Salut! ハイジの国から【第10話】 まえ 初めに戻る つぎ

TRUE BLUE & SHINE

  このエッセイを読んで下さっているお母さん方にはご経験がおありでしょうか? 出産後の女性が育児疲れや環境の変化などから心身に異常をきたすというマタニティーブルー。 ちょっとしたことにも敏感に反応し、イライラしたり涙を流したり。

  長女出産後二ヶ月ほど、夜中の授乳で疲れて精神的に不安定だった時期はありましたが、大して深刻ではありませんでした。ところが次女出産後、何と一年もこの病気を患ったのです。 出産前後に手伝いに来てくれていた両親が帰り、夫が仕事と音楽活動で忙しかった頃、私は3歳でまだまだ手のかかる長女と、赤ん坊の世話に疲れ果てていました。 フランス語も人並にマスターし、環境にはすっかり慣れ、知人友人も増えてスイスの生活を満喫している・・・自分ではそう思っていましたが、鬱状態になると全てがネガティヴに思えてきました。 「友人といっても実はうわべだけではないか、スイス人は外国人を嫌っている、働く女性は家事と育児に専念する女性を無能だと蔑んでいる・・・」私は「劣等感の塊」でした。そして最悪なことに、 弱き存在の長女に辛く当たることで欲求不満を解消しようとしたのです。私の生涯で最も恥ずかしい時期であると告白せねばなりません。 「高学歴、かつてキャリアを目指していた女性が家庭に入って幼児虐待に走る」という内容の日本の新聞記事を読んで自分の成れの果てではないかとぞっとしたこともありました。


▲幸せな家族の風景
優しい夫と娘二人に囲まれ、
幸せな家族を築いたつもりだったが・・・。

 
 そんなある日の夜、私の人生を変えた一つの出来事がありました。私はいつものようにアイロンかけをしながら日本のビデオを見ていました。ビデオ鑑賞は当時、唯一といってもいい私の娯楽でした。 音楽番組に、見知らぬ日本のロックバンドが出演していました。彼らの演奏が始まった時、衝撃が走りました。懐かしい、でも、新しい音。「私が求めていた音はこれだ!」と。 画面に飛びつき、ビデオを巻き戻して何度も見ました。

 13歳の時に洋楽・ロックに目覚めたことをきっかけに、西洋文化にばかり目を向けていた私。英語とイギリスが大好きで、それが高じて英文科に進みました。 バブル絶頂期の大手銀行に勤めていても何かしら心は満たされず、辞めてイギリス留学。夫との出会い、ロマンス、結婚・・・。私の人生は決して行き当たりばったりでも運命が狂っていたわけでもなく、 「ロック」を聴いた瞬間から現在までずっと繋がっていたのです。彼らの音を聴いた瞬間、ぐるっと回って原点に戻ってきたような気がしました。  

 丁度、インターネットを始めた頃でした。バンドの情報収集に努め、親や友人に頼んでCDや音楽雑誌を送ってもらいました。ロックバンドの熱狂的なファンになる・・・ここまでは誰にでも良くあることです。 しかし、彼らの音楽や生きざまには、それだけで終わらせないエネルギーが含まれていました。私は彼らの音や存在を通して自分自身に問いかけるようになりました。「自分は一体何をしているのだろう?  ただ愚痴を言いながらぼんやり暮らしていていいのか? 折角与えられた人生を無駄に過ごしていないだろうか?」
 
▲二人の愛娘と
自分らしさを取り戻し、 生き甲斐を見つけたとき、
母としても自信を持った。


  バンドの中でもベーシストの人間性に魅力を感じた私は、彼の言葉の一つ一つが心身に染み込むようになり、自分という人間を深く追究するようになりました。 「誰でも皆、何か一つ光るものを持っている。自身と対話して自分を見つめ直してごらん。きっと答えが見出せる。ありのままの自分を好きになってごらん」

 私は32年の人生をこと細かく振り返りながら、「自分に何ができるか?」と考えてみました。ありのままの自分を見つめ直し、出た答え、それは・・・。 「生涯を執筆活動に捧げる」  

彼らが楽曲の中で歌ったように、「燃え上がる太陽は私のもとにも昇った」のです。


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Last Update: Aug.23,2004