恩師を訪ねて【第27回】


「夜店」の話

村川行弘先生

    昭和25年に北野高校の定時制に赴任しました。戦後の学制改革で「高校」になった直後…大手前と行ったり来たりの時です。私らは全日制から「夜店」て言わ れてましたけど(笑)、その定時制に10年近くお世話になりましてね。昭和32年に全日制に移ってから20年…昭和50年までおりましたからねぇ。その後 また54年まで定時制で。北野とは都合30年ほどのお付き合いになりますかな。昭和25年の頃というのは社会変動のひどかった時ですから、今まで全日制に通っておった人が、家庭の事情で「到底、無理や…」ということになり、自分で働 きながら学ぶ…そういう選択をした結果なんですね。ですから、その頃の定時制の卒業生は、比率からいうと、全日制の卒業生よりも大学合格率が高かった。そ の頃の全日制からは一橋大学なんかはなかなか合格してくれないんですが、定時制からは合格すると。そういう状態だったんです。
    大阪市長の磯村さんが昭和25年3月の卒業。ちょうど私と入れ替わりに北野の定時制を卒業してます。大阪市大の学長をしている児玉隆夫さんも定時制の出 身。それから大阪経法大で学長している藤田整さん、この人も卒業生です。この人が定時制から一橋大へストレートで合格した人ですわ。しかし、授業料が払え ず、安い給料から補助したり、立替えしたりして援助した人もおりますが、残念ながら除籍になった人もあり、つらい時代でした。

    私は両方かけ持ちしてましたからね。昼には「定時制ぐらい頑張れよ…お前ら勉強以外することないんやから。定時制は働きながら片手間で勉強してるのに、全 力上げてるお前らが大学に通らんと言うのは相当、恥ずかしいのんと違うか?」言うてね(笑)。夜は夜で「全日制は一日中勉強やっとるで。お前ら片手間で受 験なんて無理と違うか?」とか言うて。両方で焚き付けとった(笑)。

    全日制勤務の20年間いうのは、悪いけど…発掘調査で頭の中一杯やったからね(笑)。いつも早う帰ってしまうんで知らんかったんですが、昭和50年頃にな ると定時制の生徒がバイクで階段上がったり、廊下走ったりしとる、と。それを聞きましてね。「そんなこと許してるとはどういうこっちゃ」思うて、詳しく聞 いてみたら「およそ学校の形態を成してないらしい」いうことが分かってね。「これはエラいこっちゃ」いうわけで。やっぱり永年お世話になった、ちょっとお 礼返しせんといかん…思うてな。
    体育科の野々村先生に頼んでラグビーのボールを幾つか貰うて…そういう連中を集めてラグビー部を作ったんです。21時に授業が終わりますからね。それから 22時までベランダに座ってラグビーさしました。根はいい子ばかりでしたからね。ラグビーで発散さしといたら、もう、ヤンチャしてる暇がないんですわ。 帰ったら寝てバタンキュー。そしたら私も面白なってきてね。ずっとラグビー部の応援してましたわ。

    聞き手●石田雅明(73期)、小林一郎(78期)、谷卓司(98期)、矢野修吉(101期)
    収 録●Jun.23,2001(北野高校校長室にて)

Update : Apr.23,2001

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