われら六稜人【第18回】もうひとつの甲子園

第7版
嗚呼、楽しきかな営業人生

    ぼくが入った時の社長…東大法学部にしては柔らかいいいことを言う人でね。「有言実行、積極的に提言せよ」と。「会社はその中からいいところを選ぶ。言う たことは必ず採用…ではない。諸君の言うことの中には間違ってることもあるから。だけど包まずに云いなさい」と。ぼく、いろいろ好きなこと言わせて貰った よ。何しろ怒られないからね。あははっは。


    凸版印刷(株)4代目社長
    山田三郎太氏

    ホントは「あのガキー」いうて怒ってる人もいたけど、ぼく…そんなもん全然堪えへん。だけども、ぼくにとってはあの社長…一貫して神々しい存在だった。 入ってきたばかりの一年坊主に、いいこと言うわけ。「諸君の学んだものを企業に活かす…わが社は技術の凸版である」と。口先だけの凸版と違う、技術で行く んだ…とね。
    「そこに印刷あり、文化あり。本なしで勉強する奴はおらん。とにかく印刷は文化のあるところに必ず要る」と。「ビールのラベルなかったら、単に黄色い泡の 飲み物で口にしにくい。あれはラベルが貼ってあるから…ラベルが品質保証なんだ」と、50年も前にあの人は『品質保証』を謳ってた。

    ぼく、『アメリカンフットボールの近況と戦力の培養』について、この人にご進講申し上げたことがある。「アメリカンフットボールいうのは質×量を戦力とい います。戦力がないとダメです。要するに、いいセールスマンが数多くいるというのが販売網の強化に繋がるんです。それには、いいフォーメーションを作らな いとダメです。日本と外国を結んで、営業が一体となってチームワークを取らないといけません。保険の外交員のように縄張り争いをしていてはいけないので す。それぞれの持ち場の特殊性を、フレキシブルに統制取らないといけません。それともう1つ、一番大事なことは会社のためにがんばるガッツです。私にはあ ります」そう、ご進講申し上げた(笑)。
    そしたらね…偉い人やった、この人。昭和32年に「営業第一主義」というのをホンマに掲げてくれたわけ。今でこそ普通やけど…当時、いい会社というのは営 業は形だけ、鉄鋼産業なんかも名前だけで。基幹産業は、する必要がない。凸版印刷も紙幣が印刷できなくなって、いち早く営業を中心にするフォーメーション に変貌したわけ。ぼく、嬉しかったよ。みんなが言うてたのかも知れんけど、アメリカンフットボールのアホみたいな話に耳を傾けてくれて、ぼくの論文読んで 実行に移してくれた。そう思うと、こっちも「この人のためにやらなあかん」と思うしね。

    とにかく、地についた能書きと実行あるのみ。だから営業というのは誰でもできる、アメリカンフットボールの特性活用と一緒なわけ。誰でもできる、だから頑張れ!…そういうて営業の会議ではホラを吹くの(笑)。檄を飛ばすわけや。
    だけど営業も勉強はしないとダメ。「もみ手」してたらいいというものではない。まず「計画」。市場調査、景気動向予測、信用調査に始まって販売計画、行動 計画を練る。ここで目標を設定したら次に「実行」。それはもう汗と涙の連続や。訪問して見積り。受注契約したら進行管理や。納品して初めて売上げがあが る。それから代金回収。得意先に行ってチヤホヤ言うてるのが営業と思ってる奴はアカン。銀行がバブルで失敗したのも、殿さん商売で「泥と涙」知らんかった からね。
    「実績」も年次毎に見て行かなアカン。業績を評価して、必要に応じて報償・表彰。頭冷やして反省する…こういうことがホントは一番大事なんだ。

    営業というのは頭と心と足を使う仕事。だから頭使わん営業は全然アカン。まだ訪問販売できる品物ならね…既製品を売るだけやから、そんなに頭は要らんかも 知れん。要らんコトはないと思うけど、まだ楽なほうやね。でも、受注産業はダメ。凸版みたいな会社…1兆円売り上げるのに…10万円でも20万円でも注文 を受ける。営業としては、そんな小口を受けてたら管理だけでも厳しいけれど…だけども、そういうものの積み重ねが1兆円になる。
    3,000人の営業マンが1兆円売ると言うとエラいことですよ。一人当りいくら売上げがないといけないか。それでも「10万円なんて小っちゃい奴は邪魔く さいから…」いうてる奴は絶対アカンな。次の莫大な注文が逃げてしまう。タクシー乗ったら、660円(1メーター)で嫌な顔する運転手おる。それは運転手 やから勤まるけども、タクシー会社の社長には絶対になれん。それと一緒でね。

    ところで、仕事に失敗は必ずある、付き物や。失敗が言える会社でないとダメだし、失敗が言える人にならないとダメ。また、失敗を聞ける課長にならないとダ メなんだ。ぼく、そんなん平気やし…毎朝ホウレンソウしっかりやってるからね。「あかんかった…失敗してしもた」言うたら、「そーか」と言うて課長がスグ 親身になって相談にのってくれる。もちろん、あんまり失敗ばかりしてたらアカンよ。だけどね。一生懸命やってたら…そうあんまり大きな失敗はしないもん や。

    ぼく、営業やってて失敗と反省の繰り返しだった。ものすごい失敗もした。ある大手スーパーのチラシを全部受けてて…一万円の値段を千円と間違ってしまっ た。ホンマは先方の担当者にも責任あったけど、印刷物として間違ったモンができてしまった。もっと高額やったかも知れん、とにかく一桁違ってたことは事 実。
    向こうは怒ってるわね。それで、偉い人のところへ責任者のところへ謝りに行った。その人の顔はいまだに忘れないよ。「こら、うちも悪い。分かった。とにか く店に通達する」そう言うて、その場で店に電話して「3個売って売り切れにせぇ」そう指示してた。ホンマに三個売ったんや、一桁違う値段で。それで売り止 めにして「分かったけど、今度から気ぃつけよ」言われてね。ぼく、現場の担当課長と一緒に再発防止計画をいろいろ考えた。そうしたら「凸版印刷、水に流 す」と言って堪忍してくれた。

    計画は確かに大事。だけども汗と油も必要や。これは心と体が強くないといかん。それから…一番大事なんは反省や。しょうむない反省やったらサルでもする。 同じするなら「いい反省」をしないと。営業で「失敗のない奴」いうのは…そら、あんまり仕事してない奴のことやから。はっはっは。
    ぼく、社長に可愛がられたおかげで、関西勤務の時は大阪ガスだとか関西電力、住友銀行、阪急電車、カネボウ、松下電器…そら、ええ得意先ばっかり持たして もらった。応援してくれてるからね、こっちも頑張って注文を増やしてもらう努力もした。通信販売の先駆け、千趣会なんかは自力で開拓した顧客のひとつ。そ うやって7年で課長代理になった。かなり最短記録だと思うよ。
    そら、ぼくも一生懸命やったからね。体力には自信あるし、朝から晩まで走り回った。小学校の時みたいに、ものすごく勉強もした(笑)。ちょっとゴマすっ て、頭下げて口のうまいこと言うて営業できると思ったら大間違い。男前で口が達者いうても、ボロはじきに出てしまうからね。

    それと、やっぱりスポーツと一緒で商売にもリズムがある。自分が真剣に一生懸命やって成功すると「自信」というのがつく。自信。「信は力なり」と言うけ ど…自信持ってるから「私はこう思います」とハッキリ断言できる。それが間違ってるかどうかは、また別の問題で。そうしてると自然に目も利くようになって くるわけ、洞察力もね。だから、とにかく10年くらいは…(学校は3~4年やけど、男は死ぬまで勤めるわけやから。少なくとも50年くらいは給料もらうわ けやから)…脇目もふらず頑張らなアカン。
    とにかく10年間頑張る。いくら北野が自由やへちまや言うても、自由もへちまも実際ない。会社のためにエンヤコラで…10年間は働かなアカンよ。それで 10年経ってエンヤコラ働いた奴が、課長や部長になれるんや。「オレ…会社入って主任になったら頑張る、課長になったら頑張ります」そういう輩たくさんい るけど。あはははは。そんなん会社が課長にするワケないよ。

    だいたい今や市場の拡大と需要の多様化が進んで、営業マン個人にとってみれば、需要はもう全く無限大。例えば、凸版印刷で1兆円売ってると言っても、市場 は8兆円あって絶えず大きく変化している。だから他社のもんは皆ターゲットになる。ま、会社には限界あるけど、一人のセールスマンにとってみたら、もうこ れは全く無限大なわけだ。だから、課長になっても部長になっても、役員になるまでは一生懸命やれ、と。役員になったら視野を広くもって、社員が働き甲斐の あるように遊んでたらいい。
    絶えず研鑚努力をした自信と誇りがなかったら…こんな乱降下の市場に立ち向かっては行けない。だから、ぼく講演を頼まれたら必ず「セールスは日々勉強の積み重ね。販売の拡大は永遠の課題やと思え」そう言うことにしてる。
    むかし『悲しきはセールスマン』という本が出て、大ヒットセラーになった。だけどぼくは「楽しきはセールスマン」と言ってずっとやってきた(笑)。

Update : Mar.23,1999

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