大阪府第一番中学校(中之島校舎)

明治10(1877)年8月29日

itiban1.jpg 1873年本校の基礎である欧学校が開校(のちに集成学校と改称)、1874年には東進級学校と西進級学校(のちに合体して進級学校)が開校するが、1877年にはこれらが統一されて大阪府第一番中学校となる。 府立中学校はこの第一番中学校だけであり、二番以下は郡立、区立であった。 しかし、この第一番中学校も1880年に府の本校費予算全額削除という事態になり、一時期私立大阪中学校になったこともあった。 1881年には再び府立大阪中学校に戻るが、大阪府師範学校の中学科に編入されるなど、世情を反映してめまぐるしく変遷することとなった。 それにしても、短期間とはいえ、北野が「私立」という時期があったことは覚えておきたい。
中之島校舎は中之島常安寺の旧久留米藩邸跡(旧阪大医学部西隣)に新築した。 当時の学校建築としては珍しい洋風の堂々たる建物であったらしい。 ここには師範学校・進級学校・集成学校が同居するという形になっている。 進級・集成の両校は学科や教師などかなりオーバーラップしていたらしく、合併して大阪府第一番中学校になるのは、たいへん自然であったらしい。