われら六稜人【第1回】森繁名誉教諭と3人の北野生たち

2時間目:音楽

北野のうた、アレコレ

    当時の北野(※編註:芝田町時代のこと、現在でいう中津。済生会病院がある)も古い校舎でね。ちょっと地震でもいったらブッ壊れるんじゃないか…よく壊れずにあったようなもんです。 その頃ね、ボクは全部知らないんだけど…歌うと停学になる唄があった。「ポプラの並木ぃ六稜の~煉瓦塀に囲まれてぇ~」…ココまでしか知らないんだけど。なんか…学校の悪口でも言ってたんでしょう。誰が作ったのかね。

    いやぁ、でもね。それは見事な並木でしたヨ。ポプラなんて安い木だからね…安いもんしか植えないンだろうね。松なんか植えない。ポプラもってきてガァ~ンと植えるから、平気で大きくなってきて…。

    「ポプラのぉ並木、六稜の~」
    「ちょっと来い」
    「はい」
    「何でアノ唄、歌った?好きなのか?」
    「いぇ、好きでもないです」
    「ほぅ。お前…2、3日休め」
    ともかく…その頃は「先生を神聖なもの」と私は習いました。今でもそう思ってますけどね(そのくせ、意地悪だけどね~)。

    俺たちの同級生の藤井ってのが北野の校長になったなァ。これがねぇ~同級生なんだけドね…。僕は北野のお祭りだっていうから「それじゃあ、俺がレコードを全員に寄贈しよう」って…5,000枚くらい作ったかな。そしたら藤井がね…「版権がある」って。版権なんか無いよね~そんなものは。でも…結局ポシャって、ダメになっちゃった。

    それは良かったですよ。六稜の校歌をね、わざわざ校歌みたいに歌わないンです。何しろ作ったのが土井晩翆ですからね。えらいもんですね。

    天然とぉ
    はたぁ人間とぉ
    とこしえにぃ我のかがぁみ
    眺むるも胸のときめきぃ
    あぁあ友よ、ふるわぁざらめや~

    そう歌うと、いかにも校歌だという感じがするんでね。校歌のように歌いたいと思ってね。

    淀川ぁのぉ~。

    ホントは、淀川の…なんだけど。

    淀川ぁのぉ~
    深ぁき流れよぉ六甲の雲いるぅ峰ぇよ。
    名にし負ぉう大阪の城
    天才ぃの高きぃかたみぃよ。

    いい歌だよね。懐かしいなぁ。
    今はこの校歌じゃないんだってね。え、歌詞が違うの?

    え?アレ…あるの?そういうものが?CD…
    こんなもの…売ってんのかね。売ってんだろうね。非売品?

    もうひとつ…歌があるでしょ。澱江ぉ春のぉ花アラシぃ~じゃねーや。僕は長いこと、この「澱江」というのがね…。水が濁ってたのかね、淀川は。いくらか濁ってたんだろうね。

    澱江ぉ春の花のぉ色ぉ
    錦城ぉ秋の月の宴~
    歴史はふりてぇ世は荒れてぇ
    ただ幻の映え匂う~

    民百万のぉ夢破るぅ~
    バットの響ぃ~…

    てね。何でも野球部のためばっかりに歌いたくないからね。バットが嫌いで辞めちゃった。だって、もう少し強くならなくっちゃ。可哀想だよね、北野も。チッとも野球が強くならない。

    これも誰が作ったのか分かってないンだな。古い歌だけどね。コレ、分からないことが一杯あるなぁ。「三州」って何でしょうね。3つの州があったのかね。
    この頃の歌に「図南の翼いま成れり」なんて言うけどね。「図南」って…ヨーロッパのことでしょうね。そういうことを非常に憧れてましたからね。『ワシントン』という唄にも「図南」が出てくる。

    ウラルのかなた風荒れて
    図南に駈ける鷲一羽…

    ここにも出てくる。
    今はしかし大阪のことを「澱江」とは使わないね。

    バカリキがこれが好きでね。岡田っていったかな。知ってる?(※編註:岡田喜雄(40期)氏)北野って言うと必ず現われる…アレがしかし死んだンで、みんなホッとしたらしいね。近ごろの先生みんな若いから。
    お決まりの制帽とハッピ姿でね…やって来ては「おぉい。ダメだソラ!何やってんダ!! やるぞぉ。澱江ぅ~」…。すぐ日の丸の扇子をだしてね、アレ、朝日(新聞社)なんだね。

    先生のハナシはボウズに聞くとよく分かるんだよね。水鳥先生。まだよく覚えてますから。
    僕はモノマネがうまくてね。アメリカの唄を歌うんです。するとボウズが「素晴しい。発声が素晴しい」って、褒めてくれてね。「’Way down upon the swannee ribber …」「悪くない。発音もシッカリしてる」…そのくせ、点数は悪かったな。

    みんな北野から三高へ行ったんだけどね。三高はいい歌が一杯あるんだよね。何で北野のときに歌を歌わないのかね。音楽の授業なんて無かったからね。 オーヤンってのがピアノを弾くンですけどね。ひどいピアノでね。あのボロボロのピアノを「パン、パン、パーン。ハイ」って。体操の先生なんだけどね。森 田先生っていったかな、森田浦之丈。「キヲツケェ~。オハヨウ!」「おはようございます」「ハイ。オイッチニ、サンシ…」ってね。

    そうそう。この『鐘は鳴る』ってのはオレが作ったんだ。なかなか、いい唄だったな。忘れちゃったけどな。だんだん…年を取っていくということは科学的に面白いですね。あぁ、コレも忘れちゃうか…アレも忘れたなぁ…。全部「整理」するんですね、死ぬまでに。整理してるんじゃないかと思うンだ。で、整理しきれない人がお化けになって出てくる(笑)。

Update : Oct.13,1997

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