国民皆泳~オランダの場合【前編】 (2007年12月26日)

2007年12月26日

「国民皆泳(こくみんかいえい)」という言葉に聞き覚えはないだろうか。我々の母校は「生徒皆泳」の学校 だったので、同窓生の間でのこの言葉の浸透度は一般より高いかも知れないが、ワープロで一発変換できないところを見ると、どうやら一般的な用語ではないらしい。

淡路島江井へ臨海学校(昭和15年頃):58期の卒業アルバム(復刻版)より
▲淡路島江井へ臨海学校(昭和15年頃)
※旧制北野中学時代の水泳教練や昭和16年のプール竣工の逸話については六稜會報52号(2009年3月発行)をご覧下さい。

少し調べてみると、どうやら戦前あるいは戦中の造語で、戦意高揚の一環として盛んに唱えられた時期があったようだ。それほど「戦時臭」のする言葉でもないので、戦後は日本水泳連盟(JASF)が8月14日を「国民皆泳の日」と定め、現在も水泳普及のためのスローガンとして率先して使用しているようだ。

淡路島江井へ臨海学校(昭和15年頃):58期の卒業アルバム(復刻版)より
▲北野が誇る50mプール。府立高校では珍しい

以前にも書いたが、筆者は高校時代は水泳部員として、広大な50mプールの環境を維持することで、同窓生諸氏に辛い体育の時間を過ごさせる企みに加担し ていた (笑)。そのため、国民皆泳という言葉には以前から馴染みがあったが、好きで水泳をやっていた筆者たちとは違って、国民全てに「皆泳」を求めるのは酷であ ろう、という感覚も持っている(と、信じたい)。夏の暑い日にプールや海水浴場に集う人たちを見ると、水に浸かるのは好きだが泳ぐのはあまり好きではな い、あるいは得意ではない人たちは、決して少なくないことは理解しているつもりだ。

とはいうものの、北日本を除けばほとんどの公立小中学校にプールが整備され、6月下旬から9月上旬までの間、学校教育の一環として水泳の授業が実施され る国は、世界じゅう見回しても他に例がないのではないか。ほとんどの市町村が公営プールを持っており、比較的大きな市は必ず公営の室内プールを持ってい る。おまけに、50×25mという広大なプールを持つ公立の普通高校 が存在する!(これはかなり特殊な例)。
一方、民間では全国各地にスイミングクラブが設立され、主に少年少女の体力増進や選手の育成、現在では成人の運動不足解消や体力維持のため、国民生活に 大いに貢献している。筆者は少年時代スイミングクラブに通う機会がなかったので、中学や高校の競技会で、これらクラブの選手コース出身者になかなか勝つこ とができず、悔しい思いをしたものだが、一方でこれらクラブのトップクラスの選手たちがたびたびオリンピックなどで活躍し、お茶の間に明るい話題を提供し てきた。 水泳を趣味とする人の底辺は広く、その技量も半端ではない。筆者は取り立てて速いわけでもなかったが、それなりの技量は持っているつもりである。それで も、日本で近くの公営の室内プールに泳ぎに行くと、どの曜日・時間帯でもたいてい筆者より泳力のある人、同程度の泳力の人などがいた。それだけの技量の人 とランダムに巡り合える日本という国は、水泳大国と称しても差し支えないだろう。

オランダの運河は暮らしの一部
▲オランダの運河は暮らしの一部
(アムステルダム市内)

オランダに引っ越して数ヵ月後、子供を連れて○月○日に保健所に来い、との呼び出しを受けた。妻が日本で使用した母子手帳を持参して話を聞きに行くと、幼時検診や生活指導(この予防接種を受けさせろだの、歯医者で検診を受けろだの)に加えて、
「水泳のレッスンに通わせなさい、あなた、自分の子供が運河にはまって溺れ死んでも構わないの?」
と、強い調子で注意された。
確かに周囲を見回すと、町の中には運河だらけ。運河と道路の境界線にいちいち柵はない。ちょっと油断すれば簡単に落っこちる。運河の水はお世辞にもきれ いではなく、底が見えないのでどの程度の深さかわからない。その上、底がどのような状況になっているのか。捨てられた自転車が沈んでいたりすると最悪だ。 ヘタに足を着こうものなら、足を取られてお陀仏である。

日本の水辺の光景(立入禁止の看板)
▲日本の水辺の光景(立入禁止の看板)

日本であれば、このような危険な水辺には、幼い子供が近寄らないよう最大限の配慮がなされる。港湾は子供の遊び場ではないし、子供の遊び場近くの溜め池 には厳重に柵が張り巡らされ、「危ないから入ってはいけません」「魚釣り禁止」の看板が取り付けられる。河川も底の見える浅い川以外は近寄りがたい雰囲気 だ。
オランダでそうやって子供の遊び場をいちいち水辺から隔離していては、遊び場になる場所がなくなってしまう。だからといって張り巡らされた運河にいちい ち柵をつけて回るわけにも行くまい。大人であっても油断できない。文字通り、危険な水辺は「暮らしと隣り合わせ」、少しの油断ではまり落ちる可能性は決し て否定できない。