われら六稜人【第20回】数奇なる強運弁護士の半生

第8法廷
弁護士しかない!?

次に、兄と共同で塗料会社をやることにしました。しかし、当時は、原材料の殆どは配給制で、そのため会社を作るには通産局の許可が必要で、それには生産に見合った設備なり施設が必要です。そこで、仲の良かった印刷インキの製造会社の工場長に頼んで、その工場を1日だけ貸してもらう約束を取り付けました。その日にちょうど通産局の検査が入るように日程を合わせて…それで営業許可を取得したのです。そして顔料やら油脂を配給してもらい、実際…夜中にその工場を借りてペンキを練りました。そのペンキを売ってできたお金を貯めて、西淀川に自社工場を作って本格的に稼動させ、社長に就任しました。しかし、これも長くは続かず…昭和29年頃の造船疑獄で、不況のあおりをうけ、敢えなく倒産してしまったのです。

工場を閉鎖したことを親父に伝えました。厳格な親父は
「これからどうする心算か」
「いろいろ考えましたが…あと私に出来そうな仕事は弁護士しかないと思いました」
そう、答えたのです。親父は私の顔をじっと見つめながら、涙を浮かべているようでした。
「おぉ、そうか。やっとその気になったか…」
私はそう言ってくれるものとばかり思っていました。しかし、親父の口から出た言葉は次のように厳しいものでした。
「やめとけ。お前が商人になったのは銭を儲けようと思ったからやろ。商売人が銭を儲けるのは善や。しかし、弁護士が銭を儲ける…ということは悪につながる」
親父は一高、東大の出身でした。
「わしの同級生は官僚や大臣、財閥系の社長になって大きな顔をしている。しかし、奴等が今の地位に就くまでに少なくとも会社の5つや6つは潰してきた。お前はいくつ潰したのか」
「果物屋と役人とペンキ工場の3つです」
「たったの3つか。一度、志を立てて商人になったのなら、それを貫き通すのが男というものだ」
そこで私は心の内を正直に話しました。
「確かに、銭儲けをしようとして商人になりました。しかし、私は商人に向いてない人間であることがよく分かったのです。それで…いろいろ考えた末、親父を見てきて弁護士しかないと思いました」
「そうか。しかし、やるなら…試験に失敗しても死ぬまで受け続ける覚悟で臨まなあかん」

こうして、35歳にして弁護士を志しました。司法試験には5回失敗して、6回目でやっと合格。41歳の時です。その後2年間の修習期間を経て、43歳で晴れて弁護士となりました。前厄で試験に通り、後厄で弁護士になったのです。以来、36年経った今でも、現役で弁護士稼業を続けています。今年で79歳になります。

写真提供:朝日放送(株)

こんな経歴ですから、大卒ストレートで弁護士になった人とはずいぶん違うと思います。弁護士らしくない弁護士だと言われています(笑)。朝日放送の「プラスα」というワイドショー番組に法律解説で出演したり、読売新聞で『茶の間の法律』を執筆したこともありました。裁判所に頼まれて会社更正の管財人になったり、会社の監査役は今もやっています。実際、こういう仕事は、やってみるとおもしろくて楽しいものです。

Update :May.23,1999

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