紹興-沈園

2013年10月15日

 宋代の沈氏のプライベートな庭園だったが沈氏の末裔が1949年に国へ寄贈。 嘗て 山、池、橋、楼閣、流水など趣向を凝らした面積70畝余りもある広大な名庭園であった。沈氏は毎年春になると庭園を開放したので当時の文人名士が絶えず訪れ詩を吟じたりしたものだという。1985年考古踏査発掘、1987年平面図作成、これに則り大部分を復元。詩碑≪釵頭鳳≫、孤鶴軒、閑雲亭、冠芳楼、蓮池、枝垂れ柳、池に映る花の影・・等など 江南名庭園と呼ばれるにふさわしい佇まいの数々に暫し時を忘れて見惚れてしまった。

 

この庭園が取りもった陸遊と唐琬の恋の結末を ≪ 釵頭鳳 ≫ に詠いこんだ壁の前で観光客はツアコンの説明に熱心に耳を傾けている。  詩人陸遊20歳、美人で情の深い唐琬と結婚。彼女も詩をよくしたので琴瑟相和し幸せであった。しかし、陸遊の母は嫁が気に入らず彼に に逆らえなくて実家へ送り返したと偽り密かに彼女を匿ったが発覚し遂には離婚させられてしまう。無理矢理に別の妻を娶らされ、唐琬 も陸遊の従弟に嫁がされた。27歳の春、陸遊は沈園を訪れ、従弟と唐琬を見かけた。従弟は妻の心を知っているので陸遊に酒肴を送り挨 拶とした。唐琬のやつれた姿を見て陸遊は苦い酒を飲み干し別離の苦しさを詩にして壁に書きつけた。唐琬も返詩を送るが、その後、間 もなく病を得てこの世を去る。陸遊は84歳まで詩を書いたが離婚を後悔していると何度もその詩の中に吐露している。