<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>ワールドアイ　オランダ &#187; 4 オランダから見たドイツ</title>
	<atom:link href="http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?cat=7&#038;feed=rss2" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland</link>
	<description>Just another WordPress weblog</description>
	<lastBuildDate>Sun, 01 Oct 2023 04:34:08 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.3.1</generator>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《4》研究所とヒエラルキー(その5) (2008年7月23日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=95</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=95#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 23 Jul 2008 14:46:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=95</guid>
		<description><![CDATA[▲オランダの洪水対策の代表的存在～締切大堤防(Afsluitdijk) 1932年に約6年の歳月をかけて完 成した。約30キロの長大な堤防を海上に築き、アムステルダム付近まで至る外海(Zuiderzee)を、淡水湖(IJ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #006633;"></p>
<p></span></p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td width="20"></td>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu27-1.jpg" alt="締切大堤防(Afsluitdijk)" width="240" height="320" /><br />
<span>▲オランダの洪水対策の代表的存在～締切大堤防(Afsluitdijk)<br />
1932年に約6年の歳月をかけて完 成した。約30キロの長大な堤防を海上に築き、アムステルダム付近まで至る外海(Zuiderzee)を、淡水湖(IJsselmeer)に変えてしまっ た。 IJsselmeerにはライン川などからの流入があり、毎日干潮時のみ水門が開かれて排水が行われている。</span><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu27-2.jpg" alt="工事中のAfsluitdijk" width="320" height="240" /><br />
<span>▲工事中の様子</span></p>
<p><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu27-3.jpg" alt="現在のAfsluitdijk" width="320" height="240" /><br />
<span>▲現在の様子(筆者撮影)～右が外海(Waddenzee)、左がIJsselmeer<br />
満潮時なので外海のほうが水位が高い</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><!---3節.オランダとドイツ・社会の成り立ちの違い---><strong>【オランダとドイツ・社会の成り立ちの違い】</strong><br />
オランダという国は、この1000年近い歴史の中、迫り来る洪水の危機に立ち向かいながら文明を作り上げてきた国である。洪水には、規模の大きいものか ら小さいものまで、予測が容易なものから困難なものまで様々だが、重要なのは、住民それぞれの蒙る被害を最小限にするにはどうしたらいいか、利害関係を調 整することであった。しかし、構成する個々人の財産権は尊重され、最善の解決策に見えるような方法であっても、一部の住民だけが極端に損をするようなもの であってはならなかった。</p>
<p>解決策の話し合いは、皆が納得するまでが原則だが、迫りくる洪水に対応するには、一刻も早く対策を打たなければならない。程よいところで妥協をし、応急 的な解決策と長期的な解決策を考え出し、実行に移す必要がある。また、対策を実行中でも、その対策が妥当かどうか常にチェックをしながら、必要に応じて修 正を加える。洪水対策の最終形態が、当初計画した解決策とは異なるものであっても、現実的に有効に機能しており、利害関係を持つものが、結果にある程度満 足しておれば、その対策は結果的に正しいのである。</p>
<p>個々人の財産権と、民主的プロセスを尊重する一方、洪水対策に知恵を絞ることを通して、オランダ流の合意形成プロセスは築き上げられていった。そのおか げで、他のヨーロッパ諸国と違って階級間の隔たりは緩く、各個人の意見や財産が尊重される。移り住んでくる他国からの亡命者を寛容に受け入れる一方、彼ら を自分たちの“現実的なシステム”に組み入れる。既存の常識や枠組にとらわれず、常に現実的な解決策を追求する姿勢は、この国を外国人として見つめるもの にとって、大いに見習うべきところがある。</p>
<p>しかし、オランダと同じやり方を、他の国に適用しようと思っても、そうそう上手くは行かない。オランダ人と近縁の言語を使うドイツ人とて、現実的な解決方法を取ることに、高い優先順位を与えることはできていない。</p>
<table width="370" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu27-4.gif" alt="現在も州政府が独自の強い権限を持っている、ドイツ連邦共和国" width="350" height="477" /><br />
<span>▲現在も州政府が独自の強い権限を持っている、ドイツ連邦共和国</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ドイツは19世紀後半になってようやく統一国家となった国、それまでは各地方がバラバラで、主に封建領主の支配による農業社会だった。統一国家となった 後も、連邦国家として、各州政府には中央政府に比べてかなりの権限が与えられているため、統一のルールをトップダウンで与えなければ、国民意識がバラバラ になってしまう危険性をはらんでいる。封建時代から続いている職業観の階層制のようなものは、そう簡単には変わらない。<br />
そういうわけで、研究者と技官の関係も変わらないし、研究所の企業への技術供与も、オランダほど効率的にはできない。もちろん、オランダで働いている筆 者のひいき目は多分に入っているし、ドイツでなくオランダの研究所を選んだ、自分の選択に間違いがなかったと信じたいから、筆者の主観的立場での視点は、 割り引く必要はあるけれども。</p>
<p>欧州の中で、ドイツ、フランス、イギリスという大国に囲まれて、国土も小さく、あまり資源もないオランダが、比較的高い人口密度で経済的にも成功している一つの鍵は、徹底した現実主義と階層制＝ヒエラルキーの緩さにあるように思う。<br />
疲弊した日本社会の建て直しにも、何か参考になることがあるといいのだが、教条的でスローガン先行の日本社会では、現実主義はなかなか主流派になれな い。せめて、ムダとわかっているプロジェクトを、途中で現実的な方法に修正する賢明さぐらいは、見習って欲しいものである。</p>
<p>オランダに住んでいると、オランダ人社会の現実主義とヒエラルキーの緩さに直面する機会が多々訪れる。この数回にわたって、筆者の職業的体験から、ドイ ツとの比較の上でこれらを紹介したつもりだ。いつにも増してわかりにくい文面となってしまったが、少しでもエッセンスを汲み取っていただけたとしたら幸い である。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=95</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《4》研究所とヒエラルキー(その4) (2008年7月10日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=93</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=93#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Jul 2008 14:45:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=93</guid>
		<description><![CDATA[【研究所と企業の関係・オランダとドイツの違い】 ECNの研究棟 ずいぶん長い前置きになってしまった。いよいよ本題である。 研究所は、単純に言うと、大学での基礎研究の成果を、企業の生産現場での応用のための、橋渡しをしている [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【研究所と企業の関係・オランダとドイツの違い】</strong></p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu26-1.jpg" alt="ECN(太陽電池研究棟)" width="320" height="240" /><br />
<span>ECNの研究棟</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ずいぶん長い前置きになってしまった。いよいよ本題である。<br />
研究所は、単純に言うと、大学での基礎研究の成果を、企業の生産現場での応用のための、橋渡しをしているところ、といえる。もちろん、研究所自身が基礎 研究を行っている場合もあるが、一般的に言って、大学は研究所に比べると、ある程度自由な研究ができる場所でもあり、独創的な基礎研究も行いやすい。しか し、基礎研究はそのままの形では、実際の生産現場に応用するのは難しいので、研究所が技術開発の役割を担うのである。その成果を、技術供与の形で、産業界 での生産現場に提供する。<br />
この「技術供与」を効率的に行うには、企業と研究所の間で、十分なコミュニケーションと、相互の理解が必要だ。研究所は特に、生産現場の問題点をよく理解していないといけない。</p>
<table width="340" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu26-2.jpg" alt="技術供与(イメージ)" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>手前味噌ではあるが、ECNはこの「技術供与」を非常に円滑にできているように思う。産業界が求めているのはどのような技術か、生産現場に導入させやす いのはどのような技術か、その方面への理解もさることながら、技術供与後の企業へのアフターフォローがしっかりしており、問題点を修正するだけでなく、産 業への理解をさらに深める機会として利用している。<br />
一般に、技術を提供する側は、その技術に自信があればあるほど、そのままの状態での応用を産業側に強いがちになるが、ECNはかなり柔軟で融通が利いて いる。さながら、オランダにおける研究者と技官とが、お互いが対等な立場で話し合って、双方納得のいく解決策を見つける努力をしているのに似ている。すな わち、研究所と企業も対等な関係で技術について話し合い、供与される技術が、研究所にとっても企業にとっても都合のいい形で受け入れられる妥協点を見つけ ていく。異なる組織同士のフラットな関係が、よりよい結果を生み出している。</p>
<p>対するところのドイツ・フラウンホーファー太陽エネルギー研究所(F-ISE)である。彼らの太陽電池の生産技術の応用研究は先進的で、発表される技術 は、革新的である。ECNより優れた生産技術も多く開発している。しかし、筆者の見たところ、彼らの技術を生産現場に持っていくには、もう一つか二つ、応 用を利かせる必要がありそうなのだ。製造コスト低減への見込みが甘かったり、製造時の排出物に対する配慮が足りなかったりなどが、そこここに見受けられ る。産業側からの技術提供の依頼の件数も、あまり多くはなさそうに見える。</p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu26-3.jpg" alt="靴と靴(イメージ)" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>少し話がわかりにくいかもしれないので、靴選びを例にして説明して見よう。「靴」を研究所から提供する技術、「足」を企業の生産現場にたとえて見る。<br />
ドイツF-ISEの提供する靴は、デザインも斬新で短距離を走るには申し分ない。しかし、長い時間履いていたら足にマメができてしまう。ところが、その性能を生かすには、マメができないように修正することは許容できない。<br />
一方、ECNの提供する靴は、デザインはそれなりに斬新だが、平凡さも残っている。長く履けそうな履き心地で、長距離を歩くのに適している。そのままで はやや足に合わないところもあるが、ちょっとした手直しをすれば、格段に履き心地はよくなる。この違いがお分かりいただけるだろうか。<br />
前回紹介したように、ドイツの研究所では研究者と技官の間の階層構造がコミュニケーションを阻害しているように、研究所と企業の間にもヒエラルキーのようなものがあり、コミュニケーションや相互理解がうまくいっていないように見えるのである。</p>
<p>研究者の学歴にも違いが見える。ドイツの研究所では、研究者クラスはほとんどが博士号を持っている。持っていない研究者も、少なくとも修士は修了してい て、研究業務を通じて博士号取得を目指している。オランダの研究所では、博士号の保持は必須ではない。修士修了者も、必ずしも博士号取得を目論んでいな い。中には、技官の仕事を務めているうちに、いつの間にか研究者的な仕事をしている者もいる。研究者と技官の間の垣根の高さの違いが、研究所と企業の間の 関係にも影響しているように思える。</p>
<p><span> ※キャプションの無い写真はイメージ</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=93</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《4》研究所とヒエラルキー(その3) (2008年6月30日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=90</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=90#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 30 Jun 2008 14:44:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=90</guid>
		<description><![CDATA[播磨科学公園都市にあるSpring-8(大型放射光施設) ©財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI) 前回は、技官と研究者の関係について述べたが、今回は、研究所と企業、さらに大学との関係について話を広げようと思う。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #006633;"><br />
</span></p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu25-1.jpg" alt="Spring-8(大型放射光施設)" width="320" height="240" /><br />
<span>播磨科学公園都市にあるSpring-8(大型放射光施設)<br />
©財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>前回は、技官と研究者の関係について述べたが、今回は、研究所と企業、さらに大学との関係について話を広げようと思う。</p>
<p><!---1節.研究所とはなにか---><strong>【研究所とはなにか】</strong><br />
研究所、と聞くと、一般の人はどのようなイメージを抱くだろう。独創的な発明をして文明の進歩に貢献するところ？<br />
確かにそういう一面はある。しかし、本当の意味で独創的な発明ができるのは、一握りの才能ある天才的研究者だけである。そして、どう見ても、天才的研究 者の数よりも、研究所の数のほうが多い。さらに、天才的研究者の中でも、独創的発明をいくつも生み出せる人は、もっと少ない。そうすると、ほとんどの研究所は、独創的な発明は生み出していないことになる。</p>
<table width="340" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu25-2.jpg" alt="E=mc2" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>では、研究所の主たる役割は何か。<br />
それは、これまでの人類の先駆者がなしてきた、様々な発明、技術、知識や経験を、よりよい形で組み合わせ、実用化することで、文明の発展に貢献するところ、と言えばいいだろうか。<br />
独創的な発明や発見の多くは、そのままの形では実用化できない。アインシュタインの相対性理論は、そのままでは一般人には理解困難な発見だったが、後続の研究者たちが知恵を集めてその応用を考えることで、例えば、質量はエネルギーと等価であるという理論(E=mc<sup>2</sup>) から、原子力エネルギーへの応用の道が開けた。また、その他の例では、運動する粒子の速度が光速に近くなると質量が重くなる、という理論の応用で、粒子加 速器を制御している。兵庫県相生市郊外の巨大粒子加速器Spring-8が様々な分野で社会に貢献できるのも、アインシュタインが導き出した公式のおかげ である。</p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td rowspan="3" width="20"></td>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu25-3.jpg" alt="アインシュタイン" width="100" height="141" /><br />
<span>Albert Einstein</span></td>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu25-4.jpg" alt="シュレーディンガー" width="100" height="141" /><br />
<span>Erwin Schrödinger</span></td>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu25-5.jpg" alt="ショックレー" width="100" height="141" /><br />
<span>William B. Shockley</span></td>
</tr>
<tr>
<td colspan="3" width="320"></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>太陽電池の動作原理の核になる部分も、アインシュタインの発見だ。彼が1905年に発表した「光電効果」の理論―――光子が電子に衝突すると、そのエネ ルギーが電子に与えられる―――を、半導体素子に応用したものの一つが、太陽電池である。筆者ら太陽電池の研究者たちは、アインシュタインや、量子力学の 祖・シュレーディンガー、半導体物理を切り開いたショックレーの成果をベースに、よりよい太陽電池をより安く作るため、技術の改良を行っている。<br />
太陽電池に限らず、理工系の研究所の役割の主たる部分は、そのようなものになる。</p>
<table width="260" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu25-6.jpg" alt="ユーロ・マネー(イメージ)" width="240" height="320" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>では、研究所はどのように運営されているのか。ほとんどの研究所の法人は、一般的な商業活動が禁じられている代わりに、非営利法人として税制などで特典 がある。収入源は、研究プロジェクトの受託、企業への技術供与、特許やノウハウなどの知的財産などであるが、それだけでは足りないことが通常なので、研究 所組織の出資者から運営資金の補填を受ける。<br />
ECNの場合、オランダ政府出資の法人なので、年間予算の30%程度、オランダ政府から交付金を受けている。ちなみに、日本の独立行政法人である産業技 術総合研究所の日本政府からの交付金は年間予算の約60%、先述のフラウンホーファー研究所のドイツ連邦政府（及び地方政府）からの交付金は約40%なの で、ECNの政府への依存率は低いといえるだろう。<br />
技術供与や知的財産は、過去の成果に対する報酬と位置づけられるが、出資者からの交付金や研究プロジェクトの受託金は、未来の研究成果が期待されている から支払われる。研究プロジェクトの委託金の出所は、国家財政であったり、私企業であったりと様々だが、そう遠くない将来に実用化できる技術の研究成果が 求められている。</p>
<p><span> ※キャプションの無い写真はイメージ</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=90</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《4》研究所とヒエラルキー(その2) (2008年5月29日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=87</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=87#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 29 May 2008 14:43:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=87</guid>
		<description><![CDATA[前々回にも少し触れたが、理工学系の研究所や、大学研究室には、教授やその他の常勤研究員、短期研究員や大学院生などの他に、技官という人たちがいる。 研究員たちの仕事は、実験をして結果を出し、レポートを書き、学会や学術誌で論文 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #006633;"><br />
</span></p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu24-1.jpg" alt="研究所の実験室のイメージ" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>前々回にも少し触れたが、理工学系の研究所や、大学研究室には、教授やその他の常勤研究員、短期研究員や大学院生などの他に、技官という人たちがいる。 研究員たちの仕事は、実験をして結果を出し、レポートを書き、学会や学術誌で論文を発表するのはもちろんだが、新しい研究課題の提案を行い、共同研究先と ミーティングを行い、販売した技術指導のために企業を訪問したりと様々で、実験室ばかりにこもっているわけにもいかない。まして実験装置の調子を整え、実 験条件の安定化を図るといった仕事に、多くの時間を割くわけにはいかない。<br />
その環境下では、技官の仕事は重要で、彼らが実験装置のコンディションを良好に保ち、実験条件を常に同一に保つ努力をするからこそ、複数の研究者が異な る目的で実験を行っても、常に安定したクォリティの実験をすることができ、比較参照できるデータが常に存在することになる。<br />
オランダとドイツの研究所や大学は、この技官制度が充実しており、研究者が単純なルーチンワークやメンテナンス作業に煩わされることなく、研究に専念で きる環境が整っている。各研究者が、作業量の多い大規模な実験を企画したとしても、技官の協力だけで実験が完結できるので、成果が得られた場合、誰が筆頭 研究者として貢献したのかが明確である。<br />
技官の学歴は、工業系の高等専門学校や、工学系の大学で、機械操作や組み立て・修理、機械設計などの専門的なトレーニングを受けている。一方で、論文執 筆やプレゼンテーションのトレーニングを受けるのは、大学院の修士課程以降で、これらのトレーニングを受けてきた場合は、研究員として雇用される。</p>
<table width="340" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td align="left" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu24-2.jpg" alt="実験結果のDATA出力イメージ" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>日本の大学で職員として働いた経験のない筆者が、このようなことを書くのは大変僭越ではあるが、少なくとも私が院生だった時代の京大工学部の技官の充実 度は、非常に貧弱だった。当時はそれが標準と感じていたが、今こちらで、西欧諸国の大学・研究所の状況を見聞きする機会が増えるに連れ、日本の貧弱さが目 に付く。<br />
これは大学に限らず、独立系の研究所、企業の研究所においても、日本では同じような状況ではないか。実際、筆者が前に在職していた会社でも、研究者と技 官の仕事を兼任しているようなものだった。主にルーチンワークを任せる非大卒の同僚はいたが、メンテナンスや応急修理などは筆者の仕事だった。もちろん、 全てのプロセスを自分で把握できる利点はあったが、一人の人間にできる仕事量には限界を感じたものだった。<br />
日本の技官制度の問題点については、別の機会に研究者仲間と論じたいと思うが、ここで述べておきたいのは、オランダもドイツも、技官の助けなしでは満足な実験ができない点が、日本とは異なるところである。</p>
<p>この技官と研究者の関係が、オランダとドイツでは大きく異なる。</p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu24-3.jpg" alt="実験中のイメージ" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>実験の計画を立てるのは、研究者の仕事である。プロセスの手順書を作成し、どういう順番でどのような処理を施すかを指示する。それを技官グループのリーダーに示し、リーダーが実行可能と判断したら、その実験はToDoリストに加えられる。<br />
ドイツの場合、実行可能な計画の実験であれば、技官リーダーは研究者に細かい意図は尋ねない。自分たち技官が指示された仕事を、完璧に指示通りにこなせば、その仕事ぶりが評価されるシステムである。<br />
しかし、オランダの技官リーダーは、実験の意図・目的を尋ねる。それに納得しなければ実験は許可されない。技官リーダーはグループ全体の方針をよく理解 しており、理論についてもよく勉強している。その実験の重要度が低ければ、その分他の重要度の高い実験ができなくなる可能性があるので、技官リーダーには 研究者の計画の重要度を評価する権限が、ある程度与えられている。<br />
また、ドイツでは、実験プランについては技官との間で特に議論になることなく、そのまま実行に移されるが、オランダでは技官が実験プランにも色々と意見 を付けてくる。時間や材料を浪費しがちなプランであれば、それらがもっと節約できるプランの逆提案がある。研究者は自分のプランに自信がなければ、技官の 提案に妥協する場合も少なくない。通常の実験に比べ、なぜ多くのコストがかかる実験が必要か、技官に納得してもらわなければ実行に移されない。</p>
<table width="340" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td align="left" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu24-4.jpg" alt="膨大なサンプルのイメージ" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ドイツでは研究者と技官の関係が、上から下への一方通行であるのに対し、オランダでは両者の関係は実に対等で、フラットなのである。</p>
<p>オランダのやり方は、未熟な研究者にとっては実に有益だ。技官との議論を通して、その研究グループのこれまでの経験を学び取ることができる。実験に取り掛かる前に、無駄な実験条件を取り除き、必要な実験条件の追加に気付かされることもある。<br />
一方で、これまでにない斬新なアイデアや突飛な発想を実験に持ち込むのは、オランダ流では厄介である。技官たちは往々にして保守的だから、経験上成功し てきたやり方に固執する。彼らを議論のうえ納得させ、研究者自身も積極的に手を動かさなければならないのは、骨が折れる。この過程で挫折して、実行に移せ なかったアイデアが幾多もあることだろう。</p>
<table width="260" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu24-5.jpg" alt="ユトレヒト大学本部。対スペイン独立戦争時のユトレヒト同盟は、この内部の一室で結成された" width="240" height="320" /><br />
<span>▲ユトレヒト大学本部<br />
対スペイン独立戦争時のユトレヒト同盟はこの内部の一室で結成された</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ドイツ方式であれば、研究者の意図は、実行可能でさえあれば実行に移される。優れた研究者の革新的なアイデアが実行に移され、画期的な発明につながることもある。<br />
一方で、未熟な研究者にとっては厳しい試行錯誤の連続だ。例えば、研究者が50枚のサンプルの処理を依頼したとする。その工程は実際には一日に5枚しか 処理できないのだが、研究者は50枚が一日仕事だと思いこんでいる。依頼時に特に議論がなければ、技官は研究者に確かめることもなく、黙々と10日かけて その処理を行うのだが、研究者は期待した日程にサンプルがやってこない。その時点で初めて、50枚もの枚数を企画したことに無理があったことに気付くので ある。</p>
<p>やや極端な書き方をしたが、ここに挙げた例のような、蘭独間における研究者と技官との上下関係の違いは、社会の他の様々な分野における蘭独間の違いに象徴されるように思う。<br />
緩いヒエラルキーでチームワークを重視して課題解決に当たるオランダ、トップダウンの命令系統で独創的な境地を切り開くドイツ。両国の社会構造全般を比較して眺めていると、このような違いが見受けられることが多い。</p>
<p><span> ※キャプションの無い写真はイメージ</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=87</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《4》研究所とヒエラルキー(その1) (2008年4月30日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=82</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=82#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 30 Apr 2008 14:40:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=82</guid>
		<description><![CDATA[▲ECNの隣に広がる球根畑では、今チューリップが満開 ▲ECNの社員食堂 ECNではオランダ語能力が必須でないおかげもあって、ECNの太陽エネルギー部門にはいろいろな国からの研究者が働いている。ヨーロッパにおける太陽 エ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<table width="600" border="0">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu23-5.jpg" alt="ECNの隣に広がる球根畑では、今チューリップが満開" width="600" height="400" /><br />
<span>▲ECNの隣に広がる球根畑では、今チューリップが満開</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><span style="color: #006633;"><br />
</span></p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu23-1.jpg" alt="ECNの社員食堂" width="320" height="240" /><br />
<span>▲ECNの社員食堂</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ECNではオランダ語能力が必須でないおかげもあって、ECNの太陽エネルギー部門にはいろいろな国からの研究者が働いている。ヨーロッパにおける太陽 エネルギーを研究する公的研究所としては、前回述べたFraunhofer-ISEに次ぐ、No.2の地位にあると言えることもあり、世界各地から多彩な 人材が集まってきている。<br />
アジア出身者はまだ筆者一人だが、イタリア、フランス、英国、スペインなど西欧諸国や、ルーマニア、ブルガリアなど東欧諸国、もちろん米国や豪州国籍者もいる。その中でも、外国出身者で一番多くを占めるのは、隣国ドイツ人である。</p>
<p>ECNで働くドイツ人たちは、他の外国出身者と大きく異なることがある。彼らは早々にオランダ語を習得してしまって、オランダ人同僚たちと普通にオラン ダ語で会話をしている。傍から見ているととてもドイツ人とは気づかない。古株の同僚に「ボクはドイツ人なんだ。知らなかった？」などと言われたこともあ る。ドイツ語とオランダ語は言語学的には非常に近縁の関係にあるので、彼らはたやすくオランダ語を習得してしまうのだ。</p>
<p>英語が得意なオランダ人といえども、ランチタイムはリラックスしてオランダ語が喋りたいものである。ランチタイムのテーブルの色分けは、オランダ語を喋 るグループと、英語を喋るグループに分かれがちである。われわれ外国人は、さながら外人部隊よろしく、英語を喋るグループに集まることになるが、ドイツ人 たちはどちらかというと、オランダ語グループで食事をすることが多いようだ（もしかすると、筆者が知らないないだけかもしれないが、オランダ語を母国語と するベルギー人もいるのかも知れない。）</p>
<table width="340" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td align="left" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu23-2.jpg" alt="du vs Sie" width="320" height="240" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>そんなドイツ人の同僚に尋ねてみたことがある。ドイツには他にもいい研究所があるのに、分野によっては、ECNよりいい成果を上げている研究所もあるのに、なぜわざわざオランダにやってきたのか。<br />
帰ってきた答えはこうだった。「ここは組織がフラットで快適だ。ドイツの組織はヒエラルキーがきつ過ぎてボクには合わない。もちろんドイツで働いている人たちは、そういうヒエラルキー構造を働きやすく感じる人も多いけど、ボクはこっちが好きだ。」</p>
<p>ドイツの組織のヒエラルキー構造はけっこう明確で、日本に似ているところがある。研究グループのリーダーは必ず教授の資格を持っている。研究リーダーへ の敬意は厳格で、呼びかけるときは通常「○○教授」と呼ぶことになっている。また、上司をファーストネームで呼ぶこともそれほど一般的ではない。<br />
ドイツ語を勉強したことのある人は、ドイツ語の二人称には du と Sie の二種類があることをご存知だろう。前者はくだけた表現、後者は丁寧な表現と習ったはずだ（実際はそれほど単純ではないらしいが）。ドイツの会社や研究所 の中では、親しい同僚や学生同士などでは du を使うが、それほど親しくない間柄や、上司に話しかけるときは Sie を使う、とのことである。日本でも、組織内で敬語（丁寧語）を使う状況とそうでない状況があるが、それと似たようなものと想像すればいいだろう。</p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu23-3.jpg" alt="筆者の共同研究先　Utrecht大学" width="320" height="240" /><br />
<span>▲筆者の共同研究先　Utrecht大学</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>オランダ語にも二人称は jij と u の二種類がある。文法的な位置づけはドイツ語と同じ、jij がカジュアルで、u がフォーマルである。しかし、u を使うと特別丁寧な印象を相手に与えるようで、話しかけられたほうは、何だこの人、と身構えることもあるそうだ。普通の会話ではいつも jij である。会社の中でも、同僚同士はもちろん、上司は当然、平社員が社長と話をするときですら jij を使う。<br />
当然、名前を呼びかけるときはファーストネームで呼び合う。我々オランダ語を喋らない外国人社員もそれに倣う。部門長だろうが取引先だろうが、お構いな し、いつでもファーストネームである。共同研究先の大学教授を初めてファーストネームで呼んだときは、正直言って躊躇したが、彼が、○○教授と呼ばれると 気持ちが悪い、と言うので、今では平気でファーストネームで呼んでいる。</p>
<table width="380" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td align="left" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu23-4.jpg" alt="ニューヨークはかつてニューアムステルダムと呼ばれていた。" width="346" height="240" /><br />
<span>▲1650年代のニューアムステルダム<br />
（Johannes Vingboons画,1664）<br />
ニューヨークはかつてニューアムステルダムと呼ばれていた。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>日本にいると、米国文化の影響からか、欧米人は誰でもファーストネームで呼び合う、との思い込みがあるが、実は、米国とオランダだけが突出して人間関係がフラットで、その他のヨーロッパ諸国はまだまだ階級社会の名残を残していることを忘れがちだ。<br />
米国での人間関係がフラットなのも、実はオランダの影響が濃い。オランダはもともと不毛の地、欧州諸国からの亡命者たちの助けを借りて国づくりを進めて いった歴史がある。米国は、そのオランダをすら亡命していった清教徒・メイフラワー号の精神がその文化の礎になっている。その後英国から入植が増えて米国 は英語国になったが、建国精神の底流には、オランダ的なものが流れている。<br />
オランダと米国がともにヒエラルキーの緩い社会を作ったのは、別に偶然ではない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=82</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《3》研究所と言語 (2008年3月24日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=78</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=78#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 24 Mar 2008 14:39:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=78</guid>
		<description><![CDATA[▲フラウンホーファー太陽エネルギー研究所 初めて「欧州の研究所に転職したい」と考えたときの第一の志望先は、ドイツのフライブルグ市にある、フラウンホーファー太陽エネルギー研究所 (Fraunhofer-ISE)だった。当時 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #006633;"><br />
</span></p>
<table width="460" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu22-1.jpg" alt="フラウンホーファー太陽エネルギー研究所" width="450" height="240" /><br />
<span>▲フラウンホーファー太陽エネルギー研究所</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>初めて「欧州の研究所に転職したい」と考えたときの第一の志望先は、ドイツのフライブルグ市にある、<a href="http://www.ise.fhg.de/">フラウンホーファー太陽エネルギー研究所 (Fraunhofer-ISE)</a>だった。当時欧州では最も顕著な成果を上げており、多くの研究スタッフ・大学院生を抱え、かつ、研究所の建物も新設して間がなく魅力的な研究環境だった。<br />
折りしもドイツは国家として太陽エネルギー利用に大きく転換した頃で（<a href="../../../worldeye/nederland/episode04.html">第4話</a>および<a href="../../../worldeye/nederland/episode17.html">第17話</a>参照）、その研究所も拡大基調にあった。また、ものごとが比較的ゆっくりと変化する欧州にあって、1990年の国家再統一以来、変化の荒波にさらされるドイツを見ていると、なんとなく心に沸き立つものがあった。<br />
筆者には他にもドイツに惹かれる理由があった。中学時代にベートーベン「第九」合唱団に入団し、ドイツ語の発音方法を覚えた。大学ではドイツ語が第二外 国語で、初めての海外旅行は3週間のオーストリア旅行だった。大学院の入試以来ドイツ語の勉強はしていなかったが、必要とあればドイツ語を勉強する気持ち はあった。とても意思疎通ができるレベルではなかったが。</p>
<table width="340" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu22-2.jpg" alt="ドイツ・フライブルグ市" width="320" height="240" /><br />
<span>▲ドイツ・フライブルグ市<br />
ドイツ南西部、黒い森の端に位置し、<br />
およそ900年の歴史をもつ人口約19万人の都市。<br />
環境政策で先進的な都市としても知られている。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>Fraunhofer-ISEの結晶シリコン太陽電池グループリーダーの教授とは、それまで学会などで何度か話をして、お互い知り合う仲だった。2004年4月末、教授の部下としてプロジェクトリーダーができるポジションに着きたいという手紙を、履歴書を添えて送った。<br />
数日後にやってきた返信には、応募への謝意が述べられていたが、非常に丁重に、貴方に用意できるポジションはない、と記されていた。ダメで元々、とは 思っていたが、やはりこの返信は心に突き刺さった。ちょうどドイツが太陽エネルギーへ大きく政策転換した時期であり、自分のような経験を持った人材を間違 いなく求めていることへの自信があっただけに、残念な気持ちは強かった。<br />
一方で、ECNへの就職プロセスは順調に進み、ヨーロッパの太陽電池業界で働く様々な人と知り合うにつれて、ドイツの研究所の事情が次第にわかるようになってきた。</p>
<table width="340" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu22-3.jpg" alt="近代的なベルリン中央駅（2006年初頭に完成）" width="320" height="240" /><br />
<span>▲近代的なベルリン中央駅（2006年初頭に完成）</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>日本を訪問したり、国際会議に出席して発表をするようなヨーロッパ人たちは、みな流暢な英語を使う。筆者は、英語で円滑に意思疎通ができさえすれば、ヨーロッパで研究職を得るための言葉の関門は突破できると思っていたが、コトはそう甘くはなかった。<br />
Fraunhofer-ISEが筆者にポジションを用意できなかったのは、ドイツ語で会話ができない、というのが一番大きな理由だったらしい。もちろん 直接聞いたわけではないが、彼らの陣容に詳しくなるにつれ、常勤スタッフはほとんどがドイツ系の名前で、非ドイツ系がいたとしても、皆ドイツで高等教育を 受けていたことがわかってきた。大学院生やポスドク（期限付き研究員）のレベルならドイツ語が未熟でも受け入れているようだが、筆者の希望はポスドクでは なかった。ドイツ語での意思疎通が十分でない人間を常勤スタッフに雇う程には、所内に英語が浸透していなかったのである。</p>
<table width="340" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu22-4.jpg" alt="ベルリンの壁とテレビ塔" width="320" height="240" /><br />
<span>▲ベルリンの壁とテレビ塔<br />
国内を分断する「政治の壁」は崩壊したが…<br />
「言葉の壁」は厚いようだ。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ときに、新技術の研究は個人プレーでも可能と思われがちだが、結晶シリコン太陽電池の研究は、一人で実験室にこもっておれば成果が出るような段階ではな い。いくつかの中規模な実験装置を使い、それらを状態よく管理する技官(Technician)と十分に意思を疎通させなければ、自分のアイデアを具現化 することはできない。複数のアイデアの組み合わせを実現するには、研究チームのリーダーとして、メンバーに働きかけながら研究を進めていかなければならな い。さらに、所内の他部門や協力業者との交渉で、周辺の多様な人たちとの意思疎通が必要になってくる。<br />
一般に、ドイツの研究所では、外国に頻繁に出かける研究者は別として、ドイツ国内での業務がメインのこれら周辺の協力者（特に技官たち）は、英語があま り上手ではない。ほとんど英語を使えないことも珍しくない。ドイツ語で意思疎通ができない研究者は、十分な実力を発揮できないだろう。<br />
いま改めて考え直すと、そういう状況を知りもしないで履歴書を送りつけた筆者の、何と厚かましかったことか。しかもドイツ語力に関しては何の記述もない 上に、履歴書に書けるほどのドイツ語力すらない。ストレートにポジションがないことを伝え、筆者に不必要な期待を抱かせようとしなかった件の教授は、実に 寛大で賢明な判断をしてくれたことになる。</p>
<table width="330" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu22-5.jpg" alt="観光案内板と交通標識" width="320" height="320" /><br />
<span><span>▲4カ国語並記の観光案内板(右)<br />
オランダ語以外に、英語、<br />
独語、仏語が並記されている<br />
<span>これに対し、自国内の通常の交通標識(左)は<br />
ほとんどが「オランダ語のみ」の表記である</span></span></span>&nbsp;</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>さて、一方のECNである。結晶シリコン太陽電池の研究は、多くの協力者とコミュニケーションを取りながら研究を進めていかなければならないのはオラン ダでも同じだが、ここでは同僚の研究者や技官、他部門のスタッフ、協力業者、みな英語でのコミュニケーションにほとんど問題はない。正直言って「話す」 「聴く」については、筆者のレベルが最低である。仕事で英語の文章を書く必要のないスタッフの中には、書くのが苦手というのも少しはいるが、話すのは平気 だし、筆者のかなりヒドイ英語でもきっちり意図を汲み取ってくれる。<br />
オランダ語の文書を読んだり、オランダ語で用意された書式に記入しなければいけないことも時にはあるが、こちらからのアウトプットは100%英語で構わない。オランダ語が理解できたほうが便利なことは便利だが、理解できなくとも仕事に大きな支障はないのだ。</p>
<p>聞くところによると、オランダという国は、英語を公用語としない国の中で、国民の英語浸透力は世界一だそうである。ECNが筆者の採用を検討した際、オ ランダ語力を全く問題にしなかったおかげで、こうして今ヨーロッパで研究リーダーとしての経験を積ませてもらっている。英語圏以外の国では、実は珍しい ケースだったのかも知れない。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=78</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《2》エネルギー政策【後編】 (2007年11月23日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=63</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=63#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 23 Nov 2007 14:32:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=63</guid>
		<description><![CDATA[【太陽光エネルギーは未来の基幹エネルギーになりうるか？】 太陽電池が生み出す電力が、現状の火力や原子力に匹敵しうる量を賄えるのかという議論がある。特に日本人の間では、それだけの太陽電池を敷き詰める場所はどこにあるのか、そ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>【太陽光エネルギーは未来の基幹エネルギーになりうるか？】</strong><br />
太陽電池が生み出す電力が、現状の火力や原子力に匹敵しうる量を賄えるのかという議論がある。特に日本人の間では、それだけの太陽電池を敷き詰める場所はどこにあるのか、そんなことは不可能だ、と議論を打ち切ってしまう人が多いようである。<br />
理論的には、日照条件のよい地中海に浮かぶシチリア島の全土に、現状の能力の太陽電池を敷き詰めれば、ヨーロッパで消費する全ての電力を賄うことができるが、人が住み産業があり多くの農産物を生み出すシチリア島に、実際に敷き詰めるわけには行かない。<br />
しかし目をもう少し南に転じると、そこには広大なサハラ砂漠が広がる。もちろんそれだけの距離が離れると、送電のコストは嵩む。しかし、それはコストの問題であって技術的に不可能な問題ではない。</p>
<table width="600" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2" align="right"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu18-1.jpg" alt="エネルギー源の推移と未来予想" width="600" height="420" /><br />
<span>▲エネルギー源の推移と未来予想 (ドイツ気候変動評議会による)</span></td>
</tr>
<tr>
<td width="300"></td>
<td align="right" valign="middle" width="300"><span>※下から、石油・石炭・天然ガス・原子力・水力・旧来の植物由来（バイオマス）技術・新規の植物由来（バイオマス）技術・風力・太陽光・太陽熱・その他持続可能エネルギー・地熱</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>この図は、ドイツ連邦政府の諮問機関である、<a href="http://www.wbgu.de/wbgu_jg2003_engl.html">地球規模の変動に関する評議会(WBGU)が2003年に作成したもの</a>である。西暦2100年には太陽電池の生み出す電力量を現在の1000倍以上、世界の総消費電力の70％を太陽光で賄うことを目論んでいる。<br />
太陽電池の価格の歴史は、世界の総生産量が10倍になるにつれ半分になるという記録を刻んできた<span>(脚注*参照)</span>。 1000倍になれば価格は8分の1になる計算で、現状の火力に匹敵するコストになる。将来石油や天然ガスの燃焼が制限され、原子力技術の開発が足踏みした とき、太陽電池技術を握るドイツが世界のエネルギー資源の主導権を握る、それがドイツの思い描いているシナリオである。</p>
<p><span>[脚注*] <a href="http://www.eupvplatform.org/fileadmin/Documents/vision-report-final.pdf">http://www.eupvplatform.org/fileadmin/Documents/vision-report-final.pdf</a>→p23を参照。<br />
</span></p>
<table width="350" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td valign="top" width="320"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu18-2.jpg" alt="リアルタイムに発電量を表示する電光掲示板" width="320" height="256" /><br />
<!--- Author:Original uploader was Breuwi at en.wikipedia / under Creative Commons Attribution 2.5 ---> <span>▲米国第45代副大統領アル・ゴア氏<br />
地球温暖化問題について、1970年代から世界的な啓発活動をライフワークとして行っている。その講演の模様をドキュメンタリー化したのが映画『不都合な真実』(2006公開)。これら一連の環境啓蒙活動が評価され、彼はIPCCとともに2007年ノーベル平和賞を受賞。</span></td>
<td valign="top" width="20"></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ドイツが将来エネルギーで大国間の主導権を握る手段として、太陽光発電で世界をリードしていくことを国策として定めた理由が、多少なりとも理解いただけ たであろうか。また、技術がまだ見通せる形になっていない、高速増殖炉や核融合を選ばず、コストを除けばほぼ技術的に解決の見通しが立っている太陽光発 電・太陽電池を選ぶ辺りが、何かにつけて実践的なドイツ人らしいところとも言える。<br />
奇しくも今年のノーベル物理学賞・化学賞の二賞は、ドイツの公立研究所の教授が選ばれた。太陽電池の技術には直接関係ないが、いずれも工業製品の製造技 術に密接に関連のある成果が評価された。また、ノーベル平和賞では、地球温暖化対策に取り組む活動が評価された。何れも、太陽光エネルギー推進というドイ ツ国民の選択を、間接的に勇気付けるものとなった。</p>
<p><strong>【オランダは？】</strong></p>
<table width="350" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu18-3.jpg" alt="リアルタイムに発電量を表示する電光掲示板" width="320" height="240" /><br />
<span>▲リアルタイムに発電量を表示する電光掲示板<br />
※ECNにて撮影</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>さて、ドイツ人よりさらに実践的なオランダ人はどうかというと、彼らはまだ太陽光発電の現状のコストに満足していない。研究には多くの支出を続けている が（そのおかげで筆者も飯が食えている）、一般消費者に市場拡大のための負担を強いる、フィード・イン・タリフ制度の導入は時期尚早と考えているようだ。 一方で、オランダの投資法人がドイツの新興太陽電池メーカーの大株主としてガッポリ儲けていたりして、やることはなかなかあざとい。<br />
実を言うと、筆者の研究グループも、多くの知的成果やノウハウをドイツの太陽電池メーカーや製造装置メーカーに販売しており、ドイツの国策である太陽電 池技術の下支えをしている。我々の成果の販売先候補は欧州内外を問わずどの国にもオープンだが、急激に市場が成長するドイツの比重が結果的には突出して大 きい。そこには、大国に囲まれた小国が、国際社会を生き抜くためのしたたかさがある。</p>
<p><strong>【そして日本】</strong><br />
日本の太陽光発電は一頃の勢いはどこへやら、ここ3年ほど市場は停滞気味である。経済官僚や財界にとってのエネルギー源開発の国策は、相変わらず原子力 のようだ。プルトニウム高速増殖炉や、核融合技術の実現を目指して技術開発に重点を置いている。一方で、大国としての自覚があるのかどうか、エネルギー源 で国際政治の主導権を握るつもりがあるのかどうかも疑問である。政治家や官僚は国策の重要性を世論に訴えることもなければ、世論も国策に対して冷淡なもの だ。<br />
筆者自身は、二酸化炭素濃度が必ずしも地球温暖化に大きく影響しているとは思わないが、少なくとも、国際公約である2010年におけるCO<sub>2</sub>排出量マイナス6%が危機に瀕している今、その対策について日本の政治家が積極的なメッセージを発しないのは、国際的には不信を呼んでいるし、日本の今後の国際社会の中での信用問題にも関わることである。<br />
2010年のマイナス6%を具体的にどのように実現するかを語らずして、2050年にマイナス50%と言っているだけ（「美しい星50」）では、スロー ガンだけ唱えて実質やる気はないな、ととられても仕方がない。日本に、大国として主導権を取ることは過分な要望にしても、大国として振舞う責任が求められ ていることは、国民は自覚したほうがいいだろう。</p>
<p><strong>【最後にもう一言】</strong><br />
この分野における韓国の立場は、ドイツと似たところがあるかも知れない。自前の資源もなく、原子力技術で日本の後追いをするわけにもいかない。韓国では 今、ドイツよりさらに積極的な太陽光発電普及促進策が施行され、設置量の急拡大を図っている。製造業の立ち上がりは遅れを取っているものの、急激な勢いで 投資が増えている。<br />
太陽光発電に国家の命運を賭けようとしているドイツと韓国、冷めた目で距離を置いている日本。後悔しない選択をしたのはどちらだろうか。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=63</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《2》エネルギー政策【前編】 (2007年10月23日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=61</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=61#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 23 Oct 2007 14:31:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=61</guid>
		<description><![CDATA[この9月初旬に、イタリアのミラノで22回目の欧州太陽光発電国際会議及び産業展示会が開催された。急伸する欧州の太 陽光発電業界に比べ、日本の業界は停滞気味で元気がないように見える。業界の将来を憂う者として、また、太陽光発電 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span>この9月初旬に、イタリアのミラノで22回目の欧州太陽光発電国際会議及び産業展示会が開催された。急伸する欧州の太 陽光発電業界に比べ、日本の業界は停滞気味で元気がないように見える。業界の将来を憂う者として、また、太陽光発電研究の欧州における最先端で働く者とし て、業界関係者に見解を発信するとともに、六稜関係の読者諸氏にも、日本の太陽光発電業界が置かれている立場の一端を知っていただけると幸いである。</span></p>
<table width="300" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="middle"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu17-1.jpg" alt="太陽光発電の累積設置量（発電容量ベース）の推移" width="256" height="320" /><br />
<span><span>▲太陽光発電の累積設置量（発電容量ベース）の推移<br />
(<a href="http://www.iea-pvps.org/products/rep1_16.htm" target="NEW">IEA-PVPSの資料</a>による)</span></span>ドイツ、日本、米国、その他合計の比較。日本の伸長<br />
が線形であるのに対し、ドイツの伸びは指数関数的</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ドイツは現在、世界最大の太陽電池設置国である。ほんの数年前までは太陽電池の世界最大の市場があるのは日本だったが、2004年に始まった固定料金買 取制度（別名フィード・イン・タリフ制度：太陽光や風力など、自然エネルギーで発電した電力を、一般電力料金の2～3倍で電力会社が買い取る制度）をきっ かけに、急激に設置量が増加した。2004年末時点ですでにそれまでの累積設置量が発電容量ベースで日本と肩を並べるに至り、2006年には日本の約 2.5倍の新規設置をすることで、累積設置量でも日本を遥かに凌駕してしまった。<br />
フィード・イン・タリフ制度を支える原資は、ドイツの住民全員が負っている。すなわち、制度を支えるコストを電気代に上乗せして、広く浅く負担しているのである。2007年現在は、1消費者当たり毎月20ユーロセントが標準<span>(脚注*参照)</span>とのことである。<br />
もちろん、この制度に不満を持っている国民や企業は、電力の大口利用者を中心に少なくはないが、少なくともドイツ国会で多数決による承認を得ており、中 道左派主体のシュレーダー内閣から中道右派主体のメルケル内閣に政権が交代した後も、国民の多数派によって支持されている。</p>
<p>なぜドイツはそこまで太陽電池の導入に熱心なのか。一部に不満を抱きながらも、なぜ国民はその政策を支持するのか。それを支えるべき理由があるし、支えるに足る理由がある。次の3つのキーワードを使って、その理由を読み解いてみよう。</p>
<p>◎エネルギーは大国間の主導権争いの手段<br />
◎天然資源に乏しいドイツ。富の源泉は技術と知的財産権<br />
◎太陽光エネルギーは未来の基幹エネルギーになりうるか？</p>
<p><span>[脚注*] <a href="http://www.epia.org/fileadmin/EPIA_docs/publications/epia/EPIA_SG_IV_final.pdf">http://www.epia.org/fileadmin/EPIA_docs/publications/epia/EPIA_SG_IV_final.pdf</a>→p58を参照。<br />
</span></p>
<hr />
<p><strong>【エネルギーは大国間の主導権争いの手段】</strong><br />
ドイツは19世紀後半にようやく統一国家となり、中央ヨーロッパの大国の地位をオーストリア帝国から継承した。それでも世界の中では遅れてきた大国であ り、二度の世界大戦で英仏という既存の大国連合に挑戦し、敗戦で痛い目に遭ってきた。それでも、国際政治の中で他の大国に翻弄される立場に飽き足らず、少 しでも主導権を握ることができないか模索した中で出てきた回答が、自然エネルギー、とりわけ太陽エネルギーとなったようだ。<br />
20世紀後半以降のエネルギー大量消費社会においては、エネルギー資源の偏在が常に国際政治のパワーバランスを揺さぶってきた。現代の文明社会はエネル ギーの消費なくして維持することはできない。エネルギー輸入国にとっては、国際社会で強い影響力を発揮することが難しい。自らが大国たらんと志す国々は、 こぞってエネルギー資源の確保に力を注いでいる。<br />
エネルギー資源の代表格は、技術的に利用しやすい形態の石油や天然ガスであるが、国土が限られ、二度の敗戦で海外の既得権益を全て失ったドイツは、その いずれもほとんど自前で調達できない。しかもその調達先は、中東であったりロシアであったり、国際政治に翻弄されがちな、ドイツにとって思い通りに行かな い国々である。</p>
<table width="350" border="0" align="left">
<tbody>
<tr>
<td valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu17-2.jpg" alt="フランス電力公社の運転するロレーヌの原発" width="320" height="240" /><br />
<!--- Nuclear power plant in Cattenom, France (Author:Stefan Kuhn) / under GNU Free Documentation License ---> <span>▲フランス電力公社の運転するロレーヌの原発</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>一方で、原子力という新しい技術がある。しかし、チェルノブイリ原発事故以降、原子力技術開発をいったん中断した結果、ライバルのフランスから大きく水 をあけられてしまった。原子力は、現在の技術の延長線上では100年以内に天然ウランを掘り尽くしてしまうので、将来を託すにはプルトニウムを使った高速 増殖炉技術や核融合技術の開発が必要だが、技術の進んだフランスや日米でもこれらの技術には先が見通せない中、ドイツとしては原子力への回帰を選択できな かったようだ。<br />
あるいは、技術の面でフランスの後塵を拝することは、国民感情的に面白くないことなのかもしれない。</p>
<table width="280" border="0" align="right">
<tbody>
<tr>
<td align="right" valign="middle"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu17-3.jpg" alt="" width="240" height="320" /><br />
<span>▲屋根一杯に敷き詰められたシースルー型の太陽電池<br />
※オランダECNにて撮影<br />
</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><strong>【ドイツの富の源泉は技術と知的財産権】</strong><br />
考えてみれば、二度の敗戦、しかも分断国家を経験したドイツが、ここまで豊かになったのは驚くべきことである。同じように敗戦からの復活を果たした日本 人から見るとそれほど驚異には見えないかもしれないが、多くの植民地を独立で失い相対的に地位が低下した英仏に比べ、ドイツの復興は驚異である。では、何 がドイツをここまでの地位に持ち上げたのか。<br />
もちろんフォルクスワーゲンを始めとする自動車産業の貢献は大きかったが、日本ほど極端に大量生産技術を極めたわけではない。化学製品や医薬品類を中心 にした、新規の発明品とそれを生み出す技術の貢献、それを確かなものにする知的財産権によるところが大きかったと言われている。<br />
天然資源に乏しい中、技術と知的財産の力で大国の地位を再び手に入れたドイツは、エネルギーの分野でも技術と知的財産の力で大国間の主導権を引き寄せようとしているのである。そして、ドイツが将来エネルギーの分野で主導権を握るために選んだのが、太陽電池である。</p>
<p>[次号につづく]</p>
<div>Last Update: Oct.23,2007</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=61</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>オランダから見たドイツ《1》 Deutschland、ドイツ、Duitsland、Germany そして Dutch (2007年3月23日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=40</link>
		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=40#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 23 Mar 2007 14:21:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[4 オランダから見たドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=40</guid>
		<description><![CDATA[オランダ語でドイツのことを、Duitslandという。カタカナで書き表すとダゥツラント、日本語表記の「ドイツ」の語源でもある。 オランダ語は文法的にドイツ語によく似ており、言語学的にはドイツ語の方言に分類される。9世紀に [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>オランダ語でドイツのことを、Duitslandという。カタカナで書き表すとダゥツラント、日本語表記の「ドイツ」の語源でもある。</p>
<p>オランダ語は文法的にドイツ語によく似ており、言語学的にはドイツ語の方言に分類される。9世紀にフランク王国が3つに分裂したのが、フランス・ドイ ツ・イタリアの起源といわれるが、フランク王国の名前を受け継いだフランス以外は、国民国家を形成しようという意識が乏しく、19世紀に至るまで統一国家 としての形を成さなかった。</p>
<table width="340" border="0" align="RIGHT">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu10-1.jpg" alt="" width="320" height="256" /><br />
<span>▲Pieter Bruegel (1525-69)「狩」(1565)</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>分裂後の東フランク王国に相当する部分は、概ね今のドイツ、オーストリア、スイスの一部、そしてオランダ及びベルギーの北部ということになる。この領域 に住む人々は、方言による地域差はあるもの、共通の古ゲルマン語を話したという。東フランク王国は統一の体をなさず、各所に勃興する領主による分裂支配の 状態となったが、一応同じ古ゲルマン語を話す人々が住む領域全体を「われわれの土地」と称して、希薄ながらも帰属意識を持っていたようだ。<br />
この「われわれの土地」という言葉が、現代ドイツ語におけるDeutschlandである。もともとは「われわれの土地」を規定する境界線の定義などは、非常に曖昧なものだったという。</p>
<table width="340" border="0" align="LEFT">
<tbody>
<tr>
<td valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu10-2.jpg" alt="" width="320" height="267" /><br />
<span>▲Rembrandt van Rijn (1606/&#8217;07-1669)「夜警」(1642)<br />
絵画の世界では「集団肖像画」というオランダ独特の<br />
ジャンルが確立された。これはその代表傑作。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>歴史上、「われわれの土地」の中で最も早く経済や商工業が発展したのが低地地方すなわちネーデルランド、つまり今のオランダの地域である。ハプスブルグ 家など有力領主の領地として発展したが、バルト海貿易を独占することで徐々に住民たちが力をつけ、16世紀には世界最初の共和国として実質的に独立を勝ち 取り、17世紀前半にはフィリピン・オーストラリアからカリブ海・メキシコ湾まで、世界の貿易をリードする存在に上りつめた。商人を中心とする中流階級が 政治に強い影響力を持ち、貴族・上流階級との階層差の小さい社会を構築した。<br />
その間、オランダを除く「われわれの土地」では、ルターの宗教改革に端を発する血みどろの宗教戦争が繰り広げられた。社会構造は農業・酪農が中心で、領主・貴族階級によって一元的に支配され、中流階級の影響力は小さかった。</p>
<p>17世紀半ばを過ぎると、オランダの栄華の前に立ちはだかる者が現れた。英国である。当時のオランダは造船技術・武器製造技術・経済構造、どれをとって も世界の最先進国であった。一方、オランダ商人にいいように貿易を握られる他国人は面白くない。一人勝ちは反感を呼ぶ。周辺各国に反オランダ感情が広がっ た。英国人にしてみれば、目の前の英仏海峡を、富を満載したオランダ商船が行き交うのが面白くなくて仕方がない。技術に遅れはあるものの、喧嘩を売らずに は気がすまなかった。英蘭戦争は17世紀後半、三度に渡って繰り広げられた。</p>
<table width="600" border="0">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu10-3.jpg" alt="" width="600" height="350" /><br />
<span><span>▲Pieter Cornelisz van Soest (1640?-1667) 「Medwayを攻撃するオランダ軍船」(1667)</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>オランダは結果敗れはしなかったものの、大幅な譲歩をした。英国に、外洋航路の急所とも言うべき地の利を握られ、フランスと手を組んでまで攻め上げられては、商売自体が成り立たない。商売の存続を優先させるため、海上の覇権は英国に譲った。<br />
この頃英国人はオランダ人たちを何と呼んだか。正式には相手の国名ネーデルランダーだが、会話の中では、「われわれの土地」の住民たちの自称する発音を まねて、Dutchと呼んだ。もともとは「われわれの土地」の住民たち全体を指す言葉として使われていたが、この頃以降、英語の文脈の中ではDutchは オランダのみを指す頻度が圧倒的となり、いつしか「われわれの土地」の残りの領域は意味しないことになった。</p>
<table width="260" border="0" align="RIGHT">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT" valign="top"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu10-4.jpg" alt="" width="240" height="300" /><br />
<span>▲鉄血宰相ビスマルク</span> <!---Franz von Lenbach (1836-1907)「Otto von Bismarck」(1879)---></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>19世紀前半、ナポレオンへの屈服を克服した「われわれの土地」の住民たちは、国民国家形成の意思に目覚めた。1871年にかつて屈辱を受けた皇帝の 甥っ子ルイを跪かせ、ついに鉄血宰相ビスマルクの指導のもと、「われわれの土地」Deutschlandを国号とする国家が誕生した。</p>
<p>さて、困ったのは英国米国など、英語を話す人々である。本来Deutschlandを指すはずだった英単語Dutchは既にオランダに売約済みである。 仕方がないので、より広い意味を包含するGermanを、ドイツのみを指す言葉にも転用するという、非常にまずい選択をした。<br />
本来Germanと言えば、オランダも含めたドイツ民族だけでなく、デンマーク、スカンジナビア、そして英国内に広く分布するアングロサクソンも含まれ る。我々日本人は、別の言葉であるゲルマンとドイツとを明確に区別することができるが、英語を母語とする国民、特に米国人で、Germanという一つの言 葉に対して、ゲルマンとドイツの違いを正しく理解して使い分けられる人間は余程のインテリ層だけだろう。歴史の理解に混乱を呼んでいることは想像に難くな い。<br />
米国人一般の世界観が時に致命的に誤っている場面に遭遇することは稀ではないが、その原因の一つが、Germanという言葉一つに複数の意味を持たせていること、そしてそれが引き起こす混乱を放置することに鈍感であることに現れていると思えてならない。</p>
<p>ところで、ご存知のように英語におけるDutchという言葉はネガティブな意味に使われることが多い。これとて、17世紀の反オランダ感情、先進地への 妬み心に端を発するもので、ほとんどの物は根拠に薄い品のない罵りである。結果的に英語が世界一メジャーな国際語になってしまったのでこれらの表現が世界 中に継承されてしまったが、オランダ人にすれば失礼千万な表現である。<br />
言葉の表現に敏感な我々日本人なら、とうの昔に使用禁止になっていてもおかしくないこれらの言葉は、できる限り使用を差し控えることで、英語国民より言葉に対してナイーブな民族であることをさりげなくアピールするほうが得策だ。</p>
<div>Last Update: Mar.23,2007</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?feed=rss2&#038;p=40</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
