小林竑一さん@76期(アーバンデザイナー・ランドスケープアーキテクト)
鳥取県倉吉市うまれ。1968年、京都大学農学部林学科造園学講座卒業。1969年、技術移民でカナダへ。1972年、カリフォルニア大学バークレー校を卒業(Master of Landscape Architecture)。1976年に米国ワシントン州シアトルに拠点を置き、現在まで50年以上の経験を持つ。中国・中近東で5年間以上、EDAW、AOYA、IDU、SEDグループなどと協力して蘇州、上海、深圳、ドバイで計画・設計ディレクター。また、大学での教職や数々のコンサルタントを務める。実務から引退後は、日本庭園関連の研究・出版、そして作庭を行っている。2024年、世界における日本庭園をテーマにLNUで博士号(PhD)を取得。

名倉 幹さん@93期(真宗大谷派(東本願寺)僧侶・北米開教使)
1962年京都市生まれ。神戸大学経営学部卒。住友銀行等実業人生活19年を経て、2006年5月真宗大谷派(東本願寺)にて得度。「親蓮坊いのちとこころの相談所 聞(もん)」を開く。2008年8月東本願寺ハワイ別院に赴任。2012年11月にニューヨークに渡り、静坐会、法話会を現地をベースに南米コロンビア、ヨーロッパ、日本で開催、現在に至る。ニューヨーク在住。

BAKIBAKIさん
1978年大阪生まれ。2001年、京都市立芸術大学在学時に “DOPPEL”として活動開始。
日本のサブカルチャーに着想を得て、古来の紋様を現代に更新した“BAKI柄”は、21世紀を代表する和柄を志している。クラブやフェスなど音楽の現場におけるライブペインティングをルーツとしながら、現在は建物の外壁画/パブリックアートに注力し、国内外で活動を展開。
近年の主な仕事に、台南市美術館壁画(2016)、大阪国際空港壁画(2018)、ポーランド貿易庁壁画(2024)、大阪・関西万博壁画(2025)などが挙げられ、POW!WOW!TAIWAN(2015)、The Wallriors/台湾 (2019)、Varanasi Art Project/インド (2019)、DUK Festival/セルビア(2023)など、海外の壁画フェスティバルにも招聘されている。
2021年に大阪・十三を中心にした壁画プロジェクト”淀壁”を発足し、2025年の大阪万博に向けた地域活性化と国際文化交流に貢献している。
金水 敏さん@87期(放送大学大阪学習センター所長・大阪大学名誉教授)
1956年、大阪府生まれ。北野時代はオーケストラ部でフルート兼指揮者。前回は第104回で「役割語」についてお話ししました。今回は、4月に刊行された『大阪ことばの謎』(SBクリエイティブ)を踏まえて、大阪弁・関西弁の謎と魅力についてお話しさせていただきます。懐かしい大阪弁のお笑いやマンガのキャラ、CMソング、「探偵!ナイトスクープ」など、大阪弁にまつわるさまざまな話題を盛り込んで話したいと思います。関東でも流行っている「どんくさい」「知らんけど」「ゆうて」など、関西弁由来の流行語についても、なぜ流行るのかという観点から分析していきます。


◎山中先生と一緒に

◎75期の皆さん
山中鷹志さん@75期(河川遡行家・橋梁ウォッチャー)
1944年、大阪府生まれ。北野時代は柔道部主将。1967年、名工大(土木工学科)を卒業して日本道路公団に入社、中央道建設に従事。1970年、本州四国連絡橋公団に入社、瀬戸大橋の架橋に従事する。ここまでの話は第116回トークリレー(2014.3.1)で講演済み。
2009年、橋の科学館館長を退職後、徒歩による河川遡行と橋梁の現況調査をライフワークにし、岡山県の全河川(227)調査を2年間で終える。その後、足は四国4県、広島、兵庫、鳥取、大阪、京都、奈良へと向かい…さらに岡山の橋の5年後を比較調査すべく、再び岡山県内を河川をまわる。調べた橋の総数は、のべ17,748橋、歩行距離は自転車利用も含めて11,158㎞、調査日数は963日となった。日本の川の素晴らしさ、過疎化が進む地方の現況を目の当たりにした。今回の講演では、この「第2章」をお話したい。


◎高松先生と一緒に

◎127期の皆さん
髙松慶さん@127期(QuizKnock動画クリエイター)
1996年生まれ。京都大学教育学部教育科学科卒業。2019年に知識集団・QuizKnockに加入し、現在は運営会社である株式会社batonの社員として、主にYouTubeチャンネル「QuizKnock」のディレクターを務める。趣味は読書とボードゲーム。知識検定1級、日本語検定1級、世界遺産検定マイスターなどを保有する。世界遺産アカデミー認定講師(2024年より)。


◎三浦先生と一緒に

◎91期の皆さん

◎ラガークラブの皆さん
三浦泰夫さん@91期(TIS株式会社EXPO2025推進室長/大阪ヘルスケアパビリオン)
1960年、豊中市で工務店を経営する大工の長男として生れる。父が1970年大阪万博のインド館建設に携わり、開幕前の会場に立ち入る。開幕後は、夜間割引チケットで、数十回万博へ1人で通い、月の石、電気自動車、三菱未来館やみどり館の未来感にわくわくドキドキした。
大学卒業後、みどり館の協賛企業の出資により、万博の翌年に設立された株式会社東洋情報システム(現TIS株式会社)に入社。関空建設、UR等の情報化PRJに参画し、社会基盤システム部長、九州支社長を歴任。2019年EXPO2025推進室設立の社内公募に応募し現在に至る。
大阪・関西万博EXPO2025では、主に大阪ヘルスケアパビリオン(大阪府市館)のメイン体験ルートのアプリ・情報基盤の提供に携わる。
