよ。やっぱり線引いたりもするしね。デザイナーが別にいても彼の作品ていう感じはしない。逆にいうと、その立場のほうが車をデザインしてるんですよね。
    自分がデザイナーやってた時は「車のデザインは俺がやってるんだ」と思ってたけど(笑)。どっちがその全体をまとめてるの?というと当然マネージャーだからね。最終的にはおもしろいですよ。

    デザイナーをどうやって組み合わせて使って、とか…オーケストラの指揮者なんかに似たものがあるんですよ。指揮者も自分では弾かないけど、棒降って他人に弾かせてるだけだけど、その音楽は誰の音楽かといったら結局指揮者の作品でしょ。まあそんな感じですよね。

Update : May.23,2000

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