恩師を訪ねて【第32回】


76期卒業アルバムより(1964)

封印されるべき歴史もある

村川行弘先生

    いつまで経っても北野は心の郷里です。素晴らしい連中ばっかりでしたからな。悪い奴いうても、みんな理性を持っていますからね。ほんとに芯から悪人なん か、おりませんがな。
    いろんな事件には遭遇しましたよ。これでも30年近く…北野で教師稼業をやってきたわけですから(笑)。着任当時は自殺者が多くてね。心中しよる連中も おったし。昼も夜も走り回らされました。何しろ、あの頃は校内に「死のう団」みたいな仕組みができてたでしょう。「穴掘り」ばっかりしてたイメージがある と思いますが、どういうわけか、そういう現場には居合わせるんですよ。定時制の女の子が殴り殺されて、死体が教壇の下に隠されていた…という事件もありました。犯人は外部の者の仕業だったのですけれど、あの時ばかりは尊敬し ていた校長も軽蔑しましたね。慌てふためくばかりで。教頭はそれ以上に動転していますし。
    事故処理にあたった教頭と先生方は、やりどころのない悔しさと屈辱・心労を経験しました。皆さん、胸に秘めておられますが。

    連合赤軍の森恒夫ですか?彼は教えましたからよう知っています。75期でしょ。浅間山荘事件の時に公安が北野にも取り調べに来ましたよ。そんなんね…卒業 して10年も経った子のことなんか…もし担任してたとしても、よう判りませんわ。高校生時代は普通の真面目な子やったと思いますけどね。思想的に影響を与 えるようなことは北野高校ではやりませんから、専ら大学へ入ってから偏って行ったんだと思います。

    「吹田事件」の時はね。心配になって阪大から西国街道を通って、吹田へ向かう生徒の後を着いて歩きました。そうしたら私のほうがだんだん興奮してきてね。 「石を投げつけよう」思って石を掴んだら、反対に生徒に制された。「先生…投げたらイカン」と。70年安保の時もひどかったですけども。そういう危険な時 期が、時々ありましたね。

    何ででしょうかね。社会の世情不安がそうさせるのか。そして、どういうわけか、私は運が悪くて、他の先生以上にそういう現場を体験してしまう運命にありま した(笑)。ほんまに辛いんですよ。
    しかし、こればっかりは「当事者しか知らん」いうことが、ようけありますわ。歴史には静かに封印されるべき種類の事実もたくさんある、ということです。 『北野百年史』にも少しだけ触れましたけどね。ちょっとだけ…その範囲を越さんようにね。

    聞き手●石田雅明(73期)、小林一郎(78期)、谷卓司(98期)、矢野修吉(101期)
    収 録●Jun.23,2001(北野高校校長室にて)

Update : Sep.23,2001

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