六稜NEWS-080509

▲後白河法王(林喜右衛門)

「大原御幸異聞」を観て

reporter:興津純子@64期

佛教的無常観に貫かれた一大叙事詩「平家物語」の最終巻に取材した能作品に樵を登場させ、その独白=モノローグ=によってお能と現代劇を巧く合体させ、膨らみをもたせた作品である。

 平清盛の娘として生まれ、高倉天皇の中宮になった建礼門院は、安徳天皇を生み女として最上の栄華をきわめたが、壇ノ浦の合戦に敗れた平家一門と運命を共にして、幼帝を抱えて入水する。しかし、源氏の兵の熊手に御髪がかかり引き上げられ、捕らわれの身となったが、その後、髪をおろし仏門に入り先帝や一門の菩提を弔いひっそりと余生を送る。

 舞台は都よりかなり離れた草深い洛北の大原の里で日々を過ごす建礼門院の元に、義父の後白河法王が訪ねて来る。女院は仏前に供えるお花を取りに裏山に出かけ入れ違いになる。その間樵のモノローグで女院の人里はなれた地でのわび住いが語られる。


▲建礼門院(梅若晋矢)

 ややあって、戻ってこられた女院は法王の思いがけない訪れに驚き喜ぶ。そして問われるままに壇ノ浦での地獄絵図のような戦場の有り様や、幼帝のご最後の様子などを涙ながらに語られる。やがて時が過ぎて法皇は帰っていかれ女院はそれを見送る。

 女院はあらゆる平氏の身内が討たれ、又は入水して行くのを目の当たりに見てこられた人である。我が子が海底に沈み行くのをむなしく見送った母親である。彼女ほど現世で地獄を見た女性も少ない。作者はこのような女院に樵のモノローグで鎮魂をおくります。
「あの時に死んでおけば良かった。そうすればもっと楽であっただろう、が私にはこのようにして生きて、死者の菩提を弔うことが与えられた道である。私は生きなければならないのだ」と語らせ、我々も共に考えさせられて終る。又、樵の役者の活舌もすばらしかった。

 謡曲、地謡で舞台に重厚さと幽玄の世界を醸し出し、その間に我々にも理解できる言葉で語りながら舞台を進めていく樵の存在は、お能に接する機会の少ない者には良い手助け的な存在であった。そして建礼門院の美しいこと!
 あの美しさは生身の女性では出せるものではない。
 艶やかな尼僧姿で登場する女院と内侍の気品と幽玄は能の世界独特のものであり、その余韻につつまれて幕となった。

last update : Jun.9,2008