ウィーンの散歩道 〜Mit der Musik【第1話】 初めに戻る つぎ

ウィーン音楽大学に入るまで


 
▲ウィーン音楽大学本校
 2003年4月よりウィーンでの留学生活を始め、今年で5回目の夏をヨーロッパで迎えております。歴史・文化が深く、美しいウィーンで音楽と共に生活できることに幸せを感じています。
 芸術について感じること、日々の暮らし、音楽家としての生活、ウィーンの街、大学の様子等など、 この連載を通じてお伝えできればと思っています。よろしくお願いいたします。


 そもそも京都市立芸術大学時代には留学ということ・・・日本を離れてヨーロッパのどこかで音楽に集中して生活したい・・・そう漠然と思ってはいたものの、はっきりとした場所、理由がみつけられずにいました。また考えるにしても選択肢がありすぎて、自分がどこへ何をしに行きたいのか本当に霧の中にいるようでした。


 ▲シュテファン・アーノルド氏
 もやもやと色々と考えている頃2001年の夏、恩師の師ですばらしい国際的ピアニストをたくさん育てているハンス・ライグラフ氏のレッスンをオーストリアで10日間受ける機会があり、胸を弾ませていた・・・のですが前日になって彼は病気になり、そのアシスタントであるシュテファン・アーノルド氏が急遽、かわりに指導をされることになりました。
 誰だかわからないけど飛行機のチケットも取ってしまっていたたし、練習も渡航準備もしていたのでとりあえず行ってみよう、ということでオーストリアへ向かいレッスンを受けることになりました。


▲ウィーン音大ピアノ科 校舎
 彼は当時どこかの大学の教授というわけでもなく演奏活動だけに集中していたピアニストで、その熱気と今までに受けたことのないインパクトを感じて、その日のうちに、これからこの人の下で音楽を学びたい!と思いました。ただ彼はプライベートレッスンしかしていなかったので少し問題が生じました。プライベートレッスンを受けるだけでは、オーストリアではビザが取得できない・・・つまりウィーンで暮らせないのです。
 そこでとりあえずウィーン音大に入って誰でもいいから大学の教授について、アーノルド氏のレッスンは別に受けようと思っていました。


▲ピアノ科 レッスン室
 3月末に日本を発ち、10日間で家を見つけ、4〜6月の間はドイツ語学校と練習づけの日々でした。毎年120人ほど志願者がいて、受かるのはたった15人という難関校なうえ、年齢的にも23歳以上になると減点がつくなど条件も厳しかったので、落ちたら帰国するくらいのつもりで必死でした。


▲新校舎


 そして努力の甲斐あって入試をパスし、大喜びで色んな人に報告していた矢先、アーノルド氏はその年からウィーン音大の教授になるという情報を入手!その情報は何日後かに正式発表となり、ダブルの喜びで私のウィーン音大の留学は始まったのでした。


 次回は具体的な大学の様子をご紹介します。

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Last Update: Jul.23,2007