六稜NEWS-080412
 
かつての上司の「母校講演」と聞いて
応援に駆けつけた上田さん

六稜トークリレー【第51回】
「宇宙カメラよもやま話」
〜小林辰夫さん@59期


reporter:上田 宏さん(元ミノルタカメラ設計者/小林さんが設計課長当時の課員)


【講演抄録】
 本日の私の話「宇宙カメラよもやま話」ご指名いただいた程には面白くない話になるかも知れませんがご容赦ください。私の44年に亘る因縁めいた、ミノルタとの関係や見聞を織り交ぜながら、一見派手に見える成果も“運・鈍・根"を信じて地味な努力の賜物であるというお話を致します。
 アメリカの現地法人社長であった楠本定平さんの著書『日本的経営の成功』(講談社刊)の宇宙カメラに関する部分……第10節「初めて宇宙を飛んだミノルタカメラ」(265ページ)……が今日の話のイントロとして的確に書かれていますので、北野中学の同期でカメラ屋さんとして販売でもお世話になった岡原さんの好意で朗読してもらいます。
 
朗読をする同期の岡原進さん。
永年、天満橋OMMビルでミノルタカメラの専門店
「オカハラフォト」を経営した。

「ミノルタが宇宙時代に突入したのは1962年2月20日のことである。ミノルタ側が何も知らないうちに、初めて地球周辺の宇宙旅行に成功した。アメリカ人ジョン・グレンがその日、ミノルタを世界的に有名にしてくれたのである。アメリカの航空宇宙局(NASA)はグレン中佐フレンドシップ7号の宇宙旅行に際して、カメラを用意していなかったが、中佐はぜひとも持って行きたいと思った。打上げの数ヶ月前、彼らは発射場のケープカナべラルの近くにあるドラッグストアに行った。数台のカメラを買ってきたが、その中にアンスコ・オートセットがあった。これはミノルタのハイマチックである。……プログラムされた自動露出という利点があり、当時市場に出ていた中では操作が一番簡単で、信頼できるカメラだった。……その設計者小林辰夫が自慢した通り見事なデザインをもつカメラだった。……ハイマチックは立派に大役を果たした。グレン中佐がフレンドシップ7号から撮った写真は世界中に報道され、多くの記事の中で彼が使ったカメラも紹介された。その改良されたハイマチックは現在ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に保存されている。」

 たぶん落語の世界の“三題噺"だと思うのですが、以前からこの話の運びが気に入って、今回も7年前に使ったのと同じお題を並べましたが、谷さんにお手伝いいただき映像面で豊富になってます。

 
実際に宇宙を飛んだアンスコ・オートセット
(=ミノルタ・ハイマチック)の展示を眺める
小林さん(スミソニアン航空宇宙博物館で)

◎1928 ミッキー ミノルタ
1928年ミッキーマウス誕生、ミノルタ創業・小林辰夫誕生。同期の漫画家手塚治も同年11月誕生。K.T (ミノルタ創業社長:田嶋一雄)とT.K.(小林辰夫)。頭文字同じで11月誕生も同じ

◎5人 3000億 80%
1952年入社当時の設計者5人、2000年の売上3000億円、輸出比率高い80%

◎バブル 特許 為替
80年後半αで高収益、H社特許1億ドル出費、円高をリストラ海外生産で回避

◎乾板 Kodak ライカ
1839年ダゲール、1888年 Kodak社携帯カメラ、1925年ライカA型誕生

◎より明るく より速く エトセトラ
レンズは明るくF1.1、シャッター高速に(小林ミノルタ担当)

◎1954ライカM3  感度自動設定 30分
35ミリライカ版、フイルム感度自動設定パト、プリント

◎ミノルタV2 2/18/500 2.8/13/700
V2はF8で1/2000の高速,小絞りと高速シャッター相間性

◎1960ユニオマット  AV,BV,LV,EV プログラム
絞り兼用シャッターで露光プログラム制御

(20分休憩-ハイマチック、V2, ユニオマットシャッターの拡大透明プラスチック羽根駆動モデル操作)

◎1962/2/20 グレン中佐 アンスコ
透明プラスッチックモデルシャッター操作と楠本定平著参照

◎1962 ユダヤ人 ライツ
1962年に日本がドイツのカメラ産業を追越す。ユダヤ人の米国カメラ販売協力もあった。ミノルタは1971年にエルンスト・ライツ社と業務提携。

◎1998/10/29~11/7 77才 チョートクカメラ
グレンさん77才で再宇宙。田中長徳の宇宙カメラ特集


【感想】
 
講師と奥さま、六稜ミノルタ関係者と記念写真

 この度、ミノルタ入社時からの大先輩小林さんが母校北野高校講演されるとのことでホームページを見てみると本校同窓生に限らず聴講を広く許容されていて、十三駅から便利でモダンな六稜会館講演会に出席致しました。同校は学力だけでなく小林さんと同期の手塚治さんをはじめ、創造性・独創性に溢れた人材を多く輩出した校風の定評があり、最近は科学技術、理科・数学教育重視の「スーパーサイエンスハイスクール」(SSH)指定校で母校での創造講話にはミノルタのカメラ創造のパイオニアである小林さんの話は似合いと思いました。小林さん今もコーラスされていて声が通る講演でした。

 講演後の質問で小林さんが答えておられたように“創造は問題解決努力の潜在意識のある人が歩いている時などにふと思い付くもの”で技術者が創造的仕事をしているとき気がめいることがあるから、図面描く等機械的な事をして気晴らしをと技術者指導をされていたのを懐かしく思いだした次第です。

Last Update: Apr.14,2008