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    手塚治虫
    (手塚 治)
    (59期)
    TEZUKA 0samu



      1928(昭和3)大阪府豊中市に生まれる。
      1941(昭和16)北野中学校入学。美術班と地歴班に所属。中学入学以前からすでにマンガを描いており、授業中にマンガを描いていたために軍事教練の教官からにらまれる。在学中、友人たちと「動物の世界」「原色甲蟲図譜」等を制作、発行。
      1944(昭和19)大阪石綿の工場に勤労動員される。
      1945(昭和20)北野中学校卒業。大阪大学附属医学専門部入学。
      1946(昭和21)デビュー作「マアチャンの日記帳」の連載が「少国民新聞」で始まる。
      1947(昭和22)「新宝島」(酒井七馬原作)刊行。ベストセラーとなり、後進に大きな影響をあたえた。
      1948(昭和23)「ロストワールド」刊行。
      1949(昭和24)「メトロポリス」刊行。
      1950(昭和25)「漫画少年」に「ジャングル大帝」を連載開始。東京児童漫画会入会。
      1951(昭和26)大阪大学附属医学専門部卒業。「アトム大使」を「少年」に連載。
      1952(昭和27)「鉄腕アトム」を「少年」に連載開始。医師国家試験に合格。仕事の場を東京に移す。
      1953(昭和28〉豊島区椎名町のトキワ荘に引っ越す。「リボンの騎士」を「少女クラブ」に連載。
      1958(昭和33)「ぴいこちやん」「漫画生物学」で第3回小学館児童漫画賞受賞。
      1961(昭和36)奈良県立医科大学で医学博士の学位をとる。
      1962(昭和37)アニメーション映画制作のために虫プロダクション設立。自主制作アニメ「ある街角の物語」を発表。
      1963(昭和38)国産初のテレビアニメ「鉄腕アトム」放映開始。アメリカでも「アストロボーイ」として放映される。
      1970(昭和45)「火の島」で、第1回講談社出版 文化賞(児童まんが部門)受賞。
      1975(昭和50)「ブラック・ジャック」で、第4回日本漫画家協会特別優秀賞。
      1979(昭和54)児童漫画の開拓と業績により第2回厳谷小波文芸賞受賞。
      1980(昭和55)国際交流基金まんが大使として渡米。
      1984(昭和59)「ジャンピング」で、第6回ザクレブ国際アニメーション映画祭グランプリおよびユネスコ賞受賞。
      1985(昭和60)「おんぼろフィルム」で、第1回広島国際アニメーション映画祭グランプリ、第4回バルナ国際アニメーション映画祭カテゴリー部門最優秀賞受賞。
      1988(昭和63)戦後漫画とアニメ界における創造的な業績により昭和62年度朝日賞受賞。
      1989(平成元)2月9日、胃癌により死去。 その他主な作品に「ブッダ」「アドルフに告ぐ」等がある。
      (参考文献 手塚プロダクション『手塚治虫劇場』  東京国立近代美術館『手塚治虫展』 ほか)

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