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	<title>東京六稜倶楽部 &#187; 2024年度</title>
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		<title>【264回】12月『北海道分水嶺縦断とヒマラヤ登山』</title>
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		<pubDate>Mon, 03 Feb 2025 15:38:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[野村 良太さん＠125期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年12月18日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>43名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4></h4>
<h4>野村 良太さん＠125期</h4>
<p>（山岳ガイド、登山家）</p>
<p>・1994年生まれの30歳。大阪府豊中市出身。府立北野高校125期。北海道大学水産学部卒業。同大ワンダーフォーゲル部62代主将。</p>
<p>・2022年2～4月に宗谷岬から襟裳岬までの670km「北海道分水嶺縦断」を63日間で単独踏破。NHK総合にて挑戦を追ったドキュメンタリー番組「白銀の大縦走〜北海道分水嶺ルート670キロ」地上波全国放送。</p>
<p>・史上初の功績が評価され「第27回植村直己冒険賞」「日本山岳・スポーツクライミング協会山岳奨励賞」受賞。</p>
<p>・2023年春、ヒマラヤ未踏峰遠征。</p>
<p>・2024年秋、マナスル(8163m)遠征。</p>
<p>・2024年10月には自身初の著書『<a href="https://www.yamakei.co.jp/products/2824340490.html" target="_blank">「幸せ」を背負って 積雪期単独北海道分水嶺縦断記</a>』　(山と渓谷社)を上梓。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・2024年4月6日六稜トークリレーに登壇</p>
<p>「北海道分水嶺縦断・積雪期単独縦断―宗谷岬→襟裳岬670km 63日間の挑戦」</p>
<p>アーカイブ：<a href="https://www.youtube.com/live/tsTJ1ME1nfk" target="_blank">TR220Live &#8211; YouTube</a></p>
<p>&nbsp;</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『北海道分水嶺縦断とヒマラヤ登山』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>アウトドアとは無縁だった北野高校野球部時代の思い出から、北海道大学ワンダーフォーゲル部に入って登山にのめりこむまで、そして卒業後に挑戦した冒険の全容をお話させていただきます。いまの僕は、18歳のあの日の僕には想像もつかない活動をしています。その原点は何だったのか、なぜいまも過酷な登山に挑み続けているのか。登山とは、必ずしも楽しい瞬間ばかりではありません。むしろ苦しい時間ばかりです。それでも僕はこれからも登山を続けることでしょう。やりたいことをやりたいように続けたい。不器用な僕の生き様の、その一端を感じていただければ幸いです。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>1．北海道大学の水産学部に入学、そして北海道の大自然に憧れワンダーフォーゲル部（以下ワンゲル部という）に入部した。そこで登山にのめりこんでいった。北大水産学部の3年からの専門学科は、函館で授業を行う。ワンゲル部がある札幌との行き来は無理なので、活動に打ち込むため2年間休部。62代ワンゲル部主将を全うしてから、復学。結局6年間で学部を卒業した。2．卒業の年は就職活動も行わず、山を生涯の趣味と仕事にしたいと思い、山岳ガイドの道に進んだ。しかし、コロナ禍で仕事がなかったこともあり、北は宗谷岬、南は襟裳岬間670㎞の単独北海道分水嶺縦断を計画した。この計画のモチベーションとなったのは、志水哲也さん、工藤英一さんのお二人の言葉があったからだ。それは、「比類のない美しいルートだ」と「完全単独ワンシーズンであれば、極地に匹敵する記録になる。（中略）これからの若き岳人に期待する」というものであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3．こういった縦断を夏に行うと、気候的には良いが、森林や藪で覆われ歩くこと自体が困難。むしろ、雪で覆われた冬の方が歩きやすく、スキーも活用できるので冬季に実行することとした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>4．2021年の縦断は南からスタートしたが、これは失敗した。失敗の理由は、南からだと午前は南斜面が日当たりで雪が解けて緩くなり歩きにくい。午後は北斜面が凍って固くなり非常に危険という理由による。この第1回縦断の時、NHKのデレクターから声を掛けられ、取材を受けた。翌年第2回を実施する前に再びNHKから声を掛けられ、今度はカメラの映し方やアングルなど手ほどきを受けた。もっとも、密着取材すると言いながらカメラマンが来るわけではなく、自作自演の記録となった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>5．第2回は、第1回の失敗を反省して、北から南に縦断することとした。また、第1回の50日という期間も、背負える荷物の量を考えると無理があり、これを64日、つまり1日平均10㎞歩く計画とした。これから途中4か所のデポに食料、備品を置いた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>6．2022年2月26日、宗谷岬を出発した。ここから、縦断中に撮影したビデオによって踏破の様子を解説し、いろいろなエピソード、行動の説明があった。そのいくつかを列挙する。</p>
<p>・2か月間も一人でいると、気持ちの浮き沈みが顕著になり、それを奮い起させるためにも一人ごとを言う、撮影・録音中であるのも忘れて大声で歌を歌ったこともあった。</p>
<p>・ビデオで見せているのは天候の良い日であって、吹雪くと真っ白な画像しか映らない。晴天の日は10％未満で90％1以上は悪天候か吹雪。ラジオで天気の予報でも、避難小屋を出ると吹雪、次の日も吹雪。何日も吹雪かないだろうという思いで、天気の回復を待った。</p>
<p>・分水嶺、つまり稜線を歩くのだが、風が雪を飛ばして雪庇が発達する。こんな雪庇の上を歩くと崩れて崖に滑落するので、雪庇を避けながらの踏破であった。</p>
<p>・風のない日、日高山脈の稜線にテントを張り、そこからの眺めは素晴らしかった。本の表紙に使っている。でも、夜になって風が強まり、慌てて山陰に撤収した。</p>
<p>・南の方に来ると雪が少なく西側の雪が飛ばされるので、東側を歩く。そしてテントを張るスペースを作るにも30－40分かかり、クタクタになる。</p>
<p>・カムイ岳で雪に埋もれたテントを張り、明かりを照らしたら雪景色とのコントラストが素晴らしく30枚ぐらいの写真を撮った。この中でベストな写真を裏表紙に使っている。</p>
<p>・リュックサックで担ぐ荷物は45㎏。1日800gの食事で、3,500Kcal。とても満足な量ではなく、食べ終えるとお腹が鳴る。目の前には、大量の食糧があるのだが、あとのことを考えて、手を出すことに耐えた。食料は、カロリー接収を重視したので、まずい。飽きが来るが、却ってこれが良かった。おいしいと、食べたい欲求に勝てなかったかも知れない。まさに空腹との戦いであった。</p>
<p>・2022年4月29日襟裳岬に到着し、64日をかけての「北海道分水嶺縦断・積雪期単独縦断670㎞」の冒険は終わった。北大のワンゲル部の人達が迎えてくれた。64日ぶりに風呂に入り、人間らしい食事にありつけた。体重が10㎏減り、出汁を取った鶏ガラのような姿であった。足のあちこちにマメができていた。過酷な縦走であった証拠だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>7．こういった縦走では、想定外のことが起こり、完全な単独とはいかず、いろいろなサポートを受けた。例えば、テントポールを斜面のはるか下に流してしまい、スキー板で支えてテントを張った。これには、困って代わりのポールを持ってきてもらった。また日高山脈のデポの食料がネズミに食い荒らされてしまい、これもサポートで補充してもらった。サポートを受けはじめるときりが無くなるので、極力受けないことに徹したが、今でも反省している点である。同時に、困った時に助けてくれる友人の有難さをしみじみ味わったことも事実である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>8．日記はよく書いたので、全部で6万字になる。一人ボッチで、天気が悪いと動けないので、寝る、食べる、ラジオを聴く、日記を書くしかない。地図の上にひたすら書いた。空腹を紛らわす手段でもあった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>9．NHKオンデマンドで、野村良太、北海道縦断で検索すると、ビデオが出てくる。220円で鑑賞する価値はあると思うというのが野村さんの弁。また、NHK Worldでは無料版が見られる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10．その後ヒマラヤ登山に挑戦した。マナスルに登ったが、7500mのところで撤退した。Great Himalaya Trailも企画している。未踏峰の山への挑戦も考えている。また、日本では、富山湾－駿河湾の冬季TJAR（Trans Japan Alps Route）の縦断も企画しているが、途中で人家が出てくるエリアがあるので、これが野村さんの美学に合わないとのこと。現在地図と睨めっこで良いルートを探しているとのこと。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>11.最後に、来年1月には第一子が生まれるとの報告があった。参加者全員が、野村さんの素晴らしい講演と出産報告に温かい拍手を送った。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．質疑応答</th>
<td>
<h4><span style="text-decoration: underline;">荻野征生さん　74期</span></h4>
<p>Q:デポは4ヵ所、それは避難小屋ですか。</p>
<p>A:デポは4ヵ所とした。デポもやりすぎると、興がさめる。45㎏から50㎏の荷物を担いで出発する。デポからデポまで、150㎞から200㎞を歩くことになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">広本治さん　88期</span></h4>
<p>Q:スマホの電波は入るのですか。</p>
<p>A:分水嶺だと電波は入る。しかし、山陰の木のあるところは入りにくい。緊急用にスマホの使用は極力避けた。</p>
<p>Q:雪庇は危険ですか。</p>
<p>A:雪庇は、いつも、どこにでもある。上から見るとどこの雪庇があるかわかるので、それにかからないルートを選ぶ。</p>
<p>C:同じく、手塚治虫の直筆画が数枚、六稜会館の地下に所蔵されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>浅見晃子さん　114期</strong></span></p>
<p>Q:自分もラテンアメリカの僻地を旅行した時、疲れて日記を書くのがつらいときがあったが、野村さんの場合はどうでしたか。また、人と話さない時間が長いと孤独で、メンタルの安定を欠くことはありませんでしたか。</p>
<p>A:日記を書くのにマメなタイプではないが、2カ月もたつと忘れるので、それを防ぐために日記を書いていた。最初は、大きな文字で大したことのない内容を書いていたが、その後日中の孤独を忘れるために、自分の思うことを書いて孤独を忘れるようにした。自分は単純な人間なので、メンタルの面ではあまり問題はなかった。晴れた、美しい、うれしいと思うこともあれば、吹雪でめげることも多かった。ラジオはよく聞いたし、貴重な相棒であった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">清徳則夫さん　79期</span></strong></p>
<p>Q:趣味の山を愛して、好きなことをやっているようですが、食えていますか。</p>
<p>A：ギリギリ。夏は山岳ガイドをして稼いでいる。30日中25日働いている。本を出して活動を紹介して以来、最近は講演をする機会に恵まれ、講演料を頂くようになった。でも、ヒマラヤに行くとなると1回で100万円の出費となり、経済的には楽ではない。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅸ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/150人寄稿230907p259.pdf" target="_blank">150人寄稿230907p259</a></p>
<p style="text-align: right;">記録：多賀正義（76期）</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅹ．講演風景</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_246-0.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6759" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_246-0-150x150.jpg" alt="TRC_246-0" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3543.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6758" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3543-150x150.jpg" alt="TRC_3543" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3530.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6757" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3530-150x150.jpg" alt="TRC_3530" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3509.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6756" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3509-150x150.jpg" alt="TRC_3509" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3507.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6755" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3507-150x150.jpg" alt="TRC_3507" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3480.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6754" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3480-150x150.jpg" alt="TRC_3480" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3475.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6753" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3475-150x150.jpg" alt="TRC_3475" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3460.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6752" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3460-150x150.jpg" alt="TRC_3460" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3441.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6751" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3441-150x150.jpg" alt="TRC_3441" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3398.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6760" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3398-150x150.jpg" alt="TRC_3398" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3401.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6761" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2025/01/TRC_3401-150x150.jpg" alt="TRC_3401" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/12/TRC_3416.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6778" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/12/TRC_3416-150x150.jpg" alt="TRC_3416" width="150" height="150" /></a>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【263回】11月『私が取り組んでいた（いる）研究　並列処理とAI　今後－後者ですごい世の中になりそう･･･』</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6710</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6710#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 29 Nov 2024 01:41:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[中田 登志之さん＠88期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年11月20日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>55名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>中田 登志之さん＠88期</h4>
<p>（個人事業（CyPhysSys）主、東京大学名誉教授）</p>
<p><strong>大学</strong>　京都大学工学部情報工学科<br />
・1979-1985 (学部4年生から博士後期課程3年生まで)萩原研究室で並列処理の研究に従事</p>
<p><strong>1985-2015年</strong>　NECの研究所で主に並列処理アーキテクチャの研究に従事<br />
・1985-2000 並列計算機　Cenju (HalIII)とPCクラスタ<br />
・2001-2005 ネットワーク処理,分散処理　(Business Grid)<br />
・2006-2015 マネジメント、技術企画、COCN/Jeita</p>
<p><strong>2015-2023年</strong>　東京大学情報理工学系研究科ソーシャルICT研究センター兼コンピュータ科学専攻所属<br />
・並列処理と機械学習の適用について研究</p>
<p><strong>2023-2024年</strong>　個人事業主、AI入門などの講義担当</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『私が取り組んでいた（いる）研究　並列処理とAI　今後－後者ですごい世の中になりそう･･･』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>講演者が40年間研究開発してきた並列処理とスーパーコンピューターの関連技術について紹介する。並列処理は当初はニッチな技術と考えられていたが、現在はmainstreamの技術として捉えられている。特に最近はNVIDIAのGPGPUが普及しており、ますます利用が活発になってきている。また現在並列処理を用いたシステムが盛んに利用されている音声認識や画像認識、さらにChatGPTや画像生成分野などの応用やロボット関連の技術に関して人工知能分野でどのような革命的なことが起きているかについて紹介し、今後の私共の生活にどのような影響があるかについて紹介する。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>
<h4>1．並列計算機とは</h4>
<p>計算機は多数の演算から一つの仕事をします。1クロック（演算に要する基本単位）当たりの所要時間を減らすか、演算を並列化すると早く仕事が終わります。一演算あたりに係る時間は20世紀末の半導体の細密化で25年のうちに6000分の１にまで短くなりました。私の研究対象は世界一速い計算機を目指し、同じ仕事を完了させるために一度に多数の演算機を使って1クロック当たりの演算数を増やし、全体の演算時間を減らす工夫に関するものです。夏休みに出た多数の宿題や教室の掃除も皆で分担すれば早く終わります。同様に多数のプロセッサを用いて並行して計算を分散処理することで、処理速度を速めようというのが並列処理です。このためには並列に計算機を動かす必要があるので、演算の分担の割り当てなどを考慮する必要があり、プログラム開発者の負担は大きくなります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>2．Cenjuの開発</h4>
<p>このような演算を実現する並列計算機をNECで開発しました。千手観音にならってCenjuシリーズと名付けた計算機を四世代にわたり開発、製品化しました。最初の製品となったCenju-3の時は、主力のスパコンSX-4のおまけとして欧米に展開する仕事のため、世界を飛び回りました。国内での並列処理の技術の普及を図り、並列計算機を使いこなす技術を持つ人材を育成するため、教科書を書き、並列処理のプログラムを書くコンテストなども業界を挙げて催してきました。画像処理などの世界で最近圧倒的な普及をし始めているNVIDIAなどのGraphics Processing Unit(GPU)は一般のパソコンに搭載されているCentral Processing Unit（CPU）と違い多数のコアを並列処理する計算機で、AIに用いています。<br />
日本の富士通が製作した理化学研究所のスパコン富岳は700万のコアからなり、現在処理能力で世界第４位です。800万のコアからなる米国DOEのFrontierがトップの性能を実現していますが、第３位のMicrosoft社のEagleシステムは30台ほど稼働していて、Copilotを賢くするのに使われ、情報社会を席捲しています。並列処理ができるNVIDIAのGPUは広くAIに用いられています。日本の企業は予算規模が圧倒的に大きいGoogle, Microsoft, Xなどに太刀打ちできていません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>3．AIについて</h4>
<p>2024年度のノーベル物理学賞はニューラルネットワークの創出研究に授与され、ノーベル化学賞もAI関係でした。100兆個規模の脳神経のニューロンのネットワークを計算機の中で模した兆レベルの接続回路を有するモデルを作り、並列計算で多数のパラメータを最適化して、正解に近づこうとするものです。この技術は人工知能AIの学習過程に応用・実装され、ここ数年の対話型AIの強化学習によりその性能が驚くべきスピードで向上しています。ちなみにChatGPT3.5では1750億個ものパラメータの最適化を行っています。AIの進歩で囲碁、将棋の世界では人知を超えた性能が発揮されています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>4．AIの産業応用と仕事の自動化</h4>
<p>AIの産業応用は多面的に進んでいます。製造ラインでの画像認識で不良品検査、生産プロセスの最適化、医療画像診断の応用、小売業での在庫管理や価格設定の最適化、交通での自動運転、農業や金融業株価予測の世界でもAIが活用されています。この動きは定型的な仕事をAIが肩代わり方向にだけでなく、弁護士などの職業にも影響が及び人が行う仕事が大きく変わってくると考えられています。マッキンゼーの報告では2030年までに8億人の仕事がAIにとってかわるとの予測もあります。（実は、このあたりの講演スライド44‐56はChatGPTが作ったスライドを自分が編集したものなのです。）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>5．AIのモラル・ルール</h4>
<p>AIが生成する作品の著作権の扱い、意思決定にAIを用いるときのその透明性や説明責任の問題、与える学習データに含まれる偏見の校正など、偏ったデータから学んだAIの判断の倫理的側面など、AI実装上の様々な課題が認識されている中、軍事利用における倫理ガイドライン、個人プライバシーの保護なども大きな課題です。これらのルール作り、合意には長い時間がかかりますが、AIの進歩はそれ以上の速さで突き進んでいるように見えます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>6．シンギュラリティ</h4>
<p>特定のタスクに特化したAIとは異なり、幅広い認知タスクを自律的にこなす汎用的AGI（Artificial General Intelligence）の進化が加速すると、AIが自己改良を行い自らの知能を継続的に高める能力を持つことが想定され、これをシンギュラリティと呼びます。シンギュラリティを越えたAGIが絶対的な「神」的存在と位置付けられると、人類社会にとって経験したことのない大きな変化をもたらすこと予測され、人間の存在意義や役割についてすら再考を迫られる可能性があります。そのようなシンギュラリティは2040年代には実現するとの予測がありますが、近年はもっと早いとの見方すらでています。実際Chat GPT-o1はIQテストで120を取ったそうです。<br />
ということで、AIの今後とどう向き合っていくべきなのか？　うまく使える道具として見据えていくべきなのか、皆さんはどうお考えでしょうか？</p>
<p style="text-align: right;">
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．質疑応答</th>
<td>
<h4><span style="text-decoration: underline;">橋口善郎さん　78期</span></h4>
<p>Q:AIにモラルをどう持たせるのか、統一できないように想うが、どうお考えでしょうか？</p>
<p>A:標準化の協議の経験からも、共通ルールを協議合意するには時間がかかる。現状、進歩に追いつけていない。</p>
<p>Q:AIにルールをつくらせるのは？</p>
<p>A:そこに踏む込むべきかどうかについては議論があります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">広本治さん　88期</span></h4>
<p>Q:シンギュラリティはもう始まっているのではないでしょうか？　AIどうしが会話して先へ進んでいってしまっているのでは？</p>
<p>A:こうなっては困るということをリスク回避のルール化するところから始めるべきなのでしょうが、著作権一つ取っても統一見解を作るのは容易ではありません。</p>
<p>Q:アシモフの<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87">ロボット工学三原則（Wikipedia）</a>は使えるのでは？</p>
<p>A:Aiの処理はブラックボックス化しているので、そのような埋め込みができるかどうか分かりません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong>清徳則雄さん　79期</strong></span></p>
<p>Q:AIには独創性、創造性はあるのか？</p>
<p>A:AIは入力データから学習してきましたが、その学習には飛躍的な発展段階があります。いろんな情報の組み合わせ方では人知の及ばないこともするが、それを創造性というのかどうか？</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">家正則さん　80期</span></h4>
<p>Q:Chat GPT 4などに数学の問題を出すとどこからか間違った答えを拾ってくる。自分で論理的に考えて居るわけではないので、そんなものかと想うが、新しい数学概念を埋めだすことなでできるのでしょうか？</p>
<p>A:Chat GPT 4までは拾ってくるだけだったが、ChatGPT o1は数学も解けるようになってきているようです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong><span style="text-decoration: underline;">植村憲嗣さん　88期</span></strong></p>
<p>Q:GPTo1は大学院生レベルになったとのことですが、開発の先にあるものへの危機感を共有します。（コメントとして発言）</p>
<p>Q:量子技術開発は特に中国で進められているようですがこの世界で質的変化をもたらさないでしょうか？</p>
<p>A:量子技術ではキュービットの安定化で課題があり、自分としてはやや疑念をもっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4></h4>
<h4><span style="text-decoration: underline;">室田昭子さん　88期</span></h4>
<p>Q:AIも使うのは結局人間であり、AIが意思を持つことは無いのでは？</p>
<p>A:今までのものは、人間の質問に回答するプロンプト型AIでしたが、課題解決型でないAIの開発も進んでいるので、「意思」に近い発信をするAIが登場する可能性はあると想う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">大内拓也さん　109期</span></h4>
<p>Q:並列処理を利用する上でのユーザーインタフェースはどうなっているでしょう？</p>
<p>A:応用分野によって違うモデルが採用されていて、そのモデルの上での計算という形になっています。</p>
<p>Q:どのくらい電力を使うのか？　また冷却にも電力が必要なのではないでしょうか？</p>
<p>A:電力消費と冷却はスパコンの世界では大きな問題となってきている。富岳の電力消費は30MWとなっています。</p>
<p style="text-align: right;">
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅸ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/kitano抜粋.pptx.pdf" target="_blank">kitano抜粋.pptx</a></p>
<p style="text-align: right;">記録：家 正則（80期）</p>
<p style="text-align: right;">講演者確認済み</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅹ．講演風景</th>
<td> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/IMG_4740.jpg"><img class="alignnone wp-image-6739 size-thumbnail" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/IMG_4740-e1732844468173-150x150.jpg" alt="IMG_4740" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3226.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6738" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3226-150x150.jpg" alt="NKM_3226" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3223.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6737" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3223-150x150.jpg" alt="NKM_3223" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3204.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6736" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3204-150x150.jpg" alt="NKM_3204" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3193.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6735" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3193-150x150.jpg" alt="NKM_3193" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3180.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6734" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3180-150x150.jpg" alt="NKM_3180" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3169.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6733" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3169-150x150.jpg" alt="NKM_3169" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3158.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6732" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3158-150x150.jpg" alt="NKM_3158" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3155.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6731" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3155-150x150.jpg" alt="NKM_3155" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3142.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6730" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3142-150x150.jpg" alt="NKM_3142" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3122.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6729" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3122-150x150.jpg" alt="NKM_3122" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3096.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6728" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/NKM_3096-150x150.jpg" alt="NKM_3096" width="150" height="150" /></a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【262回】10月『資産運用とリスク＆コンプライアンス』</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6674</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6674#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 06 Nov 2024 14:46:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[	
河野　次郎さん＠90期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年10月16日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>43名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>河野　次郎さん＠90期</h4>
<p>（コンサルタント、ファイナンシャル＆コンプライアンス・ナビゲーター）</p>
<p>1978年、北野高校卒業。1982年、一橋大学経済学部卒業。シティバンク東京支店に入行。財務部にて予算管理を担当し、報告用データ作成のシステム構築をはじめ、信託銀行設立プロジェクトで証券運用管理システムと信託勘定管理システムの構築を行う。その後クレディ・スイス信託へ移籍し日本初の銀行系投信子会社の業務責任者となる、英国プルーデンシャル生命の投資運用子会社の設立を担当の後、スカダー・インベストメンツに移籍、その直後にドイツ銀行による吸収合併による失職を経験。同時に2002年4月に前職のシティトラスト信託銀行に乞われ業務監理及び情報セキュリティ担当者として復帰。同社および同社グループの法令違反等により資産運用事業から撤退、信託銀行免許の返上を経験し、コンプライアンスへのキャリア転換を決意し、米国フェニックス大学のオンラインコースにて経営学修士号を働きながら取得。<br />
2005年8月、コンプライアンス担当者としてラッセル・インベストメンツに移籍、その後バークレイズ・グローバル・インベストメント（現ブラックロック）、ソシエテ・ジェネラル信託銀行（現SMBC信託銀行）、マニュライフ・インベストメント、メットライフ・アセット・マネジメントにてコンプライアンスの責任者等を歴任。60歳になった2019年6月末日で定年退職。翌7月から2024年6月までの4年間、国際送金業大手のウエスタンユニオンジャパン株式会社にてマネーロンダリング対策を担当。同時に、2015年10月から2期8年、東証上場の「株式会社ランドネット」の社外監査役を、2021年11月から2024年6月までヘッジファンドを運用する、「アトム・キャピタル・マネジメント株式会社」のコンプライアンス担当取締役を勤める。<br />
現在はコンサルタントとして、東京都の外国企業誘致プログラムによる外国企業の対日進出の支援業務と、独立系投信会社のコンプライアンスに関するコンサルティング業務を受託。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『資産運用とリスク＆コンプライアンス』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>1980年代から90年代の資産バブルとその後始末、2000年以降は、以前から進められてきた日本金融市場の開放と金融制度改革、リーマンショックをはじめとする金融危機や年金運用資産消失などの不祥事など、12の外資系資産運用会社の現場で、業務開発またはコンプライアンス担当として経験したこと、そしてそのなかで学んだことや感じたことを、みなさまとご共有できればと思っています。<br />
外資系の会社で働くということ、転職をする（12社を経験）ということ、証券投資や資産運用をするということ、自分自身のライフマネジメントを行うということなど、資産バブル期とそれ以降の資産運用業界の変遷を振り返りながら、自分の経験を交えてお話しさせていただきたいと思います。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>紹介者は同期の樋口義弘さん。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「高校生の頃、私は彼とは全く面識がありませんでした。私が社会人となり、東京に出てきて初めて同期会に出席したとき、私に積極的に話しかけてくれたのが河野君でした。彼のおかげで私は同期会活動に参加するようになりました。今日も彼の応援団が大勢出席していますが、それが彼の人柄を表しているのだと思います。<br />
これまで彼に驚かされてきたのが、再会する度に、毎回、彼の名刺が違っていることでした。私たちの世代では終身雇用が当たり前で、転職は特別なことでした。そんな中、河野君は12回も転職することでキャリアアップをはかる異色の存在でした。今では、転職は特別なことではなくなってきましたが、河野君は、昔から、時代の最先端を歩んでこられました。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>はじめに　<strong><span style="text-decoration: underline;"><span style="color: #0000ff; text-decoration: underline;">SusHi Tech Tokyo</span></span></strong>（スシテックトーキョー）のこと</h3>
<p>・<strong>Sus</strong>tainable <strong>Hi</strong>gh City <strong>Tech Tokyo</strong><br />
・東京都の国際的イベント、2024年4月27日から5月26日まで有明アリーナで開催された。<br />
・「持続可能な新しい都市価値」を生み出すための東京都が主導するイベント。世界が直面する課題に立ち向かうため、最先端のテクノロジー、多彩なアイデアやデジタルノウハウによって、世界共通の都市課題を克服する。<br />
・2024年5月15日～16日に国内外のスタートアップ企業が集まってコラボレーションする場が設けられた。スタートアップ企業とは革新的なアイデアで創業から数年程度で急成長する企業。<br />
・出資者やベンチャー企業も参加、2日間で国内外よりのべ4万人以上が参加した。<br />
・この場で、私はスタートアップ企業を東京都に誘致する際のコンサルタントとして働いた。</p>
<h3><strong>現代金融史（激動の！）・・・<span style="color: #008000;"><a style="color: #008000;" href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/10月16日配布用資料.pdf" target="_blank">配布資料</a></span>の年表を参照</strong></h3>
<h4><span style="text-decoration: underline;">激動の昭和バブル時代　－　1982年から1995年までの13年間</span></h4>
<p>日米間の貿易摩擦・金融摩擦が起こり、米国からは金融市場を含む国内市場の開放を迫られていた。そんな中で日本では資産バブルが発生し、やがてバブル崩壊して長期的な不況、そして1995年の阪神淡路大震災、その翌月の地下鉄サリン事件が発生した時代。<br />
・1985年プラザ合意。<br />
・1987年米国の株価大暴落（昭和のブラックマンデー）。<br />
・1990年日経平均最高値更新。<br />
・1995年の阪神淡路大震災・サリン事件、円高 79円/＄<br />
・この時代は東京のシティバンクの財務部でシステム開発や為替、資産運用などを担当した。<br />
・そのうち金融法人営業部に転属になり、これまでつみあげた実績が台無しになった。<br />
・1995年クレディ・スイスグループへ初転職。</p>
<h4></h4>
<h4><span style="text-decoration: underline;">バブル崩壊とスキャンダルと制度改革時代　－　1995年から2005年の10年間</span></h4>
<p>バブル崩壊により、大蔵省、クレディ・スイス、シティバンクなどで次々と金融スキャンダルが発覚、これらをきっかけに制度改革が行われた。大蔵省は解体され金融監督庁（現金融庁）が設置された。クレディ・スイスのグループ会社は不正な不良債権取引により免許取消しの行政処分を受け、シティバンクのプライベートバンク部門は法令違反等に問われ日本から撤退、信託銀行は廃業となった。<br />
・1997年山一証券、三洋証券、北海道拓殖銀行が破綻。<br />
・2007年やっと金融商品取引法が施行された。これは、投資家が安心して投資を行える環境を作り、取引市場の公平性と透明性を向上させるために儲けられた法律である。<br />
・クレディ・スイスのスキャンダルをきっかけに転職、1999年英プルーデンシャルの運用子会社の日本現地法人の立ち上げの仕事など、いくつかの会社を経て2002年シティトラスト信託に復職するが、2005年シティバンク・グループのスキャンダルにより信託銀行は自主廃業となり失職した。この時期に遭遇した様々な経験から、ついに腹をくくってコンプライアンスへと職種の方向転換を決心する。<br />
・この時、スキャンダルが起きることが無いよう、経営学修士とコンプライアンスの勉強を開始、資産運用の専門性に加えて、経営とコンプライアンスの専門性を身につけた。<br />
・2005年コンプライアンス・オフィサーとしてラッセル・インベストメンツに転職。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">失われた20年、金融市場雌伏の時代　－　2005年から2019年の14年間</span></h4>
<p>金融庁が設置され、金融商品取引法が整備されて制度が整うにつれて会計制度や年金制度の問題点が浮き彫りになり、様々な問題が発生しつつも金融市場に関わる制度が整備された時期。<br />
・2007年消えた年金記録問題など、この時期は大小いろいろなスキャンダルが起こっていたが、スキャンダルに対応するコンプライアンス・オフィサーとしていろんな会社へ転職した。<br />
・2019年メットライフ・アセットを定年退職した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">次へ　―　2019年（令和！）から</span></h4>
<p>・コロナ禍により社会の流れが変わった。<br />
・2019年に60歳で定年を期に過酷な資産運用のコンプライアンスを退き、経験を活かした仕事へ<br />
・2023年より東京都の外国企業誘致事業のコンサルタントを始める。<br />
・2024年より鎌倉投信と業務委託契約によりコンサルティングを始める。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>外資（アメリカ系）企業で働くと言うこと</h3>
<h4>１．アマノジャクの無謀な選択　アメリカの銀行</h4>
<p>・基本的にアマノジャクな性格で、人の行かない大学、人の行かない外国の銀行を選んできた。<br />
・シティバンク時代は財務部から始めて、資産運用の最先端の業務にもチャレンジし実績を積み上げたが、出来上がった信託業務の管理を続けることに疑問を感じ、金融法人営業にチャレンジをした。これがバブル崩壊の金融不況と重なる最悪の時期だった。チャレンジする前に、自分でよく調べずよく考えず最悪の選択をしてしまった。（無謀な選択→しくじりと挫折）<br />
・「資産運用の管理業務が自分の居場所」と考え直してシティバンクを退職し、別の会社で資産運用業務の管理業務のプロとしてやり直すことにした。（始めての転職）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">２．大切なことはここで学んだ　アメリカの銀行</span></h4>
<p>・外資系企業で働く上で大切なことは、シティバンク時代に学んだ。合理的な研修プログラム、グローバルな研修地、ロジカル・シンキング、自主性、グローバルな人事異動、邦銀文化の特殊性など。<br />
・一番印象的だったのはドラスティックな組織変更。つまり本社の経営方針により、思い切った部門売却や部門縮小が短時間で決行されること。この事から「自分の居場所は自分で見つける」という教訓を得た。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>初めての転職としくじり</h3>
<h4><span style="text-decoration: underline;">３．転職するということ</span></h4>
<p>・金融業界は、扱う対象が「お金」であり業務内容は国や企業に関係なく共通のものが多く、標準化が進んでいた。経験者採用の枠組みが設けられていた。金融業界は実績を持っていれば転職しやすい業種だった。<br />
・最初の転職をした頃は、日本の転職市場の創世記と重なる。当時は、日本国内の外資系企業も、日本の慣行に準拠した終身雇用から成果主義へと変わっていく時代だった。<br />
・シティバンクの充実した福利厚生から離れたことで、就業条件・社会保険・年金・住宅ローンなど、すべて自己責任で行わなければならなくなった。<br />
・最初の転職をきっかけに、人生のリスク管理について考え、当時、出来たばかりのFP（ファイナンシャルプランナー）の資格を取得し、個人で証券・マンション投資を開始した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">４．勘違いだらけの転職</span></h4>
<p>・転職してみると、初めてのことばかりで戸惑うことが多かった<br />
・最初の転職先（クレディ・スイス）では前の会社とはカルチャー・規模・組織の構成などが全て違っていた。人間関係を新たに構築しなくてはならなかったし、同じ業務でもその背景ややり方が全く違っていた。資産運用業務でも、これまで自分たちで開拓してきた最新の年金運用業務から、伝統的な業界の規制に縛られた不自由な投資信託業務を扱うこととなった。<br />
・次の転職先の英国プルーデンシャル（生命保険会社）の資産運用子会社の設立で、初めて取締役として参画。それぞれに経験豊かな部門のリーダーたちだったが、会社の経営については素人の集まりで苦労した。さらに本社の経営方針の変更により日本の生命保険会社の買収へと大きく方向転換が行われ、資産運用業務が主要なビジネスではなくなった。<br />
・「それまでの経験や実績を活かせると思って転職しても、想定外のことばかりで何が起こるか分からない」ことを実感した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>不祥事から、コンプライアンスへ転向</h3>
<h4><span style="text-decoration: underline;">５．不祥事とコンプライアンス</span></h4>
<p>・クレディ・スイスは、バブル崩壊の日本の金融機関の不良債権の後始末に不適切な商品の提供を行い、行政処分を受けた。<br />
・シティバンクは、日本初のプライベートバンクの設立の際、法令が整備されていない中での法令違反が発覚し、行政処分を受けた。<br />
・当時は、アメリカでも日本でも、コンプライアンス・リスク認識が欠落していた。金融機関が利益を優先して無理な拡大（合併や統合の繰り返し）を進めており、ガバナンス（経営の管理体制）も整わないまま、特に日本では不良債権の後始末が行われ、政府の監督体制も法律も追いついてなかった。コンプライアンス人材が居なかった。海外の経営陣と日本の現地法人との相互不理解も起こっていた。<br />
・経営陣と現地マネジメントの相互理解を目指して経営学修士を取得。働きながら、オンラインで勉強した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">６．経営学修士（MBA）</span></h4>
<p>・外資系マネジメントの共通言語（MBA）を身につけたかった。<br />
・それまでやってきた業務管理からコンプライアンス業務へと職種転向するきっかけとしたかった。<br />
・人と組織を動かすための思考方法として、ロジカル・シンキングだけではなく、前提の根拠や結果の検証も含めたクリティカル・シンキングの重要性を学んだ<br />
・経営学の中でも国際経営に特化したコースで、異文化配慮事項・国と文化を越えた組織構造など、外資系企業では必要不可欠な学びを得た。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>その後の転職事情、ジョブ型転職と得たもの</h3>
<h4><span style="text-decoration: underline;">７．その後の転職事情</span></h4>
<p>・前職の同僚の紹介（これまで一番多くて確か）<br />
・企業からの直接スカウト（SNSの発達による）<br />
・資産運用業界に特化したブティックタイプのエージェント（ここ10年くらいで増えてきた）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">８．外資系のジョブ型転職</span></h4>
<p>・外部からの人材確保のため、明確な業務分掌の「ジョブ型」という働き方システム。<br />
・外資系の資産運用業界ではジョブスペックが共有されていて、人材の比較検討が可能となっている。<br />
・対して日本の年功序列・終身雇用は、「メンバーシップ型」と呼ぶ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">９．12回の転職で得たもの</span></h4>
<p>・多様な価値観と複眼的な視野が持てるようになった。<br />
・職務重視のプロ志向（資産運用の管理業務のプロからコンプライアンスのプロへ転向）<br />
・専門分野での幅広い経験と深い知識<br />
・組織ごとに異なる個別事情と普遍性の区別がつくようになった。<br />
・一緒に戦ってきた仲間との緩いネットワークを得た。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>企業も個人もリスク管理</h3>
<h4><span style="text-decoration: underline;">１０．企業経営のリスクと対応</span></h4>
<p>・企業にとっては、その企業の目的が達成できないことがリスク。<br />
・組織の目的を明確化にしなければ、リスクが特定できない。<br />
・リスクの変動要因を特定して備える、個別リスクの評価と管理を行う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">１１．人生のリスクと対応</span></h4>
<p>・人生の目的は幸福を継続して感じていられること（ウェルビーイング：心身の健康＋必要十分な資金＋社会との繋がり）<br />
・企業と同じく目的達成できないことが最大のリスク<br />
・リスクの変動要因を洗い出し、個別に備える。他からの助けを借りる事も大切。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>まとめ：これからのライフ・プランと資産運用</h3>
<h4><span style="text-decoration: underline;">１２．無謀な選択から得たもの</span></h4>
<p>・専門性、オーナーシップ（自主性）、論理的思考と決断と行動力、クリティカル・シンキングをベースにした行動や思考が出来るようになった。<br />
・日本に住む日系人の日本人としての自覚（国際感覚の基本）を持つようになった、<br />
・マネジメント＆ガバナンス、リスク管理とコンプライアンスについて学んだ。<br />
・人生のリスクと自己管理と自己責任の感覚が身についた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">１３．令和、次へ</span></h4>
<p>・崩れつつある「メンバーシップ型」ジョブ。個人の自己責任の時代が始まった。<br />
・会社の優先順位が、社員オンリーから株主・社会貢献に移行しつつある。<br />
・ビジネスの流動化が進んでいる。大企業が全て抱えていた時代から、部門戦力の見直し（売却と合併）スタートアップ企業のエグジットとしての売却、中小企業の後継者不足対策としてのM&amp;A。<br />
・若者の意識の変化（ポジティブ思考、個性、自己肯定感が高い）<br />
・転職市場の拡大と多様化が進む。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">シニアのリスクとライフ・プラン</span></h4>
<p>・ウェルビーイングの実現、主観的な幸福感を高める。<br />
・3つの人生資産（①健康な心と体②必要十分な資産③健全な人間関係と社会とのつながり）<br />
<span style="color: #0000ff;">・フィンウェル研究所 &#8211; FinWell Research LLC -</span><br />
<span style="color: #0000ff;"> ・ほんとうの定年後　坂本貴志</span><br />
<span style="color: #0000ff;"> ・鎌倉投信</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．質疑応答</th>
<td>
<h4><span style="text-decoration: underline;">橋口善郎さん　78期</span></h4>
<p>Q:私は、商社の財務関係の仕事に携わり、2000年に引退するまではシティバンクと縁のある仕事をしていました。今日は私が引退してからの金融界の事情について、全く知らなかった話もでてきました。実際の金融スキャンダルの現場では、どのように身をかわされてきたのですか？</p>
<p>A:クレディ・スイス時代のスキャンダルでは、私の専門や私が所属していた部門は該当部門から少し距離がありましたので、直接関わることはありませんでした。よく知っている前職の同僚や先輩が当局から厳しく問い詰められているのを遠くで見ている立場でした。また、シティバンクのプライベートバンクのスキャンダルは、特定の支店が免許取り消しとなり日本から撤退を余儀なくされ、逮捕者も出た大きな事件でありました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">村井正親さん　96期</span></h4>
<p>Q:農林中央金庫（農林中金）が、外国債券の運用で多額の損失（最終損益4000億円余り）を出したニュースがこの春に流れていました。この問題について、私は農林水産省・経営局局長として、金融庁とも協力し、農林中金の経営や投融資・資産運用のあり方について検証・指導・監督する仕事にかかわってきました。農林中金（JA：農協、JF:漁協、JForest:森組などの共同組織により設立された系統金融）という特殊な事業体の運営について、一般論で良いのでお聞かせ下さい。</p>
<p>A:農林中金さんは資産運用業界ではとても大きな存在です。日本で一番大きなお金を持っているお客様で、日本国内最大規模の機関投資家として知られています。日本全国の農協等の系統金融機関の資金を預かり、運用を一手に引き受けていると認識しています。普通の銀行であれば自身の支店ですから本社が経営方針を統轄管理しますが、農林中金と独立経営をされている系統金融組織との関係のような場合、指揮系統が分断されていますので、経営方針の統轄を図るのはとても難しいと思います。それは日本にいる外資系金融機関の本国の本社と現地法人との関係に似ているかも知れません。海外にある本社とは言葉や法律や商品が違いますから価値観も違ってきますので、ある意味、本社から分断されているようなものです。すると、本社からの指示でも、わかりやすいところしか実行しない、自分がやりたいことしかやらない、という状態に落ち着いていきます。分断されている組織が、同じ価値観を持つことや経営方針を共有するためには、より一層のコミュニケーションを取ることが必要だと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">増田昭雄さん　90期（学年幹事、大阪より参加）</span></h4>
<p>Q:転職すると、給料は上がりますか？</p>
<p>A:必ずしも上がるわけではありません。転職するときの状況、つまり私の状況と転職先の双方の状況により、上がることも下がることもあります。私の知識や経験、専門能力がその会社に必要とされていれば、高い給料でオファーをもらえますし、在籍している会社の状況や自分のポジションの状況が怪しくなれば、安い給料でも他社からオファーをもらえば移ることもあります。そんな状況で、転職後間もなく本来の条件でオファーを頂いたので3か月程度で再度転職すると言うような、不義理なことをしたこともあります。転職先は、社会状況や自分の状況、転職先の会社の状況、そして自分が何をやりたいか、によって変わってきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4><span style="text-decoration: underline;">樋口義弘さん　90期</span></h4>
<p>Q:家族から転職をしたいと相談された時、河野さんならどのようなアドバイスをされますか？</p>
<p>A: 私自身、よく考えもせず勘違いをしたまま転職して大変な思いをした経験がありますので、彼（彼女）がよく考えられるように手助けをします。まず、今なぜ仕事をしているのか？仕事は面白いのか？今の仕事を辞める理由などを彼（彼女）に尋ねます。そして、次に何がしたいのか、どういった所へ行くのか、本当にその仕事がしたいのか、今の仕事とどう違うのか、先のことを考えているのか、転職したら自分でやらなくてはいけないことが本当に分かっているのか、を確認します。その上で先に進むべきか、現状のままとどまるべきかをアドバイスすると思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅸ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/Tokyo-Rikuryo-20241016-Slides.pptx.pdf" target="_blank">プレゼンテーションデータ「Tokyo Rikuryo 20241016 Slides」</a></p>
<p style="text-align: right;">記録：野田美佳（94期）</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅹ．講演風景</th>
<td> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-00.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6685" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-00-150x150.jpg" alt="TRC262-00" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-01.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6686" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-01-150x150.jpg" alt="TRC262-01" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-02.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6687" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-02-150x150.jpg" alt="TRC262-02" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-03.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6688" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-03-150x150.jpg" alt="TRC262-03" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-05.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6689" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-05-150x150.jpg" alt="TRC262-05" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-06.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6690" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-06-150x150.jpg" alt="TRC262-06" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-07.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6691" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-07-150x150.jpg" alt="TRC262-07" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-08.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6692" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-08-150x150.jpg" alt="TRC262-08" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-09.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6693" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-09-150x150.jpg" alt="TRC262-09" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-10.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6694" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-10-150x150.jpg" alt="TRC262-10" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-11.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6695" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-11-150x150.jpg" alt="TRC262-11" width="150" height="150" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-12.jpg"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-6703" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/11/TRC262-12-150x150.jpg" alt="TRC262-12" width="150" height="150" /></a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【Zoom特別講演】10月『米大統領選：初の女性大統領は生まれるか』</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6670</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6670#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 30 Oct 2024 12:59:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[大野 和基さん＠85期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年10月26日（水）14時00分～15時30分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>Zoomによるインターネット開催</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>30名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>大野 和基さん＠85期（国際ジャーナリスト）</h4>
<p>1955年兵庫県西宮市生まれ。北野高校85期卒<br />
東京外語大英米学科卒業後、1979～97年在米。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学んだ後、ジャーナリストの道に進む。<br />
以来、国際情勢の裏側や医療問題に関するリポートを発表するとともに、世界的な要人・渦中の人物への単独インタビューを次々とものにしてきた。</p>
<p>著書<br />
『代理出産　生殖ビジネスと命の尊厳』 (集英社新書)<br />
『マイケル・ジャクソン死の真相』（双葉社）<br />
『私の半分はどこから来たのか』（朝日新聞出版社）<br />
『英語の品格』（集英社インターナショナル）共著<br />
編著<br />
『民主主義の危機』（朝日新聞出版社）『アメリカの罠 トランプ2.0の衝撃』（文春新書）<br />
『コロナ後の世界』（文春新書）『コロナ後の世界』（文春新書）など多数</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『米大統領選：初の女性大統領は生まれるか』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>大統領選にはオクトーバーサプライズと言って何が起きるか分からないが、バイデンが撤退を決断した経緯と本質的にはハリスが民主党大統領候補になったのはクーデターと何ら変わらない。そのハリスの人物像は9月の初旬の時点でもまだはっきりしていない。が、10月中旬には今よりも明確になっているはず。その人物像と選挙戦の経過を見ながら、カマラ・ハリスが初の女性、黒人大統領に選出される可能性を探る。現時点（9月8日）ではtoss-up（互角、どちらともいえない情勢）であるが、10月末の時点では今よりも情勢がはっきりしていると思う。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>本日は、ハリスに立ちはだかる壁についてお話ししたいが、その前にアメリカの選挙制度について触れておきたい。国民全体の一般投票ではなく、選挙人制度を採用しており、州ごとに勝者総どりの仕組みとなっている。<br />
これは、ブルー州と言われる東部や西部の人口の多い州が優位となることを避ける仕組みである。</p>
<p>現時点での情勢を見ると、激戦州と言われる７州すべてトランプが優勢となっている。<br />
10/21のエコノミストでは、538議席中トランプが376議席と過半数を占めている。<br />
今日のワシントンポストでは、オーナーのジェフ・ベゾス（Amazon会長）がハリスを支持しないと表明した。<br />
連邦政府との契約を優先し、トランプ勝利に備えたものとみられる。</p>
<p>周囲を見回しても隠れトランプが結構いる。<br />
男性はトランプ支持、女性はハリス支持が多く、夫婦間でも分裂がある。<br />
妻に秘してトランプに投票に行く男性もいる。<br />
黒人男性も、良妻賢母を旨とする立場から、トランプを支持する。</p>
<p>10/23のNYタイムズの記事でも、世論調査が50：50であってもトランプ勝利との論説があった。ハリスへの性差別が世論調査に表れていない。<br />
女性大統領を受け入れない隠れトランプが表に出ていない。<br />
トランプの人柄は受け入れられないが、政策は認める人もいる。</p>
<p>トランプの時代は平和だったが、バイデンになって戦争が起きている。<br />
トランプにもハリスにも入れない人は緑の党のジルスタインなど第三者、に入れることになるが、これはハリスの票を減らすことになる。</p>
<p>メッキがはがれハリスの勢いは失速している。<br />
ギャラップやNBCニュースの調査でも共和党支持が民主党支持を1～2％上回り逆転している。<br />
トランプにとって追い風。</p>
<p>男性は経済やインフレに、女性は中絶への関心が高いと言われるが、トランプになったから中絶できなくなるということではない。<br />
４年前に比べて生活が豊かになったかと言えば、トランプの時代にインフレはなかった。<br />
自分の場合、取材費はここ４年で、２～３倍になっている。</p>
<p>バイデンがハリスを副大統領に選んだのは多様性。<br />
予備選があれば、99.9％ハリスは脱落していた。<br />
2019年、ハリスは予備選前に脱落している。<br />
経済政策についての質問にハリスは答えられない。<br />
7/21にバイデンは撤退したが、これは追放されたともクーデターとも言われている。<br />
オバマはミニ予備選をやれと言っていた。<br />
民主党の中はバラバラ、報道はされないが、毎日のように内輪もめがある。<br />
マルクス・ガブリエルにインタビューしたときに、cheating　裏口入学だと言っていた。</p>
<p>トランプは表向き汚い言葉を吐くが、内輪では協調性あり優しいと言われている。<br />
ハリスはその正反対で、側近47人のうち43人が辞めたのはパワハラが原因と言われている。<br />
検察官時代と同じ口調で、人前で怒鳴り散らす。<br />
ハリスに立ちはだかる壁としては、アメリカ男性の本音にあるミソジニー（女性嫌悪、女性蔑視）が黒人にも白人にもある。</p>
<p>ハリスには自信がない、具体的対策がない。<br />
記憶力は良いが、台本がないと話せない、女優と同じ。<br />
ABCの対決の際には、司会者に１００万ドルのギャラがあったので、女性司会者もファクトチェックまではしなかった。例えば、「４年前と比べて、生活は豊かになったか」という質問に対して、回答は「ノー」と決まっているのに、質問に答えず、「自分は中流家庭に育った」としか言わず、トランプの話に持っていく。</p>
<p>先日もタウンホールでのやり取りがあったが、予め決められた質問以外には答えられない。<br />
最近、マスコミにも出てくるようになったが、これが逆効果になっている。<br />
全米調査でハリスが当初２％上回っていたが、今は５０：５０になった。</p>
<p>副大統領候補のティムウｵルシュと一緒でないと出ないと発言したり、自ら質問に答えられないという自信の欠如を示している。<br />
はぐらかしたり、答えをころころ変えることで、ハリス離れを起こしている。<br />
変革が求められているのに、バイデンから自分への変化を説明していない。</p>
<p>トランプは何をするか具体的に言っている、有言実行の人。<br />
ハリスの政策は極めて左だが、選挙のためだけに中立に近づけている。</p>
<p>EU諸国は、交渉がやりやすくなると、トランプを望んでいる。<br />
戦争もガザもイスラエルもウクライナも、トランプであれば早く解決する。<br />
トランプは「マッドマンセオリー」を取っており、何を考えているか、何をするか、わからなくしている。<br />
バイデンは弱気大統領で、外交政策は失敗している。</p>
<p>ハリスは大統領になると操り人形になる。<br />
自分の考えもないし、予備選をやれば負けていた。<br />
これから、オクトーバーサプライズやノーベンバーサプライズで、ロシア、北朝鮮、中国が選挙に干渉してくるが、トランプに不利には働かないのではないか。</p>
<p>ハリスの失敗はどういう人か理解されていないこと。<br />
トランプはどういう人か皆知っている、78歳としても体力は凄い。</p>
<p>日本へのトランプの影響については、極端な自国中心主義、孤立主義となるが、プーチンのような独裁主義は無理、ただ、日本の安保体制は崩れる可能性がある。<br />
EUはトランプと交渉しやすい、人格は政策に影響しない。<br />
今の段階ではトランプが大統領になると思う。<br />
日本のメディアはハリス寄り。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>クラウドファンディングへの支援をお願いします。</p>
<p><a href="https://www.gofundme.com/f/fund-kazumoto-ohnos-indepth-interviews" target="_blank">https://www.gofundme.com/f/fund-kazumoto-ohnos-indepth-interviews</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>Ⅷ．質疑応答</h4>
<p><strong>白石義明さん　85期</strong><br />
Q: バイデンはマイノリティへの配慮でハリスを選んだが、アメリカでも今や大学へ行くとアジア系がメイン、環境が変わっているのではないか。</p>
<p>A: 逆差別となっている。<br />
白人が犠牲者、黒人だから下駄を履かせる、ハーバードはアジア系が多くなり過ぎたので、下駄を取るなど、アジア系に厳しくしたが、今も白人の方が差別されていると感じている。<br />
白人の人口比率はいずれ60％から50％を切ると言われている。<br />
トランプの移民政策は合法、有能な人を入れるために、国境を開けておくと言っている。<br />
アメリカはWASPの国でなくなるという白人の危機感が、カリフォルニアからテキサスへ移動を生んでいる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>牧武志さん73期</strong><br />
Q: ヒスパニックは民主党支持だったが、ヒスパニックの男性はトランプ支持に回った、ハリスは頼りない、覚えたことしか話せない、はっきりした政策を言わない、これだけの時間があったのに自分を示せない、「はぐらかしハリス」と言われている。</p>
<p>A: テレビ討論ではハリスの方が優位と言われた、まるで女優。<br />
あとで文字起こしを読むとはぐらかし、その後ハリスはチャンスを逃した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>石野秀世さん80期</strong><br />
Q: 民主党は人材不足なのか、なぜこの人なのか。</p>
<p>A: バイデンは副大統領を勤めたし冗談半分で予備選に出たつもりだった。<br />
本人は大統領に残るとは思っていなかったのではないか。<br />
確かに国のリーダーを取る人がいない。<br />
戦争への対応とか・・・、やることが明確な企業の社長とは違う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>浦勇和也88期</strong><br />
Q: トランプを見ていると小泉元首相を、ハリスを見ていると小泉進次郎を想起する。<br />
オバマはハーバード、ハリスは地元のロースクール、このあたりで差がついてくるように思う。</p>
<p>A：ハリスは黒人の多くが行くハワード大学の出身、先日の討論会の女性司会者もハワード大学の出身で事前に情報が提供されていた。<br />
オバマのスピーチは上手いので、そのあとにハリスが登壇し話しても迫力がない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>谷藤慶一85期</strong><br />
Q：トランプが撃たれて、トランプムードになったが、その後風向きが変わったのではないか。</p>
<p>A:ハリスが民主党の候補になったタイミングが良かった。撃たれた直後にハリスが登場し、その時点では、新鮮味が勝った。<br />
ただ、１０月に入りメッキがはがれたのではないか、同じことしかハリスは言わない。<br />
トランプの暴言は目立つが、戦略的ともいえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">記録：山本直人（85期）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅸ．資料</th>
<td>なし</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【261回】9月『ネット情報時代の護身術「騙されないためのマーケティング講座」』</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6600</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6600#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 06 Oct 2024 11:40:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[	
津川　義明さん＠79期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年9月18日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>33名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>津川　義明さん＠79期</h4>
<p>フリーランス・マーケター</p>
<p>1979年日本SPセンターにてテクニクス・オーディオのコピーライターとしてキャリアスタート。松下電器（現パナソニック）担当チーフとして、ロサンゼルス（84年）ソウル（88年）バルセロナ（92年）のオリンピック・キャンペーンを手がける。2001年よりITマーケティング・チーム主幹として、パナソニック「つなぐともっと面白い」（01年）「探検キッズ」（02年）「ものづくりスピリッツ発見マガジン・イズム」（03年）等のサイト構築をプロデュース。2008年デジタル絵巻（縦書き）プロジェクトリーダー。2012年シニアマーケティング研究室室長。2013年よりフリーランス。著作に「戦略的クロスメディアマーケティング」（03年）「羊をめぐるマーケティング」（06年）。大阪大学基礎工学部制御工学科卒（76年） 。大阪在住。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『ネット情報時代の護身術「騙されないためのマーケティング講座」』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>2000年には広告費全体の40％がテレビ広告でした。2019年にインターネット広告がテレビを超え、2021年にはマスコミ四媒体広告費を上回りました。広告メディア（テクノロジー）の変化は、マーケティング（テクノロジー）の変化に直結しています。ネット時代のマ―ケティング（テクノロジー）のメリットを簡単にゆうと、「企業は大量の（商品）情報を安価に発信できるようになり、消費者は受け取る（商品）情報が増えて選択肢が広がる」ということです。しかし、このメリットは、「企業は大量の（偽）情報をたやすく発信できるようになり、消費者は受け取る（偽）情報が増えて騙されやすくなる」とゆうダークサイドも、たやすく抱えこむことになります。多くの企業が、このダークサイドに落ちて消費者をいかに騙そうかともがいているのが、ネット情報時代の、ぞっとするけれども避けられない現実です。本講座では、現代マーケティングの手法を学び、騙しのテクニックを知ることで、「騙されない商品選び」だけでなく「騙されない情報選び」を身に着けていただきます。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>・山上芳昭さん＠79期からの津川さんのご紹介。津川さんは小学校からの幼馴染。歴史、地学、スポーツ等何事にも博識で我々の仲間では「情報室長」と呼ばれている。昨年150周年記念事業があったが、北野中学からの歴史を巡るツアー等も企画され大阪の皆さまが楽しみにされている。連休に断捨離を行い相当なものを捨てたが、良く飛ぶドライバーや背の伸びる健康器具等、TVやスマホを見て注文したものがある。津川さんの専門の話を聞くのは初めてだが、何故こういうものをついつい買ってしまうのか、騙されないようするにはどうすれば良いかを本日聞けるのを楽しみにしている。</p>
<h3>第１章：マーケティングて、なに？（マーケティングの進化）</h3>
<p>&nbsp;</p>
<h4>１．ビジネスとは</h4>
<p>「使用価値」から「交換価値」が発生し、交易が始まった時に「ビジネス」が生まれた。「商品」も「顧客」も同時に生まれた。ビジネスとは顧客の創造である（ドラッカー）。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>２．マーケットとは</h4>
<p>「商品」の移動を担う者（企業）、つまり、「生産者」と「消費者」をつなぐ者（企業）を「流通者」と呼ぼう。「マーケット」とは「流通者」の活動範囲、すなわち、「商品」「顧客」が分布する範囲であり、「マーケット」は「流通者」が登場した時に生まれた（日本では縄文時代、たとえば、隠岐の島特産の黒曜石の分布範囲）。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>３．マーケティングとは</h4>
<p>交換価値を生み出すものは商品の「情報」であるから、モノを売るには「情報」（たとえば、「サントリー天然水奥大山」）が必要不可欠である。「マーケティング」とは、従って、「情報」を「マーケット」に届けることに他ならない。「マーケティング」は「マーケット」と同様、「流通者」が登場した時に始まった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>４．メディアの誕生と進化</h4>
<p>１）マーケティングを有効にするものが「メディア」</p>
<p>メディアは、口コミ（縄文時代からのメディア）→印刷物→TV→Webと進化してきたが、Webを含むネットメディア（SNS等）も実は口コミ（のマス化）。口コミはいつの時代でもマーケティングの王道である。</p>
<p>２）マーケティングは変わらない。テクノロジーが進化する</p>
<p>テクノロジーの進化に伴い、同時に届ける情報量が多くなり費用が安くなる（費用対効果が高くなる）。現在のメディアの姿は、その基底にあるテクノロジーの産物だから、変わらない（進化しない）メディアは生き残れない。ビジネスもメディアもテクノロジーの制約を受けている限り、その制約がなくなれば、もっとよいものが出てくることは間違いない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>第２章：騙しのテクニック（影響力の武器）</h3>
<p>&nbsp;</p>
<h4>１．広告とは「この商品を買ってください」というメッセージ（意見）</h4>
<p>メッセージを受け取った人は、買う（賛成）か、買わない（反対または無視）か、どちらかを判断する。判断するためには「情報」が必要。買っていただくために必要な情報、商品の価値を高める情報＝これを「商品情報」と言おう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>２．「広告」と「詐欺」、ルーツは同じ「説得」にあり</h4>
<p>１）「情報」は「だれが」発信するかで、信頼性が決まる。語りかける自分をどうしたら信頼してもらえるか。これが説得技術の原点である。商品やメディアの進化とは関係なく、変わらない部分である。</p>
<p>２）この技術は、人を騙す場合にも有効である。伝える情報がホント（真）の場合が「広告」であり、ウソ（偽）の場合が「詐欺」である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<ul>
<li>商品広告の基本構造</li>
</ul>
<p>「○○○、だから買ってね、この商品」</p>
<p>○○○＝ホントの商品情報（広告）</p>
<p>&nbsp;</p>
<ul>
<li>詐欺広告の基本構造</li>
</ul>
<p>「△△△、だから買ってね、この商品」</p>
<p>△△△＝ウソの商品情報（詐欺）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>３．ロバート・チャルディーニ（アリゾナ州立大学社会心理学教授）著書『影響力の武器』の「騙しのテクニックの6原則」</h4>
<p>（以下、掲載順を現在の広告の頻度順に変えてあります＝詳しくはスライド参照）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１）好意</p>
<p>（広告の事例）「満足した顧客は最良のセールスマン」</p>
<p>・好感度、ワン・ツー・ワン（語りかけ）、シェア（いいね！）、アフィーリエイト、インフルエンサー</p>
<p>（騙しの事例）「ステマはマーケティングにあらず」</p>
<p>・ライザップがインフルエンサーを使い「ステマ広告」、消費者庁が措置命令…低価格ジム「チョコザップ」巡り（読売2024/08/09）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）希少性</p>
<p>（広告の事例）「いまだけ、ここだけ、これだけ、あなただけ」</p>
<p>・数量限定、一回限り、広告限定の特別価格、ラストチャンスセール、会員限定・会員先行販売、お客さま限定クーポン</p>
<p>（騙しの事例）「ここだけの話は、ここだけでは済まない」</p>
<p>・ジュエリー店ココ山岡 10万人が巻き込まれた詐欺事件（日テレ2022.10.04）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３）社会的証明</p>
<p>（広告の事例）「みんなの意見は、おおむね正しい」</p>
<p>・ランキング、レーティング、レビュー、アンケート</p>
<p>（騙しの事例）「三人疑之、其母懼焉」</p>
<p>・「満足度No. 1」広告 客観的裏付けなく 6社に再発防止命じる（ NHK2024年3月1日）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>４）権威</p>
<p>（広告の事例）「ブランドは一目でわかる卓越した品質から生まれる」</p>
<p>・ブランド広告、国（公共機関）許認可、学識者・学会、社会的地位</p>
<p>（騙しの事例）「権威を信じることは良心の源泉（ニーチェ）」</p>
<p>・安倍晋三内閣総理大臣からの「桜を見る会」の招待状（ジャパンライフ平成27年3月）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>５）返報性</p>
<p>（広告の事例）「いいね！を受けたら、いいね！で返す」</p>
<p>・ティーチ＆セル、ブートキャンプ、スタートガイド</p>
<p>（騙しの事例）「無料のランチなんて、あるわけない」</p>
<p>・LINEスタンプの「無料プレゼント」や「続きはLINEの外で」に騙される10代（CNET2016年07月02日)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>６）コミットメントと一貫性</p>
<p>（広告の事例）「お困りのことはございませんか」</p>
<p>・無料診断、モニター、サンプリング、オープンキャンパス、活用セミナー</p>
<p>（騙しの事例）「自ら手を挙げて、カモになる」：</p>
<p>・<wbr />突然現れるパソコンの警告表示をすぐにクリックしないこと！－<wbr />その表示は、有料ソフトウエアの広告かもしれません－（<wbr />国民生活センター平成26年4月24日）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>第３章：騙されないための護身術（「なんか変」原理）</h3>
<p>&nbsp;</p>
<h4>１．広告にも報道にも適用できる「なんか変」原理</h4>
<p>普通の人が「なんか変」と感じたら、それは「ゼッタイに変」。「常識」があれば騙されない（「常識」ではなく、「通説」に騙されている）。</p>
<p>１）「事実」が先、「意見」は後</p>
<p>→「意見」だけの広告（見出し）は、「なんか変」。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）「事実」には「ホントの事実」と「ウソの事実」がある</p>
<p>→ 「ウソの事実」に基づく広告（意見）は、「なんか変」。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３） 物事（人のやる事）には、必ず「動機」がある</p>
<p>→「動機」を隠した広告（意見）は、「なんか変」。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>２．「なんか変」度はメディアによって異なる</h4>
<p>１）新聞など大手の有料印刷メディアは「基本、ウソはつかない」。</p>
<p>２）NHKニュースをはじめとするTVメディアは「編集＝誤認誘導」が横行している。</p>
<p>３）SNSは「だれが」発信しているかで判断。とくに政治系はインフルエンサーに注意。noteなど自前ネットメディアはすべて「ステマ」。</p>
<p>４）YouTubeなど動画系SNSメディアは「平気でウソをつく」。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>３．リファレンス（事実をして語らしめる：信頼できる情報リソース）</h4>
<p>１）ニュース（事実）を確認するなら</p>
<p>・47NEWS（よんななニュース）：</p>
<p>全国52新聞社と共同通信のコンテンツを束ねた総合ニュースサイト。</p>
<p>・ロイター：</p>
<p>トムソン・ロイターのニュース・メディア部門で、毎日世界各地の数十億人にリーチする世界最大級の国際マルチメディア通信社。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）科学的（医学的）根拠を確認するなら</p>
<p>・CiNii（NII学術情報ナビゲータ[サイニィ]）：</p>
<p>論文、図書・雑誌や博士論文などの学術情報で検索できるデータベース・サービス。著者名で検索。</p>
<p>・素材情報データベース＜有効性情報＞（国立健康・栄養研究所）：</p>
<p>「健康食品」に添加されている素材について、現時点で得られている科学的根拠のある有効性の情報に関して、科学論文の内容を忠実に集めたもの。素材（一般名称）で検索。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３）歴史的事実・人物、言葉の意味・用例を確認するなら</p>
<p>・コトバンク：</p>
<p>インターネット登場以前の雑音のないしっかりした情報が網羅されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">記録：葛野正彦（88期）</p>
<p style="text-align: right;"><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-012.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6644" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-012-150x150.jpeg" alt="TRC261-01" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-132.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6643" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-132-150x150.jpeg" alt="TRC261-13" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-122.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6642" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-122-150x150.jpeg" alt="TRC261-12" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-112.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6641" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-112-150x150.jpeg" alt="TRC261-11" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-102.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6640" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-102-150x150.jpeg" alt="TRC261-10" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-092.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6639" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-092-150x150.jpeg" alt="TRC261-09" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-082.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6638" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-082-150x150.jpeg" alt="TRC261-08" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-072.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6637" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-072-150x150.jpeg" alt="TRC261-07" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-042.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6634" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-042-150x150.jpeg" alt="TRC261-04" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-062.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6636" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-062-150x150.jpeg" alt="TRC261-06" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-052.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6635" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-052-150x150.jpeg" alt="TRC261-05" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-032.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6633" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-032-150x150.jpeg" alt="TRC261-03" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-022.jpeg"><img class="alignleft wp-image-6632 size-thumbnail" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/TRC261-022-150x150.jpeg" alt="TRC261-02" width="150" height="150" /></a></p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>講演会スライド（参考資料含む）PDF　<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/10/騙されないためのマーケティング講座γ版.pdf" target="_blank">騙されないためのマーケティング講座γ版</a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?feed=rss2&#038;p=6600</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>【260回】8月『「役割語」と翻訳、村上春樹のことなど』</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6573</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6573#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 19 Sep 2024 23:11:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6573</guid>
		<description><![CDATA[金水 敏さん＠87期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年8月21日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>44名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>金水 敏さん＠87期</h4>
<p>放送大学大阪学習センター所長、大阪大学大学院文学研究科名誉教授。</p>
<p>日本学士院会員。文化功労者。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1956年大阪生。六稜同窓会８７期卒業生。放送大学大阪学習センター所長、大阪大学大学院文学研究科名誉教授。日本学士院会員。大阪女子大学助教授、神戸大学助教授、大阪大学大学院人文学研究科教授等を経て、2022年より現職。専門は日本語の文法の歴史および役割語研究。主な著書として、『ヴァーチャル日本語　役割語の謎』（岩波書店、2003年。2023年に岩波現代文庫から復刊）、『日本語存在表現の歴史』（ひつじ書房、2006）、『コレモ日本語アルカ　異人のことばが生まれるとき』（岩波書店、2014年、2023年に岩波現代文庫から復刊）、『〈役割語〉小辞典』（研究社、2014年）ほかがある。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『「役割語」と翻訳、村上春樹のことなど』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>役割語とは、主にフィクションで登場人物の年齢、性別、職業、出身地等によってあらかじめ予測される話し方のスタイル（語彙、文法、音調等の組み合わせ）のことを指す。役割語は日本語による創作物には必ず使用されていると言ってよいが、特に翻訳や吹き替え等では男女の性別が強調されて表現される傾向にあり、そのことに対する批判も聞かれるようになってきた。さらに、自ら翻訳をよくする村上春樹は、自分の小説の登場人物にあたかも翻訳作品のようなスタイルで話させることで独特の小説世界を生み出している。これらの事例を紹介しながら、日本語の現状と将来について皆さんと考えていきたい。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>（本講演は昨年８月に台風来襲のため中止になった「役割語」の講演に新に「村上春樹」に関する考察を加えた内容で講演していただいたものです。）</p>
<h3><strong>第一部：「役割語と翻訳」</strong></h3>
<p>（例文を交えた豊富なお話でしたが、その概要を記してみました。）</p>
<ul>
<li>ある特定の言葉遣いと特定の人物像が結びつく場合、その言葉遣いを役割語と呼ぶ。小説などでは役割語の使い方で、登場人物を彷彿とイメージさせる効果がある。自分の呼び方（一人称代名詞）と文末の形式が役割語を形成する主体となっている。</li>
</ul>
<ul>
<li>役割語としては、（性別）：男言葉、女言葉、少年語、お嬢様言葉、奥様言葉、オネエ言葉、（年齢別）：老人語、幼児語、（職業・階層別）：博士語、上司語、王様言葉、お姫様言葉、やくざ言葉、ヤンキー語、軍隊語、遊女語、（地域別）：大阪弁、京言葉，九州弁、土佐弁、沖縄言葉、（時代別）武士言葉、公家言葉、遊女語、町人言葉、王様言葉、お姫様言葉、などがある。</li>
</ul>
<ul>
<li>このような多様な使い分けは英語では日本語ほど顕著でなく、性による表現の差も小さい。日本語では３～５歳の間に役割語の区別を習得し始める。「こてこての大阪弁」というのも現実の方言から離れてステレオタイプ化されている。役割語を品・格・性・年によりその違いを分析する試みがある。</li>
</ul>
<ul>
<li>2003年以降、役割語のさまざまな実例を分析し、多数の文献や書籍として紹介してきた。なかでも『ヴァーチャル日本語　役割語の謎』は英語や韓国語、フランス語に翻訳されている。</li>
</ul>
<ul>
<li>役割語は社会における個体と共同体の関係をステレオタイプ化してつなげる手段の一つとなっており、日本語史的には現実社会での慣習をある程度反映しつつも、主に江戸時代の庶民文化の発展の中で育まれ、小説や演劇などの仮想現実の世界で定着してきた経緯がある。</li>
</ul>
<p>&nbsp;</p>
<h3><strong>第二部：村上春樹について</strong></h3>
<p>（金水さんの配布資料から）</p>
<ul>
<li> 村上春樹氏はむろん国民的な人気を誇る小説家であるが、一方で小説を書く以前から今日に至るまで、主にアメリカ文学作品の翻訳を行ってきたこともよく知られる事実である。発行部数こそ小説作品の方が多いが、異なり点数で言えば翻訳出版は自らの小説に匹敵するどころか、それを凌駕するほどの力の入れようである。</li>
</ul>
<ul>
<li>さらに、村上春樹氏の小説が50を超える国・地域の言葉に翻訳され、もはや世界的作家と呼んでも差し支えない状況にある。このことの背景には、村上氏自身が自作品の英訳出版を積極的にプロモートし、それが功を奏したのだということを自ら語り、また検証もされている。自作品の日本国内における否定的な評価に反撥し、海外でも通用する作品であることを証明しようと考えたことが強い動機付けとなったと自ら述べている（村上 2015, 辛島 2018）。</li>
</ul>
<ul>
<li>彼の処女作である『風の歌を聴け』を書く際に、村上氏は最初の部分をまず英語で書き、それを日本語に移し替えることによって独自のスタイルを得たと述べている。実際、登場人物のスピーチ・スタイルは、翻訳小説のそれに酷似していることが指摘できる。この作品を含む初期三部作（『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』）の主要な舞台は「街」とだけ書かれているが、そのモデルは明らかに彼の育った芦屋市であることも知られている。そうであるならば、芦屋で話されている関西方言を登場人物に話させることも選択肢にあったはずである（cf. 谷崎潤一郎『細雪』、小川洋子『ミーナの行進』等）。ここから、「村上春樹氏が初期作品で方言を用いなかったのはなぜか。また通常の小説話体でもなく、翻訳話体を用いたのはなぜか」という問いが生まれる。</li>
</ul>
<ul>
<li>この問題の背景としてある、日本近代における文学の話体と翻訳の話体の関係について考察する。両者は近い起源を持ちながら、一定の距離を保って発達してきた。その発展と交渉について整理を試みる。</li>
</ul>
<ul>
<li>日本語が近代化していくなかで、とりわけ近代文学（特に小説）が果たした役割は大きい。標準語と非標準語が区別され、標準語内部に〈男ことば〉と〈女ことば〉が区別され、同時に敬語体系が整えられる仮定が近代化である。この時期、重要な役割を果たした作家の一人に、夏目漱石があげられる。</li>
</ul>
<ul>
<li>標準語成立と時を同じくして、同じ源から翻訳話体が成立する。翻訳話体は、近代小説話体とは一定の距離を取り、現代の日本ではない世界という、独自の言語空間を作り出す機能を得るようになった。</li>
</ul>
<ul>
<li>日本文学を牽引した作家には、故郷を離れ、上京して文学者となった人物が大勢いる。彼等は、郷里のことば＝方言と、東京のことばと、小説のことばとの間でさまざまに引き裂かれ、苦しんで自らの文体・話体を切り拓いていった。そのような作家の一人として、大阪から上京して国民的作家となった川端康成がいた。</li>
</ul>
<ul>
<li>村上春樹もまた、上京経験を持つ作家である。西宮・芦屋で少年時代を過ごし、神戸の高校に通った彼は、関西弁のネイティブ話者であったが、彼はあえて自らの作品から方言を遠ざけ、なおかつそれまでの文学作品で構築・継承されてきた文体・話体からも離脱しようとした。</li>
</ul>
<ul>
<li>日本近代文学にとっては周縁的な都市である「芦屋」（ここは、村上春樹の“出発”の地でもあった）が村上春樹氏の作品の中で「街」と呼ばれ、そこに暮らす若者たちがあたかも翻訳小説のような話体で話すことによって、近代日本的な中心と周縁性が攪乱され、新たなスタイルの都市文学が創成された。近代的な価値が転倒されているという点で、ポスト近代的な小説世界の誕生と言えるであろう（cf. 江戸川乱歩、谷崎潤一郎、織田作之助、石牟礼道子、中上健次、小川洋子、谷川流、万城目学）。</li>
</ul>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><strong>Ⅷ．質疑応答</strong></h2>
<p>質問者１　橋口喜郎さん　78期</p>
<p>Q:村上春樹は海外経験が多いが、実際にカリフォルニアに住んだことはあったのか？</p>
<p>A:プリンストン大学へ長期に講師に行ったことがある。小説を通してアメリカを身近に感じていたのだと想う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者2　山崎吉朗さん　84期</p>
<p>Q:村上春樹や小川洋子の小説はフランスでも人気がある。川端や大江より翻訳しやすい日本の小説となっているのでは？</p>
<p>A:はい、村上や小川は文章のスタイルを翻訳しやすい文体で書くことを狙って書いていた。日本の役割語は翻訳本では適切に訳せないので通常無視して翻訳される。村上の小説はそういう日本語のローカルな文体から昇華した形で書いているので、世界的にも翻訳本が多く出版されている。ただ時々、村上文学の中でも翻訳しにくい文体が出てくることはある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者3　広本 治さん　88期</p>
<p>Q:放送大学の講義で役割語の濃さの言及があったが、村上は自分の小説を英語で書いたときはどうしたのか？</p>
<p>A:翻訳はNativeが書かないとうまくいかない。村上春樹の小説の翻訳も本人でなく５人ほどのNative　Staffがやっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者4　石川真一さん　109期</p>
<p>Q:役割語の記録・検証について現代では大量の文字データがあるが、明治期以前の口語体の資料はどこから？</p>
<p>A:硬い文書は漢文調になるが、江戸時代から演劇の脚本は話し言葉で書かれた町人文化の資料として残っている。枕草子などでも坊さん，上流貴族会の男女、身分の低い者の言葉遣いの違いが垣間見られる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者5　池尾愛子さん　87期</p>
<p>Q:江戸時代の裁判記録は言語分析に使えるのでは？</p>
<p>A:裁判記録はリアルな言葉として残っている部分がある。フィクションの歌舞伎やお芝居での記録などと合わせて分析することができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者6　角谷 歩さん　87期</p>
<p>Q:役割語・翻訳スタイルの変化のタイムスケールは？　チャンドラーの娯楽本の翻訳版における村上のスタンスは？</p>
<p>A:翻訳も賞味期限があり、時代の変化に伴う改訳版がでる傾向がある。改訳版が改善になっているとは限らない。娯楽本の訳は抄訳版や全訳版がある。主人公の第一人称を「俺」にするか「僕」にするか「私」にするかは悩ましいことが多い。英語の本を日本語訳する場合は、役割語をどう埋め込むかは大事な点となる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">記録：記録者（家正則80期）：講演者チェック済み</p>
<p style="text-align: left;"><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-5.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6588" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-5-150x150.jpeg" alt="240821 - 5" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-4.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6587" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-4-150x150.jpeg" alt="240821 - 4" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-3.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6586" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-3-150x150.jpeg" alt="240821 - 3" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-2.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6585" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-2-150x150.jpeg" alt="240821 - 2" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-1.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6584" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-1-150x150.jpeg" alt="240821 - 1" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-12.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6583" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-12-150x150.jpeg" alt="240821 - 12" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-11.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6582" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-11-150x150.jpeg" alt="240821 - 11" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-10.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6581" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-10-150x150.jpeg" alt="240821 - 10" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-9.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6580" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-9-150x150.jpeg" alt="240821 - 9" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-8.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6579" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-8-150x150.jpeg" alt="240821 - 8" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-7.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6578" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-7-150x150.jpeg" alt="240821 - 7" width="150" height="150" /></a> <a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-6.jpeg"><img class="alignleft size-thumbnail wp-image-6577" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/240821-6-150x150.jpeg" alt="240821 - 6" width="150" height="150" /></a></p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/「役割語」が切り開く、言語の地平（金水20240302）.pdf">「役割語」が切り開く、言語の地平（金水20240302）</a></p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/09/履歴スライド.pdf">履歴スライド</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>参考文献</strong></p>
<p>辛島デイヴィッド (2018) 『HARUKI MURAKAMI を読んでいる時に我々が読んでいる者たち』みすず書房.</p>
<p>金水敏（編著） (2018) 『村上春樹翻訳調査プロジェクト報告書(1)』大阪大学大学院文学研究科（人文学クラスター）「役割語・キャラクター言語から見た翻訳研究」.</p>
<p>金水 敏 (2020)「村上春樹と関西方言について—遠心的／求心的な移動とポリフォニー」中村三春（監修）・曽秋桂（編集）『村上春樹における移動』pp. 23-40，淡江大学出版中心.</p>
<p>金水 敏他 (2011) 「第13章　大阪大学卒業論文より」『役割語研究の展開』pp. 249-262.</p>
<p>柴田元幸 (2005) 「『アメリカの鱒釣り』革命」ブローティガン、リチャード（著）藤本和子（訳）『アメリカの鱒釣り』新潮文庫版、pp. 261-268.</p>
<p>田中ゆかり (2011) 『「方言コスプレ」の時代』岩波書店.</p>
<p>田中ゆかり (2016) 『方言萌え!? ヴァーチャル方言を読み解く』岩波ジュニア文庫.</p>
<p>田中ゆかり (2021) 『読み解き！　方言キャラ』研究社.</p>
<p>中村桃子 (2013) 『翻訳がつくる日本語—ヒロインは「女ことば」を話し続ける—』白澤社.</p>
<p>水野　的 (2024) 『日本人は英語をどう訳してきたか：訳し上げと順送りの史的研究』法政大学出版会.</p>
<p>三好敏子 (2009) 『「おばあさん」の役割語』大阪大学文学部卒業論文. 金水他 (2011)に要約が所収.</p>
<p>村上春樹 (2015) 『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング.</p>
<p>村上春樹 (2017) 『村上春樹 翻訳（ほとんど）全仕事』62-65頁、中央公論新社.</p>
<p>村上春樹・柴田元幸 (2000) 『翻訳夜話』文春新書, 文藝春秋.</p>
<p>芳川泰久・西脇雅彦 (2013) 『村上春樹 読める比喩事典』ミネルヴァ書房.</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【259回】7月『再生可能エネルギー発電の紹介』</title>
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		<pubDate>Tue, 23 Jul 2024 06:41:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[岩本　佳孝さん＠81期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年7月17日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>38名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>岩本　佳孝さん＠81期</h4>
<p>株式会社翔栄クリエイト　海外部長</p>
<p>芦屋グリーンエナジー株式会社　代表取締役社長</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1950 (昭和25) 年11月29日に大阪市淀川区東三国にて出生（東三国中学第3期生）</p>
<p>1966年　北野高校入学（野球部所属）</p>
<p>1969年　京都大学経済学部入学</p>
<p>1973年　伊藤忠商事株式会社入社（機械・プラント業務、アメリカとタイに駐在）</p>
<p>2011年　サムスンC&amp;T株式会社（ソウル）で再生可能エネルギー担当常務</p>
<p>2013年　再生可能エネルギー発電所建設会社勤務（エジソンパワー、翔栄クリエイト）</p>
<p>2015年　芦屋グリーンエナジー株式会社を設立（コンサルティング）</p>
<p>（芦屋市朝日ヶ丘町に35年在住。家族は妻、一男一女）</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『再生可能エネルギー発電の紹介』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>1．地球温暖化対策としての再生可能エネルギー発電の意義地球温暖化対策のため再生可能エネルギー発電の活用は、持続可能な社会の実現に向けて目前に迫った重要な課題である。2．再生可能エネルギー発電の定義と各種方式の紹介①太陽光、②バイオマス発電、③風力（洋上式と陸上式）、④小水力、⑤地熱、⑥太陽熱 (タワー式とトラフ式)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3．私自身が建設に携わった具体的な再生可能エネルギー発電プロジェクト事例①2011年　ABENGOA(スペイン)との太陽熱発電事業(100MW, 700億円)②2019年　Royal Solar(ベトナム)向け太陽光発電所EPC(100MW, 150億円)</p>
<p>4．現在、開発・マーケティングしている再生可能エネルギー関連の新技術</p>
<ol>
<li>A) 水素発電 B) 人工石油製造システム</li>
</ol>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>
<ol>
<li>地球温暖化対策としての再生可能エネルギー発電の意義</li>
</ol>
<p>地球温暖化対策のため再生可能エネルギー発電の活用は、持続可能な社会の実現に向けて目前に迫った重要な課題です。</p>
<p>現在、世界の各地での急激な気候変動のニュースが連日報道されています。ここ数日の日本での異常高温(アメリカDeath Valleyでは53.9℃)、暴風雨、洪水、山火事、北極、南極の氷が解けることによる海面上昇、海水温度の上昇による漁業への影響、農作物の被害などは大変深刻な問題です。</p>
<p>世界各国は気候変動問題に取り組むため、脱炭素化に向け、技術のみならず、国際的なルール作りに邁進しています。一番よく耳にするのはCOPという国際会議です。</p>
<p>Conference of the Partiesの略で環境問題に限らず多くの国際条約のなかで、その加盟国が物事を決定するための最高決定機関として設置されています。そのなかで、もっとも耳にするのが国連気候変動枠組条約締結国会議です。</p>
<p>日本でも第六次エネルギー基本計画を策定し2050年までにカーボンニュートラルを実現する長期展望と、2030年の温室効果ガス削減目標達成に向けた政策対応を検討し、今後のエネルギー政策の進むべき道筋を示しています。</p>
<p>ただ、このように目標や計画を立てても実際にどれだけ二酸化炭素濃度の年平均値が下がっているかは大いに疑問であり、その一例が下記に示した気象庁のデータです。</p>
<p>岩本さんが育った東三国は、近くに神崎川があります。1960年代の高度成長期には、各工場が公害問題など意識せず、工場排水などは垂れ流し状態で、当時の神崎川もドブ川でした。しかしながら、その後日本全体が公害防止に懸命に取り組んだ結果、今では、神崎川もきれいになりました。地球温暖化問題は、地球規模の問題で、各企業の意識改革と対策だけではその問題解決は極めて困難といえます。現実の問題ですが、下記のように気象庁が発表している二酸化炭素濃度のデータでは40年以上に亘って、コンスタントに濃度が上昇していることがお分かりいただけると思います。このような状況ですが、一市民としては、まずは、自分はなにができるかを考え日々実行していくほかありません。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図1_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6528 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図1_20240717-300x208.png" alt="図1_20240717" width="300" height="208" /></a></p>
<ol start="2">
<li>再生可能エネルギー発電の定義と各種方式の紹介</li>
</ol>
<p>&nbsp;</p>
<p>（1）再生可能エネルギー発電の定義と主な再生可能エネルギー発電方式を紹介します。</p>
<p>再生可能エネルギー(Renewable Energy)というのは、石油や石炭、天然ガスといった有限な資源である化石エネルギーとは違い、太陽光や風力、地熱といった地球資源の一部など自然界に常に存在するエネルギーのことです。その大きな３つの特徴は、「枯渇しない」「どこにでも存在する」「CO２を排出しない（増加させない）」ということです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>再生可能エネルギー発電のメリットをもう少し詳しく述べると、</p>
<p>A.　太陽、風、水、地熱、森林といった日本にある自然のチカラを効率的に電気に変えることで日本のエネルギー自給率をアップします。</p>
<p>B.　太陽光パネル製造では今は中国がマーケットシェアで世界一ですが、この分野では日本の特徴である新しい独自の技術を生み出す開発力を発揮することができます。新しい原理の太陽光発電パネルや蓄電池分野ですでに新技術は認められていますし、あとでお話しするような新しい発電、製造技術も開発されています。結果として、日本の国際競争力を高めていますし、また、最新の発電施設を建設することで新たな産業や雇用の創出もしています。</p>
<p>C.　CO２の排出が少なく、環境への影響を最小限に抑えることができるので、地球全体の環境問題の解決の一助となります。</p>
<ol>
<li>持ち運びやすい分散型発電の特徴を活かして、災害時の現地緊急発電需要にも即時対応ができます。</li>
<li>太陽光発電所などは騒音、振動がほとんどありませんし、重油、軽油などを燃料として使う発電機を使用する場合にくらべて、いやな臭いも出ません。但し、電気機器の保守・メンテはしっかりと行う必要はあります。</li>
</ol>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本では2011年の福島原発の事故の翌年である2012年に、当時の民主党政権下で再生可能エネルギー特別措置法が制定され、電力会社による再生可能エネルギーの全量買取制度がスタートし、再生可能エネルギー発電が大きく飛躍する役割を果たしました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（2）再生可能エネルギー発電方式</p>
<p>①  太陽光発電</p>
<p>シリコン半導体に光が当たると電気が発生するという現象を利用しています。</p>
<p>太陽の「光エネルギー」を直接「電気エネルギー」に変換して活用します。</p>
<p>N型半導体には電子（－）、P型半導体には正孔(+)が集まるという性質を活用し</p>
<p>それぞれの電極をつなぐことで電気が流れる仕組みを作り出します。太陽光パネルで発電される電力は直流です。このため、交流の高圧電力が流れている送電線に電力を送り込むにはこれをパワーコンディショナーで交流に変換し、受変電設備で66,000ボルトや110,000ボルトの高圧に昇圧してから送電線に電力を送り込みます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図2_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6529 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図2_20240717-300x170.png" alt="図2_20240717" width="300" height="170" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>②  バイオマス発電</p>
<p>バイオマスとは、英語のBIO(生物資源)とMASS(量)を表しています。太陽エネルギーを使って無機物である水(H2O)と二酸化炭素（CO2）から作り出される有機性資源のことです。バイオマスは、燃料として利用する際は、二酸化炭素(CO2)を排出しますが、この排出する二酸化炭素(CO2)は植物が光合成を行う際に取り込んだ分の二酸化炭素(CO2)しか排出しないため、バイオマス発電は大気中の二酸化炭素を増加させない発電方式となっています。このプラマイゼロのいう考えを「カーボンニュートラル」といいます。具体的には丸太からチッパーを使って作る木質チップ、おが粉を固めた木質ペレット、マレーシアやインドネシアで作るパームの実から取り出すパーム油、建築物を壊した際の木質廃材などが挙げられます。またこの制度では日本の森林の健全化のため樹木の成長の阻害となる未利用材、間伐材を燃料として使ったバイオマス発電は2MW以下の規模なら1キロワットアワーあたり税別40円という高い金額で買い取ってもらえます。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図3_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6530 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図3_20240717-300x133.png" alt="図3_20240717" width="300" height="133" /></a></p>
<p>③  風力　（洋上式と陸上式）</p>
<p>風の力で風車を回転させ、風車の回転運動を発電機に伝えて電気を起こします。風力発電には大きく分けて海の上で行う洋上式と、主に風が強く吹く海岸線沿いの陸上式があります。平均風速が毎秒7から8メートルであれば採算に乗るといわれています。デメリットとしては低周波騒音と、景観の悪化が挙げられます。</p>
<p>日本では主に北海道と青森の日本海側で風況がよいため、多くの風力発電所が操業されています。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図4_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6531 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図4_20240717-300x201.png" alt="図4_20240717" width="300" height="201" /></a></p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図5_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6532 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図5_20240717-300x158.png" alt="図5_20240717" width="300" height="158" /></a></p>
<p>④  小水力発電システム</p>
<p>小水力発電システムは一般河川や農業用水などに流れる水のエネルギーを利用し水車を回すことで発電する小水力発電です。30,000kW未満の水力発電は再エネ措置法での買取が義務付けられており固定価格買取制度での買取対象となっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>⑤  地熱</p>
<p>地上で降った雨は、地下1,000m~3,000m付近にある地熱貯留槽に溜まります。そこに溜まった高温・高圧の熱水・蒸気などの地熱流体を生産井を通して取り出して発電します。取り出された地熱流体は蒸気と熱水に分離します。200~300℃の高温の蒸気でタービンを回して発電し、熱水は還元井を通して再び地中深くに戻されます。</p>
<p>日本は世界で第3位の地熱発電資源国です。政府も固定価格買取制度に加え、</p>
<p>エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)による試掘調査に対する補助金（1本で約1億円）の供与等により地熱発電の普及に努めています。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図6_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6533 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図6_20240717-300x194.png" alt="図6_20240717" width="300" height="194" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<ul>
<li>　太陽熱</li>
</ul>
<p>タワー式</p>
<p>タワー式の場合は写真のように、地上に1000枚以上の鏡を放射状に並べます。反射した太陽光線は写真の中央部に見えるタワーの最上部にある集熱機に集められます。集熱機内部は温度が1000℃近くまで上がります。この熱で水から高温高圧の水蒸気を作り、この水蒸気を蒸気タービン発電機に供給して交流の電力を作ります。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図7_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6534 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図7_20240717-300x187.png" alt="図7_20240717" width="300" height="187" /></a></p>
<p>トラフ式</p>
<p>トラフ式の場合は、内側に湾曲した鏡を貼り付けた直径5メートルほどの</p>
<p>トラフ（雨どい）に到達した日射は、鏡に反射したあと、焦点を直線状に形成します。そこにはガラスのパイプがありその中には油が流れています。400℃程度に熱せられた油はパワーステーションという発電所に流れていき、そこで水と熱交換され、作られた高温高圧の水蒸気で蒸気タービン発電機にて電力が作られます。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図8_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6535 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図8_20240717-300x213.png" alt="図8_20240717" width="300" height="213" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３．建設に携わった再生可能エネルギー発電プロジェクトの事例</p>
<p>①  2011年　ABENGOA(スペイン)との太陽熱発電事業(100MW, 700億円)</p>
<p>2009年にバンコクの駐在から東京に戻った際、発足当時のソーラー事業推進部にて、欧州では活発な動きを見せていた太陽熱発電を新規分野としてやってみようということになりました。当時は、欧州の投資会社や保険会社がサハラ砂漠に167km四方の太陽熱発電所を建設できれば、世界全部の電力が供給できると発表し、大きな話題となっていました。太陽熱発電の事業・エンジニアリングを手掛ける主要な会社が存在するスペインを訪問し、大手の一社であるABENGOA社と共同事業の交渉を開始しました。当時、ABENGOAはそれまでの事業をすべて自己資本で行っていましたが、そろそろ資金もタイトになってきているのではとの判断のもと、伊藤忠にて低利な銀行融資をアレンジできるので一緒に組まないかと提案しました。当時の伊藤忠の担当役員もスペインのABENGOA発電所を見学に行き、結果として、伊藤忠として本件には積極的に対応するとの会社方針が決定されました。具体的には日本貿易保険の海外事業資金貸付保険を活用して、三井住友、三菱UFJ、みずほ、HSBCの4行から3億5000万ユーロの協調融資を受け、伊藤忠自身も25%の出資をして、2013年にスペインのExtremadula州で50MWを2基完成させました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>②  2019年　Royal Solar(ベトナム)向け太陽光発電所EPC(100MW, 150億円)</p>
<p>この案件は入札方式で行われました。ここで海外の太陽光発電所の建設が入札から工事請負契約・着工・完工・引渡・保証期間終了までどのようなプロセスで行われるか簡単にご説明します。</p>
<p>なお、一般的な国際的な入札はベルギーに本部を置くFIDIC(国際コンサルティング・エンジニア連盟で会員数60,000社)が設定したルールに従って、公正な入札活動が行われるようになっています。</p>
<p>１）太陽光発電事業をやりたいという事業者が、用地を選定し、まずコンサルタントを雇って事前情報を集めた後、入札条件書(TOR)を入札希望者に渡します。</p>
<p>２）入札者は条件書に決められた期限内にまず技術資料を提出し、パスできた会社のみが商業条件を事業者に提出します。</p>
<p>３）事業者は入札書の会社情報、価格、工期、支払条件、コンプライアンス性等の内容を精査し、入札条件書に記載された期限内に入札者を選定し、決定通知します。</p>
<p>４）事業者と工事請負会社はターンキー契約書、またはエンジニアリング、調達、建設工事で構成されるEPC契約書を締結します。選定された会社は、通常は銀行が発行する契約金額の5-10%相当の「契約履行保証書」を発行します。</p>
<p>５）事業者はこれらの書類をもとに資金調達をします。</p>
<p>事業者は契約書に従い請負会社に工事開始指示書、契約時前払金と残額の支払保証書(銀行発行の信用状等)を交付します。また、この間に電力会社との間で電力売買契約を締結します。</p>
<p>６）工事が完了したら、事業者の検査を受けて検収証明書を受取り、プラントを事業者に引渡し、最後の工事の代金を受取り、契約当初に発行した契約履行保証書の返却を受けます。</p>
<p>６）太陽光発電所の場合は、プラント全体の保証期間は上記引渡し後、通常は２年間です。最後の代金を受取る際には、今度はそれからの期間となる保証期間内で発生する故障や不具合については請負会社として責任を持って対応することを保証する保証書（契約金額の5%）を新たに事業者に交付します。</p>
<p>７）２年間のプラント保証期間が満了したら、提出済みのこの保証書を返却してもらって、すべての責任から解放されます。この後も各機器のメーカー保証は継続されます。ちなみに太陽光パネルのメーカーが発行する出力保証書は30年の長きにわたります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>この工事案件は、岩本さんが伊藤忠タイに駐在した時にできた人脈経由で入ってきた情報をもとに、翔栄クリエイトが主契約者となって2018年10月に入札し2019年１月31日に中国企業との激しい競争の結果、EPC契約を締結しました。この工事は翔栄クリエイトにとっては海外での大型太陽光発電所建設工事の第一号でした。契約時は、ベトナムも固定価格買取制度を導入していましたが、その時に利用可能であった買取レートの9.35 US Centを獲得するには2019年6月30日までに太陽光発電所を完成されることが条件であったため、会社として難しい判断でしたが、遅延損害金を支払う条項を受け入れることを表明して受注に漕ぎつけました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>受注できた理由は、大きく言って以下の3点がありました。</p>
<p>一つ目は中国企業と比べて日本企業は契約・約束を守り、工事の最後まで責任を持って仕事をやり遂げるという誠意・責任感が強いと認められたこと。当時のベトナムは、数々のプロジェクトで中国企業とのトラブルを抱えていて、現地の事業者の間で中国企業の見直しが行なわれていたことが挙げられます。</p>
<p>二つ目は日本の安い金利を取引条件に反映する形で、日本の商社の金融力を活用し、パネルなどの輸入機器の支払条件を、通常ですと船積後現金支払いであるところを、サプライヤー側の協力により船積後360日とした点。工期が５ヵ月でしたから事業者は売電が開始されて６カ月間の収入を機器代の支払に充当できます。</p>
<p>最後に工事完成遅延の場合の4%の賠償金支払い条項を受け入れたことでした。</p>
<p>これには機器メーカーとの事前の信頼関係が構築でき、納期遅延を極力回避するという協力を得られたこと、現地の工程管理を効率よくやれたことなどによります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>現場はホーチミン市から西に70ｋｍほど車で走ったロンアン県というところで湿地帯でした。ベトナム戦争当時は、超激戦区の一つであったとのことです。そこに、地球環境を守る太陽光発電所を建設できたことをとても幸せに思います。ただ、工事現場の環境が劣悪であったこと、食堂の不衛生さと飯の不味さは筆舌につくしがたいものでした。</p>
<p>結果として、事業者、契約者が一体となって努力し、契約期限内の2019年6月29日に工事が完工できたことをうれしく思っています。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図9_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6536 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図9_20240717-300x174.png" alt="図9_20240717" width="300" height="174" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図10_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6537 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図10_20240717-300x225.png" alt="図10_20240717" width="300" height="225" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>４．開発・マーケティングをしている再生可能エネルギー関連の新技術について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>①グローバル・リンク製G-H2O水素発電システム</p>
<p>まず、電解装置にて水を電気分解して水素を取り出し、次にこの水素を燃料電池に供給して電気と水を作ることを基本としています。ただし、この場合は電解装置と燃料電池でそれぞれ稼働するためのエネルギーを消費するので、トータルでみるとエネルギーのロスになります。現在、海外に紹介しているグローバル・リンクのG-H2O水素発電システムは、内蔵された新開発の「増幅器」によりシステム内の電力が増幅される技術を活用し、ここからの電力を電解装置と燃料電池に供給したうえで所定の電力を装置からの公称アウトプットとして出力します。この増幅器（商標G-Motor）は　グローバル・リンクで特許化されていますが、原理としては、コイルを巻いた回転子を、周囲に配置された超強力なネオジム固定磁石の間で回転させて新たな電力を発生させる技術となっています。タイ向けで100MWのG-H2O、G-Motorを本年4月に海外第一号案件約700億円として受注する交渉を行なっています。</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図11_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6538 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図11_20240717-300x138.png" alt="図11_20240717" width="300" height="138" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図12_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6539 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図12_20240717-300x110.png" alt="図12_20240717" width="300" height="110" /></a><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図13_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6540 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図13_20240717-300x139.png" alt="図13_20240717" width="300" height="139" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>G-Motor内部</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図14_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6541 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図14_20240717-300x216.png" alt="図14_20240717" width="300" height="216" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>②空気と水から石油を作るアイティー技研製ドリーム燃料製造装置</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図15_20240717.png"><img class="alignnone wp-image-6542 size-medium" src="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/図15_20240717-300x137.png" alt="図15_20240717" width="300" height="137" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一酸化炭素と水素から鉄・コバルトなどの触媒を用いて液体炭化水素を合成するという方法は1920年にドイツにてフィッシャー・トロプシュ法として開発され、1944年には日産124,000バレルまで製造されたと紹介されていますが、製造には1-50気圧の高圧力と200-300℃の高温条件が必要であったといわれています。日本でも京都大学を中心として鉄系の触媒を使って石炭から人工石油を製造する研究がなされましたが実用化されませんでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ドリーム燃料製造装置」は、京都大学工学部の今中忠行名誉教授が開発したシステムです。特許化されている特殊な光触媒で水を活性化させ、水中の水素と空気中の炭素を結合させて炭化水素（石油）を常温、常圧で製造する技術です。原料が空気と水ですので、1リットルの油を製造するコストは14円です。一般の軽油などは１リットル150-160円で販売されているので大幅なコストダウンになります。資源を持たない日本にとっては、極めてインパクトの大きい技術といえます。一号機は、既に福岡県で稼働しており、6月３日に岩本さんの台湾の投資家をご案内してきたところです。実際に目の前で油が増加しているところを見学しました。装置の販売価格ですが、１時間あたり120リットルの製造能力のシステムで、2億円の限定販売となっています。１リットル当りの製造コストが14円、軽油の販売価格が140円としますと1リットルあたり126円の節約となり、年間で960,000リットル製造されますので、年間で約1億2000万円節約でき、2年以内に投資回収が可能という目論見です。海外で一号機の受注を図るべく、台湾の投資家と契約の交渉を行っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>Ⅷ．質疑応答</strong></p>
<p>質問者１　清徳　則夫さん　79期</p>
<p>Q:ドリーム燃料製造装置の件ですが、エネルギーの損得についてはどうなっていますか。つまり、投入エネルギーより発生エネルギーが多くないと意味が無いわけですが、そのエネルギー・バランスは如何でしょう。</p>
<p>A:この件については提唱者の今中先生に聞いているものの、光触媒が大きな役割を果たしているということだけで、特許の関係で詳細については詳しく公開されていません。生産コストも14円/Lということでだけで詳細なデータはありません。今後、今中先生と会う機会があり、質問の趣旨についてお聞きすることとします。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者2　家　正則さん　80期</p>
<p>Q:G-H20についてですが、エネルギー保存の法則から言うと無限にエネルギーを生産するシステムと言うのは物理学に携わる者として納得できないのですが、これについてはどうお考えですか。</p>
<p>A:テスラ―の電気自動車においても増幅器は使われており、強力なネオジウムの磁石の働きで電力が生まれるのですが、これについては更に調査してみます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者3　掛谷　嘉則さん　81期</p>
<p>Q:私は長野県白馬村でホテルを経営しており、白馬連山に雪が積もり、それが川の水となって流れ出るのを眺めており、再生エネルギーの一つとして紹介された小水力発電に期待しております。G-Motorの10kWについてもホテル経営上、活用できそうだと思います。</p>
<p>A:継続して情報交換を行なっていきたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">記録：多賀正義　（76期）</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/東京六稜倶楽部20240717.pdf">東京六稜倶楽部20240717</a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【258回】6月「歌謡曲あれこれ～あなたも作曲してみますか～」</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Jul 2024 04:36:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>

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		<description><![CDATA[大谷 明裕さん＠85期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年6月19日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>66名（会場52名、zoom14名）</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>大谷 明裕（おおたに めいゆう）さん＠85期</h4>
<p>&nbsp;</p>
<p>作曲家・シンガーソングライター（楽器：ギター）</p>
<p>（公社）日本作曲家協会（常務理事）</p>
<p>（一社）日本音楽著作権協会（正会員・監事）</p>
<p>日本音楽著作家連合（理事長）</p>
<p>（一社）日本音楽作家団体協議会FCA（常任理事）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>本名　大谷彰宏</p>
<p>1954年　大阪市出身</p>
<p>1973年　北野高校卒業（85期）</p>
<p>1976年　早稲田大学中退</p>
<p>学生時代からのバンド活動を経て、作曲家・曽根幸明氏に師事。その後、作編曲家・池多孝春氏より編曲・理論を学ぶ。</p>
<p>1983年「玄海船」歌：伊波よしひと（東芝EMI）“中川昭”名義で作曲家デビュー。</p>
<p>1984年「冬木立」歌：南一誠（ミノルフォン）を大谷明裕として発表。</p>
<p>現在に至る</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・主な作品：「今夜はドラマチック」（純烈）　「離さない離さない」（新浜レオン）</p>
<p>「居酒屋『昭和』」（八代亜紀）　「願・一条戻り橋」（小金沢昇司）</p>
<p>・最近作：「しろつめ草」（こおり健太）「知りたがり」（浜博也）「万燈籠」（原田波人）</p>
<p>ミニアルバム「願い、そして感謝」（大谷めいゆう）</p>
<p>・代表作品：「倖せにしてね」</p>
<p>作詩：荒木とよひさ　作曲：大谷明裕　編曲：伊戸のりお</p>
<p>歌：長山洋子（1996年日本レコード大賞・優秀作品賞）</p>
<p>「こぼれ月」</p>
<p>作詩：坂口照幸　作曲：大谷明裕　編曲：前田俊明</p>
<p>歌：田川寿美（2000年　日本レコード大賞・優秀作品賞）</p>
<p>「満天の瞳(ほし)」</p>
<p>作詩：村山由佳（小説家）　作曲：大谷明裕　編曲：伊戸のりお</p>
<p>歌：氷川きよし</p>
<p>（2013年日本レコード大賞・優秀作品賞、日本有線大賞）</p>
<p>「パッシング・ラブ」</p>
<p>作詩：朝倉 翔　作曲：大谷明裕　編曲：田丸 良</p>
<p>歌：シュー・ピンセイ</p>
<p>（1994年日本レコード大賞・新人賞）</p>
<p>「酔芙蓉」</p>
<p>作詩：坂口照幸　作曲：大谷明裕　編曲：伊戸のりお</p>
<p>歌：島津悦子　（1995年キングレコード）</p>
<p>「ありがとう…感謝」</p>
<p>作詩：志磨ゆり子　作曲：大谷明裕　編曲：伊戸のりお</p>
<p>歌：小金沢昇司（2001年キングレコード）</p>
<p><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%98%8E%E8%A3%95">大谷明裕 &#8211; Wikipedia</a></p>
<p><a href="https://www.bing.com/videos/search?q=%e5%a4%a7%e8%b0%b7%e6%98%8e%e8%a3%95+%e4%bd%9c%e6%9b%b2%e5%ae%b6&amp;qpvt=%e5%a4%a7%e8%b0%b7%e6%98%8e%e8%a3%95+%e4%bd%9c%e6%9b%b2%e5%ae%b6&amp;FORM=VDRE">大谷明裕 作曲家　動画 (bing.com)</a></p>
<p>&nbsp;</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『歌謡曲あれこれ～あなたも作曲してみますか～』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>大谷さんは第76回東京六稜倶楽部（2009年4月15日）の講演に次いで2回目のご登壇となる。当日は大谷さんの同期15名（オンライン参加3名を含む）に加え、大谷さんを慕う陸上部の後輩も多数参加した。紹介者は大谷さんの同期で建築家の古平真さん。古平さんは大谷さんのスタジオ付きの自宅を設計された。<a href="http://archicode.com/house/jisseki034.html">古平真建築研究所 &gt; 実績：住宅 (archicode.com)</a>「85期の高校時代を紹介しますと、一年生の遠足先は1970年の大阪万博でした。世の中は高度成長期で、明るい未来が開けているとみんなが希望を持って大学に進学しました。85期は120人以上が京都大学に合格しました（全国一位）ところが大学在学中に第一次オイルショックが起こり、私たちが卒業する頃は、それまで予想もしなかった就職難の時代を迎えていました。そのため従来と比べると就職先が分散し、ユニークな仕事をしている仲間が多いように感じます。その中の一人が大谷明裕さん（本名：大谷彰宏さん）です。大谷さんは作曲家・編曲家として数々のヒット曲を生み出され、カラオケには400曲を超える作品が登録されています。主な受賞歴は、1996年長山洋子さんの「倖せにしてね」の日本レコード大賞・優秀作品賞、2012年小金沢昇司さんの「俺の夕焼け」で日本作詩大賞・優秀作品賞、2013年氷川きよしさんの「満点の瞳」の日本レコード大賞・優秀作品賞、など、その他多くの作品で受賞されています。またシンガーソングライターとしても活動され、いくつものアルバムをリリースされておられます。中でも「<a href="https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A022861/VICL-63471.html"> 俺たちのC&#8217;est la vie（セ・ラ・ヴィー）</a>」は、私たち青春時代の甘くほろ苦い思い出がよみがえる作品です。</p>
<p>現在は、日本作曲家協会・常務理事、日本音楽著作家連合・理事長、その他の団体でも要職を務められ、日本の歌謡界の発展に尽力・貢献されています。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>1．YouTubeによる「枯葉の輪舞曲(ロンド)」プロモーションビデオで自己紹介</h4>
<p>自分で作曲した曲を演奏して披露することは、僕にとっては大変楽しいことです。</p>
<p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=0IO-I585F_E" target="_blank">「枯れ葉の輪舞曲」大谷めいゆう（テイチクレコード）</a></p>
<p>大谷めいゆうソロアルバム<a href="https://teichiku-shop.com/products/detail/TES00029KR">「願い、そして感謝」</a>に収録</p>
<p>昨年（2023年）7月19日にテイチクレコードよりリリース</p>
<p>収録曲：</p>
<p>「枯れ葉の輪舞曲」新曲。シャンソン風アレンジ、女性的な雰囲気を意図した作品</p>
<p>小金沢昇司の「ありがとう･･･感謝」と「願・一条戻り橋」の2曲をセルフカバー</p>
<p>原大輔の「これからの人生」をセルフカバー</p>
<p>「君へ」娘のために書いた曲</p>
<p>など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最近はいわゆる“大人の歌”が聞こえてこなくなりました。聞こえてくるのは、早口で何を言っているのかよくわからない若い人の音楽ばかりで、人からは「君は本当に音楽を作っているのか？」と問われるようになりました。</p>
<p>JASRAC賞をみると、その年に一番売れた作品がわかります。賞が創設された1980年代は、演歌・歌謡曲が毎年JASRAC賞を受賞していました。</p>
<p>1982年は「奥飛騨慕情」竜鉄也さん</p>
<p>1983年は「北酒場」細川たかしさん</p>
<p>1987・1988年は「命くれない」瀬川瑛子さん</p>
<p>1989年「酒よ」吉幾三さん</p>
<p>1990年「乾杯」長渕剛さん</p>
<p>ところが1990年を最後に、大人が一緒に歌って楽しむ曲（演歌・歌謡曲）が売れなくなってしまいます。この年は、「歌のベストテン」「トップテン」「歌のヒットスタジオ」などの歌番組が次々に打ち切られ、ポップスと演歌を一緒に楽しむ番組がテレビから消えてしまいました。代わりに大手広告代理店が番組を制作するようになり、演歌・歌謡曲が切り捨てられる風潮に変わっていったのだと思います。</p>
<p>1992年の「ラブストーリーは突然に」は当時大流行していたトレンディードラマのテーマ曲です。2003年の「千と千尋の神隠し」はアニメーション映画から流行した作品、これ以降、JASRAC賞受賞曲はアニメーションの曲（アニソン）の時代になっていきます。友人の編曲者・宮崎慎二氏はポケモンの曲でJASRAC賞を2年連続受賞してポケモン長者になりました。2024年のJASRAC賞の金賞はYOASOBIの「アイドル」で、これはアニメ【推しの子】のオープニング主題曲、銀賞・銅賞もアニメの曲が受賞しました。</p>
<p>国内外で大人も楽しむようになった日本のアニソンは、もはや子供の歌とは言い難いですが、今のアニソン主流時代では、大人の歌である、演歌・歌謡曲は、埋もれてしまっているのが現状です。</p>
<p>※JASRAC：日本音楽著作権協会。作曲家・作詞家が著作権を守るために創設した組織</p>
<p>※JASRAC賞：音楽配信、カラオケ、CMなど、前年度にJASRACからの著作物使用料の分配額が多かった作品の作詞者・作曲者・音楽出版社の功績と栄誉を称え表彰するもの。1982年創設。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>2.どのようにして作曲家になったか</h4>
<p>学生時代は、仲間たちとバンドを組んで音楽を楽しんでいました。大学を卒業したら、新聞記者か政治関連の仕事に就くつもりで、将来、自分が音楽の仕事をするとは予想もしませんでした。1973年にオイルショックが起こり、そのあおりを受けて父の事業が上手くいかなくなり、生活が一変、大学中退を余儀なくされ、自分の将来の進路を見失ってしまいました。それでも色々なアルバイトをしながら、バンド仲間とライブ活動を続けていました。そのうち音楽仲間からの後押しもあり、プロの音楽家を目指そうと思うようになりました。</p>
<p>プロのシンガーソングライターになるために、たくさんのオーディションを受けましたが、そんなに簡単に受かるものではありません。諦めかけたとき、それまで何も言わなかった母親から、作曲家・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%B9%B8%E6%98%8E">曽根幸明先生</a>が母の“またいとこ”だという事実を初めて告白され、ギターを持って曽根先生に会いに行きました。先生に自作の歌を聞いてもらい、師事することになりました。</p>
<p>曽根先生には、音楽を遊ぶこと・音楽を楽しむことはたくさん教わりましたが、いわゆる“現場で見て覚えろ”タイプの先生で、音楽の基本理論や編曲の方法論は身につきませんでした。そこで曽根先生と組んでいた<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E5%A4%9A%E5%AD%9D%E6%98%A5">池多孝春先生</a>のところで、写譜の仕事をしながらアレンジの勉強をさせてもらうようになりました。</p>
<p>先生方について歩くうちに色々なディレクターと知り合うようになり（人脈作り）、そのうち自作の曲を見てもらえるようになり、それらが少しずつ採用されるようになりました。そうやって本格的に作曲・編曲の仕事をずっと続けて、たくさんの作品を発表して、そのうちあちこちで表彰されるようになると、レコード会社から「自分で歌ってみる？」と声がかかるようになりました。そこで自分のアルバムを制作し、レコード会社からリリースされるようになって、ようやくプロのシンガーソングライターとしても活動できるようになりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>3.新作歌謡曲の発表およびCD発売までの道筋</h4>
<p>建築家に創作建築家と注文建築家がいるように、作曲家にも創作作家と注文作家がいます。私は演歌・歌謡曲ジャンルの中で、ソフト演歌・歌謡曲の注文作家として活動しています。</p>
<p>1）レコード会社（制作会社）のディレクターが担当歌手の新曲を企画する。作品のテーマや方向性を思索する。</p>
<p>2）企画した作品のテーマに応じて、作家の作風を考慮し、作詞家・作曲家を指名（発注）し、制作打ち合わせが行われる。詩を先行させる曲作り（詩先）と曲を先行させる曲作り（メロ先）など色々な手法がある。</p>
<p>3）作品の仕上がりイメージから編曲家を指名（発注）し、編曲の打ち合わせが行われる。</p>
<p>並行して、歌手の音域に合わせて、キーあわせを行う。</p>
<p>4）スタジオを予約していよいよレコーディング。</p>
<p>5）編成会議や販売会議を経て、販売に至る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>4.編曲について</h4>
<p>編曲とは、曲を飾ることです。作品の仕上がりイメージに沿うよう、楽器を選び、リズムやイントロやコード進行を決めます。簡単に言うと、編曲とはカラオケの伴奏を制作することです。編曲の違いで作品の印象も大きく変わります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「ありがとう…感謝」の編曲を比較。</p>
<p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=aB942U59-NA" target="_blank">小金沢昇司ヴァージョン</a>　：フルオーケストラ演奏</p>
<p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=3DAQr2Ni5tI" target="_blank">大谷めいゆうヴァージョン</a>：バンド演奏</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>5.あなたも作曲してみますか？</h4>
<p>1）作曲方法について</p>
<p>僕が作曲するときは、最初は鼻歌で作ります。最初から楽器を持つと、自分の好きなコード進行を選んでしまって結果的に同じパターンの曲しか作れなくなってしまうからです。</p>
<p>先に歌詞が決まっていたら、その詩を覚えるくらい何度も読んで、詩のイメージをつかんでからまず鼻歌を歌ってみます。何度も鼻歌で歌っているうちに、曲の方向性が決まり、充実したメロディーが生まれてきます。そのメロディーから譜面を作ります。そこで初めて楽器を持って実際に歌ってみます。いいなと思えば曲の完成となりますし、駄目だったらもう一度最初からやり直します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2）一番簡単な作曲方法について</p>
<p>詩先：言葉のイントネーションを付曲のヒントにする方法</p>
<p>例1）朝の　明るい　光の　中で（あさの　あかるい　ひかりの　なかで）</p>
<p>例2）冷たい　雨の　降る　夜に（つめたい　あめの　ふる　よるに）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>①歌詞を読み込んで、言葉のイメージから調（長調・短調）を決める。</p>
<p>例1：明るい感じ→長調の音階で付曲する</p>
<p>例2：暗い感じ→→短調の音階で付曲する</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>②言葉のイントネーションを元に、隣同士の音を並べてみる。（一番簡単な方法）</p>
<p>標準語ヴァージョン・関西弁ヴァージョンなど</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>③音で遊ぶ。音を上手に飛ばすとおしゃれなメロディーが生まれる。音の長さを変えてみる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3）曲のつくりについて</p>
<p>作曲にはこの他にもたくさんの手法があります。</p>
<p>演歌・歌謡曲は詩先が中心です。詩で表現された物語や世界観を伝えるお手伝いをするのがメロディーであると僕は思っています。良いイントロには人を引きつける力があります。イントロから続くメロディーが良いと、詩に関心を持つようになります。詩に感動すると、その歌を好きになってもらえます。</p>
<p>海外の音楽は一つの音に言葉をたくさん入れます。言葉の韻（脚韻）を踏むのが特徴です。</p>
<p>日本の演歌・歌謡曲は一つの音に一つの文字を入れて、母音を引っ張ります。わ<strong><span style="text-decoration: underline;">ぁ</span></strong>～～たし<span style="text-decoration: underline;"><strong>ぃ</strong></span>～</p>
<p>日本文化・文学の基本は五七五の音律で作られています。長い物語を簡潔に短く集約させて、語間と行間から物語を感じて味わうのが日本の音楽の素敵なところです。</p>
<p>ところが、最近のポップスの特徴は、イントロとエンディングが無いつくりになっています。いきなり歌が始まります。そして最初から最後まで隙間無く言葉を詰め込んでいるので、歌詞を味わう暇も、息継ぐ暇もありません。自分では歌いづらい曲になっています。</p>
<p>YOASOBIの楽曲<a href="https://www.youtube.com/watch?v=z-VswRPT2Hs" target="_blank">「アイドル」</a>は最初から最後までサウンドと歌詞がびっしりと詰め込まれていますが、それでもメロディーだけを切り離して分析すると、実はちゃんと日本調の音階が使われています。きゃりーぱみゅぱみゅの<a href="https://www.youtube.com/watch?v=NLy4cvRx7Vc" target="_blank">「つけまつける」</a>も同じ特徴を持っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>質問コーナー　フリートーク</h3>
<p>質問者　広本治さん（88期）</p>
<p>Q:NHK「沼にハマってきいてみた」の「歌ってみた」沼の回で、MIX師が取り上げられていました。編曲者とMIX師は別物だと思うのですが、MIX師の著作権はJASRACで保護されているのですか？</p>
<p>A:</p>
<p>ここで取り上げられた「歌ってみた」沼は、ボーカロイドに歌わせている曲（ボカロ曲）を、人が歌う動画にすることです。MIX師は、「歌ってみた」動画を制作する際に、ボカロ曲のカラオケ音源と歌い手のボーカル音源をミックスすることが主な作業です。つまり、MIX師は単なるエンジニアですので、著作権はありません。</p>
<p>ついでにいうと歌い手さんにも著作権はありません。歌い手さんの歌唱やダンスなどの実演については「著作隣接権」が発生します。</p>
<p>JASRACは作曲者・作詞者・編曲者・音楽出版社の著作権を管理する団体です。</p>
<p>現状では、JASRACは生成AIで作成された音楽は管理しない事になっており、人が創作した作品のみ管理しています。ただ、最近の若い人の中には生成AIで作った音楽を基本にして作品を創作する人もいて、こちらはJASRACで管理しています。しかしスウェーデンの企業が運営するスポティファイサービスでは生成AIで作った作品が正式に登録され、流されています。</p>
<p>歌ってみた動画は歌い手・MIX師・イラスト師・動画師の分業で作られています。一般の音楽も分業で制作されますが、アーティストによっては全部ひとりでやってしまう人もいます。</p>
<p>早稲田大学の後輩の<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E5%93%B2%E5%93%89">小室哲哉</a>君は、CD制作まで全て自分でやる人ですので、その報酬は莫大な金額になります。彼の曲作りは従来の方法とは全く逆の手順をとります。まずサウンド（編曲）を決めて、メロディーを決めて、最後に歌詞を当てはめるのです。（オケ先）</p>
<p>サウンドから作る音楽は、止まったメロディーが特徴です。最近の若い人の音楽にはそういう作品が多いです。メロディーを充実させるのには、アカペラ（鼻歌）で作るのが一番です。アカペラで作るのが、充実した良い音楽を作るのには一番だと、僕は信じています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者　橋口善郎さん（78期）</p>
<p>Q:著作権の存続期間は何年ですか？</p>
<p>A:元々は作者の死亡後50年間とされていました。米国は、ウォルトディズニーの死後50年が来る前に、死亡後70年に延期してディズニーサウンドの著作権を守りました。日本もそれに倣うよう要求されて、作者死亡後70年ということになっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Q:JASRACから分配されるお金（金額）について教えて下さい</p>
<p>A:著作権料は卸売価格の10%です。それを作詞家・作曲家・音楽出版社の三者で分け合います。CDが一枚売れると、作曲者には印税が一曲あたり大体４円弱入ってきます。</p>
<p>CDが売れても、編曲家には印税は入りません。ただ、公表時編曲者、つまり発売してすぐのオリジナル編曲者にはカラオケ使用料から1／12渡すことになっています。カラオケが1回流れると、もらえるのは1円ぐらいです。僕はこれまで1,000曲くらい発表してきましたが、そのうち、480曲くらいがカラオケに登録されています。その中でよく歌われているのは100曲くらいです。歌われない曲は、登録の抹消はされないらしいですが、見つけにくくなっていきます。</p>
<p>動画サイトYouTubeで曲が視聴されるとき、YouTube初期の頃はほとんどもらえませんでした。以前はだいたい1万回流れて1円、今は100回流れて1円ぐらいもらいます。</p>
<p>純烈の<a href="https://www.youtube.com/watch?v=dWgT5Y2joNQ" target="_blank">「星降る夜のサンバ：作曲 大谷明裕」</a>・<a href="https://www.youtube.com/watch?v=SWM006V9fqU" target="_blank">「今夜はドラマチック：作曲 大谷明裕」</a>などはカラオケバージョンも合わせると300万回以上流れています。レコード会社は、宣伝広告費として儲けられますが、作曲家には著作権料はほとんど入ってきません。</p>
<p>今はCDが売れなくなってきて、配信が中心の時代です。ポップスの若手作家の曲は何億回も再生されますが、演歌・歌謡曲はそこまで視聴されておらず、演歌・歌謡曲作家には苦しい時代です。僕にはお陰様でこれまでの累積がありますから、生活できますが、新しく入ってくる演歌・歌謡作家が食べていくのは大変です。</p>
<p>僕がこの世界に入った頃には、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B0%BE%E6%98%8C%E6%99%83">平尾昌晃</a>さんとか<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E7%9C%9F">川口真</a>さんなどの大ヒット作家がいて、憧れの存在でした。僕らも憧れられる存在にならないと、演歌・歌謡曲の世界は廃れていくのだろうなと思います。</p>
<p>現在は、日本作曲家協会の常務理事、JASRACの監事、音楽著作家連合の理事長などの公の立場を利用して、若い人たちの登竜門になるようなコンテストを企画・運営し、歌謡界が廃れないよう活動を続けています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>「居酒屋『昭和』」（八代亜紀）をYouTubeで紹介して終了。</h3>
<p>最後に、僕が八代亜紀さんのために書いた曲を紹介します。昭和世代にはしみる曲です。</p>
<p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=gz8gulMq75s" target="_blank">動画：「居酒屋『昭和』」八代亜紀</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">記録：野田美佳（94期）</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>添付資料　<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/07/歌謡曲あれこれ.pdf" target="_blank">歌謡曲あれこれ</a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【257回】5月「幸せな人生を送るための心理学～選択理論」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6453</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6453#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 31 May 2024 23:16:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[伊豆原　孝さん＠94期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年5月15日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>54名（会場　32名、zoom　22名）</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>伊豆原　孝さん＠94期</h4>
<p>一般社団法人日本損害保険協会常務理事</p>
<p>一般財団法人日本プロスピーカー協会認定シニアプロスピーカー</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>京都大学文学部卒業後、1986年に現在の損害保険ジャパン株式会社に入社。</p>
<p>営業部門、資産運用部門、経営企画部門、リスク管理部門を経て2016年にSOMPOホールディンス株式会社リスク管理部長。2019年からは同社グループCRO（最高リスク責任者）執行役を務める。2021年に退任、日本損害保険協会に転じ、現在に至る。</p>
<p>神奈川県藤沢市在住。高校時代は合気道部に所属。</p>
<p><a href="https://takashi-izuhara.com/" target="_blank">伊豆原孝 | 人が自分の価値に気づいたとき、人生は変わる。 (takashi-izuhara.com)</a></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『幸せな人生を送るための心理学～選択理論』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>人間は生まれてから死ぬまで、常に人と関わりながら生きていきます。関わる人の中には、どんなことでも気軽に相談できるという人もいれば、この人はどうも苦手だなと感じたり、できることなら一緒にいたくないと思う人もいます。そうした人間関係の悩みは、仕事だけでなく、どちらかというと親子関係や夫婦関係などのプライベートで起こることも多いのではないでしょうか。今回の講演では、自分が苦手と思う人との人間関係を劇的に改善し、気持ちよく自分らしい人生を送っていくための心理学である「選択理論心理学」について、講演者の体験も踏まえ、また、著書からの引用も交えながらお伝えさせていただければと思います。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>＊野田美佳さん＠94期からの伊豆原さん紹介</p>
<p>伊豆原さんとは高校1年で同クラスかつ合気道部で一緒。京都大学文学部を卒業され現在の損保ジャパンに入社された。高校同期の出世頭。部長になられて１００人の部下を持たれたがそれまでのマネジメントが通じず挫折を経験されたが、それを救ったのが選択理論という心理学。マネジメントに選択理論を取り入れることで問題が克服された。選択理論を理解し実践するのは難しいが、著書「私から、はじまる。（*）」（講演会場参加者に無償配布）では選択理論の実践例が分かり易く紹介され、読んでやる気が出る。マネジメントのみならず普段の生活にも役立つので、ぜひ読んでいただきたい。</p>
<p>（*）<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4866431180/?coliid=I3P9O3D9ODIK66&amp;colid=1XNLXJWJYLWS3&amp;psc=1&amp;ref_=list_c_wl_lv_ov_lig_dp_it" target="_blank">私から、はじまる。未来をひらく100の言葉 | 伊豆原孝 |本 | 通販 | Amazon</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">１．選択理論心理学</span></p>
<p>1965年に米国の精神科医であるW.グラッサー博士が提唱した、薬を使わずに精神病を治すリアリティ・セラピーを心理学として体系的にまとめたもの。人の行動のメカニズムを紐解いた心理学で、これを理解することにより良好な人間関係が築きやすくなる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">２．人は何によって行動を起こすのか</span></p>
<p>１）外的コントロール vs 内的コントロール</p>
<p>①外的コントロール(刺激反応理論)：選択理論の対極をなすもの。</p>
<p>人は外側からの刺激に反応して行動するという考え方＝「人は外から変えられる」</p>
<p>(例)電話が鳴る（刺激）→電話にでる（刺激によるコントロール）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>②内的コントロール＝選択理論</p>
<p>人は外からの情報を得て自分の意思・選択で行動するという考え方＝「人は外から変えられない」（例）電話が鳴る（刺激）→電話に出たくない（意思・選択）→電話に出ない（意思・選択によるコントロール）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）外的コントロールの信条</p>
<p>① 私は、外側から来る簡単なシグナルに反応して諸々のことを行う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>② 私は、他の人がしたくないことでも自分がさせたいと思うことをその人にさせることができる。そして他の人も、私が考え、行為し、感じることをコントロールできる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>③ 私の言う通りにしない人を馬鹿にし、脅し、罰を与える、あるいは、言うことを聞く人に褒美を与えることは、正しいことであり、私の道義的な責任である</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→人は上記3つの信条（思い込み）により人をコントロールできる、ないしは変えられると思っているが、選択理論（内的コントロール）に基づけば人をコントロールすることはできず、パワハラの原因にもなりうる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">３．5つの基本的欲求と上質世界</span></p>
<p>１）5つの基本的欲求</p>
<p>人は5つの欲求を遺伝子に組み込まれて生まれてくると言われており、それにより行動の動機付けがされる。</p>
<p>①生存の欲求</p>
<p>人が生きていく上で必要なすべての欲求（安全、飲食、睡眠、生殖等）</p>
<p>②愛・所属の欲求</p>
<p>愛し愛されたい、組織に所属していたいという欲求</p>
<p>③力の欲求</p>
<p>自己実現、目的の達成、人への役立ち等、自分の価値を高め認められたいという欲求</p>
<p>④自由の欲求</p>
<p>誰にも何にも拘束されず、自分の考えや感情のままに自由に行動、選択、決断したいという欲求</p>
<p>⑤楽しみの欲求</p>
<p>義務感にとらわれることなく、自ら主体的に喜んで何かを行いたいという欲求</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→欲求プロフィール・チェックにより自身の5つの欲求のレベルを認識することができる。それぞれの欲求度の高低は人により異なる。欲求の高さは容器の容量のようなもので、欲求が高いほどそれを満たすためには大きなエネルギーが必要となる。大切な人、所属する組織に属する人のそれぞれの欲求度を知ることで、自分との違いを認識し人間関係をスムーズに進めることができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）上質世界(Quality World)</p>
<p>上質世界とは、一緒にいたいと思う人、最も所有・経験したいと思うもの、自分の行動の多くを支配している考えや信条を反映したイメージ写真のアルバムのようなもの。人は上質世界にあるイメージ写真を求めて行動を起こす。上質世界は各人に起こった出来事や経験により一人一人異なり「貼り替わる」。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">４．7つの致命的習慣</span></p>
<p>力の原理→外的コントロール。</p>
<p>① 批判する</p>
<p>② 責める</p>
<p>③文句を言う</p>
<p>④ガミガミ言う</p>
<p>⑤脅す</p>
<p>⑥罰を与える</p>
<p>⑦目先の褒美で釣る</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→相手の上質世界を否定することにもなり、自分では愛情の表現と思っているかもしれないが相手に伝わらない（『愛のムチの多くは愛の無知』）。自分の正しさを手放す（冷蔵庫にしまう）ことが必要。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">５．思いやりを示す7つの習慣</span></p>
<p>愛の原理→内的コントロール＝選択理論</p>
<p>①傾聴する</p>
<p>②支援する</p>
<p>③励ます</p>
<p>④尊敬する</p>
<p>⑤信頼する</p>
<p>⑥受容する</p>
<p>⑦意見の違いを交渉する</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→相手の上質世界を大切にすることにより、相手との距離が縮まりこちらの話を相手が聞いてくれるようになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">６．コントロールできるものとできないもの</span></p>
<p>自分でコントロールできるものとできないものがある。</p>
<p>１）直接的にコントロールできるもの：行為、思考</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）間接的にコントロールできるもの：感情、生理反応</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３）コントロールできないもの：過去、他人</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→自分がコントロールできないものにフォーカスせず、コントロールできるものにフォーカスする。すべてが自分の思い通りになることはあり得ず、自分が置かれた環境の中で自分をコントロールし自分の自由を保つことが大事＝『真の自由は自分の心の内面にある』。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">７. 選択理論の実践・応用</span></p>
<p>１）医療(リアリティ・セラピー)</p>
<p>現実療法：薬を使わずカウンセリングにより治療するもの。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）学校(クオリティ・スクール)</p>
<p>日本では認定されていないが米国で実践されている。自分で色々なことを選び、学ぶ。子供が学校から帰りたがらないという悩みがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３）マネジメント(リード・マネジメント)</p>
<p>強制的でない心理的安全性にフォーカスしたマネジメント。どうすれば本来人が持っている能力を引き出せるかを選択理論心理学に基づき実践。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">８．まとめ</span></p>
<p>１）人の動機付けは内側から。人は誰しも内側にある基本的欲求を満たそうとして行動する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２）「自分は正しい、相手は間違っている」と考えて、自分の願望に固執するのではなく、それぞれの上質世界は違う、と考えて優先する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３）相手を変えることはできない。自分にできることは、自らがコントロールできること（行為と思考）をより良い人間関係を築く方向に向け、効果的な選択をすることである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">９．最後に</span></p>
<p>選択理論の「幸せ」の定義は「5つの基本的欲求がバランス良く満たされた状態」。</p>
<p>現在どの欲求が満たされていないのかを考え、その欲求を満たすために時間を使うことで幸せを手にいれることができる。私自身様々なチャレンジを行っている。選択理論に出会ってからプロスピーカーとしての講演、企業の研修講師を行っているが、現在、社会保険労務士資格にチャレンジしている。還暦を迎えてのチャレンジは遅いと思われるかもしれないが今がベスト・タイミングと考えている。自分が一番大切にしていることを何かを考え、選択、コントロールし自から率先して動き出すことが自分の幸せにつながり責任と考えている。その思いを込めて著書のタイトルを『私から、はじまる』とした。選択理論を世の中に広めることによりいきいきとした社会をつくることに少しでも貢献できればと思っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>質疑応答</h3>
<p>質問者　今村暢子さん　94期</p>
<p>Q:プロフィール・チェックをしても自分の真の欲求や本当の自分を知ることは非常に難しい。どのようにして自分を知ることができるか。</p>
<p>A:自分の本心を知ることは難しい。過去を客観的に振り返ると、どんな時にどんな感情が動いたかがより分かるようになるのではないか。例えば、毎日自分の思考や行為をノートに書きだすのも一手。自分の思考を言葉で目に見えるようにすることで、自分が何を考えているかを知るのに効果的ではないか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者　山崎哲朗さん　84期</p>
<p>Q:教員の研修もやっていた。奥様が同じくプロスピーカー。ビジネスの世界の他に学校現場での講演会の経験は？</p>
<p>A:自分ではやっていないが講演会は学校でもやっている。野球で有名な花巻東高校では、全校で始業前に特別な手帳を使って自分自身のやりたいことを書き出す等をやっている。大谷選手も学んだ。また、岐阜市では教育に導入されつつある。市長が選択理論心理学を学ばれ行政にも取り入れようとしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>質問者　広本治さん　88期</p>
<p>Q:Quality Worldとは自分自身がこうなりたいというイメージ写真をもつことか</p>
<p>A:イメージ写真自体は願望であり多くの願望が貼られているアルバムがQuality　World。自分自身のみではなく自分が一番大切にしている人、現実に起こったこと、起こったらよいこと等、自分自身に限らず幅広い世界。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">記録：葛野正彦（88期）</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td>①<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/06/20240515東京六稜俱楽部レジュメ.pdf" target="_blank">20240515東京六稜俱楽部レジュメ</a></p>
<p>②<a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/06/欲求のプロフィール・チェックリスト.pdf" target="_blank">欲求のプロフィール・チェックリスト</a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【256回】4月「現代美術と私」</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6434</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/?p=6434#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 09 May 2024 06:27:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tokyo]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[2024年度]]></category>
		<category><![CDATA[講演録]]></category>

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		<description><![CDATA[井上 直さん＠79期]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<table cellspacing="12">
<tbody>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅰ．日時</th>
<td>2024年4月17日（水）11時30分～13時00分</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅱ．場所</th>
<td>バグースプレイス　パーティルーム</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅲ．出席者数</th>
<td>41名（会場　29名、zoom　12名）　うち79期　会場8名、zoom　4名</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅳ．講師</th>
<td>
<h4>井上 直さん　79期（画家）</h4>
<p>1982　個展(ギャラリー 手、東京)</p>
<p>1983　個展 (ギャラリー Q、東京)</p>
<p>1984　個展 (ギャラリー Q、東京)</p>
<p>1986　個展 (ギャラリー手、東京）</p>
<p>1990　個展 (日辰画廊、東京)</p>
<p>1991　第２０回現代日本美術展</p>
<p>1992　第２１回現代日本美術展　賞候補</p>
<p>1993　第２２回現代日本美術展</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>個展 (日辰画廊、東京)</p>
<p>1994　第２３回現代日本美術展</p>
<p>1995　第２４回現代日本美術展　東京国立近代美術館賞</p>
<p>1996　超女流展 (大川美術館、群馬)</p>
<p>1997　第２６回現代日本美術展　賞候補</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>個展 (日辰画廊、東京)</p>
<p>1998　多摩秀作美術展 (青梅市立美術館)</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>第２７回現代日本美術展</p>
<p>1999　点から展へ &#8217;99 (Space u、群馬)</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>The Millennium Exhibition (Modern Art Gallery、ロサンジェルス)</p>
<p>2000　International WaterMedia 2000 (Gallery of Contemporary Art、コロラドスプリングス) 銀賞</p>
<p>2001　アート G. アースリング展 (有鄰館、群馬)</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>個展 (日辰画廊、東京)</p>
<p>2002　多摩秀作美術展(青梅市立美術館、東京)</p>
<p>2004　個展(アートスペース・キムラ ASK?、東京)</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>ルタン選抜展 (るたん画廊、東京)</p>
<p>2005-6 　岡島弘子、水野るり子、相沢正一郎と共に長編同人詩誌「ヒポカンパス」に参加</p>
<p>2006　ヒポカンパス詩画展(アートスペース・キムラ ASK?、東京)</p>
<p>2007　&#8221;茶色の朝&#8221;展(ナノリウム、山梨)</p>
<p>2008　個展(アートスペース・キムラ ASK?、東京)</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>Art AsiaーMiami Art Fair(ギャラリーQ ブース)</p>
<p>2009　Exhibition&#8221;The Clear Landscapeー透明な風景&#8221;(ギャラリーQ、東京)</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>個展(ギャラリー・ブロッケン、東京)</p>
<p>2010　ゴールデン・コンペティション(O美術館、東京)</p>
<p>2011　個展(アートスペース・キムラ ASK?、東京)</p>
<p>2013　「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」（茨城県近代美術館、茨城）</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>「開館25周年記念大川美術館の軌跡」（大川美術館、群馬）</p>
<p>2014　個展(アートスペース・キムラ ASK?、東京)</p>
<p>2017　個展(アートスペース・キムラ ASK?、東京)</p>
<p>2019　アートスペース・キムラ ASK?より画集「NAO INOUE」発刊</p>
<p>2020　第23回岡本太郎現代芸術賞展</p>
<p><span style="color: #ffffff;">000000</span>Face2020 (損保ジャパン日本興亜美術賞展)</p>
<p>2021　個展(アートスペース・キムラ ASK?、東京)</p>
<p>2023　個展(コバヤシ画廊、東京)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>◆Collection</p>
<p>1995　東京国立近代美術館</p>
<p>2001　大川美術館</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅴ．演題</th>
<td><strong>『現代美術と私』</strong></td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅵ．事前宣伝</th>
<td>初個展からもう42年になりました。今日は「現代美術」という聞きなれない分野の話と「白衣」を扱っている私の作品を見ていただき、どうしてそんなものを扱っているのかうまくお伝えできれば、と願っております。<br />
「現代美術」というのは美術史において20世紀後半の第２次大戦後(1950年以降)から21世紀までの美術を指しています。特にコンセプトが大事になってきた1970年以降の美術を指すことが多いです。そのきっかけを作ったのはマルセル・デュシャンという作家で、男性便器を「泉」と名付けて展示したことで有名です。作った人だけで作品が完成するわけではなく、見る人、即ち鑑賞者が「作品を起点に思考を巡らし、鑑賞者の中で作品が完成すること」が現代アートなのだという新しい考え方を生み出した人です。しかしそう言われてもよく分かりませんよね。私の作品を見ていただきながら少しずつ分かっていただければと願っています。<strong>【紹介者　樋口容視子さんの言葉】</strong></p>
<p>高校１年生から交流、卒業後海外での生活が12，3年続き、画家になられたことは帰国後知りました。帰国後個展に誘われ、その場で所望しましたが画廊では売ってもらえず、自宅まで押しかけ、「女たちの森」というペンシル画をゲットしました。これまで個展には欠かさず伺い、同期の皆で会食をするのも楽しみにしています。井上さんの絵は、最後まで時間をかけて丁寧にゆっくりと描かれ、一つが大きい、ピュア、ストイック、純粋なところに特徴があると思っています。</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅶ．講演概要</th>
<td>初めまして。井上　直と申します。本日はお忙しい中をおいでいただきまして、ありがとうございます。今日は「現代美術」という聞きなれない分野の話と病院のお医者さんが着ている「白衣」を扱っている私の作品を見ていただき、どうしてそんなものを扱っているのかうまくお伝えできれば、と思います。「現代美術」というのは美術史において20世紀後半の第２次世界大戦後、1950年以降から21世紀までの美術を指し、特にコンセプトが大事になってきた1970年以降の美術を指すことが多いです。そのきっかけを作ったのはマルセル・デュシャンという作家で、男性便器を「泉」とタイトルを付けて展示したことで有名です。作った人だけで作品が完成するわけではなく、見る人、即ち鑑賞者が「作品を起点に思考を巡らし、鑑賞者の中で作品が完成すること」が現代アートなのだという新しい考え方を生み出した人です。しかし、そう言われてもよく分かりませんよね。私の作品を見ていただきながら少しずつ分かっていただければと願っています。（資料２枚目）これは私の略歴です。今日、私を紹介して下さった樋口さんはごく初期の個展から見て下さっていました。本当にありがたく思います。まず生まれは「富山」で３才まで居ました。</p>
<p>・私の色彩感覚が白から黒に至るトーンを軸にしていること</p>
<p>・暖かさより冷たさを好み、シーンとした世界が好きなこと</p>
<p>・そして油より水─それも透明な水を好む傾向があること</p>
<p>このようなことはもしかしたら生まれた場所のせいではないかと思っています。</p>
<p>どんな人も子供から大人に至る成長過程で様々な挫折を味わうわけですが、私の場合も高3で肋膜のため4ヶ月休学しました。担任の田上泰昭先生の影響を受けてボーヴォワールやサルトルを読み始め、みんなが受験勉強をしている時に家で本ばかり読んでいました。丁度その年は1966年、サルトルとボーヴォワールが日本に来た年です。その２年前、サルトルはル・モンド紙で「文学は飢えた子を前に何ができるか？」と世界に問いかけ、田上泰昭先生のクラスでは国語の授業を潰して皆でこの問題について話し合った記憶があります。アンドレ・ジイドの「一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし。」は、忘れられない言葉です。私が、コンセプトが大事とされる現代美術に興味を持ったのもそんな理由ではないかと思います。</p>
<p><strong> </strong></p>
<p>（資料３枚目）</p>
<p>絵をやるようになったのは結婚し、子供達が幼稚園に行きだしてからです。台所のテーブルで鉛筆だけで描きだしました。</p>
<p>一応デッサンだけは自由美術の先生について３年間勉強し、鉛筆だけで制作を始めました。1982 年初個展を開いた「ギャラリー手」は当時の美術を牽引していらっしゃる方たちが多く出入りしていらした画廊の一つでした。</p>
<p>これらはキメの細かいケント紙に「鉛筆」だけで描いた初個展の作品です。「絵を描くこと」と「自分自身を見つめること」が同じことだ、と思っていて、私という人間の奥にあるものを正直に出そうとしていました。そうすれば、それはきっと他の人の心の奥にもある、と信じていました。左の「最も静かな時刻」は同じような構図で、絵の上や絵の周囲に文字を書いたりして３枚ほど描いています。右の「命の海」も３部作で海に浮かんでいるものがだんだん増えていくような表現を試みています。8Hという薄い色から6BやEB と呼ばれる濃い色の鉛筆のトーンが大好きで、約10年もやっていました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料４枚目）</p>
<p>左の絵は縦160cm横210cm と大きな作品で、中性ケント紙に描かれており、毎日新聞社主催の「現代日本美術展」に初入選した作品です。「現代日本美術展」は全国から1500点位の応募数で150点位入選する結構レベルの高い美術展でした。当時はバブルの終わり位で、美術の世界にもお金があり、各美術館が美術館賞を設けていたので、多くの作家が目標にしていました。ここにカタログを持ってきていますので、ご興味がおありになる方がいらしたらご覧になって下さい。素晴らしい作品が沢山載っていますし、錚々たる方達が審査員です。私は大きなケント紙が日本にはなかったので、ニューヨークからロールで輸入しました。それまで描いてきた「日常のもの」と「線」、「小鳥、ヤモリ」等を「カレンダー」を中心に描いて、私の生きてきた時間が見えてくることを意図しました。</p>
<p>右の絵は「伝説の森で」という作品で、やはり現代展に出した作品です。まず刷毛でアクリル絵の具を載せ、上に5ヶ月かけて落ち葉を描いて、木炭で瞬間的な線を入れるという仕事です。</p>
<p>現代日本美術展に作品を出すようになり、結局は７回参加したわけですが、他の作家たちの作品を見たことは自分を客観的に見る上で大変よかったと思います。私は鉛筆を使ってじっくりものを見る「時間」と、鋭い線で引いた「瞬間」という「時間」を対比させ、時間を目に見えるようにしたいんだ、と自覚しました。今日、始めてお聞きになる方には分かりにくいと思うので、簡単な図式にしてみました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料５枚目）</p>
<p>「死」をどう考えるか、は人それぞれです。これは私が高３の時に田上泰昭先生に教わりました。確かレマルクの「凱旋門」のお話をして下さった時だと記憶しています。主人公のラビックが「サリュート」と言って乾杯する。でも、彼は「あれはあの時に終わりにしなければならなかった」というようなことを言う。18歳の私はその意味が分からなかった。時間というものについて考えたことがなかったのだと思います。私たち人間は「誕生」から「死」まで一方通行の時間を生きているわけで、それを今、グレーの線で表します。若い方はこの辺り、私はもうこの辺りです。ただ人間はその時間だけで生きているわけではないと先生はおっしゃいました。それに属さない時間、一瞬のうちに「永遠」を感じる瞬間があると。子供の頃初めて海を見た時、初めて人を好きになった時、あるいは夫婦がこれが最後だと思って一緒に桜を見る時、一瞬のうちに「永遠」を感じる時間が人生にはあるはずで、それを今、青の線で表してみます。時々この青の瞬間を味わうためにはグレーの時間を縮めてもかまわない、と思う人もいます。グレーと青が交差するこのオレンジの瞬間、人は自分の生きているこの「生」を、どんなにか愛します。しかしそれは二度と味わえないのですから、その時人は人生を愛すると共に「人生の哀しみ」もまた味わう─「愛」は「哀」と重なるのではないかと先生はおっしゃいました。遅かれ早かれ、全ての人に「死」は来ます。私にとって「絵を描く」とは、一瞬のうちの「永遠」を留めようとする行為に近いと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料６枚目）</p>
<p>1992年に私はアトリエで使っていた白衣をデッサンして左側の作品にしました。そして出来上がってみると、「人間」その中でも特に「現代の人間」を表すのに「白衣」は向いているように思いました。現代の人間は、多少なりとも個性を奪われていて、空白感から逃れることができません。「人間の価値」とか「人間の生涯」とか「人間の尊厳」とか、私たちは「人間」という言葉をよく使います。それは人種や性別、それに年齢を越えています。しかし言葉や概念としてはあっても、美術に表されたかたちとして「人間を表すもの」はない。この絵をきっかけに私は「鉛筆」と別れ、「白衣」で「人間」を表そうと思い始めました。「白衣」は作者である「私自身」であり、鑑賞者自身にもなるわけで、マルセル・デュシャンの言った現代美術の始まり、「作品を起点に思考を巡らし、鑑賞者の中で作品が完成すること」にもなるな、と思いました。</p>
<p>それから２年後の1994年に、「最後の朝」という作品を描き、それが思いがけなく東京国立近代美術館賞を頂きました。今、この作品を見ると、塔の上の白衣は個別の人間の最後の姿とも見えますし、人類の最後を象徴しているようにも見えます。　当時私はスタニスラフ・レムという人の「砂漠の惑星」という本を読んでいました。レムは「ソラリスの陽の下に」という小説で有名なポーランドの作家です。ポーランドでは日本における夏目漱石のような存在です。「砂漠の惑星」には地球外生命が出てきて、私たちは、人間を人間たらしめている最低限の要素って何だろう？　と考えさせられます。私も地球外生命のようなものを描いて、どこかSF の世界を連想させるような試みをしています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料７枚目）</p>
<p>1996年私は桐生にある大川美術館の「超女流展」という企画に参加することになりました。しかしその頃、プライベートな生活に事件が起こりました。25年一緒に居た夫に癌が見つかり、すぐ手術したのですが手遅れで、残り時間が限られているという深刻な事態になりました。当時の私としては「超女流展」のために何か描くとしても、その状況を描くしかなく、これは「もしその時が来て自分に死の使者が訪れるとしたら、どんな場所で会いたいだろうか？」と思って描いた絵です。「使者を待つ森」といったタイトルです。大川美術館の故大川栄二館長には多くのことを教えていただきました。また松本竣介を初めとする美術館の作品から様々なことを学びました。左の絵は大川館長に非常に気に入っていただけて、今は大川美術館に収蔵されています。</p>
<p>1997年3月に夫はホスピスから自分で挨拶状を出し、家族に見守られて他界しました。右の絵は当時の空虚な気持そのものです。「25時のアリア」というタイトルです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料８枚目）</p>
<p>私が状況を受け入れるまで、だいぶ時間がかかりました。その間、死後の世界を色々と想像したりもしました。この絵はその表れで、「レクイエム」というタイトルです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料９枚目）</p>
<p>この絵はドローイングですが、同じ絵を2012年にキャンバスで描き直しています。夫の死後、私は晴れている限り多摩川へ出かけました。ただ夕陽を見て帰ってくる、それで何とか日々をやり過ごしました。多摩川べりを見ると、あちこちにポツンポツンと人が立って夕焼けを見ていらっしゃる。何千年も前から続く夕焼けの中に立っていると、52才で逝った夫も平均寿命まで生きたとして87才の私も、そう違いはない、誤差の範囲じゃないか、二人共100才には届かなかった、と思えばいい、そう思うと何だか救われる気がしました。「千の種族」というタイトルです。悲しみはそれぞれ違っていて、千人の人が居たら、千種類の悲しみがある、ということからつけました。2013年の茨城県近代美術館の「二年後、自然と芸術、そしてレクイエム」という展覧会のポスターになりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料10枚目）</p>
<p>夫の死から5 年ほど経った頃、私はポーランドに出かけました。多くの人が犠牲になった歴史を持つ国に行き、「個人の悲しみ」が個人を越えた「集団の悲しみ」に繋がり、「全ての人間の悲しみ」に繋がっていくことができるだろうか、という気持もありました。しかし、アウシュビッツの衝撃は大きく、しばらく画面に向うことができませんでした。これは半年経ってようやく描いた絵で、「森林におおわれて」というタイトルです。犠牲になった方と傷を持った大地に対する、ある意味での「レクイエム」です。大きな絵で縦約２m、横約3.5m あります。昨年5月のコバヤシ画廊での個展で20年ぶりに展示しましたので、ご覧になって下さった方もいらっしゃると思います。20年経ってみますと、何だか屏風のようで、自分が日本人だなぁと思いました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料11枚目）</p>
<p>私は、都心に出た帰り道、電線に布切れが纏わりつき風に揺れている様子を見て、あれは私だ、と思ったことがあります。　この「V 字鉄塔」というのは実際にカナダや南アフリカで見られる鉄塔です。少し見えにくいかもしれませんが、空には電線が放射線状に伸びており、見る人は柵の内側に居ることを感じさせるように描かれています。夫は雷の研究者で、世界中の鉄塔を調査していたので、遺品の中に沢山鉄塔の写真が残っていました。そこからイメージした作品で、縦約２m、横約3.9m の大きな作品です。</p>
<p>2020年に第23回岡本太郎現代芸術賞展に入選しました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料12枚目）</p>
<p>右の絵は2013年茨城県近代美術館の「二年後、自然と芸術、そしてレクイエム展」にも展示されました。両方の絵には「亡くなった人」と「残された人」が対面するようなかたちで描かれていますが、水平線へ「亡くなった人」を追っていく視線は、残された人へ繋がり、手前へもどってくるようにも見えます。そこには「生」から「死」へ、「死」から「生」への繋がりが感じられます。残された人は折にふれ亡くなった人と対話しながら残りの人生を生きていくわけです。いずれは自分も死者の仲間入りをするわけですから、亡くなった人から「生きる意味」さえ教えてもらうことがあります。そうやって死者は生きている人の中で生き続け、それが積み重なって人の歴史は創られてきたのではないか。そして、もし死者の声が聞こえるような気がした時、あるいは死者を呼ぶ声が届いたような気がした時、それは「永遠」につながる一瞬と言えるのではないか、と思いました。私の絵は一応現代美術の中に入るわけですけれども、私自身は自分の中にある普遍的なものを追っていき、その結果、「生」と「死」、そして「時間」、人間にとって時代を越えて重要なものに辿り着いたということだろうと思います。そのような抽象的なものをかたちにするために「白衣」を必要としたのです。この絵の中で白衣は生きている人間でもあり、死者にもなっています<strong>。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料13枚目）</p>
<p>初個展から30年位経ったある日、自分がこのまま絵を描き続けて死んだら、私は自分の一生をどういう風に思うだろうと思いました。しばらく考えて、私は自分が『美術』という大きな象を飼っていた、と思えばいいじゃないかと思いました。また、しばらく考えていると、いや、サラリーマンの人だってビジネスという象を飼っている、農業をしている方だって稲や野菜を育てるという象を飼っている、と思うはずだと。そんなことからこの絵が生まれました。200号の大きな絵です。この絵の中でこちら側にはもう死んだ人、あちら側はまだ生きている人、その途中の人もいて、全て「白衣」で表現しています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料14枚目）</p>
<p>2008年にギャラリーQがマイアミ・アート・フェアーに作品を持っていってくれまして、「答唱」は初日にNew Yorkの画廊に売れました。でも、どうやら転売目的だったようで、その後、絵はどこへ行ったか分からなくなってしまいました。悔しかったので、元の小さい絵を大きく描き直しました。考えてみると、儀式のように輪になって集まっているのはとても「人間らしい行為」です。それを強調するために元の絵にはいなかったトナカイを加えてあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料15枚目）</p>
<p>左の絵は「森の夜」と題する縦194cm横164cmの絵です。白衣は複数いますが、皆孤独です。雪の面に樹木の影が波打っています。こういうシーンとした空気が好きで何度か描いています。</p>
<p>右の絵は「森の奥へ」、縦162cm横130.3cmです。ポツン、ポツンと人が森の奥へ消えていきます。先はホワイト・アウトしていますから見えません。死の象徴であるカラスが一羽飛んでいます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料16枚目）</p>
<p>これは大川美術館に収蔵されている「使者を待つ森」をもう一度キャンバスでやり直してみた作品です。水に映った部分と実際の部分が対照的に描かれていますが、水面は一部色が変えてありますし、落ち葉が浮かんでいます。「晩年」というのは皆どこか自分を見つめながら「使者を待つ森」に居るのではないでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料17枚目）</p>
<p>これはコロナのせいでずっとできなかった個展を、４年ぶりでした時に発表した「谷戸の蛍」という作品です。カナダの作家アン・マイクルズが「儚い光」という本の中で「わたしは知っている。なぜ人びとが死者を土に埋め、そのうえに考えうるかぎりいちばん重く永続的なものである石をのせるのかを。そうしないと大気のなかに死者がみちあふれてしまうからだ。」と。その文章をイメージして描いた世界です。蛍の丸の中に白衣が入っています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料18枚目）</p>
<p>これらは右も左も164cm四方の作品です。</p>
<p>左は「月明かりに」というタイトルで、夜、星空の下、シシリアのカタコームの間を重そうに荷物を運ぶ白衣がいます。カタコームというのはカタコンベとも言って、死者を葬る埋葬場所のことです。2020年の損保ジャパン美術賞展に展示されました。</p>
<p>右は「兆しだけになった羽ばたき」というタイトルです。こちらはスパルタの遺跡の上を白衣が飛んでいます。丁度ウクライナで戦争が勃発していました。戦さの民であるスパルタは隣国を侵略していたわけですが、現在のロシアも同じことをしているという暗喩を込めて描いています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料19枚目）</p>
<p>左の絵は「旅の終わり」というタイトルで162cm四方の作品です。旅が終わって、船のオールも倒しているようだし、船着場の葦も力尽きたように倒れている。私は、自分の最期はこんな感じかな、と覚悟しています。</p>
<p>右の絵は「ここからは未知の場所」。やはり真四角の作品です。森の中へ人が順番に入っていく。地面は歩きにくそうです。どんなことが待っているのか分からないけれど、歩くしかないようです。</p>
<p>両方とも人の生涯のある場面を象徴的に表現しようとしています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（資料20枚目）</p>
<p>皆さんの中には、様々な分野で活躍し、お仕事をやり終えた後、充実した人生だったな、とお思いになる方もいらっしゃるでしょう。そんな方ならこんな風に旅立てるかもしれません。縦162cm、横194cmの「黄金色の船出」です。</p>
<p>お分かりのように最近の私の絵は「生」と「死」、それを巡る「時間」が色濃くテーマになっています。もっと明るく、楽しい、幸せな絵は描けないのか、と問われたことは一度や二度ではありません。「表現とは作品の泣き顔のことなのだ。」と言ったのは哲学者のテオドール・アドルノです。少し前に表をお見せしましたが、人間は死すべき運命を背負った存在なのですから、時を「愛する」ということと、「悲哀」を感じるということとは切っても切れない裏表の関係にある。それを表現する作家でいたいと願って「白衣」を選んでいます。これで最後ですので、これでも私の中では比較的明るい作品を選びました。</p>
<p>本日は私の個人的な長い話を聞いて下さって、本当にありがとうございました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>質疑応答</h3>
<p>質疑応答については、講演者とも相談し、概略を記すことにしました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>会場では、橋口喜朗さん＠78期、簑島紘一さん＠75期、秋下貞夫さん＠69期、黒岩暎一さん＠75期、オンラインでは、広本治さん＠88期からそれぞれご質問、ご意見がありました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>印象に残ったお話としては、</p>
<p>高校時代、美術部に在籍しておられた時期の思い出（美術部顧問の岡島先生のこと、下校時に登校してくる定時制高校生とのすれ違いのことなど）。</p>
<p>画材として、油ではなくアクリル絵具を30年以上使って描かれるようになったこと。</p>
<p>絵を描くのは、組織で働く人と違い、若い人も後期高齢者も同じ土俵に立つので、高齢になると感性や体力で劣る分、哲学的なものの見方をするようになるのではないか。</p>
<p>良い線を描くために、スケッチブックと４Bの鉛筆を持ち、何年もジャズ喫茶に通い、一晩で１冊のスケッチブックを描き、山のように線が溜まったこと。</p>
<p>お好きな音楽（グレン・グールド）や映画（最近のウクライナ映画祭）のこと。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>（ご参考）</p>
<p>以下のアドレスに、講演者のブログがあり、近況や個展のお知らせが出てきます。2012年3月1日に「K高校美術部」という記述があります。</p>
<p><a href="https://www.a-happy.jp/wp/nao/">The daughter of Eve’s Blog | Just another a Happy Blog2 site (a-happy.jp)</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;">記録：山本直人（85期）</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th align="left" valign="top" width="100">Ⅷ．資料</th>
<td><a href="http://www.rikuryo.or.jp/activity/tokyo_club/wp-content/uploads/2024/05/東京六稜会2024-04-17-井上-直さん資料★確定版.pdf" target="_blank">東京六稜会2024-04-17 井上 直さん資料★確定版</a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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