われら六稜人【第27回】ある音楽家の生涯

第13楽章
120周年「第九」後日談

    母校120周年の祝典にベートーヴェンの第九を演れないか…というお話は、当時教頭の肥塚先生が持ちかけて来られました。東の名門、日比谷高校でも演ったらしいんだね。大阪の北野でできないはずがない、と。「それは無理でしょう。だいいち…4楽章全部やってたら客席はみんな寝てしまうのと違いますか」そんなことをいいながら、ボクは「実現するとしても、いい とこ取りしたダイジェスト版を新たにアレンジし直して演奏するのが関の山じゃないですかね」という意見でした。ボクのバンドのテーマ曲が第九の(第4楽章 の)ダイジェストでしたからね。このスコアは打合せの際にスタッフの皆さんにお目にかけたはずです。
    ところが皆さんは「全楽章できるのではないか、やろう」という話になって…結果的には音楽部出身者(オーケストラ+コーラス)他、北野の音楽人が一同に会 する集大成的な演奏会になりました。いろんな記録が残っているでしょうから、ボクがあまり多くを語ることもないと思いますが、その後日談をひとつ。

    あの演奏に目をつけたある最大手の旅行代理店が「これをベルリンに持って行ったらどうか」という企画を持ち込んで来ました。前日には日経の芸術面に大きく取り上げられましたから…。
    興奮の余韻まだ醒めやらぬ頃で、もしかしたら…という勢いはありましたけどね。それにしても「身内のたかだが100名くらいがベルリンに押しかけて演奏を 聴くというだけでは格好がつきませんよ」と。その頃はバブルの影響下で、そういうある種、恥ずかしいツアーが幾つも企画されてましたから。「『日本の由緒 あるハイスクールのOB・OGたちだけで組まれた楽団で、非常に珍しい公演である』ということで、現地の法人にもしっかり動員をかけていただいて、ホール を満席にして貰わないと困りますよ」と。「もちろん私の一存で決められることではありませんし、それ以前に、私はもう演奏会当日、六稜楽友会の会長職を降 りていますから、現会長の家近君以下、幹事の皆さんに諮っていただかないとなりませんね」そう助言して返したんです。キミのところにも話が行ってるはずで しょ(笑)。

    結局、ドイツ行きは実現しませんでした。北野の良識という奴だったかも知れませんね。

    最後に現役の諸君に一言ということですが、がつがつ勉強するだけではなくて、じっくり自分の人生を堪能したらどうですか。1年や2年の留年が…全部の人生 に占める割合なんてたかが知れています。それよりも、1年余計に長く学校にいることでクラスメートが倍になる…このほうがボクはよっぽど大事だと思います よ。学校というところは勉強すると同時に友人を作る場所ですから。とくにハイスクールはね。大学は「自分の勉強」をする場所ですが…。それと、もうひとつ。何でもいいから他人にないオーソリティなもの…技術でも知識でも何でもいいですが…を身につけてください。人生が楽しく、また役に立つでしょう。

    高校生活というものは「友人をつくり、自分をつくる」基礎の段階であると考えて、慌てずにのんびりと謳歌してください。それがボクが後輩に贈る言葉です ね。他人と違うということ、型にはまらないということに誇りをもって生きてください。戦後日本の画一教育の弊害が、最近その反動となって揺り戻しが来てい ますからね。考えてみれば…偉い人はみな落第しているんじゃないですか(笑)。

Update : Dec.23,1999

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