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	<title>ワールドアイ　オランダ &#187; 2 ペッテンとアルクマール</title>
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		<title>ペッテンとアルクマール《3》 (2006年12月23日)</title>
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		<pubDate>Sat, 23 Dec 2006 14:18:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[2 ペッテンとアルクマール]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; ▲チーズ計量所２階から見たチーズ取引 ▲揃いのユニフォームのチーズ運搬人 オランダに観光で来る人たちにとって、アルクマールは比較的知られた町である。この町の中心にある広場で、4月から9月初旬までの毎週金曜日 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="RIGHT">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu07-1.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲チーズ計量所２階から見たチーズ取引</span></td>
</tr>
<tr>
<td align="RIGHT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu07-2.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲揃いのユニフォームのチーズ運搬人</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>オランダに観光で来る人たちにとって、アルクマールは比較的知られた町である。この町の中心にある広場で、4月から9月初旬までの毎週金曜日の午前中、 昔ながらの方法でのチーズの取引が行われる。オランダは現在ドイツ・フランスと並ぶ世界のチーズ生産高トップ3の一角であるが、他の2国と違い世界に流通 ネットワークを早くから構築したオランダは、古くからのチーズ輸出国として知られている。オランダを訪れた観光客は、その歴史の一部を垣間見るために、ア ルクマールを訪れるのである。</p>
<p>取引されるチーズは、主にゴーダチーズと呼ばれる黄色い円盤型のフィルムで覆われたチーズで、ひと塊およそ10kgの重さである。日本ではチーズといえ ば要冷蔵の乳製品というのが常識だが、チーズは元来家畜の乳を保存食とするために開発された加工品なので、開封しなければ常温での長期保管が可能で、少し の間なら炎天下に晒しておいても問題はないようだ。</p>
<p>朝から広場いっぱいにチーズの塊が整然と並べられ、司会の進行に従って元売りの出品するチーズが卸売りに競り落とされていく。競り落とされたチーズは、 揃いのユニフォームを着たチーズ運搬人によって独特の形のチーズ運び籠に載せられて、広場脇の計量所で古めかしい天秤を使って計量される。その後再びチー ズ運搬人が広場の反対側に運んで行き、競り落とし人のトラックに載せる、というのが一連の流れである。</p>
<p>広場の周辺は金曜午前だけ張り巡らされる臨時の柵によって仕切られ、柵の周辺は観光客でごった返している。昔は競り落とし人はトラックではなく、広場脇 の船着場に着けた船にチーズを積み込んだのであろうが、今は広場の船着場側には観光露店が軒を並べ、観光客の運河への転落防止に一役買っている。</p>
<p>当然ながらこのような形のチーズ取引は観光用の見世物で、今ではアルクマールの他は、チーズの産地として知られるゴーダとエダムを含む3ヶ所でしか行われておらず、規模と期間もアルクマールが最大・最長である。</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="LEFT">
<tbody>
<tr>
<td align="LEFT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu07-3.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲ゼーンセ・スハンス(Zaanse Schans)</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ただ、惜しいかな、アルクマールにはチーズ取引以外に物珍しい観光資源がない。金曜朝にアムステルダムのホテルからやって来た観光客は、一通りの行事が 終わった午後には中途にある観光地ザーンセ・スハンス（18～19世紀頃のオランダを再現した町）に立ち寄った後、アムステルダム西方の古都ハールレムへ と移動する。ザーンセ・スハンスやハールレムへは、大運河を大型船で遊覧していく人気の観光コースもあるので、チーズ取引が終わると、観光客はそそくさと アルクマールを後にする。</p>
<p>そんなわけでアルクマールは、春夏の金曜午前の喧騒を除けば、至って静かな町である。もちろんそれ自身比較的大きな都市で、周辺の町から見ても中心的な役割を担っているので、商店が連なる通りは賑やかで、アウトレットのような大型店が集まって出店している地区もある。<br />
筆者の知人の住民たちは、ほぼ例外なくチーズ取引の混雑が好きではないようで、永年住んでいても一度も見物に訪れたことがないという人も多い。筆者も京 大での9年間の在学中、観光客が必ずと言っていいほど訪れる、金閣寺にも銀閣寺にも龍安寺にも清水寺にも行かなかったヒネクレ者であるが、観光地の住民と いうのはそれなりに複雑な感情を持って暮らしているようだ。</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="RIGHT">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT"><a href="http://www.alkmaar.nl/monument/1597.htm" target="NEW"> <img src="../../../worldeye/nederland/alkmaar1597.jpg" alt="" width="320" height="240" border="0" /><br />
<span>▲1597年のアルクマール</span><br />
<span>http://www.alkmaar.nl/monument/1597.htm</span></a></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>アルクマールが初めて歴史に登場するのは、ペッテンより少し遅れて10世紀ごろのこと、1254年には都市として成立したという。1560年代後半から 始まる対スペイン独立戦争で、スペイン軍に包囲されることになるが、1573年に劣勢を跳ね返して包囲軍を撃退した。それまで敗戦続きだったオランダ側 は、この勝利をきっかけとして徐々に勢いを増して行ったと言う。アルクマール市役所のウェブサイトには、1597年の古地図が掲載されている。おそらく、 スペイン軍撃退後、再度の侵攻に備えて補強を加えた後の姿であろう。</p>
<p>なお、1573年といえば、日本では織田信長が浅井氏・朝倉氏を攻め滅ぼし、足利将軍家を京都から追放した年である。その2年後の長篠の戦いは、世界で 初めて大量の鉄砲を組織的に使用した戦争とも言われる。アルクマールの防備が固められた時代の兵器レベルも、信長の時代とほぼ同等と考えると興味深い。街 区を取り囲む濠の要所要所に突き出た防塁に、濠を泳ぎ渡って侵攻してくる敵兵を狙撃する鉄砲隊が置かれたのだろうか。<br />
その後アルクマールは、ナポレオンのフランス、ヒトラーのドイツによる外国軍の駐留を経験するが、直接の戦禍を蒙ることはなかった。1597年の古地図に記された通りや運河の配置は、今もほとんどそのままである。興味のある方は、<a href="http://www.google.co.jp/maps?ie=UTF8&amp;oe=UTF-8&amp;hl=ja&amp;ll=52.631188,4.747982&amp;spn=0.009038,0.02135&amp;t=h&amp;z=16&amp;om=1" target="NEW">Google Map</a>などと見比べてみて欲しい。</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="LEFT">
<tbody>
<tr>
<td align="LEFT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu07-4.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲橋に近づくクルーズ船</span><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu07-5.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲頭を下げてくぐり終わるのを待つ</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>アルクマールに来られる機会があれば、ぜひ運河クルーズ（rondvaart）を体験してもらいたい。出発は上述のチーズ計量所前、約40分間で、古地 図に記された街中の古い運河から、かつて都市防衛の役割を果たした濠の一部を通り、大型船が行き交う大運河を経て、チーズ計量所前に戻ってくる。</p>
<p>アムステルダムを始めオランダの主要な都市では、どこでも運河クルーズが観光の売りだが、アルクマールの運河クルーズは一味違う。なんと、船に屋根がな い。他の都市では録音された音声ガイドが周囲の建物の案内をするが、アルクマールではガイドがライブで案内をする。そして、ここが最も重要なのだが、ここ の船ではボンヤリ座っていられないのである。座ったときの頭より低い高さの橋をいくつもくぐるのだ。そのような橋に近づくと、ガイドが必ず頭を下げろと警 告する。警告に従わずに頭を怪我しても自己責任、実にスリリングな運河クルーズなのだ。</p>
<p>ここの運河クルーズを体験すると、アムステルダムの運河クルーズは退屈で仕方がないものになる。アムステルダムの運河クルーズは、本来観光客なら楽しめるものなので、アルクマールに来る前に、アムステルダムの運河クルーズを体験しておくのが無難かも知れない。</p>
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		<title>ペッテンとアルクマール《2》 (2006年11月30日)</title>
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		<comments>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=28#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 30 Nov 2006 14:17:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[2 ペッテンとアルクマール]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; ▲バス停「ECN前」 ▲(筆者と)空気を運ぶバス ペッテンは、オランダの田舎である。 周囲を見渡せば、花畑（ただし、春限定）と牧草地が広がり、西側には南北に走る巨大な堤防が聳え立ち、その向こう側には北海があ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="RIGHT">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu06-5.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲バス停「ECN前」</span></td>
</tr>
<tr>
<td align="RIGHT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu06-2.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲(筆者と)空気を運ぶバス</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ペッテンは、オランダの田舎である。<br />
周囲を見渡せば、花畑（ただし、春限定）と牧草地が広がり、西側には南北に走る巨大な堤防が聳え立ち、その向こう側には北海がある。人口の集中する鉄道 駅までは距離があり、車がなければ不便を強いられると思いがちだ。しかし実際は、最寄り駅に向かう路線バスが、平日は30分に1本、週末は1時間に1本走 るので、それほど不便を感じない。</p>
<p>では、30分に1本走るということは、それだけ利用者がいるかというと、ペッテンまでは空気を運んでいることもしばしば、間違いなく赤字である。これが日本なら、ECNへの通勤者がいる朝夕に数本と昼間に２，３本あればいいほうである。</p>
<p>ところが、オランダのバス会社は鷹揚で、運転手は乗客数をカウントする義務を負っていないらしく、路線が赤字だろうが黒字だろうがお構いなし、決められ た始発の時間に出発し、終点まで運転すればそれでよし、のようだ。乗客は乗車時に運転手に降車所を申告し、定められた料金を支払うことになっているが、運 転手は降車する客をいちいちチェックしない。阪急バスの社員が見たらショックで目眩を起こしかねないシステムである。</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="LEFT">
<tbody>
<tr>
<td align="LEFT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu06-1.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲アルクマールのバスターミナル</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>バス料金の払い方もいくつかのバリエーションがある。乗車時に運転手に現金を支払う方法や区間限定の定期券の他、全国共通一日券や全国共通回数券などが ある。一日券は当然回収されないし、回数券も乗車時の場所と時刻を刻印するだけで、運転手は回収もしなければ使用カウントを記録もしない。オランダ国内に 複数のバス会社が地域ごとに棲み分けをしているが、全国共通券でプールされた資金を会社同士がどのように分配しているかは謎である。もちろん、ペッテン路 線のような明らかな赤字路線が堂々と営業を続けているのだから、税金による補助があることは想像に難くない。オランダのバス会社の運営状況が気になりだす と、昔の漫才師の言葉ではないが、それこそ気になって夜も眠れなくなりそうである。</p>
<p>ときに、公的インフラの民営化先進国といわれるオランダであるが、ことバス会社の運営を見る限り、日本のバス会社のほうが……一部の公営バスを除けばだ が……より健全に資本主義的経営を行っているように見える。これは日本の都市部で競合する複数の鉄道会社にも当てはまることだが、日本のバスや鉄道会社は 精緻な料金回収システムと乗車区間の管理の徹底により、各路線の採算度を厳密に弾き出し、ときには非情に思える減便や路線廃止を伴うものの、無駄な出費を 極力抑える真摯な経営努力を行っている。その分公的補助への依存度は少ないはずで、日本の居住者は納税者としては恩恵を受けていることになるのだ。一方 で、日本の納税者は、これら乗客輸送会社の社会貢献と経営努力に理解を示し、不採算路線を公的資金で維持することに対する寛大さも必要であろう。ペッテン から最寄り駅までの約30分の道のり、筆者はこんなことを考えながら日々うたた寝をするのである。</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="RIGHT">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu06-3.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲十三とはあまり似ていないSloterdijk駅</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ペッテンの最寄の鉄道駅は、筆者が住んでいるアルクマールである。アルクマールからはIntercity(都市間列車)とSneltrein(快速列 車)がそれぞれ30分おきに発車しており、アムステルダム中央駅まで前者で30分、後者で40分、アムステルダムを大阪とすると、京都や奈良ぐらいの距離 感である。ちなみに、アムステルダム中央駅からアルクマール方面へ一駅めのSloterdijk駅は、アルクマール方面、ハールレム方面、ハーグ方面の3 方面への乗換駅で、いわば十三駅である。ヨーロッパ屈指のハブ空港・アムステルダム国際空港（スキポール空港）は、Sloterdijk駅からハーグ方面 へ約10分で鉄道線と直結しているので、遠来のゲストにとっても、アルクマールは比較的便利な町といえる。</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="LEFT">
<tbody>
<tr>
<td align="LEFT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu06-4.jpg" alt="" width="320" height="240" /><br />
<span>▲アルクマールの街角で</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>アルクマール市の人口はおよそ8万人だが、周辺の商業圏を合わせると10数万人規模の町になる。オランダでは中規模クラスの都市である。オランダの中心 地からさほど遠くなく、歴史もあり人口もそれなりにいるのだが、オランダ都市の中では比較的外国人の割合が少なく、「古き良きオランダ」が残っているとこ ろだという。オランダは古くから流通産業で栄えた国だが、アルクマールを含む北ホラント州の大半は半島部に位置し、流通のメインストリームから外れている ことが幸いしているのかも知れない。<br />
アルクマール近辺の住民にはアムステルダム方面に通勤する住民も多く、平日の朝夕は鉄道・高速道路ともかなりの混雑である。朝8時前のSloterdijk駅は、十三駅と同様多くの通勤客がひしめく。</p>
<p>さて、今回はアルクマールの話を中心に書くつもりだったが、ずいぶん脱線してしまった。鉄道では脱線するわけには行かないが、オランダのバスはルートが工事中なら当り前のようにルートを変更する。バスの話に免じて、今回の脱線はお許しいただくことにしよう。<br />
なお、鉄道についても、いずれ改めてご紹介することにしたい。</p>
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		<title>ペッテンとアルクマール《1》 (2006年10月23日)</title>
		<link>https://www.rikuryo.or.jp/world_eye/nederland/?p=26</link>
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		<pubDate>Mon, 23 Oct 2006 14:16:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[2 ペッテンとアルクマール]]></category>
		<category><![CDATA[太陽電池と「低い国」と]]></category>

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		<description><![CDATA[&#160; さて、今回からようやくオランダの話を中心に書くことになる。 オランダといえばアムステルダムであるが、筆者はアムステルダムに住んでいないこともあって、さほど詳しくはない。将来機会があればこの連載で何かを紹 介 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p>さて、今回からようやくオランダの話を中心に書くことになる。</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="RIGHT">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu05-1.gif" alt="オランダの地図" width="320" height="320" /></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>オランダといえばアムステルダムであるが、筆者はアムステルダムに住んでいないこともあって、さほど詳しくはない。将来機会があればこの連載で何かを紹 介するかも知れないが、たぶん書かないだろう。というのは、アムステルダムには数千人の日本人が住んでいるし、その中にはオランダ語も堪能な上に日本語の 文章も上手な方々が多数おられる。また、六稜の先輩にはアムステルダム在住の某大学教授もいらっしゃるので、筆者の出る幕ではない。</p>
<p>今回と次回とで紹介するペッテンは筆者の勤務先がある町、アルクマールは筆者が住んでいる町である。前者には日本人居住者はなく、勤務者もたぶん筆者一 人だろう。後者はオランダの中では比較的大きな町だが、日本企業がほとんど進出していないことや大学がないこともあって、家族で住んでいる日本人は筆者の 家族だけのようである。他にはオランダ人と結婚して住んでいる女性が数えるほどといったところか。オランダ語もろくにわからない筆者がこれらの町について 紹介するのはある意味大それた話ではあるが、あまり日本語で紹介される機会もないので、筆者なりに集めた情報でもって容赦していただくことにしよう。</p>
<p>ペッテン(Petten)はアムステルダムの北北西約65キロに位置し、北海をのぞむ海岸沿いの町である。人口は千五百人ほどの小さな村で、主要な産業 は輸出用の球根栽培と観光である。5月上旬には近辺の畑に織り成す絨毯のごとく花畑が広がる。7月8月を中心にした前後4ヶ月ほどは、街中は長期休暇を楽 しむ観光客で賑わい、天気のいい日は海水浴場でも老若男女がゆっくりと時間を過ごす。</p>
<table width="600" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu05-02.jpg" alt="ペッテンの海水浴場" width="600" height="160" /> <span>ペッテンの海岸で海水浴を楽しむ人々</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>北海の水温は何度ぐらいであろうか、筆者は北野高校水泳部員として4月下旬から冷たいプールで泳いでいた身ではあるが、たとえ夏の最盛期でもこの冷たい水 はとても楽しむためのものとは言えない。それでもこちらの人たちが海に入って楽しそうにしているのは驚きだ。人類の長い歴史の間、寒冷な西北ヨーロッパに 適応してきたゲルマン民族と、高温多湿な日本に適応してきた日本民族では、快適に感じる温度が違うのか。それともただの個人差か。海辺に行くのは好きだが 海に入るのは好きではない、というオランダ人同僚も、もちろんいる。</p>
<p>話が横道にそれた。</p>
<p>ペッテンにやってくる観光客は、圧倒的にドイツ人が多い。フランス人は海に行きたければ地中海へ行くし、イギリス人はどうせ海を渡るならばとスペインやト ルコ、エジプトなどに行く。ドイツにはあまり海がない。デンマークの東側はバルト海、西側の海岸線も長くはない。地中海やアドリア海に自家用車で行くのは 大変だ。国境から車を飛ばして2時間半、ペッテンはドイツ人から見て手軽な夏の観光地である。有名なスケフェニンヒェン海岸は人も多くて滞在費も高くつく が、知る人ぞ知る鄙びた田舎町、というのがいいのかも知れない。</p>
<p>では、オランダ人の観光客はどうか。見たところ、あまり多くないように見える。理由は二つ。オランダ人はどうせバカンスに旅行に行くのなら、学生時代に鍛 えた（あるいは、鍛えさせられた）外国語能力を有効活用するために外国へ行く。オランダ人はほとんどの人が英語での会話能力に問題がないし、中等教育以上 では英語に加えてドイツ語とフランス語も必修である。物を無駄にしないことを美徳とする彼らは、せっかく養った外国語能力を使わずにはおれないのだ。もう 一つの理由は、オランダ人がバカンスの滞在地にペッテン選んだ場合、たいてい長期滞在である。かといって外食はほとんどせず、普通に住人に溶け込んで暮ら している。隣人が昼間に何をしてようがお構いなしのオランダでは、観光客なのか住人なのか区別がつかないのだ。さすがに、テント暮らしやバンガローハウス 暮らしをしていれば、観光客だと見分けはつくけれども。</p>
<table width="340" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="RIGHT">
<tbody>
<tr>
<td align="RIGHT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu05-3.jpg" alt="ペッテン：1945年広場" width="320" height="240" /><br />
<img src="../../../worldeye/nederland/komatsu05-4.jpg" alt="ペッテン：1945年広場" width="320" height="240" /><br />
<span>ペッテンの中心にある<br />
「1945年広場」</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>実は、ペッテンには歴史がある。アムステルダムやアルクマールなどと違って、干拓地の上にできた町ではない。オランダが国土と海との境界線として定め た、砂丘の上を基点として造られた町である。オランダが干拓に積極的になり始めたのは900年前とも1000年前ともいわれているが、ペッテン周辺にはそ れ以前から小さな集落があって人が住み着いていたらしい。国土の干拓が進み、アムステルダムや東方貿易の中心地となるエンクハウゼンが栄えるようになって も、北海の荒波にさらされるペッテンは流通経路から取り残され、ついに大都市となることはなく、細々と農耕や牧畜を中心産業とする時代が続いた。</p>
<p>そのペッテンに激変が訪れる。1943年のことである。当時西ヨーロッパを支配下においていたナチスドイツは、イギリス本土からの連合国軍の攻勢に備え るため、「大西洋の壁」と呼ばれるフランスからノルウェーに至る長大な海岸防衛線の構築を企図した。「壁」の監視基地の一つとして白羽の矢が立てられた ペッテンは、全住民が退去を余儀なくされ、家々は破却された。ペッテンの監視基地が連合国側の主たる攻撃目標とならなかったことが、あえて言うならば不幸 中の幸いというべきか。</p>
<p>ペッテンの中心にある広場の名前は「1945年広場」という。ペッテンの住民にとって、ドイツからの解放の喜びはひとしおだったことだろう。ドイツ軍が去って帰ってきた住民たちを中心に、再びペッテンの街づくりが始まった。</p>
<table width="276" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" align="LEFT">
<tbody>
<tr>
<td align="LEFT"><img src="../../../worldeye/nederland/komatsu05-5.jpg" alt="ペッテン：1945年広場" width="256" height="192" /><br />
<span>1961年に完成し現在も稼動中の原子炉。<br />
医療用放射性物質の製造も行っている。</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ECNの前身Reactor Centrum Nederland（オランダ反応器センター）が、ペッテンの町外れ、1945年広場から約3キロ北北東の砂丘の地に設立されたのは1955年のことであ る。オランダ初の原子炉を持った研究所の候補地は、干拓地のような地盤沈下の心配のある土地でなく、海沿いの砂丘地帯である必要があった。ペッテン北端が 選ばれたのは、主にその理由によるところが大きいが、上のような理由から愛国心の強い住民が多く、国策に喜んで協力する雰囲気が強かったことが窺い知れ る。</p>
<p>そんなペッテンの住民たちも、今では夏の観光シーズンになると、「ペッテンは今も昔もドイツ人に占領される運命にあるんだよ」と冗談めかして語ってくれる。</p>
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