われら六稜人【第22回】ヤマに憑かれた放浪人生

※宗谷と海氷上に降ろされた物資。

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南極越冬隊秘話
【後編】

    ボクなんか典型例なんだけど、何人かの連中が一生懸命になって準備をやるわけ。「ヴォランティア」なんてもんじゃないですよ、もう。端からみると「クレイ ジー」そのもの。家に帰らないしね。本業もほったらかして…ほんと、何やってるかわからない。そんなにのめりこんだら出世の妨げになるって。でも止まらん ですよね、一度やりだしたら(笑)。いわゆるプランニングから世話からね。
    そうこうするうちに次第に形がオーソライズされて堅くなってくるわけ。予算の申請は学会を通してやれ、隊員の選考も学会が推薦する…。もう、地質学会なんかと喧嘩したら南極に行けなくなっちゃうからね(笑)。あぁいうのは世の中の縮図だよね。日本の悪い点っていうかさ…。それで、茅さんを中心とする学術会議の中に南極推進本部ができましてね。文部省の大学学術局というのが中心になって動くんです。これに対して未だに大きな 批判はないですけど。ただ、運輸省なんかが時々批判的なことを言うのはね。例えば、最初は海上保安庁が行ったわけです。「宗谷」は通算6回、南極に行って る。
    それがいつのまにか自衛隊に変わったのね。通信関係や飛行機を飛ばすとかいうことになると、やっぱり自衛隊の十八番でね。でも自衛隊の船はみんな軍艦です からね。やっぱり自衛隊がでるのは良くないだろう…そういう批判はある。だけど、もう今は海上保安庁は南極とは関係ないの。

    ※タロ(左)とジロ(右)。

    犬ぞりを連れて行くにも大変な紆余曲折があった。それまでの歴史からいうと、犬ぞりっていうのは南極でものすごく活躍してるわけですよ。そういう史実のう えに、ジオロジストの直感としてはね…岩石は、それが見えてるところまで実際に足でたどり着いて、この手で叩いてみないと始まらないわけです。ところが、 岩肌というのは近くに見えていても物凄く遠いんですよ。だから今まで南極にいった地質学者は大抵、犬の世話してるんです(笑)。
    南極の地質調査には犬ぞりが欠かせない。それでボクは以前から会議の席では口を酸っぱくしてそれを主張してた。でも、誰がそれを実行するか…「犬ぞりなん かやらないほうがいい」っていう意見が大半を占めてたしね。もう古いんじゃないかってことで。だいたい…誰もやったことがなかったんだから。

    そしたら西堀さんと意見があって…「お前やれ」ってことになった。断わる理由はなかったからね。「よっしゃ、分かりました。」って、二つ返事で引き受けま したよ。後で西堀さんが言うんです。「あの時、菊池君…面白いこと言ったね」「何て言いましたっけ?」「犬ぞりが無かったら『南極』にならない」って。ボ ク、そんなこと言ったんだね(笑)。
    でも「分かりました」って言ってはみたものの、やったことはないしね。いったい「犬ぞり」って何なんやろって。この時ほど英語の本を読んだことは無かった よ(笑)。紀伊国屋に行ってね、アメリカの本を取り寄せてもらう。これが高いんだよね。おまけにあの頃は1ヶ月は優にかかった。女房には「また本を買う の?」って睨まれるしね(笑)。
    だって、日本に犬ぞりの本が無いんだもんね…しようがない。当時、梅棹忠夫というのが唯一、犬ぞりの論文を書いてた。京大の学生の頃に、犬ぞり旅行で樺太へ行ってるんだね。その記録が唯一、日本語で書かれた「犬ぞりで走った」記録。ま~何にも書いてないけどね(笑)。

    あと、ノルウェーだとかスウェーデンだとかにもあるんでしょうけど…そんなの読めないからね。それで英語の本を片っ端から漁って「犬ぞり」に関連する部分だけ、必死になって読んだ。そうして何となく分かってきたのね。それでボクなりの論説ができてくる。
    そうすると、またいろいろ言う人が出て来てね。北大の山岳部とか日本山岳会の若い連中、同年輩の仲間たちがね。「菊池が、勝手なこと言ってるぞ」って (笑)。山岳部の大先輩なんか「お前、ちょっとこい」と呼び出してね。「どうも、南極に凝ってるみたいだが…俺は、お前が本物の登山家だと思ってた」って 言うわけよ。本物の登山家が極地探検なんかするもんじゃない…そう戒めたかったんだろうね。
    登山界を含めて、スポーツの世界っていうのは非常に視野が狭いんだね(笑)。いわゆるスポーツ・アルピニストからすれば極地探検は「登山」じゃないし、船 で行って船で帰って来るだけじゃないか、とね。それでもボクは幅広くものを見たい性格だったから「いいんですよ一流でなくても」って言ったら、さらに怒ら れた(笑)。

    あとね…同年輩の獣医の連中とか犬の専門家たちがいるわけです。しかも探検好きな奴らがね。そういう連中が「なんで菊池が犬ぞりをやるんだ」ってね。だいぶ叩かれましたよ。おまけに犬を置いてきた…ざまあみろって言うわけ。

    ※第2次隊の進入を阻んだ海氷の状況。
    昭和基地近く、小型飛行機より空撮。

    あれはね、天気が悪かったっていうのが非常に大きな理由のひとつ。今まで南極観測の歴史が40年位あるわけだけど、あの年が最低の記録だった。風は荒れる し波や氷の状態も悪い。「宗谷」がものすごく苦労をしてね。現にボクらが南極に来た時は、昭和基地から20kmのところまで船が入ってるんだけれども、そ の次の年は200kmのところまでしかどうしても入れなかった。この途中はぐちゃぐちゃのところですからね…氷の上を歩くわけにもいかない。だから近寄れ ないんですよ。それで、すったもんだやってるうちに、とうとう時間がなくなって「帰ろう」という話になったのが事実なんですがね。

    だけどオペレーションのやり方っていうのは一杯ありましてね。もうすでに何人かの連中がセスナで基地に入っているわけです。その連中が「我々は残るから皆 帰っていいよ」なんて言ってくるしね。先に越冬してた仲間も「なんだったらもう1年…残ってもいいよ」と言ってるわけです。食料はあったんです。1回目の 時に2年分の食料を入れてますからね。だから同じ11人はもつし、犬を使いながらそこでもういっぺん越冬を続けるって事は、物理的にはできたんです。

    ただ、船の中には大きく3つのグループがありましてね。

    ひとつはボクらのような「山屋」と称する…1人になっても2人でもいいから、越冬して残ったほうが面白いじゃないかという、いわゆる登山家的発想の…そういうことが好きな連中とね。
    もうひとつは全くの「学者」。南極に来て地球物理を調べることが学問的に非常に価値がある…そういうことのために来てる人たちがいるんです。確かに彼等も 他の学者センセイから見れば山登りとか、そういうことが好きな人たちが多かったですけど。学問しなかったら何も南極に来る必要はない…そういう、いわゆる 「学者」のグループと。
    最後3つめに「船」のグループがいるわけです。船長以下、海上保安庁の職員ですね。あの人たちは「南極に行く」ことが面白いのであって、探検という哲学が全然ないんですよ。船の運行だけしか考えてない(笑)。極端に言うと、船を傷つけないで帰って来れればいいわけです。

    これはまぁ昔からそうでね。昔の探検隊でも…船長だけが一生懸命で船員が反乱起したっていうのはよくあるハナシなんです。どちらかっていうと船員はへっぴ り腰なの。できるだけリスクは避けて帰って来たいっていうのが平均値の考え方ね。その中で山屋だけが「俺一人でもいいから残りたい」そういう発言が出てく るわけです。
    そんな時にじゃあ、最終結論を誰が下すかってことになるんだけど。隊長に一任ということになると「帰ろう」ということになる。隊長は学者グループだったか らね(笑)。その当時で400tから500t近い機材があるわけですよ。最新のコンピューター測定装置がね。その機材を持ち込まないで我々だけ行っても仕 方がない…と、こう言うわけです。そりゃそうでしょう(笑)。

    逆に、ボクら山屋に言わせて貰えば、犬もおいてあることだし、飛行機が飛ぶんだし、通信もちゃんとできてるんだし…全部、第一次の時に作ったんだから「も う1年残るのは難しいことじゃないんじゃないか」そういう議論はまぁあったんだけど。「じゃあ、お前だけ残れ」というわけには行かないからね。
    隊として「帰ろう」ということになると、それは帰らざるを得ない。この論説は長いこと御法度になってくるわけ。個人名が出てくるからね、そこに。言わない ことになってね。最近「時効」になったかな、隊長も亡くなったからね。だから、あちこちでこの話が出てきますけどね(笑)。

    だけど、お天気が非常に悪かったことは事実なんです。

Update : Jul.23,1999

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