われら六稜人【第14回】北野に来た女生徒たち

初めに
北野高校、誕生のころ
~男女共学はこうして導入された

    • 1947年は新入生を募集しない。
    • 1947年3月現在の旧制中学(女学校)1・2年生は、4月よりそれぞれ新制中学の2・3年生となり(これを併設中学と称する)、新制高校に進学する場合は無試験である。
    • 旧制中学(女学校)の3・4年生は今春は旧制中学(女学校)の4・5年生に、明春は新制高校の2・3年生となる。
    • 北野中+大手前高女
    • 高津中+清水谷高女
    • 天王寺中+夕陽丘高女

  • 併設中学校3年1組 杉橋クラス(撮影1949年1月8日)

    1948(昭和23)年に新制高校が誕生して50年になる。前年の1947年3月31日に六・三・三・四制を定めた学校教育法が公布され、同年4月1日か ら新制小・中学校がスタートした。新制高校発足の前段階として、旧制中学校・高等女学校在校生に対しては次のような移行措置が採られた。
    北野高校の誕生は同時に男女共学の誕生でもあった。大阪では従来の府立中学校(男子校)と府立高等女学校とが生徒・教職員の交換交流をすることになった。組み合わせの一例は次の通り。

    1948年4月20日、大手前高校へ転出の教職員15名と生徒(併設中学3年116名、高校1年127名)を送り、同22日、大手前高校から転入の教職員 15名と生徒(併設中学3年119名、高校1年114名、高校2年6名、高校3年6名)を迎えた。このうち、高校2・3年の転入生は自分の意志による転入 であるが、他は居住地によって決められた「強制的」転入であった。

    男子校として長い歴史を持つ北野に女生徒が来るというので、迎える方も来る方もとまどいや混乱があったことと思われる。いまやあたりまえになった男女共学の50年前の風景を、大手前から転入してきた63期・64期の5人のお話を聞きながら思い浮かべてみることにしよう。

Update : Nov.23,1998

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