恩師を訪ねて【第15回】

書に行き詰まって…

阿部俊一先生

    書というのは…やっぱり血筋引くんかな。生まれは大阪で…大正4年。父親がやはり書家で、寺西易堂という有名な書道家のお弟子さんやった。もちろん父もそ の流れをくむ達筆で、自宅にはどの部屋にも「書」が掛けられていたもんです。いわば、幼少のころからそれらを見て育った。
    おまけに母親の名前が「フデ」とくれば…まぁ、できすぎたハナシに聞こえるかも知れんけど…そういう環境の中で、私も自然と書の道を歩むことになった。19歳で初めて小学校の教師になり、その後、女学校でも教鞭を取った。ところが、そうこうするうちに「書」の壁に行き詰まってしまったんやな。これ以上は 頭打ちで…もう、どうにもならないという状態。それで考えた挙句「どうも、書道は小手先の技術やない…人間そのものや」ということに気付いた。その「人 間」を作るにはどうしたらいいんか…。
    これは自分にとっては大問題やった。ちょうどその頃、禊【みそぎ】というものに出会ったわけや。昭和15年…時代は満州事変から世界大戦が勃発しようとしていた矢先に、25歳の私は齢70いくつの二木謙三先生が主宰する「禊の鍛練会」に参加した。

    自分の持てる肉体・筋力以外に、自己の内面に潜む力・目に見えない心の強さ…つまり今の言葉で言う「気」…を引き出す「禊」を教えてくれる、というもので、約一週間の合宿形式の講習会やった。 「禊」そのものは古事記にも記述があるように、日本に古代から伝わる日常の習俗であって、川面凡児【かわつら・ぼんじ】という哲学者によって集大成された。私はその行法を二木先生の禊会で初めて体験したわけや。
    川面先生はいわゆる宗教学者で、著書はすべて漢文で記されていて、哲学的で難解であったのに対し、二木先生は医学博士やったから、その教えは非常に解りや すく実践的なものだった。食を減らし、水をかぶり、振魂【ふりたま】や鎮魂帰神など…8つの行をすることで「深遠で崇高な…言葉では言い表しがたい境地」 に達する。それこそが我々の生きる道である、ということを悟るんやな。

    この禊会で、私は初めて合気道を間近に見ることになった。二木先生が言わはった…「わが国にはこんな素晴しい武道がある。おまえたち若者はタガが緩んでお るが、私を投げ飛ばせる者がいれば前に出てこい」そう言うて、70なんぼの爺さんが道場の真ん中に座らはったわけや。私はその時、柔道3段。 「これを無視して放ったらかしたら失礼やで…行こか?」私は友達と示し合わせて、三方から同時にバーッとかかっていった。そしたら、どないして投げられた か見当もつかない。二木先生には触れることもできず、四方八方へ投げ飛ばされた。これが、かねてより念願の「合気道」との出会いやった。

    聞き手●壽榮松正信(74期)、石倉秀敏(84期)、
    谷 卓司(98期)、中西郁夫(101期)
    収 録●Sep.18,1998
    (吹田市元町の天之武産塾合氣道々場にて)
    Mar.13,1998
    (北野高校武道場にて)
    協 力●佐伯新和(98期)

Update : Jul.23,1999

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