われら六稜人【第4回】楕円のボールに託した夢

第3回戦
最初の10年…

    コーチとして初めての天王寺との定期戦で、80点以上あけられた。長居の陸上競技場でのハナシ。父兄が2人観戦しておられて「いくらボールを奪っても、一 向に得点に結びつかへん」…と、悔しそうにこぼすんだナ。仕方がないんだ。その時、北野のラグビーは「勝ちかた」を知らなかったんだから。それで…近隣の弱そうな高校を集めてリーグを新設した。盾も俺が作ったんだ。それが「北摂リーグ」のはじまり。さすがに狙い通りというか…このリーグでは負け知らずだったと思う。そこで選手は「勝つこと」を覚えはじめた。

    いっぽう、野々村先生が高体連ラグビーのほうで忙しくなられて、校内でクラブを見ることが困難になってきた。次第に俺へのシフトが重くなるなかで、戦術的 には普通、両サイドにウィングが並ぶのを、俺は一直線に並べるように指導したんだ。これには野々村先生から「何すんねん」とひどく怒られたけどね。

    それでも、25分ハーフで10分くらい持つようになった。誰も後ろにおらへん…けど、そこで止めたら何とかなる式の「背水の陣」戦法やな。そんなくだらんことをやってるうちに、野々村先生にも理解していただけるようになって…。

    往時はね、キャプテンを監督が決めたりした時には猛反発を喰らったもんだ。しかし、近頃ではそれも無くなって。その分…自主的な考えが無くなったのかも知 れん。軟弱になった。ま~とはいえ…生徒というのは、言われたことは完璧にこなせるけど、自主性というのは今も昔もあんまり無かったのかも知れん。そう割 り切ってしまえば、あとは指導の仕方で何とでもなる。俺も…あの優勝までに10年ちょっと、かかったしな。

Update : Dec.23,1997

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