六稜NEWS-070804
 
ISBN4-02-100125-5

六稜トークリレー【第44回】
「硫黄島の兵隊〜生還した父が遺していったもの」〜吉川清美さん@80期

reporter:磯野和彦@75期


私自身が、「昭和前期史=戦前史」を独学中ですので、非常に興味をもって拝聴いたしました。

吉川さんのお話は、父上、越村敏雄氏が以前に著された『硫黄島守備隊』(1978年発刊)を基にされており、吉川さんが加筆編集された『硫黄島の兵隊』を講演後に会場にて買い求め、急ぎ通読しましたので、この著作の読後感を述べさせていただきます。

    一言で申すならば「戦争開始は国家(指導者)が決め、始まった戦争で、敵と戦場で殺しあうのは国民」という、冷厳なるこの世の現実を感じました。
    またこの硫黄島での日本人兵士達が「想像を絶する状況下、何一つ文句も云わず黙々と、地下壕陣地を掘削し、米軍の猛爆に耐え、米軍が上陸すれば白兵戦を勇敢に戦い、爆弾を抱いて戦車に突っ込み、あるいは日本刀をかざして切り込み特攻をやり、最後は、栗林司令官の命令の下、全員玉砕、自決していった」という事実に、後続世代の同国人として、ほとんど慄然としました。

    「なにが、彼らをして、そこまで行動させる、根源(エネルギー)だったのか?」という率直な疑問です。強制とか、諦め・絶望ばかりではないはずだ、いったい「(あの頃)何があったのか?」というのが私の年来の疑問ですが、この著作を読んでも、すぐに分るものではありません。

    戦後になって、生還兵士が「米軍は、蒸留飲料水を硫黄島で飲用していた」という事実を知ったとき、いかばかり国家(大日本帝国)に怒りを感じただろうか?と想像しました。また、日本軍に、1,033名の負傷・病症生存帰還者があったという点、あれだけの自軍兵員に太平洋戦争史上最大といわれる大損失を出しながらも、硫黄島制圧後に、これらの敵軍の戦闘不能者を始末せず収容した米軍は評価されるべきと、感じました。米軍に投降しようとする兵を背後から上官が射殺したといわれる硫黄島日本軍の「戦争の仕方」との違いを感じます。

    生還された父上が怒りをもって告発された「硫黄島のあの、熱いガスの充満した地下壕に、子供のように縮んだ万を超える仲間がまだあの時と同じ格好でいるのであります……もしも、彼らの世界に言葉があったら、彼らは何というでしょう」という戦後日本の事実。彼らを代弁するならば「オレ達をいまだに放置している、戦後の日本と日本人すべてを、未来永劫呪ってやる!」ということでしょうか、それとも「オレ達が犠牲になって(バカな)戦争が終わったんだから、あとの日本人はもう二度とこんなバカなことはするなよ!」でしょうか。

「あの頃の日本に一体何が起こったのか?」は、後続世代として、いつまでも放置しつづけることは出来ません。これが私の「問題意識」です。死ぬまでに、自分なりでもよい、ある結論を得たいものだと、思って独学しております。吉川さん、貴重なお話をありがとうございました。


Last Update: Aug.9,2007